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「雲渓庵日記」の解読 43


(ミンクル展示、土屋良彦作、千手観音像)

趣味で始めたという木彫。この千手観音像の制作に、一年九ヶ月かかったという。すごいの一言。きれいに彫られた職人の木彫と違って、その人柄が作品に表れて、味わい深い。

「雲渓庵日記」は、明治の初めに、明治政府などから出された文書を、丹念に書き写したもので、知識として知っている様々な事柄が、それぞれ元になる文書の形で読むことが出来て、大変興味深い。

今日の解読文の最初は、百官名、国名など、紛らわしい名前を持つ人に対し、改名を命じている文書である。ただ、この命令は下々に対しては徹底しないうちに、沙汰やみになったようで、現在でも、そういう名前がたくさん残っている。

明治の文書には時代が進むほど、難しい漢語が多用されるようになって、日々の解読では解読できなくて、■■で表示する部分が増えると思う。

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「雲渓庵日記」の解読を続ける。

一 百官名 一 国名  一 大夫  一 輔  一 亮  一 祐
一 助   一 介   一 丞   一 允  一 進  一 正
一 右衛門 一 左衛門 一 兵衛
なお以って、惣領、次三男、厄介に至るまで、本文同様相心得らるべく候、以上。
急廻状を以って申し達し候。然れば、別紙御書付写しの通り、仰せ出され候間、各(おのおの)方、差し合いの向き向き、早々取り調べ致し、差し出さるべく候。廻状早々、順達成らるべく候、以上。
     七月              静岡 調所

半紙にて、二枚差し出し候事。
                  静岡奉行支配
                   何れ堅め勤番組
                    何之誰
                     改 誰
       右之通改名仕度、此段奉伺候、以上。
            巳十月      何之誰㊞

天下一般、銭相場、金壱両に付、拾貫文に御定め相成り候間、相達し候事。
右の通り、仰せ出され候に付、早々市在へ相触れられ候。

七月廿四日御達

      大目付・御目付へ
                    孫太夫事
                   冨永 確造
                    平右衛門事
                   戸川 草三
                幹事役 安房事
                   勝  安芳(勝海舟のこと)
右の通り、名改め候間、心得のため、向き向きへ達し置かるゝるべく候。
(「雲渓庵日記」の解読つづく)
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