KATT神奈川芸術劇場大スタジオ、2025年1月11日18時(プレビュー)。
作・演出/加藤拓也。2022年に初演されたものの大幅改訂リクリエーション版。全1幕。
夏目/平原テツ、賢/金子岳憲、信也/秋元龍太朗、鯖江・芽衣子/今井隆文、ほか。
た組の演目はいくつか観ていますし、これは確か何か受賞したはずでタイトルに記憶があったのと、宝塚歌劇雪組のKATT公演とハシゴできることがわかったのでチケットを取ってみました。大スタジオも同じ五階で、向かいにあるんですね。入場しに行ったらちょうどフィナーレにかかるあたりの音漏れがよく聞こえました(笑)。ただ、よくよく考えると温度差で風邪でも引きそうなハシゴでした…先日『愛の不時着』からの『朧の森に棲む鬼』というハシゴをしましたが、そのときといい勝負でした。
お笑い芸人とその友人たちとの話、ではあります。病院の廊下かロビーを思わせるような、無味乾燥な白い壁と蛍光灯、平らなソファというか長椅子、というセット(美術・衣裳/山本貴愛)は、初演からずいぶんと変更されていると聞きました。
入院用ガウンらしきものを着た夏目が誰かと携帯電話で話している…というようなところからお話は始まり、彼がガウンを脱いで時間が過去に戻り日常が描かれ出すと、その場はカラオケボックスの一室になったりお笑いライブ会場の楽屋か何かになったり、変化していきますが、その場の登場人物たちは白い壁の上から壁を乗り越えてその場にやってきます。それがもう怖い。
そしてみんなめっちゃフツーにしゃべる。コレ、ホントに台詞?みたいにナチュラルな話し言葉、言い回し、態度で、でもあたりまえですがそういう演技なわけで、役者って芝居ってホント怖い、とまたぞわぞわします。
場面は切れ切れに変わっていくんだけれど、会話はきちんと通じていなかったりごまかされたりすることが多々あり、それも日常の会話や生活の中では実はけっこうあることなんだけれど、舞台でやられるとなお怖くて寒くてまたぞわぞわするワケです。
で、だんだん、夏目がそもそもごく若いころから双極症を患っていて(今は双極性障害とか躁鬱病とかはあまり言わないんですよね、再放送していた精神科医のドラマ『シュリンク』で見ました。障害ではなく単なる病気で、ドラマでは心の病気とか心の風邪という言い方もしていなくて、脳のバグ、という表現をしていました)、でも薬を飲んだり飲まなかったりしていて、それで発作が出て言動がおかしなことになることがあるのであり、しかしそれはそれとして売れない芸人だということで周りからいじられたりいじめられたりバイト先の若い店長に怒鳴りつけられたり妻からなじられたりしているのだ…ということが見えてくるわけです。それがもうホントに怖い。
相方も、才能を買っているスタッフも、仲のいい先輩芸人も、それなりにいろいろしてくれようとするんだけれど、上手くいかないし妻とは離婚することになるし相方も芸人をやめると言う…怖い、寒い、悲しい、つらい、しんどい、怖い。夏目の妄想はますます暴走し、宗教っぽいような、あるいはもうホントになんだかわからないようなことをごくナチュラルに口にし出す。怖い怖い怖い…!
ただ、なんか、不思議と観終えたあとは心が温かいのでした。夏目のギャグに賢が笑ってくれていたから…なのでしょうか。事態は特に改善されていなくて、でも彼の笑い声が響く中、暗転して芝居は終わったのでした。人はひとりでは生きられない、とか、どんな状態でも状況でもコミュニケーションを取るものだ、とか、そういうことを暗示している…というほどのラストシーンでもない気はしましたが、しかし怖いばかりで絶望で終えるような舞台でもありませんでした。不思議なものを観ました。
ドードーというのは絶滅した鳥のことですよね。夏目の意識からいなくなっていた友人たちは、ひとりひとり壁の向こうへ落ちるようにして消えていきました。落下する、というのはその部分かな、とは思うのですが、ではタイトルとしてどんな意味があるのか、は私には皆目わからない、そんな作品でした。ポスタービジュアルなんかは文字が反転されていたり、主役の顔が逆向きになっていたりするものでしたが、そういうイメージもあるんでしょうね。何が真実で何が正しいのか…みたいなことは表裏一体というか紙一重、みたいな…? でも、わかったようなわからないような、です。
でも、ここにしかないものがある気がするので、また来年の新作を観に来ようと思ってはいます。プレビュー最後の回でした、ここからの無事の上演をお祈りしています。
作・演出/加藤拓也。2022年に初演されたものの大幅改訂リクリエーション版。全1幕。
夏目/平原テツ、賢/金子岳憲、信也/秋元龍太朗、鯖江・芽衣子/今井隆文、ほか。
た組の演目はいくつか観ていますし、これは確か何か受賞したはずでタイトルに記憶があったのと、宝塚歌劇雪組のKATT公演とハシゴできることがわかったのでチケットを取ってみました。大スタジオも同じ五階で、向かいにあるんですね。入場しに行ったらちょうどフィナーレにかかるあたりの音漏れがよく聞こえました(笑)。ただ、よくよく考えると温度差で風邪でも引きそうなハシゴでした…先日『愛の不時着』からの『朧の森に棲む鬼』というハシゴをしましたが、そのときといい勝負でした。
お笑い芸人とその友人たちとの話、ではあります。病院の廊下かロビーを思わせるような、無味乾燥な白い壁と蛍光灯、平らなソファというか長椅子、というセット(美術・衣裳/山本貴愛)は、初演からずいぶんと変更されていると聞きました。
入院用ガウンらしきものを着た夏目が誰かと携帯電話で話している…というようなところからお話は始まり、彼がガウンを脱いで時間が過去に戻り日常が描かれ出すと、その場はカラオケボックスの一室になったりお笑いライブ会場の楽屋か何かになったり、変化していきますが、その場の登場人物たちは白い壁の上から壁を乗り越えてその場にやってきます。それがもう怖い。
そしてみんなめっちゃフツーにしゃべる。コレ、ホントに台詞?みたいにナチュラルな話し言葉、言い回し、態度で、でもあたりまえですがそういう演技なわけで、役者って芝居ってホント怖い、とまたぞわぞわします。
場面は切れ切れに変わっていくんだけれど、会話はきちんと通じていなかったりごまかされたりすることが多々あり、それも日常の会話や生活の中では実はけっこうあることなんだけれど、舞台でやられるとなお怖くて寒くてまたぞわぞわするワケです。
で、だんだん、夏目がそもそもごく若いころから双極症を患っていて(今は双極性障害とか躁鬱病とかはあまり言わないんですよね、再放送していた精神科医のドラマ『シュリンク』で見ました。障害ではなく単なる病気で、ドラマでは心の病気とか心の風邪という言い方もしていなくて、脳のバグ、という表現をしていました)、でも薬を飲んだり飲まなかったりしていて、それで発作が出て言動がおかしなことになることがあるのであり、しかしそれはそれとして売れない芸人だということで周りからいじられたりいじめられたりバイト先の若い店長に怒鳴りつけられたり妻からなじられたりしているのだ…ということが見えてくるわけです。それがもうホントに怖い。
相方も、才能を買っているスタッフも、仲のいい先輩芸人も、それなりにいろいろしてくれようとするんだけれど、上手くいかないし妻とは離婚することになるし相方も芸人をやめると言う…怖い、寒い、悲しい、つらい、しんどい、怖い。夏目の妄想はますます暴走し、宗教っぽいような、あるいはもうホントになんだかわからないようなことをごくナチュラルに口にし出す。怖い怖い怖い…!
ただ、なんか、不思議と観終えたあとは心が温かいのでした。夏目のギャグに賢が笑ってくれていたから…なのでしょうか。事態は特に改善されていなくて、でも彼の笑い声が響く中、暗転して芝居は終わったのでした。人はひとりでは生きられない、とか、どんな状態でも状況でもコミュニケーションを取るものだ、とか、そういうことを暗示している…というほどのラストシーンでもない気はしましたが、しかし怖いばかりで絶望で終えるような舞台でもありませんでした。不思議なものを観ました。
ドードーというのは絶滅した鳥のことですよね。夏目の意識からいなくなっていた友人たちは、ひとりひとり壁の向こうへ落ちるようにして消えていきました。落下する、というのはその部分かな、とは思うのですが、ではタイトルとしてどんな意味があるのか、は私には皆目わからない、そんな作品でした。ポスタービジュアルなんかは文字が反転されていたり、主役の顔が逆向きになっていたりするものでしたが、そういうイメージもあるんでしょうね。何が真実で何が正しいのか…みたいなことは表裏一体というか紙一重、みたいな…? でも、わかったようなわからないような、です。
でも、ここにしかないものがある気がするので、また来年の新作を観に来ようと思ってはいます。プレビュー最後の回でした、ここからの無事の上演をお祈りしています。
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