平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
事実証談 神霊部(下) 60 尾張国津島社
事実証談 神霊部(下)の解読を続ける。
第60話
○山名郡新堀村、平左衛門という者、同郡高部村、幸助という者、先達にて、同行七人にて大峰山に詣でんと、明和四年(1767)七月、国を出立し、先ず尾張国津島社に参詣せんとて、佐屋海道に出る。
津島に至らんという日は、七月十一日の事なりしが、その日、雨いたく降って濡れつゝ、同行の中、三人道を急ぎ、甚目寺村という地に至りしに、雨いよ/\降りしきりければ、いまだ宿らん頃にてはあらざりしかど、ある旅篭屋に宿を定めて在りしに、残り四人の者はかくとも知らず、かの三人の宿りたる家の前を行き過ぎけるを、呼びとゞめ、宿を定めし事を言けれども、四人の者は津嶋まで行かむとて争いけるを、宿の主、時もはや七つ時過ぎれば、津嶋までは暮れぬべし。
殊にかゝる大雨なれば、行くさき水たゝへて、行きがたかるべしなど言いける故、ともに宿らんと思う折りから、齢い六十ばかりなる老人、傘をさし足駄をはきたるが出できたり。四人の者にさゝやきけるは、宿の主は泊らせんとて、とかくいゝて留むれども、今九つ時頃なれば、津嶋まで行く事安かるべし。かゝる大雨なれば、明日はいよ/\水漲(みなぎ)りて、津嶋へ行く事なるべからず。我も津嶋までゆけば、道しるべせん。
※ 足駄(あしだ)- 雨の日などに履く、高い歯の下駄。
主の空言にな欺(あざむ)かれたまいそ、と言いけるにより、四人の者は老人の案内を頼みに行かむとすれば、三人の者も詮方なく、ともに行かむとするを、宿の主、約を変じ行く事を怒りのゝしるをなだめ、改めて出で行きしに、雨は弥増(いやまし)に降り荒(すさ)みて、甚目寺村の先なる田面の道にいたりければ、一面に水満ちたゝえて、道も見えねど、かの老人の案内を力にて、たどり行くに、はや足元も見えぬばかりに暮れけるに、かの老人は行方も知らずなりしかば、或いは恨み、或いは怪しみつゝ、道しるべせん人もなく、闇夜にてたどる/\、辛じて夜の五つ時過る頃、津嶋に至り着いて、御師(おんし)の家を尋ねて宿りしに、
※ な~そ - ~するな。~してくれるな。
翌日起き出でて見れば、往来の通路もなき程の洪水なれば、その日は津嶋に逗留して、聞き合わすれば、昨日宿らんとせし甚目寺村のあたりは、家人共に流
れ失せしよしなれば、さては昨日の老人こそ、神の現(げん)にあらわれ、道しるべし給いて、我々を助け給いしなるべけれ、といよ/\信心をおこし、神の恵みを尊(とうと)み、うれしみ、物詣でして帰りしと。則ち平左衛門の物語なり。
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