作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66497/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
冷戦が続く1956年。東ドイツのスターリンシュタット(現在のアイゼンヒュッテンシュタット)にある高校に通うテオとクルトは、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を目にする。
ソ連の支配に反発したハンガリー市民数千人が死亡したといわれ、テオとクルトは級友たちに呼びかけ、授業中に2分間の黙祷を行う。自由を求めるハンガリー市民に共感した彼らのこの行為は純粋な哀悼であったが、ソ連の影響下にある東ドイツにおいて社会主義国家への反逆行為とみなされ、当局の調査が入り、人民教育相自ら生徒たちに一週間以内に首謀者を明かすよう宣告。
大切な仲間を密告してエリート街道を進むか、信念を貫き進学を諦めて労働者として生きるか、生徒たちは人生を左右する大きな決断を迫られる。
=====ここまで。
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆
◆邦題が作品を冒涜しているの件。
邦題がね、、、。予告編は面白そうだったんだけど、最後に出た邦題でガクッとなって劇場行きはナシだな、、、と思っていたんだが、割と評判良さそうだから、やっぱり見に行っておこうと思い直して劇場まで足を運ぶことに。
私が予告編を見た際に邦題にガクッときたのは、内容を知った上でのことではなく、単純にダサいと思ったから。すげぇセンス悪い、、、と思っただけ。
が、しかし。本作を見終わって、この邦題のセンスの悪さは、単にダサいにとどまらず、悪質だと感じた。
ドイツ語の原題は“Das schweigende Klassenzimmer”で、静かな教室という意味らしい。英語版では“The Silent Revolution”で、やっぱり静かなる革命くらいの意味になっている。まあ、革命ってのはちと飛躍が大きい気がするが、それでも邦題よりナンボかマシだ。本作を見て、若者たちが乗った列車を、“希望という名の列車”と呼ぶとは、どうすればそういう思考回路になるのかナゾ。彼らはやむにやまれず列車に乗る選択をしたのであり、希望というよりは、祖国に対する失望と罪悪感を抱いて乗ったのではないか。
それに、そもそも本作の主眼は“列車に乗”ることにはないし、それは追い詰められた挙げ句に手段として選ばれたわけで、結論でも何でもない。
もちろん、タイトル=メインテーマ、である必要もなく、秀逸なタイトルというのは、必ずしも作品の内容を体現しているものではない。
しかし、本作の原題は、静かな教室であり、本作を見れば、若者たちが抵抗した手段が“沈黙”であったことがキモであることは明らか。何より、彼らが西側行きの列車に乗ったことで全てが解決したと誤解している(と思われても仕方のない)頭の悪さがこの邦題には滲み出ていて、正直言って、何となく恥ずかしささえ覚える。
邦題を誰がつけたのか知らんが、恐らく配給会社かその周辺だろうが、若者たちの葛藤と苦悩を踏みにじるに等しい、何とも愚かなことをしたもんだと思う。
やっぱり、「沈黙の教室」でしょ。……ま、これだと、セガールの沈黙シリーズと誤解される、、、とでも思ったんかいな。分かるやろ、いくら何でも違うことくらい。それを懸念したのだとしたら、“欲望という名の電車”の安っぽい二番煎じになることをもっと気にして欲しかったよね。せっかくの良い映画なんだからサ。
◆独裁国家は右も左も結局同じ。
……とまぁ、文句はこれくらいにして。
映画自体はなかなか良かったのよ。終始途切れることのない緊張感と、若者たちの青春ドラマが良い具合に絡み合って、秀作だと思う。
誰が首謀者なのか、、、を執拗にあぶり出そうとするシュタージの手先みたいな女ケスラーが怖い。見た目も怖いが、高校生たちに厳しい心理戦を強いてくるあたり、やはり怖ろしさを感じる。
私があの教室の1人だったら、ケスラーが怖ろしくてあっさり口を割ってしまいそうだと思って見ていた。というか、怖ろしさの余り、口には出さなくても、激しく挙動不審になり相手にバレてしまいそうだ。
しかし、彼らは首謀者の名を絶対に口にしない。ケスラーの揺さぶりにも何とか耐える。大臣が来ても、動揺しながらも口を割らない。……スゴイ。
なかなか事態が進まないことで、生徒たちの親も巻き込んでいく。親たちもいろいろな背景を持っていて、皆、この国での我が子の将来が心配なのだ。中でも首謀者クルトの父親は威圧的で、共産主義の権化みたいな人間だが、いざ我が子が西側へ逃げた際には、その行動を無言で後押しするのである。検問所でのこのシーンには胸を締め付けられる。
ドイツは、敗戦により国が二分されたことで、同じ敗戦国でも日本とはまた違う意味で非常に複雑な感情が戦後人々の間に渦巻いたことが改めて分かる。やっていることはナチと大差ないのに、ナチを毛嫌いする共産主義国家。とにかく、矛盾だらけで、見ていて息苦しくなってくる。
だからこそ、彼らが最終的に乗った列車が“希望”という名のものなどではない、と改めて言っておきたい。そんな甘っちょろい話じゃないのだ、この映画は。
◆その他もろもろ
首謀者クルトを演じたトム・グラメンツ君よりも、その親友テオを演じたレオナルド・シャイヒャー君がイケメンで可愛かった! キャラ的にもクルトよりテオの方が魅力的。
あと、テオのガールフレンド・レナを演じたレナ・クレンクちゃんが可愛かった。役のキャラはイマイチ好きじゃないけど。テオみたいなイイヤツが彼氏なのに、クルトと浮気しちゃうとか。……まあ、テオとは信条が違うから、、、ってことみたいだけど、なんだかなぁ。ただ、それがバレたあとのテオの言動がなかなか大人でナイスだったのもポイント高し。
そんなテオの父親を演じていたロナルト・ツェアフェルトは、どこかで見た顔だなぁ、、、と思っていて、終盤気付いた。『あの日のように抱きしめて』でニーナ・ホス演じるネリーの夫ジョニーを演じていたのだった! でもジョニーはもうちょっとシュッとしたイケメンだった記憶があるのだが、もしかしてかなり太ったのかな、、、?
しかし、大臣を演じたブルクハルト・クラウスナー、出番は少ないのにスゴイ存在感。怖い怖い。同じくらいケスラーを演じたヨルディス・トリーベルも怖い。とにかく表情がまったく変わらない。動じない。こういう人は怖いよね、、、。
本作は、実話が元になっているとのことだが、実際には、4人を除いたクラス全員が、西側に逃れたのだとか。……でも、その背後には、東に残った家族がいるんだよね。だから、やっぱり、希望という名の列車なんかじゃなかったのだよ、彼らが乗ったのは。
自分の18歳頃と比べると、、、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます