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「壺石文」 中 1 (旧)七月二十八日

(散歩道のアジサイ1)

今年もアジサイの季節が始まった。アジサイにはたくさんの品種があり、色や形も様々で、名前の特定が難しい。この後、散歩道には色々なアジサイが次々に花を咲かせる。端(はな)から諦めて、番号を付けるに止めようと思う。

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菅雄さんの「壺石文」の旅はいつの話なのかが気になっている。下巻の文末に、文政九年(1826)九月十七日駿河国島田駅中溝、篠家学窓にて清書と書かれている。

文政4年(1821)、長崎に雌雄一組の駱駝が輸入され、翌年から大坂・江戸で見世物として評判になった。上巻で、その駱駝を陸奥の白河の里で見物している。

それらの情報から、文政5年から文政9年の間とまでは限定できる。中巻、下巻と読み進めれば、さらに旅の年を限定できると思う。

というわけで、今日より、「壺石文 中」の解読に入る。

廿八日、午の降ちに雨止みければ、こゝを発ちて本宮を指してく。山路、浮泥滑らかにて、ほと/\(たう)れぬべき心地す。三里ばかり来つるほどに、日暮れ果てにたれば、とある山里の村長の家訪ねて、宿りを乞うに、主の言いけらく、今年は年飯(としいい)飢えてければ、公の法(のり)いみじくて、旅人宿す事はえ許さずという。
※ 降ち(くだち)- 日が傾くこと。また、そのころ。
※ 浮泥(うきひじ)- 泥。
※ 滑らか(なめらか)- すべりやすいさま。
※ ほと/\ - 困り果てた、また、うんざりした気持ちを表す語。まったく。つくづく。
※ いみじ - はなはだしい。並々でない。


三春という町まで行きて宿りてよ。つい松(まい)らせんとて、家刀自に作らせて、火点けて与う。いと嬉しくて、後方手に吹きつゝ、また一里ばかり来るに、消えてけり。人里もなければ、せんすべも無くて、闇路をたどりつゝ、岩角、木の根に躓(つまづ)き悩みて、また一里ばかり来ければ、萱が軒、立ち並びたる町ありけり。三春とぞいうなる。
※ 三春(みはる)- 現、福島県田村郡三春町。
※ つい松(続松)- たいまつ。
※ 進らす(まいらす)- さしあげる。
※ 家刀自(いえとうじ)- その家の主婦。内儀。
※ 後方手(しりえて)- 後ろ手。
※ せんすべ(為ん術)- あることをするための手段・方法。なすすべ。


火壁に背けて、ほのかに見ゆる門に佇(たたず)みて、宿し給わなんやと言えば、否とよ。夜、更けにたれば、旅人宿す家も、皆な寝て侍るめり。向かいの大寺の山門の内の、高き所に御社(みやしろ)あり。その前に人の籠る御堂たてりかし。こに物してよ、と言い放ちて、半蔀荒らかに降してけり。
※ 物す(ものす)- ここでは、野宿することをいう。
※ 半蔀(はじとみ)- 上半分を外側へ吊り上げるようにし、下半分をはめ込みとした蔀戸。


行きてみれば、言いしがごと、御堂有りき。その簀子(すのこ)に尻掛けて、夜の明くるをぞ待ち居たる。
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