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市野村出入の一件(1) - 古文書に親しむ(経験者)

(庭のムクゲ)

今日、梅雨が明けた。庭のムクゲは根腐れして、風が吹けば倒れそうであるが、今年も花を咲かせた。背景の空にはまだ薄雲が残っていて、夏空ではない。今日は風も涼しかった。

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「古文書に親しむ(経験者)」講座で教材として扱った「市野村出入の一件」を以下へ読み下しで示す。江戸から明治への混乱の時期に、土地争いが刑事事件にまで発展した事件で、結局、明治の司法制度の初っ端で裁かれた事件である。様々に目まぐるしく展開して、人間関係が大変わかりにくい。まずは人間関係を表にでもしながら読まないと解りにくいかもしれない。

   恐れながら手続書を以って申し上げ奉り候

一 遠州長上郡市野村、名主心得、龍左衛門事、改名喜伝次申し上げ奉り候。去る卯十二月、江戸市野本次郎様より御同人様御家来、赤塚民之助殿、中嶋嘉七殿出役として、両人宗安寺へ止宿仕り、両人の内、民之助と申す人、私宅へ罷り越し申し聞けられ候は、市野内匠支配地、字大林と申す畑地、筑後守殿知行の内にこれ有り候や、相尋ね候に付、大林の儀は築後守知行地にこれ無き旨、相答え候処、何の尋ねもこれ無く、引取り申し候。
※ 長上郡市野村(ながかみぐんいちのむら) 現、浜松市東区市野。東名浜松IC西側。
※ 改名 - 明治維新で、旧官名が復活された事に伴い、紛らわしさを防ぐため、明治3年、太政官布告にて、旧官名禁止令が出された。これにより、左衛門、右衛門、兵衛、太夫、介、助、輔、丞、佑、佐などの名前の使用が禁止された。また同時に、武蔵、日向など旧国名を利用した名前も禁止され、改名を余儀なくされた。もっとも、この禁止令も厳密なものではなく、そのまま改名せずに、左衛門など旧官名を名乗る人は多かったという。
さて、この文書は明治2年10月に出されたものであるが、太政官布告の前に、すでに何度かお触れが出されており、龍左衛門さんは改名をせざるを得なかったものであろう。
※ 卯十二月 - 慶応三年(一八六七)十二月。同月、王政復古の大号令。
※ 宗安寺(そうあんじ)- 現、浜松市東区市野町、市野氏歴代の菩提寺。
※ 筑後守(ちくごのかみ)- 松平筑後守。旗本。龍左衛門、市野内匠、いずれも松平筑後守の知行地の領民である。


同十二月廿三日、出役両人、内匠方へ罷り越し、土蔵より猥りに御年貢米運送致し候趣、右内匠留守居、権十と申す者、届け出候に付、私、折節(おりふし)、他行致し、早速立帰り、その場へ駈け付け、出役両人へ如何(いかが)の訳に候や、相尋ね候処、内匠不埒の儀これ有り、主人本次郎より申付けられ候次第にこれ有り候間、差し控えくれ候様これを申し、地頭、役人の取り計らいに付、余儀なく差し控え申し候。


読書:「怪盗桐山の藤兵衛の正体 八州廻り桑山十兵衛」佐藤雅美 著
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