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「竹下村誌稿」を読む 46 遠江国 3

(清水町の秋葉社/旧金谷町の秋葉社・秋葉灯籠10/1月25日撮影)

今朝、やや寒さもゆるみ、金谷菊川方面の神社巡りに出掛けた。4時間ほど歩いたが、その話はまた後日。

夕方5時、NHKラジオ第一(静岡)で、静岡県に多い名前という話で、西の鈴木、東の望月という話題で、望月の方で歴史講座のS氏が出演された。話したいことはたくさんあったはずだが、短い時間で他の話題になって、消化不良だったのではないかと思った。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

また大日本史(巻二百九十二)に、
※ 大日本史(だいにほんし)- 歴史書。1657年水戸藩主徳川光圀の命により着手、1906年(明治39)完成。三九七巻。神武天皇から後小松天皇までの歴史を、漢文の紀伝体で編述。

遠江国上古(延喜式)曰、素賀國、遠淡海國、久努國。(旧事本紀)而石田、太田、土方、榛原等地隷焉。(日本書記、古事記)大祖御宇置素賀國、以美志印命為造。成務帝建久努國、印旛足尼為造。(旧事本紀)国有大湖因名遠淡海、蓋対近淡海。(古事記、万葉大意)大化改新停三国造、定為今名(日本書記、續日本紀、和名抄)

遠江国、上古(延喜式)曰く、素賀国遠淡海国久努国。(旧事本紀)而(しこう)して、石田、太田、土方、榛原等の地、ここに隷(れい)す。(日本書記、古事記)大祖御宇、素賀国に置く。美志印命(みしいぬのみこと)を以って、と為す。成務帝、久努国を建て、印旛足尼(いんばのすくね)を造と為す。(旧事本紀)国に大湖有り。因って、遠淡海と名付く。蓋し、近淡海と対(つい)とす。(古事記、万葉大意)大化改新、三国造(くにのみやつこ)を停(とど)む。定めて、今の名と為す。(日本書記、續日本紀、和名抄)

※ 素賀国(すがこく)- 現・掛川市大須賀周辺。
※ 遠淡海国(とおつおうみこく)- 現・静岡県西部、遠州平野一帯。
※ 久努国(くどこく)- 現・静岡県磐田市・袋井市周辺。
※ 大祖御宇(たいそぎょう)- 大昔の初代の御代。
※ 造(みやつこ)- 古代の姓(かばね)の一つ。地方的君主の尊称などといわれる。古くは,国造や職業的部民の統率者である伴造がみずから称したものであろう。
※ 成務帝(せいむてい)- 成務天皇(第13代天皇)日本全国の数多くの国造を任命したと伝わる。


とありて、湖水によりて国号の起りしと云うことは、なお美濃、尾張の曠野に基づき、三河、駿河の巨川によりて号(なづ)けたると同例なるべければ、何人も異存なかるべき筈なり。
※ 曠野(こうや)- 広々とした野。ひろの。

然れども、その起因となりし湖水につき、古来二説あり。一は磐田海説にして、一は浜名湖説なり。遠江史蹟瑣談に遠江国の起因は浜名湖あるによれりと云い、遠記傳には、

所以號遠江國者、上古國之墺區、有淡海、去皇都遙遠、故號遠津阿不美、淡海則磐田海也(淡海國玉神社在磐田郡)

遠江国と号す所以(ゆえん)は、上古、国の墺区淡海あり。皇都を去る遙か遠く、故に遠津阿不美(とおつあふみ)と号す。淡海、則ち、磐田海なり。(淡海国玉神社、磐田郡にあり。)

※ 墺区(まほらま)- まほら。まほろば。すばらしい場所。
※ 淡海(あわうみ)- 湖。湖水。おうみ。潮海(しおうみ)に対していう。
※ 淡海国玉神社(おうみくにたまじんじゃ)-静岡県磐田市見付2451にある神社。社格は旧県社。遠江国総社。


として、磐田海(即ち、今の浦の旧湖)説を主張し、見付中泉辺りの口碑にも、今の浦によれる由、云い伝えたり。


読書:「浪人半九郎 父子十手捕物日記15」 鈴木英治 著
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