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今、考えている その14

(勝間田城跡のヒメハギ)

宗教的な修行もスポーツのハードな練習に通じるところがある。修行は悟りを開くために行う。30年座禅をして手足が萎えてダルマさん状態になった達磨大師、インドでは横になって休むことを一切絶った行者もいる。断食を何日も行う行者もいる。

ここでは比叡山の千日回峰行のことを取り上げよう。7年間で一千日、一日30km以上の山道を走るようにして回る。平らな道を30km、歩くだけで6、7時間かかる。登ったり下ったりの山道を、天候や体調がどんな状態であっても、駆けるように巡る行である。その7年間の予定を書くと、めちゃくちゃに厳しい行であることが判る。

    1年目 1日30キロを100日

    2年目 1日30キロを100日

    3年目 1日30キロを100日

    4年目 同じく30キロを200日

    5年目 同じく30キロを200日、9日間の“堂入り”

    6年目 1日60キロを100日間

    7年目 1日84キロ“京都大廻り”を100日、1日30キロを100日

        以上で満行となる。


満行すると行者は大阿闍梨の称号を与えられ、生き仏とあがめられる。一種根性スポーツの練習のも通じる荒行である。

どうしてこんな荒行を敢えて行うのであろうか。それは悟りの境地に入るためである。悟りとは何なのか。哲学的な難しい話はここでは避けて、こんな風に言ってしまおう。悟りとは一種脳内物質を出して、法楽を得ることである。一度そういう境地に達することが出来れば、人は脳内物質の出し入れが自由に出来る。つまり悟りの境地とはそんな状態のことだと考える。

信長が、甲斐の恵林寺を攻めたとき、焼討ちに遭いながら、快川国師は「心頭滅却すれば火もまたすずし」と豪語して、従容と火中に没した。生きながら地中に埋めてもらい、お経を唱えながら、お経が途絶えたときが入寂した時となるとして、仏となった高僧もたくさんいた。つまり悟りの境地に入れば、火中も地中も法楽の中で、あらゆる苦痛から超越できる。

悪名高きOという宗教法人があった。彼らが目的としたことも、修行により悟りを開くことであった。悩める若者たちが群れを成した。ある時期まで、まじめに修行をしようとしたのだと思う。しかし、指導者の中に誰一人、本当の悟りを開いた人は居なかった。いわば危ない素人集団で、無意味な荒行に人が死んだ。彼らは修行に本来そぐわない、洗脳や麻薬などを取り入れてしまった。半端な科学知識をもてあそんで、オカルト教団を作ってしまった。

宗教的な修行には、経験豊かな指導者がいないと、大変危険なことになる。
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