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「江戸繁昌記 ニ篇」 3 混堂(ゆや)1

(沈む太陽が丸く見える)

意識しない内に日本列島の東を北へ、台風がいくつか抜けた。大きな台風ではなく、上陸に至らなかったからだが、日本中がリオへ向いているから、ニュースも扱いが小さい。

今日の夕暮れ、太陽は昨日と同じようだが、雲が少しあって、雲を通しての太陽は丸く見える。微妙な違いを写し撮りたくて、デジカメを向けた。

孫たちが、掛川のまーくんの家と行き来に、車を出したので、都合三往復する。一往復に40~50分掛かる。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

    混堂
※ 混堂(こんどう)-「ゆや」とルビあり。風呂屋。浴場。
暁天なお昏(くら)し。早く鴉声に和して、戸を連打し去る。喇々喇々(バタバタ)唖々唖々(カアカア)、喇々(バタバタ)唖々(カアカア)、喇唖(バタカア)喇唖(バタカア)。
※ 鴉声(あせい)- カラスの鳴き声。

朝湯に一番で浸かろうと、気に早い大家さんがやって来て、湯屋の戸を連打する。

高声、急に呼んで曰う。天、明けたり。須(すべから)く起きつべし。伴頭(湯屋の番頭)(はや)く開けろ。伴頭、伴頭、(び)を失するか。伴頭、すでに死せるか。呆伴、屎伴。衆雑嘈、戸未だ発(ひら)かず。
※ 寐(び)を失するか - 「ねぼうしたか」とルビあり。
※ 呆伴、屎伴 -「べらぼう伴」、「くそ伴」、とルビあり。
※ 雑嘈(ざつそう)- ざわざわと騒々しいこと。


一人、一人を揖して曰う、大家爺早起、今日好い天気。曰う、諾(はい)、昨日の葬送、道路殊に遠し。一同疲困す。帰るに臨みて、偶々(たまたま)君等を失す。家に至るまで影無し。想うに、また深川地方に向いて去る。
※ 揖す(ゆうす)- 会釈する。
※ 大家爺 -「おおやさん」とルビあり。
※ 早起 -「おはよう」とルビあり。
※ 疲困(ひこん)- 疲労困憊。
※ 深川地方 - 江戸時代には、深川では辰巳芸者が活躍し、深川八幡宮・永代寺の門前町は岡場所であった。


曰う、何ぞ然らん。霊巌寺の側、外族の在る有り。久しく音信無し。恰(あたか)も好し。少しく迂を取りて、彼方に走る。如何(いかん)ぞ、然らん。決して然らずや。
※ 霊巌寺(れいがんじ)- 東京都江東区にある浄土宗の寺院。
※ 外族(がいぞく)- 母または妻の親族。外戚。
※ 迂を取る(うをとる)- 遠回りする。


曰う、陳ぶることを休めよ。我、吾が黒眼を以って、已(すで)洞見し了せり。伊勢久(伊勢舗久兵衛)、また老人気を欠く年紀に愧(はじ)ず、弱冠を誘引す。真に好からぬ事、真に好からぬ事。
※ 洞見(どうけん)- 事物の本質などを見抜くこと。洞察。
※ 老人気を欠く -「おとなげねい」とルビあり。
※ 年紀(ねんき)-年齢。
※ 弱冠(れい)- 男子二十歳のこと。ここでは「若い者」位の意。
※ 真に好からぬ事 -「よくないこった」とルビあり。


昨日の新鬼の如き、明大人都俗有為の者を呼んで、明大人と謂う)、現今の家財へ並一生の聚(あつま)る所、千金、地面も已に三所を領せり。然れども平生の為る所、吝嗇と謂うには非ず。真に明大人、君もまた将にならんと、早々地を為せ。
※ 新鬼(しんき)-「ほとけ」とルビあり。
※ 明大人(めいていじん)- 文中に注あり。「都俗、有為の者を呼んで、明大人と謂う」
※ 都俗(とぞく)- 都会の風俗・習慣。みやこぶり。
※ 有為(ゆうい)- 能力があること。役に立つこと。
※ 壮(そう)- 意気が盛んで勇ましいこと。
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