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「江戸繁昌記 ニ篇」 11 混堂(ゆや)9

(散歩道のヤゾウコゾウ)

マキノキの実を当地ではヤゾウコゾウという。これはまた、鈴なりのヤゾウコゾウである。通りかかった御近所の、地元出身のSさん、車を停めて、たくさん成ったねえという。子供の頃はよく食べた。もっとも、食べるにはまだ早い。黒くなるくらいに熟したら甘くなる。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

一裸、烟を吹きて坐す。顎を引いて下(おろ)し窺い、梯下の一人を指着して曰う、伴公看ずや。悪(にく)むべし。の湯水を乱用する者は、隣家の野郎なり。夫れ水なるは五行の一つ、これを乱用して可ならん。人間一日、水火無ければ、則ち死なん。豈(あ)に慎み用いざるべけんや。一を叩いて万を知る。人物この如く推知す。その金を惜まざるを、その火を戒(いまし)めざるを。将に一條の理屈を説出し来らんとす。
※ 叟(そう)- おきな。老翁。
※ 那(な)- あれ。あの。離れた人や物を指して言う語。
※ 五行(ごぎょう)- 五行説では、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという。


伴公、面てを仰ぎて、壁間の題額を指示し、叟に訊ねて曰う、僕、未だ審(つまびらか)にせず。額面の文字は、所謂(いわゆる)俳句か、抑々(そもそも)狂歌か。叟曰う、俳歌これなり。狂歌は俗称なり。曰う、知らず。何の風味が有る。曰う、似て非なる者、究竟、趣無し。これ唐人の寐語ならず。日本人の寐語のみ。(都俗謂う。難解は曰く、唐人寐語。)
※ 風味(ふうみ)- そのものやその人などから受ける好ましい感じ。風情。
※ 究竟(くきょう)- 物事をそのきわみまで突き詰めること。 また、そのきわみ。究極。くっきょう。
※ 寐語(びご)- ねごと。たわごと。「ねごと」とルビあり。


世に解すべからざるもの有りて、これを為す。自ら大人と称す。大人の、大人たる所以(ゆえん)、全く理會(理解)し難し。公もまた、解すべからざる人。自己の有する所にして、何たるを解せず。嘆ずべきかな。公が職、冗(ヒマ)なり。今より少なく書を読め。

曰う、如何ぞこれに及ばん。僕、唐様を学ばんと欲して、未だ暇あらず。請い問う、当今誰をか能書と為する。曰う、所謂(いわゆる)烏賊、世間皆なこれなり。孰(いずれ)をか能書と為し、指頭、字を結ぶも、胸中、文字を立てず。
※ 能書(れい)- 字を巧みに書くこと。また、その人。能筆。
※ 烏賊(いか)- 烏賊は墨を持つが字を解さないことから、文字を書いても字の意味を解さない人に譬えた。
※ 指頭(しとう)- 指の先。ゆびさき。


並びに、達摩(ダルマ)の門人、且つ書は姓名を記するに足る。(拙筆、従来この語を宗(たっと)ぶ)これを為すは、彼を為すに如からず。公、少なく書を読め。

伴曰う、近ごろ千筵間に善く一大字を作す者有りと聞く。識らず、如(いか)ん。叟笑いて曰う、龍を屠(ほ)うることを学ぶ者は、学び得て用無し。これ亦、一叚、解すべからざる事。
※ 千筵間(せんえんま)- 「センジョウジキ」とルビあり。
※ 一叚(いっか)- 一時的な。余計な。


叟、自ら膝を進む。火頭(ガンクビ)の覆(くつが)えるを省ず。烟(たばこ)膝頭に墜(お)つ。叟、惶遽し、衆、失笑す(フキダス)。
※ 惶遽(こうきょ)- おそれ慌てること。「ウロタエ」とルビあり。
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