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事実証談 神霊部(下) 80~82 秋葉山

(静居寺のキバナシャクナゲ)

事実証談の解読を続ける。穢れと崇りの話ばかり続いて、いささか食傷気味である。これらの話を読んでいると、お葬式を、もっぱら寺院が請け負って、神社は避けられた理由がよく理解できる。

第80話
○周智郡天宮村、萬屋孫右衛門という者、同行四五人にて、寛政年中(1789~1801)、秋葉山に詣ずるとて、登山に臨みて、三十丁目より心地あしかりけるを押して、二王門の辺まで行きしに、歩行もなりがたき故、同行の者、助けゆかむとすれども、手足かゞまりて行かれざりしかば、これは何か穢れ有りての咎めなるべければ、参詣をはばかるべしと、敷石の上に助け上げられ、

さて同行の者ばかり参詣しける故、暫し休み居るに、手足も少しゆるみ、空腹になりけるにより、焼飯を出し食せんとすれば、また手のかゞまりける故、さては火の穢れならんと思いめぐらせど、心あたりの事もなければ、不審ながらも、同行に助けられて下向になりければ、手足も漸くにゆるみて、三十丁目に至る頃は(三十丁目より上は神山、それより下は百姓持山なる故か)常の如くなりて、
※ 焼飯(やきいい)- 握り飯を火にあぶって焦げ目をつけたもの。

家に帰り尋ねれば、隣家に病者有りしが、その日死して、家族弔いに行きて、家を穢せし故ならんかと言えり。その崇りなるべしと孫右衛門の物語なり。


第81話
○豊田郡森本村、近藤玄瑞という医師の家僕、万助という者、秋葉山へ主人の代参に行く。登山にのぞみて、十三丁目の茶店に休み、焼飯を出し食せんと、二つに割りたりければ、その焼飯、菜飯の如くなるをよく見れば、蚊を数多握り込みて有りけり。怪しみつゝ、また一つ割りて見れば、それも同じければ、

茶店の亭主に物語けるに、それは穢れ有りし知らせなるべければ、その焼飯を捨て、身禊して登山すべしと言いける故、その辺りなる犬に喰わせ見るに、犬だに喰わざれば、深く怪しみ身禊して登山しけるに、つゝがなく参詣して家に帰り、尋ねければ、その家の下女、月役にて有りし傍輩の下女を頼みて、その焼飯を握らしめたりしなりとぞ。これは則ち万助の物語なり。
※ 傍輩(ほうばい)- 同じ会社に勤めたり,同じ主人に仕えたり,同じ先生についたりしている仲間。同僚。同輩。


第82話
○佐野郡上西郷村、善助という者、秋葉山登山に臨みて、焼飯食せんと取り出し見るに、その色茶飯の如く変りし事有りしが、これもいさゝか、火の穢れ有りししらせにて、有りしといえり。
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