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寝覚の床と寿命そば

(寝覚の床)

今夜も中山道の話を続けよう。今回の中山道の旅で一番の観光地は「寝覚の床」である。寝覚の集落に入ると、往時の茶屋であった“越前屋”と“たせや”がある。今は民宿を営んでいるようだ。その間の坂道を下ると「寝覚の床」に至る。国道を渡って200円の環境維持費を払い、臨川寺境内から「寝覚の床」に下る。

「寝覚の床」については上松町の案内板に簡潔に書かれていた。

「寝覚の床」は、木曽川の激流が花崗岩の岩盤を長い年月にわたって浸蝕してできたもので国の史跡名勝天然記念物に指定されています。
岩盤に見られる水平方向と垂直方向に発達した方状節理(割れ目)やポットホール(欧穴・対岸の岩にあいた丸い穴)は、日本でも代表的なものです。
また、俳人正岡子規が「誠やここは天然の庭園にて‥‥‥仙人の住処とも覚えて尊し」と感じ入ったこの絶景は、古くから浦島太郎の伝説の舞台としても有名です。龍宮城からもどった太郎は、諸国を旅してまわり、途中で立ちよった寝覚の里の美しさにひかれて、ここに住むようになりました。
ある日、昔を思い出して岩の上で玉手箱を開けてみたところ、中から出てきた煙とともに、見る見る太郎は三百歳の老人になったと言い伝えられています。
岩上の松の間にある小さな祠は、その浦島太郎をまつる“浦島堂”です。


激流がなせる業とはいえ、不思議な水の回廊が出来たものである。

臨川寺にもどる途中、女房が別の道から降りれば無料だったのにと、残念そうにいう。以前に近所の旅行で来たときは節約旅行で、タダの方を降りたと言う。

臨川寺には、境内の中央に尾張藩主徳川吉通の命で建てられた弁財天堂があり、浦島太郎旧縁趾の碑、明治天皇御駐輦趾の碑、芭蕉句碑「昼顔に昼寝せふもの床の山」など多くの碑が並んでいた。

中山道に戻る途中、国道端に越前屋の蕎麦の店があった。弥次さん喜多さんも食べたという“寿命そば”を何としても食べねばなるまい。まだ朝飯が腹に残っているけれども店に入った。腹がまだ減っていないので、店で最も軽いものを、と注文すると、盛りそばが一人前で2枚だからその一枚ずつを食べることをすすめられた。つゆも薬味も二人分用意してくれて、これで盛りそば一人前の値段である。親切な対応に感謝であった。“寿命そば”は美味しくて、これならそれぞれ一人前食べられたと思う。

この地を訪れた十辺舎一九は、寿命そばを食べ狂歌を一句書き残した。

そば白く やくみは青く 入物は 赤いせいろに 黄なる黒もじ



(坂道を上って中山道に戻る。右-越前屋、左-たせや)
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