平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
再びの巨木巡礼 43 旭伝院の松
旭伝院の松/墓地の真中に立つ
10月8日、第9回目の「再びの巨木巡礼」に出掛けた。天気は晴れで、半袖でもけっこう暑い。気温は30度近いと思う。国1バイパスを薮田西インターで降りて、県道215号伊久美藤枝線から、同224号大富藤枝線で、旧田中城内のカーブした道を、西益津小学校を右にみて横切り、瀬戸川を渡る少し手前の小道を左折すると、前方に旭伝院の松の雄姿が見えてくる。
旭伝院の松
旭伝院の松は「静岡県の巨木153」には入っていないので、「巨木巡礼」時では訪れていないが、その後、2012年10月1日「駿河百地蔵巡り」の時訪れて、このブログに書いている。その一部を再掲する。
旭伝院というお寺の墓地に、その松は墓地を守るように枝を広げている。昭和47年5月、焼津市指定天然記念物「旭伝院のマツ」との標柱が立っていた。樹種クロマツ、樹齢600年、樹高25メートル、根廻5.5メートル、目通4.3メートル、枝張20メートルという。目通4.7メートルという情報もあるが、指定時と現在の差であろうか。
マツクイムシの被害蔓延以降、県内でも松の巨木は次々に枯れて、大変少なくなってしまった。その中で「旭伝院のマツ」はまれな松の巨木で、県内でも有数の松ではないかと思う。
マツクイムシの被害蔓延以降、県内でも松の巨木は次々に枯れて、大変少なくなってしまった。その中で「旭伝院のマツ」はまれな松の巨木で、県内でも有数の松ではないかと思う。
「駿河百地蔵巡り」の時よりも、樹形が整って見えるのは、少し枝打ちされて整えられたと聞いた。すぐそばまでお墓が迫っていて、やや窮屈そうに見える。
旭伝院は、大正末期に曹洞宗の僧で、仏教学者でもあった岸沢惟安により開創されたという。お寺としての歴史は100年ほどしかない。「旭伝院のマツ」は、お寺の歴史よりはるかに古く、よもや回りにこんなにお墓が立ち並ぶとは、松も想像していなかったのではなかろうか。
目の高さの樹皮に沢山の穴が
目の高さ辺りに、樹皮にたくさんの穴が明けられ、多分そこから栄養分とか、マツクイムシ対策の薬が注入されているのだと思う。松枯れが巨木にも及んで、多くの有名な松が枯れる憂き目を見る今、支えもほとんど無しに、樹勢を保っている巨松を見られるのは大変嬉しいことである。
読書:「彼岸花 秋山久蔵御用控 6」 藤井邦夫 著
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