平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
那智の旅-熊野那智大社と「那智の樟」
めはり寿司の昼食後、いよいよ那智の旅、観光のメインの那智山に登る。那智山というと熊野那智大社と那智山青岸渡寺、さらには那智の大滝まで含めた一大アミューズメントランドである。熊野那智大社は熊野速玉大社、熊野本宮大社とともに熊野三山と呼ばれ、古来より “蟻の熊野詣” と譬えられたように、多くの人々の信仰を集め、参詣者が引きも切らなかったという。
西から、金毘羅さん、お伊勢さん、善光寺、日光東照宮など、何百年も参詣者を集めて、止むことを知らなかった観光施設が日本には幾つかある。熊野三山もその一つである。それらの持続された集客能力はディズニーランドの比ではない。それらの施設はいずれも宗教施設を含んでいるけれども、江戸時代以降、巡礼や参詣の形はとっているが、次第に物見遊山の要素が大きくなっていった。それらの施設でどれだけ多くの人が生活の糧を得てきたことであろう。いや、現在もなお多くの人々が暮らしを立てている。今回、世界遺産になったのは「紀伊山地の霊場と参詣道」という広い地域であるが、その中心に熊野三山があり、中でもこの那智山は集客能力では最大だろうと思った。
まずは熊野那智大社へのお参りである。那智大社は駐車場から473段の急な石段を登った、標高約500mの所にある。すでに初詣のモードになって、干支(ねずみ)の絵馬型の大きな看板が立てられていた。お参りのあと、この旅の幹事のS君が妊娠中で旅に来れなかったTさんに安産のお守りを買った。
(八咫烏の像)
境内の隅に「八咫烏(やたのからす)の像」があった。八咫烏は足が3本ある異形の鳥で、神武天皇が熊野の海から上陸し大和に向かうときに、案内役をつとめた鳥として知られている。全国各地の社寺には神仏の使いとして、鹿、猿、狐など様々な動物が出て来る。これらはディズニーランドで言えばミッキーマウスのようなもので、社務所や土産物屋にそれらの動物をキャラクターにしたグッズが溢れている。那智大社の八咫烏もそういうキャラクターになっている。
(那智の樟)
本殿の右手に和歌山県指定天然記念物の「那智の樟(クス)」があった。前回参詣のときもしっかり見たが、今回も写真に撮った。案内板によると、樹齢800年、樹高27メートル、幹回り8.5メートル、熊野三山造営の勅使としてきた平重盛手植えの樟と伝わっている。裏側の根元に空洞が口を開け、胎内潜りが出来るようだ。
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