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はまつゝ羅抄 安倍紀行 20 上田、中野、薬沢

(井川ダムのダムカード)

10月10日、井川の集落に入る前に、井川ダムの井川展示館に寄って、ダムカードをもらってきた。何かと批判の多いダム建設であるが、水力発電はクリーンなエネルギーであることは間違いない。ダムは日頃は人々の眼の届かない山奥で活動し、発電の大きな部分を荷っていると同時に、水防、水利にも大きな役割を果している。しかし、人々はそれを知らされることは少ない。国土交通省と独立行政法人水資源機構の管理するダムでは、「ダムカード」を作成し、来訪者に提供する活動を始めた。ダムの広報活動の一環である。いま、全国で300ヶ所以上でダムカードが配られ、ダムを見学して、ダムカードを蒐集するのが、密かなブームになっている。井川ダムでもこの日にすでに4人の人がダムカードを貰いに立ち寄っていた。


(井川ダムとダム湖)

安倍紀行の解読を続けよう。藤泰さん一行はいよいよ井川の集落に入る。多くの村々が湖底に沈み、現在では湖畔に村が上げられて、村を形成している。古いものが現在、どれくらい残っているのであろうか。


(上田村、大井山竜泉院)

(大井川を)かろうじて打ち過ぎ、上田村に揚る。産土神大井社あり。大井山竜泉院にいたる。洞家法幢地にて、遠江国飯田村の崇信寺末なり。開山椿翁永松和尚、天文十三年辰三月六日遷化。開基を心清常安大居士と云う。天正十五年亥十月十日没、古墳地内にあり。俗名安倍大蔵元真とて、元は今川氏の幕下にて、永禄の役に、府城の焼跡に岡部正綱等と同じくたて籠りて、武田信玄入道を迎えて、弓を引きし勇士なり。岡部氏、武田氏と和儀調いし後は、府を去ってこの里に籠りおるが、田代、小河内郷民一揆に依って、遠江国に打ち越して、東照神君の御幕下に属し、再び当郷に切り入りて、田代、小河内一揆原を打ち取り、その勢に武田氏のかまえし、津渡野村の砦を攻落して、遠江に引き取りける。その後、所々にて戦功あり。神君より御感状を賜わりける。元真が子、弥市郎信勝、その子摂津守信盛など、神君に奉仕し、終に列候に入りけるとなむ。
※ 神君(しんくん)- 徳川家康の死後の敬称。

・中野村、洞家法幢地に竜沢山慈雲院と云うあり。桂山の長光寺末なり。開山開田可和尚、永禄七年遷化。公林の御堂山と云う麓に千手観音の堂あり。本尊行基の作と云う。鰐口、応永三十一年十一月と銘す。地内に大杉一樹周廻り二十二囲え、大枝五本に分る。控の内は十二畳許りも敷るべし。今年二月十二日の夜、木生火にて、控の半ばより焼け通りける。惜むべし、終に材木とやなるべき事を。

・薬沢村、十二天の社あり。この小里中西という所に、寿永のむかし、仁科弥七と云う土着の武士ありし。今、長次右衛門と云うはこの子孫と云う。旧記亡びて伝不詳。
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