平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
三明寺の三重塔
水銀柱がうなぎのぼりになった土曜日は外出をひかえて、朝から小雨でも降りそうなお天気の日曜日に塔を見に出かけた。今日のターゲットは愛知県豊川市の三明寺の三重塔である。カーナビを三明寺にセットして迷うことなく目的地に着いた。カーナビさまさまである。
三明寺はJR豊川駅から豊川稲荷とは正反対の東へ300mほど行った、姫街道沿いにあった。豊川市教育委員会の案内板によると、三明寺は大宝二年(702)創立で、戦火に遭って焼失したものを、南北朝時代に、御醍醐天皇の皇子、無文元遷が遠州方広寺に行く途中立ち寄り、荒廃を嘆いて再興したといわれている。
三明寺三重塔は三明寺参道の左側にあった。緑の樹木に隠れてしまうほどの大きさである。国の重要文化財に指定された三重塔の中では最小の三重塔だという。享禄四年(1531)建造で、一層が三間四方、総高14.5メートル、三層とも柿(こけら)葺きである。一層、二層は和洋に、三層を禅宗様(唐様)にしたのが珍しい。室町末期の建築を知る重要な建物である。相輪は明治中頃失われていたが、解体修理に伴って復元したという。
まだ二つ目の塔で、しゃれた感想も無いが、柿葺きは大変趣がある。檜の大木の皮をむいて、その皮を何枚もも重ねて屋根を葺く。この柿の確保がなかなか大変で、巨木を見に行くと皮をむかれて痛々しい檜に出会うことがある。檜の皮は10年ほどで元に戻り再び剥ぎ取ることが出来る。
この後、女房のリクエストで豊川稲荷へお参りする。豊川稲荷はお寺を円福山妙巌寺という。門を入ると正面に見える大きな法堂がある。豊川稲荷は左手に入った奥にある。実は法堂の裏手に新しいものだが、三重塔がある。
豊川稲荷へ入るとボランティアガイドがいて、案内をしていた。しばらく後へついて回った。大変熱心な詳しい案内で、時間が掛かりそうだったので、途中でそのグループから放れて、豊川稲荷参拝後、法堂の裏手に回って三重塔を見に行った。
(豊川稲荷、妙厳寺三重塔)
妙厳寺三重塔は昭和51年(1976)、個人の寄進により建立された。銅板葺きで高さ約11m、一辺が2m弱のコンパクトな三重塔であった。もちろん無指定である。
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