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掛川大祭 奴道中

(奴道中)

さらに掛川大祭が続く。お祭り広場に立って見物している。向かい側はもう日陰になっているのに、こちら側は日が当たって暑い。女房は前の敷物の見物席に少しずつ侵食し、いつの間にか敷物の上に座り込んでいた。さすがおばさんパワーだ。司会と解説者が適時に案内を入れながら、いくつかの町内の山車が出て、余興が行われ、一時間近く経った。これを見たら帰ろうと決めていた奴(やっこ)道中がやってきた。

江戸時代、大名行列の全員を国許から連れてくるわけではなかった。どの藩も宿々で荷物運びの中間(ちゅうげん)役の奴(やっこ)を雇って隊列を組んでいた。荷物の重さの差もあって、道中では整然と進んで行くわけではなかった。隊列は乱れに乱れてしまう。乱れたままで宿場に入っては藩の沽券にかかわる。だから、棒鼻などと呼ばれる宿場の入り口で、遅れてきた人々が追いつくのを待ち、服装と隊列を整えて宿場に粛々と入って行く。この行列が段々儀式化して、奴の服装も華美になり、歩み方も芝居じみてきた。それと共に宿ごとに奴役をやる人が専門化してどの藩の大名行列にもその奴役が雇われるようになる。この奴道中は大名行列のその部分だけを切り取って見せたものである。

二列に並んで、片方が槍・長柄(ながえ)・挟み箱などの荷物を持ち、かけ声を合わせ、所作を入れながら、ゆっくりゆっくり進む。見どころは荷物を受け渡すところで、槍は投げて受け渡す。他の荷物は手渡しだった。受け渡しが終わるとゆっくりと左右が入れ替わって前へ進む。

槍など取り落とせば昔は首が飛んだという。しかしそれで首が飛んだ人はおそらくいない。不幸にも取り落とす事故があったとしても、たいていは事故がなかったことにする。だから首が飛ぶことはない。建て前と本音を使い分けるのは江戸の昔から日本人の得意とすることである。
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