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島田髷と髪の塚

(髪の塚)

「超散歩」で島田中央公園から街に向かい、市民病院のそばの「野田のお薬師さん」と呼ばれる鵜田寺に立ち寄った。島田市最古の寺で眼病にきくお薬師さんとして信仰を集めている。

鵜田寺の道路を隔てた向かい側には、島田髷(まげ)の考案者といわれる虎御前の墓があり、「髪の塚」がある。

天下の奇祭「帯祭り」で知られる東海道島田宿は、また「島田髷」の発祥の地としても知られている。島田髷の考案者については諸説があり、定かではないが、もっとも有名な話は大磯の遊女「虎御前」が考案したという説である。しかし、大磯の「虎御前」が考案したとすると、いくら出身地だとはいえ「島田髷」と呼ばれるのは少し無理がある。だからその経緯を少し推理してみよう。

島田出身の虎御前は大磯に移っても島田で憶えた髪型を結っていた。変った髪型に気付いた人が「その髪型はどういう髪型か」と聞いた。それまでは特に髪型の名前は無かった。虎御前は島田で流行っていた結い方だから「島田髷」と答えたのであろう。敵討ちで名高い曽我十郎の恋人として浮名をはせた絶世の美女「虎御前」は、現代でいえばアイドルである。「虎御前」の結う髪型として、人気が一気に全国区になり、「島田髷」が結婚前の娘の髪型として定着することになった。

ここまで推理してきて、大きな勘違いに気が付いた。虎御前が生きていた時代は、12世紀の終わりから13世紀の始めである。島田髷が遊女の髷から一般女性の髷に広まったのは江戸時代の初め、17世紀である。その間に500年の隔たりがある。だから上記の推理は成り立たないのだ。

ところが、毎年9月の第3日曜日に行われる「島田髷祭」は、島田髷の考案者として「虎御前」をしのび、「虎御前」に感謝する祭りである。島田髷保存会の美容師さんたちが、様々な島田髷を結い、そろいの浴衣を着て、奉納踊りをしながら島田髷道中をする。合わせて、鵜田寺では「髪の塚」で髷供養感謝祭が行われる。

もう一つ、かつて「旧東海道夫婦旅」で大磯を歩いたとき、虎御前ゆかりの「化粧井戸」「虎御石」「虎池弁財天」などがあった。案内板では虎御前は大磯の生まれで、その出自は島田宿とは全く関係がなかった。

この情報のすれ違いには、この500年の間に虎御前をモデルに創作された読み物や芝居などが影響しているのではないかと思った。検証したわけではないが。
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