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「家忠日記 五」を読む 30、 若狭小浜の小旅 1




(小浜の明通寺、国宝の、本堂と三重塔)

帰郷二日目の6日、次兄夫婦と若狭に行った。どこへ行きたいかと聞かれ、前回舞鶴まで行ったから、今回はさらに足を伸ばして、若狭の小浜へ行くことにした。高速道路網が少しずつ伸びて、若狭へも車でそれ程無理なく、日帰り出来るようになった。小浜へは昼頃に着き、昼食のあと、そこで頂いたパンフを見て、小浜に数ある古刹の中から、三重塔があるという理由だけで、明通寺というお寺を選んで出掛けた。

真言宗御室派の明通寺は坂上田村麻呂の創建と云われ、本堂と三重塔は国宝に指定されている。もっとも本堂、三重塔ともに、鎌倉時代中期の建築で、創建当時の堂宇は何も残っていないと、本堂で青年僧が案内してくれた。また、本尊は薬師如来の座像で、脇侍には通常、日光、月光菩薩像が立つところ、ここでは、厳めしげな、深沙大将、降三世明王が守っている。この組み合わせは珍しいものだという。

内陣は自由に拝観下さいと、案内を終えた。内陣を終えて出てくると、青年僧は縁へ出て、スマホに一心に見入っていた。今時の僧らしいと思う一方、剃髪もしていないから、まだ得度したわけではないのだろうと思った。あるいは、ちょっと変わったバイトなのかもしれない。(つづく)

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正廿年(1592)辰二月
十六日丁未 小笠原三九、ふる舞い候。
十七日戊申 富長三右衛門所にふる舞い候。
      夜、、三九所へ越し候。馬をくれられ候。
※ 投(とう)- 投宿。宿屋に泊まること。宿をとること。
十八日己酉 
十九日庚戌 晩より雨降る。忍の城渡して、新郷より舟にて出で候。
      富長三右衛門に刀出し候。名倉喜八へ長刀出し候。
廿日 辛亥 夜、雨降る。矢作まで越し候。
※ 矢作(やはぎ)- 現、千葉県香取市本矢作。

廿一日壬子 かないとまで越し候。
廿二日癸丑 雷、雹(ひょう)降り候。上代まで着き候。
      小海川にて、吉田佐太郎ふる舞いにて、馬をくれ候。佐太に刀を出し候。
廿三日甲寅 
廿四日乙卯 夜より雨降る。小見川より鱸小吉、舟方を切り候。
※ 小見川(おみかわ)- 現、千葉県香取市小見川。(小海川)小見川藩があった。
廿五日丙辰 雨降り。

廿六日丁巳 雨降り。
廿七日戊午 雨降り。伊勢御師(おし)、弥五郎越し候。
      小見川宿、おいゝ尉越し候て、葦毛の馬をくれ候。
※ 葦毛(あしげ)- 馬の毛色のひとつ。一般に灰色の馬のこと。
廿八日己未 雨降り。
廿九日庚申 雨降り。
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