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勅使川原郁恵さんの足跡

NHKのてくてく旅が始まって、初めは我々が歩いた道を進むので、自分たちの記憶と合わせながら楽しんでいた。追い越されてしまってからは、いずれ歩く道だからしっかり記憶に留めて参考にしようと見てきた。今回、二日間中山道を歩いて、勅使川原郁恵さんの足跡に何度か出会った。

JR大桑駅の近くで長野橋を渡ってすぐの、道路より一段低い人家の庭先から声が掛かった。「勅使川原さんに声を掛けられて、少しお話をして、テレビに映ってしまった」という。気さくなおばさんであった。勅使川原さんがこの道を確かに歩いたという、最初の証拠であった。


少し先の天長院に立ち寄ると、万歳をしている羅漢の石像に見覚えがあった。ここで勅使川原さんは住職に何の話だったか説明を聞いていた。たくさん並ぶ石仏の一つ一つにお華が供えられていたのが印象に残ったが、今もその供花は絶えていなかった。参道脇にはそのためと思われるお花畑もあった。


須原宿内には街道端に何ヶ所かの「水舟」があった。井戸から汲み上げた水を大丸太をくり抜いた「水舟」に溜めて、生活用水として使うとともに、旅人の用に供したものである。この水舟が皆妙に新しい。最近作ったものだろうかと、女房に疑問をぶつけると、勅使川原さんに備えて磨いたのだろうという。確かに木は表面を削れば真新しくなる。勅使川原さんの中山道東下りは、皇女和宮降嫁の大通行の跡もたどっている。皇女和宮の大通行がそうであったように、このてくてく旅が中山道の整備のきっかけになっているのは面白い。

JR須原駅前には、「須原名物桜の花漬」のお店があった。勅使川原さんが一口よばれて「美味しいです」とか何とか感想を述べていたのは須原宿だったようだ。


木曽福島宿の手前、鳥居の集落を越えようと登って行くとトンネルに導かれた。このトンネル、勅使川原さんもこのトンネルをおっかなびっくり通って行った。勅使川原さんはスタッフも一緒だから怖がることはないのだが、電気は所々に点いていても出口が見えず、我々も一人では遠慮したいようなトンネルだった。このトンネルとその前後の道は中央本線の旧鉄路の跡だったようだ。
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