映画 ご(誤)鑑賞日記

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レ・ミゼラブル(1998年)

2020-05-28 | 【れ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv30890/

 

 「レ・ミゼラブル」と言えば、ジャン・バルジャンとジャベール。そんな原作のメインテーマにフォーカスした映画。ミュージカルではありません。


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 レミゼ鑑賞、続いております。ネットを見たら、やはり、何作も映像化されているレミゼを見比べている方が結構いらっしゃる様子。ミュージカルからハマって本作に辿りつくパターンが多いみたいだが、ミュージカル版がお好きな方には、本作はちょっと肩すかしかも知れませぬ。なぜなら、ミュージカル版ではなくてはならないものが、本作には“ナイ”からです。


◆2人のオッサンの物語。

 本作は、公開時に劇場で見ていて、割と印象に残っているのだが、忘れていることも多いので、今回改めてDVDを見直してみた。

 一番印象に残っていたのは、ジェフリー・ラッシュのジャベールで、今回もやっぱりジャベールの存在感が一番だった。私の中にあるジャベール像に一番近い。子どもの頃「あゝ、無情」を「少年少女 世界の名作文学」(小学館)で読んだときのジャベールは、まさにジェフリー・ラッシュが演じたみたいな見た目とキャラだった様な気がする。その本には挿絵があって、ジャベールは黒ずくめのコートを着ていた記憶があり、だから劇場で見たときも、「うわ~、あのジャベールだ!」と思ったのだった。

 ……で、本作は、ミュージカル版のように「愛が全て!!」という感じではなく、飽くまで“ジャン・バルジャン VS ジャベール”がメインストーリーであり、それがほぼ全てと言っても良い作りになっている。オッサン対決の映画なのである。

 だから、それ以外のストーリーに絡む人物は、バッサリとカットされている。つまり、エポニーヌもアンジョルラスも出てこない。マリウスとコゼットのロマンスも、ほんの味付け程度に描かれるのみ。テナルディエ夫婦もチョイ出でほとんど存在感がない。ミュージカル版のキモと言っても良いくらいのエポニーヌがいないのだから、ミュージカル版LOVEの人にとっては本作は、気の抜けたビールといったところかも。

 しかし、私が長年抱いてきたレミゼは、本作と同じ“ジャン・バルジャン VS ジャベール”の物語なので、エポニーヌがいなくても、マリウスとコゼットのロマンスがチョロッとでも、ゼンゼンOK。むしろ、その方が面白い。

 本作では、ジャン・バルジャンは決して“改心した善なる人”として描かれているのでなく、飽くまでも“悪の誘惑と葛藤する人”として描かれている。そして、私はこういうジャン・バルジャンの方が好きだ。NHKで放映していたBBCドラマ版のジャン・バルジャンも、やはり葛藤する人で、だからこそ魅力があったと思う。内なる悪に誘惑されると、彼は、司教にもらった銀の燭台を手にして自らと向き合う。そして、苦しみながらも、善の道を選んで行く。ここが人間臭くて、ドラマになるのだと思う。ミュージカル版は、その辺の葛藤が薄いよね、ちょっと。

 そして、そんな葛藤するジャン・バルジャンを常に脅かすのがジャベールなのである。ジャベールに対するジャン・バルジャンは“善なる人”であり続けることは出来ない。そらそーでしょう。今の穏やかな生活を壊しに来る存在なんだから。つまり、ジャベールは、ジャン・バルジャンが必死に封印している“内なる悪”を呼び覚ます存在として本作では位置づけられている。

 だから、最後の最後まで緊迫したオッサンの対決劇が描かれ、見ている方は手に汗握りっぱなしなのである。


◆ラストのジャン・バルジャンの表情をどう見るか。

 で、本作で物議を醸しているのがラストシーンなのだが、、、。

 ジャベールは、原作どおり、セーヌ川に身を投げる。ただ、これが、ジャン・バルジャンの目の前で、、、なのである。しかも、その後のジャン・バルジャンの表情が、清々して笑っているように見えるのだ。

 これが、ネットでの感想を見ると、かなり不評の様で、「ガッカリした」とか「ジャン・バルジャンが偽善者ってことになる」とか「川に飛び込んで助けろよ」とか、、、。まあ、それも分からんではないけど、この場合はちょっと違う気がする。

 この感想を読んで、私は『戦場のピアニスト』で、主人公のシュピルマンが自分を助けてくれたドイツ人将校を助けようと奔走しなかったことを批判する感想の数々が頭をよぎったのだが(史実ではシュピルマン氏はドイツ人将校を探し、救出しようと活動しているが)、映画でそこまで主人公を筋の通った高潔な人物として描かなければならないのだろうか?

 ジャン・バルジャンは、決して完璧な善人ではない、というのが本作の前提であり、ジャベールは常に彼の善人としての人生を脅かす存在だった。一瞬の出来事とは言え、あっという間にジャベールは自らセーヌ川に身を投げてしまった、、、それを呆然と見ているしかなかったジャン・バルジャンとしては、ようやくこれで、内なる悪を呼び覚まされることがなくなったという“安堵感”が最初に込み上げるのは当然だと思うのよ。自分の“内なる悪”に自覚的だからこそ、もう、悪に戻らなくても良いとホッとする感覚、、、なんじゃないかなぁ。自覚していることの方が、人としては上等な気がするんだけどね。

 それまでの葛藤の数々と、人生を懸けて善の道を選んできた苦悩を思えば、その原因である存在がこの世から、しかも自ら消えてくれたのだよ? 何で、汚い川に飛び込んでそれをまた助け上げなきゃいけないのさ。そんな分かりやすさ、いらんと思う。

 ジャベールは飽くまでも正義を貫かんとして生きてきたわけだけど、正義ってのは立場が変わればその中身も変わるという、非常に攻撃的でありながらも脆いもの。ジャベールにとっての正義は法を守ることだったのだが、法は万能ではなく、自らが信じて来たことが脆くも崩れたことでジャン・バルジャンを放免するに至ったわけだ。しかしそれは、自らが法に背いたこととなり、だからこそセーヌ川に身を投じる前に自らに手錠を掛けて、自らを罰した形になったのだろう。彼なりに自己完結したのであって、助けてもいいけど、助けるには及ばないとも思う。

 そして、そこでバッサリと終わっているのが良い、、、と思う。その後のジャン・バルジャンなど描いても、それは本作の場合、蛇足だろう。オッサン対決に終止符が打たれたのだから。


◆その他もろもろ

 リーアム・ニーソンは、あんまし好きじゃないけど、まあまあ良かったと思う。本作では、ジャン・バルジャンとファンテーヌの間に愛があった、、、という設定になっていて、ファンテーヌの悲惨な末路が比較的丁寧に描かれている。ファンテーヌを演じたユマ・サーマンは大熱演。

 ジェフリー・ラッシュは、やはり素晴らしい俳優だと改めて思った次第。撮影時は40代後半で、まだ若い。ジャン・バルジャンに殺されるか、、、というシーンでの演技は、本作の白眉と言っても良いのでは。

 マリウスは、アンジョルラスのキャラと融合させたキャラになっており、何だか中途半端な感じだった。コゼットは、BBCドラマ版では可愛いだけの箱入り娘だったが、本作では割と自己主張をする強さも持ち合わせたキャラになっていて、こっちのコゼットの方が私は好きかな。

 ジャン・バルジャンがコゼットに自分の過去を洗いざらい打ち明けるという改変もされているが、まあ、これらもメインストーリーを重視して2時間半の尺に収めるための技だと思えば、あまり気にならない。

 本作の監督はビレ・アウグスト。『リスボンに誘われて』の感想では、本作について「良い作品だけど、ちょっと食い足りないというか、グッと来なかった」と書いたけど、今回見直してみて、グッとは確かに来なかったけど、決して食い足りないなどということはなく、十分オッサン対決のドラマを堪能させていただきました。ミュージカル版よりは、ゼンゼン見応えあると思います。

 


 
 

 

 

“Jean Valjean”の発音だけがやけにフランス語っぽく聞こえたのは気のせいか、、、。

 

 

 

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