平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「家忠日記 六」を読む 31、 若狭小浜の小旅 2
午後、掛川古文書講座へ出席した。夕方、孫たちが我が家に集り、定番のパスタを食べて、花火を見に行った。故あって、夏休みで静岡に来ている名古屋のかなくんも、まーくんたちの家へ泊っていて、時々顔を見せる。
(若狭小浜の小旅のつづき)
明通寺を後にして、山を越した一つ向うの谷の、「鵜の瀬」に行った。鵜の瀬では、毎年3月2日に、「お水送り」の神事が行われる。ここから送られた御神水が着いた先が、奈良東大寺二月堂の若狭井で、そこから汲み上げた「閼伽水」を本尊にお供えする儀式が、春を告げる、東大寺二月堂のお水取りである。勇壮な火祭りとして有名であるが、どうやら「お水送り」の行事も火祭りのようである。松本清張に語らせば、これもゾロアスター教の影響の色濃い、火と水の行事ということになる。
「お水送り」と「お水取り」の行事には、東大寺大仏開眼前の二月堂で行われた修二会(しゅにえ)にまつわる面白い伝説があるが、それはさて置き、東大寺の初代別当で、開祖と云われる良弁僧正は、若狭小浜のこの地の生まれであった。お水取り行事を始めた弟子の実忠が、師の良弁ゆかりの若狭小浜のこの地と、若狭井が繋がっていて、「閼伽水」がはるばる至るという、壮大なロマンをでっち上げたのだろうと思う。
「閼伽水」も鵜の瀬で流せば、確実に若狭湾へ流れて行き、奈良の若狭井に涌き出すことは考えられないけれども、「お水送り」と「お水取り」の行事も1200年も続けば、作り話も真実になる。それは、高野山の奥の院に今もなお、弘法大師が生きておられ、僧が1200年にわたって届け続ける食事を摂られているのと、同じ根の話である。(つづく)
「家忠日記 六」の解読を続ける。
天正廿年(1592)辰三月
三月大
一日 辛酉
二日 壬戌
三日 癸亥 晩より雨降る。伊勢の御師帰り候。葦毛の馬を取らせ候。
四日 甲子 雨降り。江戸へ遣し候者、帰り候。
知行、残る三千石は、この元にて渡し候わん由、申し来り候。
五日 乙丑 つきや建て候。晩より夜かけ雨降る。
上総知行分
腰当の郷 吉田の郷
一 三百二石五斗三升三合 一 九拾五石四斗四升
※ 腰当(こしあて)- 現、千葉県茂原市腰当。
※ 吉田(よしだ)- 現、千葉県匝瑳市八日市場の一部。
鳥喰の郷 戸田の郷
一 六百丗三石六斗九升一合 一 弐百六拾石七斗六升
※ 鳥喰(とりはみ)- 現、千葉県山武郡横芝光町の一部。
※ 戸田(とだ)- 現、千葉県山武市戸田。
宮内郷、東金近所なり 吉倉の郷
一 壱弐七石五斗九升弐合 一 百廿四石四斗五升九合
※ 東金(とうがね)- 現、千葉県東金市東金。
※ 吉倉(よしくら)- 現、千葉県八街市吉倉。
平川の郷 と善の郷
一 百八拾八石七合 一 四百五拾三石九升五合
※ 平川(ひらかわ)- 現、千葉市緑区平川町。
柿餅 さけほりしの郷
一 丗五石四斗一升二合 一 丗七石五斗三升七合
※ 柿餅(かきもち)- 現、大網白里市柿餅。
埴谷の郷 北塚の郷
一 千弐百七拾弐石一斗三升八合 一 百六拾八石三斗三升弐合
※ 埴谷(はんや)- 現、千葉県山武市埴谷。
※ 北塚(きたづか)- 現、千葉県茂原市北塚。
丹尾の郷 清名幸谷
一 八拾五石八斗九升 一 弐百丗八石三斗壱升三合
※ 丹尾(たんのお)- 現、千葉県東金市丹尾。
※ 清名幸谷(せいなこうや)- 上総国山辺郡清名幸谷村。現、千葉県東金市。
仏島の郷
一 百七拾五石七斗八升七合
※ 仏島(ほとけしま)- 現、千葉県大網白里市仏島。
以上、拾五郷
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