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「霞のタブの木」と尼御前岬

(浸食が進む尼御前岬)

丸岡城の入口にある一筆啓上茶屋で昼食に越前おろしそばを食べた。松本までの移動に半日掛かりそうなので、息子と相談して、松本城の見学は明日の朝と決めた。

松本までのコースとしては幾通りか考えられた。最も時間的に早いのは距離は最も遠いが、北陸道を新潟県の上越JCTから上信越道を南下し、さらに長野の先、更埴JCTで長野道に乗って松本に至るコースである。最も距離的に短いのは富山から国道41号、国道471号、国道158号と経由して松本に至る道である。中間的なコースとしては、北陸道を小矢部栃波JCTで東海北陸道に乗り、白川郷インターで降りて、国道156号、国道158号と経由して高山から松本に至るコースである。東海北陸道はこの7月4日に白川郷インターから飛騨清見インター間が開通して、全線がつながる。その後であれば、飛騨清見インターまで東海北陸道に乗って、国道158号を高山・松本と走れば速い。ちゅうちょ無く東海北陸道のコースを選んでいたと思う。どのコースを行くか迷いながら丸岡インターから北陸道に乗った。


(霞のタブの木)

北陸道に乗る前にタブノキの巨木を見た。幹の上部を半分ほど失い寸詰まりになって、道路にはみ出すように生きていた。案内看板によると、このタブノキは国神神社がこの地に移されてから御神木とされ、周囲に柵を巡らし「牛馬つなぐべからず」の禁札が立てられていた。昭和二十三年の福井大震災では、境内の数百年を経た大スギ、大イチョウ、大ケヤキなどが焼失し、このタブの木だけが焼失をまぬがれたものだという。所在地は丸岡町霞で丸岡城のすぐ近くで、坂井市指定の天然記念物になっている。


(尼御前の像)

北陸道を少し走って、尼御前サービスエリアで給油休憩を取る。このSAから日本海に突き出た尼御前岬に散策できると書かれていたので出てみた。この旅で海を見るのはここだけであった。岬に旅姿の尼僧「尼御前」の像が立っていた。

奥州へ落ち延びて行く義経主従の中に尼御前という名の尼僧がいた。この岬にやって来て、この先奥州へ下るには安宅の関という関所を越えなければならない。尼御前は安宅の関の厳しさや、これから先の旅で足手まといになることを憂い、義経主従の旅の無事を祈って、この岬に身を投げた。この先、義経主従は安宅の関に差し掛かり、芝居などで有名な「勧進帳」の場面に進んで行く。

この伝説の残る尼御前岬は岩の確固たる岬ではなく、日本海の波の浸食を受け、じりじり後退しているらしい。先端部分の岬の遊歩道が崩れて通行止めになっていた。

高速道路地図をもらって検討し、尼御前SAを出る頃には、中庸の東海北陸道のコース行くことに決めていた。
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