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「四国お遍路まんだら」を読む その2

(キンモクセイの生垣-超散歩1より)

(続き)
41日間、遍路旅は何事も起きずに終始した。体調はいたって快調、足も疲労は限界に近かったが、豆すらほとんど出来なかった。お天気にも恵まれ、嵐はおろか雨の日さえも数えるほどしかなかった。こんな平穏な遍路旅がいつも約束されていると思ってお遍路に出たら、きっと面食らうと思う。41日間歩く間には様々な事件が起きる。天災にも遭うかもしれないし、怪我もあるかもしれない。人の悪意にも遇わないとは限らない。自分もそういうすべてを覚悟していた。ハプニングを楽しんでやろうとまで思っていたが、実際には自らハプニングを避けるべく、しっかり歩きを管理していたのだと思う。

昔、職場の同僚と作った山の会で、自分が参加した山行では全くトラブルが起きなかった。ところが、たまたま所用で参加出来なかった山行で、小さなトラブルが何度か起きた。本人が気付かないうちに、トラブルを回避するように仕切っていたのだろう。嫌な役回りの性格である。

歩いていると、お遍路さん声を掛けてください、お接待させてもらいます、という貼紙を時々見る。また声を掛けられ呼び込もうとされることもある。そういう誘いにほとんど乗ることはなかった。他の歩き遍路の中にはあっちに寄り、こっちに寄りして、お接待を受けて歩く人もあると聞く。しかし、もの欲しそうにする心根を、快しとしない性格から、ほとんど素通りしてきた。けれども、お接待を受けることで地元の方との交流も生れる。交流したいと考えるならば、積極的にお接待を受けるべきだったのだろうと反省している。

二度目のお遍路では、もう少し時間的に余裕を持って、旅での出会いを大切にし、様々な人々との交流をメインにおいて、お遍路をしたいと思っている。例えば50日のお遍路で、一日5人の人と交流できたら、250人の知り合いが出来る勘定になる。これからの人生において、何人の方に出会えるだろうかと考えれば、何年分かの出会いをお遍路の短期間に凝縮して得ることになる。これはきっと大変なことである。

「四国お遍路まんだら ふたたび」として、旅の記録をまとめるならば、それは人との交流を主とした記録になるだろう。お寺の紹介は2度目だから繰り返す必要はない。ただ自費出版となると、最低でも旅の費用の倍ぐらい掛かって、かなり厳しい。何とか、引き受けてくれる出版社は無いだろうか。そんなことを考えるよりも、読み応えのある旅の記録にすることが肝要だと思う。そうすれば道は開けるだろう。
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