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「中国の蝉は何と鳴く?」

(「中国の蝉は何と鳴く?」)

図書館から借りてきた、山口仲美著「中国の蝉は何と鳴く?」を読んだ。20世紀の終わり頃、半年間北京に住み、日本語と日本の古典文学を、中国で日本語を学ぶ学生や日本語を教える先生たちに、教えた時の体験をエッセイにした本である。書名の「中国の蝉は何と鳴く?」は、日本語独特の擬音語や擬態語を説明した時の、学生たちへの問いかけであった。

先日中国に行ったとき、夕方、西湖のほとりの樹間を歩いた。樹木のどこかで、ジジジ、ジッジッ、ジジジーと不規則に中国の蝉が鳴いていた。木をすかして蝉がどこにいるかと眺めていると、女性通訳が「ほんとに木が好きなんですね」という。自分の巨樹好きの話をしたことがあったのかもしれない。「木ではなくて、蝉がどこかにいるはずだが‥‥、 中国の蝉はどう鳴くの」と逆に質問した。女性通訳は無言であった。おそらく何を聞かれているのか判らなかったのだろう。

蝉の声だけでも「ジージー」「ニーニー」「チーチー」「ミンミン」「シャンシャン」「カナカナ」「ツクツクホーシ」と日本人はそれぞれを聞き分ける。蛙、虫、鳥などの鳴き声をそれぞれ聞き分けて表現できる。ところが外国人はそれらの鳴き声がすべて雑音にしか聞こえない。聞き分けられるのは日本人独特の感性だという。

「閑かさや岩にしみいる蝉の声」この有名な芭蕉の句。そのとき鳴いていた蝉はどんな蝉であったか、ということが日本では真面目な議論になる。ちなみに自分はミンミンゼミかアブラゼミと思っていたが、漱石だったかその弟子だったか、このセミはもっとか細いニーニーゼミだといい、それが定説になっているらしい。確かにミンミンゼミやアブラゼミではうるさ過ぎて、「閑かさ‥‥」に似合わない。「火もまた涼し」的な表現かと思っていたが、静かな中にか細く一匹だけ鳴くニーニーゼミならぴったりである。しかし、ぴったりずぎるのも面白みに欠ける。

今日のブログは表題の本の紹介をするつもりで始めた。中国人は自分の主張を、どんなに間違いが明らかであっても、屁理屈を並べたてて、かたくなまでに曲げない。中国人のそんな性格の、よって来たるところについて書き込むつもりであったが、ついついセミの話で終ってしまった。その話はまた日を改めて書き込もう。
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