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はまつゝ羅抄 安倍紀行 30 門屋、菖蒲ヶ谷、井宮

(今も変わらぬ釣堀の鯨ヶ池、ただ新東名で風景が一変)

台風27号、28号のダブル台風が太平洋にいて、日本中が何やら騒々しい。幸いにも二つともに、日本列島への上陸は免れそうで、幸いである。当地は明日の午後には天気が回復に向かうようである。今夜は、時折り激しい雨が屋根を叩いている。

安倍紀行の解読を続ける。

・門屋村、鯨ヶ池山際にあり。開田八町ばかり。干魃の時は、牛の頭を入るゝ時は忽ち大雨すという。

鯨ヶ池という地名が出てきたので、21日の取材の最後に、鯨ヶ池へ寄ってみた。久し振りに見る光景は、一見して昔と変わらない佇まいに見えるが、すぐ北側に新東名の橋桁が並び立って、廻りの景色を一変させていた。

・菖蒲ヶ谷、松富の下組なり。里長源左衛門、酒井氏なり。今川氏の判形家蔵す。これを閲するに、享禄四年辛酉三月廿三日、酒井惣左衛門殿と宛たり。この宗祖は酒井下総守ヨリイリ(文字不明)とて、今川氏の家臣たる。この辺は賤機山の城墟の麓にて、地名に町屋、或は功名坂など云う処あり。菖蒲ヶ谷と云うは、むかし花菖蒲名産ありけるにて号とせり。

そもそも賤機の城址は、守勝某の住居せしと云うこと、さだかならざれども、ある説によれば、今川没落の後、永禄十二年、岡部、安倍、小長谷、酒井、その他、かれこれ、こゝに籠城して、武田の二度の乱入に、信玄入道の矛先をうけて、弓鉄砲を打ち出したりと、甲陽軍鑑などには、今川殿の館の焼趾とはあれど、この城地なると言い伝えたり。既に惣社神司の祖、遠山新蔵某は、この城にてその時討死せしと云う。然れども是非未詳。


鯨ヶ池から浅間神社まで連なる賤機の尾根のどこかに城址があったはずなのだが、この尾根は縦走もしたけれども、城址には全く気付かなかった。

・井宮神社、内津山の地内にあり、祭神、市杵嶌姫と瀬津姫とを祭る処なり。風土記に見えたり。

・井宮村、妙見社が祭神、破軍星なり。むかし当山に於いて唐櫃を堀り出す。内に宝釼(つるぎ)ありし。今本社に蔵す。その処を地主、権現の塚と呼ぶなり。

※ 破軍星(はぐんせい)- 北斗七星の第七星、柄の先端にあたる星。陰陽道では、その星の指し示す方角を万事に不吉として忌んだ。


(井宮村、妙見社)

井宮神社の所在はつかめなかった。ただ妙見社は、妙見下交差点の表示も見つけて、近くにあるに違いないと見当を付けて行った。妙見下交差点を素通りしてしまい、戻ってきて細い路地に入り、近所の人に尋ねたところ、妙見下交差点から妙見社へ登る道があって、車で上まで登れると教えてくれた。入口が余りに狭くて、再び通り過ぎ、鳥居が見えたと思って、引返して鳥居を潜った。細い道を上って小広い駐車場まで行けた。

拝殿前にでると、井宮・白山神社、内津神社の二つの額が掛かっていた。案内板には、徳川家康が妙見菩薩(北斗七星のひとつ破軍星)を祭ったので、妙見山の方が有名で、昔から妙見さんと呼ばれている、とあった。井宮神社も妙見社も同じ社だったのだろうか。どうも、明治以降の神仏分離や合祀が事をややこしくしているようだ。
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