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梅ヶ島温泉と黄金の湯

(梅ヶ島の市営浴場跡)

昨日、クリナップのショールームのあと、日帰り温泉に行く予定にしていた。伊豆に足を伸ばすつもりだったが、ショールームに時間を取ってしまったので、温泉を梅ヶ島の「黄金の湯」に変更した。

「黄金の湯」を通り過ぎて、まず梅ヶ島温泉に行ってみる。「黄金の湯」が出来て梅ヶ島の市営浴場がどうなっているのか確認したかった。橋を渡った先の市営浴場は消えていた。欲場跡は公園になっていた。

昭和41年、梅ヶ島は壊滅的な水害を受けて、26人の犠牲者を出し、一度は消えてしまった。その後復興して現在にいたっているが、駐車場下にその慰霊碑が建っていた。

女房の話では、その水害の前に、女房は夏休み毎年のように、祖父母に連れられて梅ヶ島温泉に湯治に来ていたという。当時は宿は自炊で、共同風呂に一日に2回は入りに行った。昼間は、朝は勉強をし、ハイキングで近くの滝を見に行ったりした。毎年湯治場で会う顔見知りの所に遊びにも行った。共同風呂は混浴だったと思うが、汚れると入浴客が勝手に掻い出して清掃し、入れ替え中で、温泉が溜まるまで入れないと言われたこともあった。もちろん、かけ流しの天然温泉だから出来ることである。

市営浴場跡の向かい側の店でそばを食べたあと、女房は勘定を払いながら店の主人と昔の話をしている。壁には水害前の白黒写真が何枚も貼ってある。この店は水害後に出したから、昔の話はもう一つ詳しく無さそうであった。

戻る車の中で、バス停で降りて山道を登った所に自炊の宿があって共同風呂はそこからさらに登って行く。子供の足では随分距離があったように感じていたが、共同風呂は、恐らく市営浴場跡あたりになるのではないかと、記憶をたどって話した。


黄金の湯に戻って入湯する。ここへ来るのは2度目である。肌にまとわりつくような静岡の山手の湯の典型的な泉質であった。女房と娘たちが出て来るまで、休憩室で30分ほど気持良く寝た。
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