katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ざりがに教室

2012-12-12 07:17:14 | モザイク教室
朝、自宅が余りにも寒く早起きになった。風呂も入ってご飯も食べ、いつものように
金魚も草花の日課も終わっても8時頃だった・・・・

ただ本当にそれだけだろうか・・・本当にそれだけなのだろうか・・・?
人は自覚と言いつつ、自覚なんてもんをしているのだろうか・・・?

本当に自分自身を知っているのだろうか?いきなり・・・唐突な枕だけれど・・・・

先日TMレボリュ-ションの西川さんが円形脱毛症になったと言うのね。俺も以前なった
・・・では医学上良く聞く話はストレスと言うのね。だから事実なのだろう。

すると彼は、俺のような人間がそんな繊細な事が起こるとはね・・・自分でビックリ・・
と言うのね。そりゃどうかな・・・?と思うワケ。

このコメントが自覚持っていて、実は繊細だから人に訴え掛けるような歌詞を書けるし、
お金を出しても聴きたい・・・と思わせる音楽を作れたりして、

きちんとしたファンを持っている。これを自分が思っている以上に繊細だったんだね・・・って言うのを恥ずかしくて、そのコメントならまずまずだけれど、

本当にえっ俺みたいなのがぁ・・・ビックリって本当に思ったのなら?そりゃどうかな?
誰もが持っている能力では無いものを持っていながら・・・・違うかな?

だって円形脱毛ってストレスなんでしょ?

ここで言いたいのは、自覚の話でね、もし単なる寒さ以外に早起きしないとならない俺が
いたとしたら・・・?それはどんな訳があるのだろう・・・?ここ。

そう考えると、先生katsuとして、作家katsuとして、人として・・・この3つ。
人としてなら、親でも危篤・・・それは無い。では人としての理由では無い。

では作家katsuとして?それも順番にやっているし、ここも特に思い当たる節は無い。
それなら答えは1つ。先生katsuとしてのみ。ならば今日の自覚と言う話なら・・・・

意識していなくて意識をしていたのかも・・・って自覚の無さに当てはまるのは、
先生katsuとして。それなら簡単に今日のみどりの完成へのねぎらいとなる。

いつか弟子になりたい・・・そう言われて、それなら・・・と手厳しく教えて来た。
自覚も無く遊びと銘打ったこの作品は1年以上掛かる作品となり、今まで作った作品の

中でも一番の大作になってしまった。しかし作品自体は悪く無いが、そんな大作には
見えない・・・つまり初めて自分越えの作品にならなかった・・・そんな作品となった。

それを1年以上もやり続けた・・・諦める事無く。見事である。その姿勢はね。
ただ結果は残念な事に、可愛いぃぃ・・・これだけである。きっと。

しかし、これがモザイク経験者なら、この技術を観て貰う事もあるだろうが、
身の回りに何人いるだろうか?・・・・それが残念。

ではその技術をもし今までのみどりのリアル感で動物を作っていたとして、1年も掛かる
作品を作っていたとしよう・・・・どうなったと思う?

つまりオ-ドリ-が弟子になった作品を思い出せば簡単。80cmもある大作となった。
恐らくそれに匹敵する作品となっただろう。ならばその作品はいかなる評価になったか?

観なくても判る。この作品を観た日高氏は先日、ぞうのパ-ツを見て同じ事の繰り返しの
細かい部分で凄いと表現をした。つまりこの作品でも認められているようなもの・・・

なのに全体を通して作品として観たら・・・日高氏は本当に凄いと思っているだろうか?
これが聞かれなかったら、特に興味すら持たなかったに違いないだろうね・・・

なのに同じ日高氏は、オ-ドリ-の作品では凄いな・・・と自分から言った。
つまりオ-ドリ-の作品では言わせられた事になる。それだけ圧巻だったのだろう。

つまり1つの作品のみで弟子を獲得してしまったのである。ではみどりは?
もし日高氏にこの新作を見せずに、鳥、トラ、猫・・・といっぺんに見せたら?

この人は弟子には?と聞いたら・・・どうかな?では視点を変えての話。
横綱ってどうやってなれるのかな?って話ね。

2場所連続優勝すればへ文句無しなんじゃない・・・とかあるじゃない?
例えば3場所の合計勝ち星とかね。つまり全員が同じ条件では無いのね。ここ。

いつも言うように万票なら聞くまでも無く誰にでも判る。微妙な話はぎりぎり当選な
立場の場合・・・・今後の事例にまで発展するような話となるそんな場合・・・・

ここが一番厄介な話なのである。恐らくスレスレの場合には反対も相当な数がいた事に
なる・・・ただそれも認められた事にもなるのも事実。

なるべくすんなりが良いでしょ?俺1人で決めたらおかしくない?って言う事もあるでしょ?じゃ俺以外にそんな役が出来るのは?って言うと、残念な事に日高氏しかいない。

そんな嫌な役回り、責任ある事を誰が出来る?そんな話でこんなル-ルにしているのね。
奴にしては今となっては、自分よりも上手い人達の判断をする・・・いかがなもんかね?

けど、出来なくても目は正しければ良いだけなんだけれど・・・・後は認めた覚悟。
それだけ。

さてこんな事を踏まえて、考えればみどりの弟子って話は次回作で・・・となる。
つまり今日は頑張って来たみどりへねぎらい・・・そしてその決意を聞きたかった。

きっと先生katsuは意識していたんだろうな・・・きっと。しかもそれに立ち会って
貰いたい・・・とざりがに教室を待って今日にしている・・・そんな事も踏まえて。

そんなこんながこうした早起きにした理由の1つなら、やる事はいつもと同じで1つ。
いつものようにみんなの目地を仕上げる前の儀式とも言えるボンド取り・・・・

良く頑張った・・・・せめても、俺はこれを綺麗にしてあげたい・・・といつも目地を
する前にタイルに付いたボンドを隅々落とす。

当然こんな細かくてはそれだけボンドの付き方も尋常じゃない。何せ1年分なのだから。
とは言うものの、本来ならとっくに来ているはずの時間に・・・まだ来ない・・・あれ?

するとお昼近くにやって来たが、さくらも一緒だった。どうやらさくらに何かあって
3時頃になる・・・って言われたみどりが迎えに行ったらしいのね。

そんなこんなだから4時間近くボンド取りをしていた事になる・・・・
正直言いたい事はいっぱいあったが、ひとまず佐々木養魚場にこのまま行ってくれ・・・

と頼んで数分でアトリエに折り返した。お小言言うつもりも無いし、このまま教室を
始めるとそこから始めそうだから・・・一呼吸置いたつもりなのね・・・。

今までならタバコだったんだろうね・・・。

さてさてそんな中、目地も無事終えると、何事も無く終了。ここには何も無し。
お疲れ様・・・それだけだった。特に拾う話は無かったし、よく頑張ったが残念。

けれど弟子に・・・の作品にならなかっただけで作品自体は悪く無い。となって・・・
次回作の下絵となるのだけれど・・・、前回持ってはいたんだけれど、是正して・・・



こうなったのね・・・ん・・・伝わらない・・・是正の意味がね。アドバイスが届かない
・・・ん・・・・ではこれを見て貰おうかな?



この文字の中にモラルと倫理、そしてきちんとしているものはどれ?と質問されたら、
みんなはどれ?って言うのかな・・・・?

俺は前回、みどりにはお笑いのバランス・・・つまりボケと突っ込みの関係性について
指導した。確かに理解したはずだった・・・・なのにみどりの選んだ文字は右4段目。

ではもう一度、現状確認をする。ヘビにざりがに・・・どう見てもおふざけである。
つまり2人のボケとなり、しっかりした突っ込みが必要となる。

3人組のコントと考えれば、我が家のような感じで、言わせねぇよぉぉって言う人が
必要になる。それが倫理とモラルになる。これがバランス。

つまりボケの度合いで突っ込み具合が決まる訳だ。ではみどりの選んだ文字はどんな感じ
に見えるかな?俺には一番個性的な文字に見えるのだけれど・・・どうかな?

すると、前回手描きのフリ-ハンドを指摘されたので、こうして何々体って言うような
既存の文字を調べて来たと言うのね。ここまでは合っている。そして?って聞くと、

この既存の中で面白いのは・・・?って選んだって言うのね。あぁ残念、ここだわっ。
あのね、倫理とモラルって何処?すると、調べた事が倫理とモラルと言うのね・・・

あのね、じゃ聞く。突っ込み集めて、一番面白いのは・・・って何か変じゃない?
常に自分のやった事に合わせて行くんだって教えているのに・・・。

結局、一見受け入れた感じに見えるけれど、最終的には単なる好みってやったのね・・・
なら聞く必要性は無い。好み、好みって作るだけなら・・・・。

上手くなるって言うのは、その思い込んだ自分の殻を壊して新しい自分に会いに行く事。
それを理解したフリで、結局好みで作るのなら俺は必要無いはず。

しかも単に自覚が無いだけで、悪意も受け入れていない事になるのも自覚が無いから、
受け入れたのに何処がダメ?と思っているから始末が悪い。

自覚が無いのが最大の悪である。俺のアドバイスはいかにきちんとした・・・モラルや
倫理を探すかだったはず。面白いものを探せでは無い。

俺なら左1段目、右2段目、右6段目。こんなのがきちんとと思われるのね。
こうしたきちんとを選んで置いて、色がカラフルとすれば、きちんと過ぎれば色で・・・

と着崩しとはこんな感じでもある。勿論そうしろでは無いが、考え方がそもそも違うのでは、大作だったら・・・?またやるね・・・きっと、同じ失敗をね。

何しろ後出しジャンケンにならぬように言えば、そもそも決まっていたのね・・・
相談じゃない。文字はすでに描いてある・・・だからここにつまづくとは思っていない。

つまり聞きたいのは次の展開になる。聞かなくてもね・・・とても判り易い。
もし自信が無ければ、その一覧の中でこれが良いと思うんだけれど・・・程度になる。

描いた行為は踏ん切りつけて描いただろうから、覚悟は確かに見える・・・がしかし、
根本的に質問されたからのアドバイス・・・足りないのは倫理とモラル・・・を、

こんな間違いをするのだから、意思の疎通が感じられない。でも百歩それでも譲って
先に進めるとする・・・・すると第4のアイテムに太陽のようなものを考えていると言う

何故?と聞くと、こんな失敗続きなので、陽が当たるように・・・とか・・・なんて
言うのね。おいおい、そんな大きな意味のあるものをまた遊びと言いつつ始めるのかい?

ん・・・根本的に伝わらない。遊ぶと言うのならふざけに行く。ならばおふざけ文字でも
良いじゃない・・・とでも言うつもりなのかな・・・?

ではキウイのサンタを思い出して欲しい。きちんとキウイらしさを出しつつ、きちんと
数日で終わったよね?しかも何人も同じものを作った人がいるけれど、きちんと

遊んできちんと結果を出したのね・・・何故かな?それはね、上手いから。
ならば上手い人は、きちんと大作、きちんと遊ぶが出来るって事になる。

ではみどりに欠けているのは?とても簡単。時間を掛けて大作を作るなら何とか出来るが
時間を掛けずに遊びに行く・・・これが出来ない。つまりメリハリが欠如している。

何故なのか?それも簡単。好みと勘だけで生きているから。そりゃ失敗多いわっ。
そもそも大作とは?大きいって字が入っている・・・大鍋料理のようなもの。

それじゃ具材もいっぱい入れられるよね?いくらでも時間が掛けられるしね・・・。
煮込む事も出来る。じゃ何作る?ってなるよね?非常にバリエ-ションが広がるよね。

では遊びで・・・となると、料理じゃ無いからチンは無い。すべては作らないとならない
しかも、ここ、ここが大事。時間は掛けちゃ行けない・・・そこがハ-ドルなのね。

そのわずかな時間、わずかなスペ-スで出来る事は、いかに短くいかに簡単に伝わる
メッセ-ジか?ここに尽きる。短編小説よりも短く・・・ね。

つまりお笑いならばボキャブラみたいに、ほんの1説でオチる。こんなものと考える。
なのにみどりはこの狭い空間に、あれもこれもそして好みで・・・と知らぬ間に満載。

それが大作の作り方になってしまう事を気付かずに・・・ね。
何がメインで何が目立って、何が脇役でどれを削除しなければならないか・・・?

つまり言いたい事が多い場合、大作ならスペ-スのある限り追加は出来る。がしかし、
狭い小物は通常出来ない・・・何故なら細かくなるから・・・がしかし、例外がある。

細かく・・・は練習でいくらでも出来るようになる。ここが大きな落とし穴なのである。
つまり出来るようになるとそれを武器に使おうとする・・・だから小物でも細かくして

しまうのね・・・ついつい。自覚無く。だから経験者に多いのね。つまりそれは上手く
なったから・・・でもある。じゃ視点を変える。それって美しいかな?

あのね、米粒に字を書く。凄いね、あんな小さい所に・・・ね。それはその追及って
考えもあるから否定はしない。が、ここは美の教室。大事なのは美しいか否か?

書けました・・・では無く、美しく書けましたで無いと、単に出来ただけ。
奥が無い。そうは思わないかな?

さてそんな訳でみどりの課題に戻ると、ゾウでは構想の無さで安易だったから・・・
それをいつしか遊びと言いつつ、本気になり、いつの間にか大作になってしまった・・・

ここであるのなら、みどりは是正したつもりになっていた。構想は立てたし、モラルや
倫理も調べて来たし、遊びだし、これでそんなに言われる事は無いだろう・・・とね。

じゃ聞こうかね。これって大作?確か遊びだったよね・・・さっきの是正って大作の場合
じゃなかったっけ?・・・・これは遊びなんだよっ・・・ね。

例えば、フォ-マルとカジュアル。ボケと突っ込み、小物と大作・・・と全く反対に
あるようなものであったとしたら・・・?一体小物だ、遊びだって言うのは、

どうすれば良いのかな?・・・と言う事なのね。全く柔軟性に欠けるのね。
大作の是正を遊びの小物にも当てはめるとはね・・・・。


おっと柔軟性と言えば、もう1人生きて行くのに1通りしか持っていない奴がいた・・・
それが、ざりがにのもう1人・・・さくら。


こんな話を聞いていて、こんな事はすべて判っている。ただ手が思うように動かない。
今のアトリエはどんどんと上手くなる人達ばかりで、アトリエに来れば来るだけ、

結果を残して行く。そんな中、弟子のかぐやはどんどんと俺に追い付いて行くように
見えているのに、自分はやればやるほど上手く手は動かないし、思うように作れない。

そんな中、今までのように楽しくモザイクが出来ない・・・と悩む。
あのね・・・ならば、みどりに弟子の特典って話しなきゃ良いだけなのね。

辛いぞぉぉ、厳しいぞぉぉ、良い事なんて1つも無い・・・ってね。プレッシャ-ばかりで・・・って言えば良い。見つからなくなってしまったのなら・・・ね。

何しろ俺はさくらじゃない。だからさくらがどんなに苦しいか?なんて判らない。
けれどね、切ない気持ちは良く判る。何故なら俺はタイル屋の時に味わったからね。

どんなに努力をしてもそこまで・・・ってね。同じ歳のす-さんと比べられた時間は
いつしか卑屈にもなったし、ただ生きる場所ってのは何処にでもあったね・・・探せば。

そこは探せば・・・なんだけれどね。要するに適材適所ってのがあるのね。
今考えれば、何とも笑っちゃう話だが、本気じゃなかったからなのね・・・

だって今から比べたら単に生きてただけ。息して飯喰っての繰り返し。
それなのに比べられたりして悔しい思いをしたってか?あはははは、笑えるね。

今なら昔の俺、死ねぇなのね。くだらんのね。真剣に真摯に取り組んだとは思えない。
頑張っただの、一生懸命だの・・・そう思っていただけ。

それが今は必死で自分磨きをしている。上手くなりたいと思う。モザイクの神になりたい
・・・そう思っている。馬鹿でしょ?50にもなろうとしているのに・・・ね。

そう馬鹿にはなっていなかったのね・・・所詮タイル屋の時はね。つまり普通過ぎた。
普通が普通の努力、みんなと同じ時間・・・げぇぇぇ恐ろしく普通。

馬鹿げているから良くも悪くも異常に個性的なのね・・・今はね。違うかな?
そんな適当な努力で悔しかったんだって・・・以前の俺はね。じゃあ必死なさくらは?

てしょ?辛過ぎるのね・・・じゃ、原点に戻ろう。どうせ折角出来ないのなら・・・・
出来たらラッキ-なんじゃん。原点はここにある。へたっぴ、ぶきっちょなんだろっ?

なら出来たらラッキ-なんじゃん。そうやって作ってみ・・・そして出来た作品を
みんなに見せてみ・・・どう判断するのか?

少なくともつい最近、保育園のバザ-で1000円の価格でお遊び作品が売れたよね?
お金出して欲しい・・・1000円なら・・・って言われたようなもんでしょ?

しかもだ、1000円は保育園では高額らしい。つまり値段は押えられていたかも知れない。
もしそうだとしたら・・・どうする?納得していないのは自分自身だった事になる。

ただね、俺がいくら説明しようが声が届かない・・・全くどいつもこいつも参るのね。
こんな大事な日に、結局説教かよっ・・・穏やかに終わりたかったのに・・・・。

何だかなぁ・・・さてさてどうすっかなぁ・・・どうやって届けようかな・・・・
俺の声・・・奴らに届くかな・・・?良い勉強になるのね・・・全くもう。

神様が俺の度量を試しているのかな・・・?おぉぉぉい、どうする?何とかしてみ?
ってね・・・・人を支えるって言うのは、信頼関係だからね・・・後は信用。

持ってるかなぁ・・・俺。

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