平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
はまつゝ羅抄 安倍紀行 36 東、天神鈴石、肥え付石
安倍紀行の解読を続ける。靜岡市葵区東に日加美神社がある。産土神天王社とはこの神社のことに違いないと思い、立ち寄った。社の名前は変わっているが、村の産土神としての格を感じた。解読していくと、不思議な石が二つ、語られている。
・東村 産土神天王社あり。ここの沢に一町許り入り、松樹下に、高さ三間、横二間許りの巨巌石あり。面に一寸許りの小穴二つあり。右の側を廻り見れば、地下より五、六尺許り上に、経尺ばかりの穴あり。穴中を望み見るに、蟻通しの如きまかれる穴、奥に深し。いにしえは西の小穴より銭を投ずれば、鳴り渡りて底に落ち入る音ありと云う。今は穴中埋りけるにや、伝の如くは鳴らず。この石、天神鈴石ととなえぬ。天神七代の御神を齊(まつ)るところといえり。
※ 蟻通し(ありどおし)- アカネ科の常緑小低木。山地の樹陰に生え、高さ30~60センチ。細い枝が変化した1~2センチの針が多数ある。初夏、白い漏斗(ろうと)状の花をつける。岩に明いた穴をこの花の形状に例えたものと思う。
こゝを去って、なお山の腰に沿いていたれば、一間許りなる板橋あり。ここの左の丘に洪鐘の如く、黒漆の色したる一片石あり。里人にとえば、肥え付石とて、毒石とて、この毒気にあたるもの、足のふとくなれる病を生ずといえり。いかさまこの石の毒にや、或は沼田の中に毒気あるにや、この辺の農夫は多くはこの病あり。
※ 洪鐘(こうしょう)- 大きなつりがね。大鐘。巨鐘。
30日の取材では何とかこの二つの石、「天神鈴石」と「肥え付石」を見てみたいと思った。現在も存在していることは、ネットで確認できていた。「肥え付石」はある場所も判ったが、「天神鈴石」は山を15分ほど登った先にあるというだけで、見当が付かない。ただ「肥え付石」からそれほど遠くないところに登リ口があるらしい。
(肥え付石)
日加美神社から1キロ余り南へ下った山の端に、麻機園という特養の老人ホームがある。その入口近くの道路端に「見通塚地蔵堂」という祠がある。実は「駿河百地蔵巡り」のとき、この地蔵堂に参っている。「肥え付石」はそのすぐ右隣にあった。地蔵巡りのときは、汚い石があるくらいにしか思わなかった。おそらく、実際にあった場所から、この道路端まで下ろして、お祭りされているのであろう。
(天神鈴石)
次に、探したのが「天神鈴石」である。少し北へ戻って、家庭農園にいた老人夫婦に聞いた。この地に住むようになって40年経つと話すご夫婦は、丁寧に教えてくれた。山際に上水道の大きなタンクが見えた。その少し北側に山に向かって付けられている農道を登って行った先にある。昔は下の道から見えていた位で、歩いてもそんなに時間は掛からないという。農道を行くと、登りになる手前で、頑丈なゲートがあり、車は入れない。歩いて標高を稼ぎながら、左回りに登ったところで、道路の左下に「天神鈴石」が見えた。二つの小穴は確認できなかったが、一尺許りの径の穴はあった。10円玉を放り込んで耳を澄ませたが、わずかにちゃりんと聞こえただけであった。
ともあれ、目的の二つの石は確認できて、満足して次に進んだ。
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