goo

遠州高天神記 巻の弐 6 武田勝頼、遠州諏訪の原城取りの事(後)

(諏訪原城跡のカモシカ、目のように見えるのは顔毛の模様で、
実際の目は模様の上に小さく付いている)

昨日、諏訪原城跡の二の曲輪で、背後に気配を感じて振り返ると、カモシカが一頭じっとこちらを窺っていた。カモシカの生息地域は年々里に近付いてきているようにみえる。諏訪原城跡は林間にあるが周囲には人家もあるし、旧国1も近い。諏訪原城跡のカモシカは逃げもしないで、やがて二の曲輪に生えたシダ類を食べ始めた。

本日午後、駿河古文書会で静岡へ出かけた。

「遠州高天神記」の解読を続ける。「遠州諏訪の原城取り」の続きである。

勝頼聞こしめして、先手の者三組走り向うべしと下知し給う。馬場美濃守申すは、金薬師山に見えるは僅かの勢なり。定めて伏兵、所々に有るべし。敵もその心なくては出でまじ。これより沢へかゝらば、沢の間より伏兵を発し、両脇より鉄砲を打ち掛けるべき方便なり。掛れば死地に落ち入る事、敵この方へ掛らば、また死地に入るなり。そのまま捨て置き給え。敵を挫くとはこの所なり。達って諌言申し上げ、諸兵を止める故、敵も蒐(あつま)らず。味方も待ち受けて利有りと定め蒐らず。白眼会いて居りたりける。
※ 白眼(はくがん)- 冷淡な目つき。

高天神の勢は、甲州方下々の者、あるいはすっぱども、城飼郡、藍妨取りに入りし狼藉の奴原をここ彼方にて、三十余人討ち取り、五、六日白眼合い、夜に入りて音もなく引き込みけり。藍妨打つ事も止みけり。
※ すっぱ - 戦国時代、武家が野武士や野盗であった者を取りたて使った間者。乱波(らっぱ)。忍びの者。
※ 藍妨取(らんぼうとり)- 乱妨取り。戦国時代から安土桃山時代にかけて、戦いの後で兵士が人や物を掠奪した行為。
※ 奴原(やつばら)- 複数の人を卑しめていう語。やつら。


甲州方には、夜昼普請を操立て急ぎけり。大方に出来して、城代を番手に定め置き、勝頼御馬入れ給う。

然る間、高天神にても内々籠城の心掛け、その支度在りて、近辺の小身地侍の、今川家より在々所々に在る者どもを招き集めたる故、弥々大勢になる中にも、川田平兵衛(入道して真皆と云う)、同平太郎父子、これは、去々年、信玄、小山、瀧境に両城取立ての砌り、与八郎より招き入れ、老功の者成る故、大手池の段の持口を預け、相良、勝俣、由井、切山、大井川筋より山家まで集り、勢の組頭と定め置くなり。
※ 入道(にゅうどう)- 皇族や公卿、武士で、在俗のまま剃髪し、僧衣をつけ仏道に入った人。

さて毎日夜昼、新城金谷、小山、境の城々へ忍びを入れ、物見をかけ、番手に勤めるなり。城中の者どもは、勝頼を引き請け、この城に於いて一涯在る分の働きして討死せん事は、弓矢の面目、死して閻魔の訴えにせん事、本望なりと唱う。
※ 一涯(いちがい)- その身の力の及ぶかぎり。 せいいっぱい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )