katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

料理の先生教室と明日のサンシャインの準備

2024-04-27 22:02:43 | モザイクタイル教室
今日は午後から料理の先生教室。それまでは、かぐやは明日の準備で、俺は椅子の下地の続き。それと同時に、明日のお絵描きタイルのペンキの吹付け。するとそこに大家さん・・・。

katsuちゃん・・・こうだよっ・・・って。ちなみに大家さんはペンキ屋さんだから、本物なのね。すると、吹く向きは横で、縦じゃ無いし、少し斜めにして・・・少し外側から吹く。


もう何もかもが適切で、目からウロコな話ばっか。ただそんなこんなだから、順調に事は運んで、お教室前に予定通り終了。そんなこんなでお教室なんだけれど、かぐやがやっぱり生は良いって。

そうね、生で見るよりも画像の方が良い・・・なんてのは問題外なのね。そうなると、詳しく掘り下げると、実力者のかぐやが良いって言ったのね。つまり文字が良い、野菜が良い、人が良い・・

って事になる。そこにバックも良いとなれば、そりゃ最高に良いって気がして来るでしょ?所が、全て良くなると、全てが同じレベルなのか?となると、今より上手くなかった時の実力であって、

今の実力が上だとすれば、その上手さでバックをやる事になるのね。つまり以前の腕前を上手く見せようとしても、今の全力のバックでは見劣りしてしまうかも・・・って事になるのね。

と言っても、キチンとちゃんとって言うのが、手慣れた今、丁度良いパーツって?そこでワンクッションって感じに、輪郭みたいに丸の提案をしたのね。ただここは文字のように幅の統一で無く

これより大きいのは無く、これより小さいのも無く、つまりほぼ失敗無し。ただどんな大きさでも丸の形は厳しくキープを目指す事で、きしめん、うどん、そばの話で、文字はうどんをキープって

感じだとしたら、きしめんもそばも無い。だから相当キチンとしているのね。そこからすれば、大小様々な丸って言うのは、かなりルーズに感じるはず。それを経て、次回バックのクラッシュと

なったら、目地幅を今よりも太めに意識するだけでも、十分グレードが落ちたように見えるはずなのね。ただそれも目地幅を均等ってだけをキープ出来れば、何でも良いんじゃなくて、制限が1つ

あるだけで、だらしなく・・・とはならないのね。そんな事がさじ加減な話なのね。そんな後は、いよいよ積み込んで、後は明日を待つって事になったのね。

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母の手続きと椅子の下地の続き

2024-04-26 22:15:42 | モザイク作家
今日は午前中は昨日の仮止めをボンドを塗って組み立てをした後で、蓋をする感じに立体にして行ったのね。それで少し進んだような気がしたんで、母の事務的な手続きのあれこれ行ったのね。

最初は区役所に。それも警察に電話して必要な書類を聞いてから向かって、それを持って警察署に行くも、二度も聞き直して、しかも2人対応したのに、あれが足りないから持って来て・・って。

しかも謝るフリで何とも横柄な若造だったのね。まるでU字工事のごめんね、ごめんね〜みたいに、全く心が無い感じなのね。しかも何か友達なのかい?ってくらいの馴れ馴れしい。はぁ?

そもそも前の人にも横柄な感じだったんで、奴じゃ嫌だな・・・って思っていたから、やっぱりね・・としか思わなかったが、やっぱり親方日の丸ってあるよなぁ。これが民間なら仕事を失う、

そんな事は普通であって、これだからこう言う場所が大嫌いなんだよね。そんな訳でまた区役所に行くと、そりゃ作務衣だからもあって、えっ?って具合に、駄目でしたか?ってお察しの通り。

こっちも2度目だから、手慣れたもんで・・・あれほど確認したんですけどね・・・って話をして、また警察署に。ただ今度は違う方で、とても丁寧にお話して下さるんで、良かったぁ〜、

さっきの若造と違って横柄じゃなくて、親切な人に変わってて・・・ツイてるわ〜って言って、手続きの書類を提出すると、その書類を持って待っている場所までやって来たのは、さっきの若造。

それがさっきとはまるで別人のような話し方・・・若造ごときがそんなにすぐに変われるはずも無いから、まともな上司でもいたのかな?まぁいずれにしても、ここが大嫌いになった。

まぁこの気分の悪い気持ちの立て直しをしないとならないが、これで面倒だなって事が解決したんでラッキーだったのと、かぐやがいたからもっと大袈裟に騒がなくて済んで良かったのね。

もしいなかったら、この後の時間全て使っちゃったかもなぁ・・・この世の嫌な事全てをぶつけるくらいに・・・。ブラックリストに載るくらいに・・・それもまた覚えて貰う事になるからね。


まぁそれはそれとして、ムカつく思いは全て下地に・・・。ハングリー精神って言うのは、こうしたやさぐれた気持ちから生まれるもので、なにくそっ・・・って言うのは、成功者には出来ない。

それはそう言う気持ちにならない立ち位置になるから。環境が良くなるから、周りが変わる。例えば、有名人が来た・・・って言えば、ファンじゃ無くても気になったりする。

それによって、写真を撮られたり、握手をしたり、話掛けられたり・・・そんな事が、また気が付かなかった人に波及する・・・この雰囲気では中々そんな事は起こりづらい。ただこの逆もあって

賑わっているのは、こっちから呼んだ訳じゃ無く、でもその賑やかさが鼻に付くなんて事になり、文句を言われる事もある。こんな話をすると、何が・・・判ったように・・・と反感を買うかも

知れないが、テレチャンで優勝した頃は、そんな事くらいでも、そう言う事は多々あったのね。近所で買い物しても、目立つから、仕事以外の事は夜な夜なってね。今はすっかりそんな事は無く、

一般市民に戻ったけれどね。まっ、そんな事を振り返る1日になった・・・そんな中、ピエロの現場に見に行ったりもして・・・そろそろ始める気持ちを整えないとね。


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かぐやが来て、椅子の続き

2024-04-25 22:34:41 | モザイク作家
今日は午後からかぐやが来るんで、羽田へ送迎からスタート。そんな頃に大家さんが釣りに出掛けたってLINEを見て・・・おー行ったんだなぁと確認。天気も良さげだし、風さえ無ければ何より。

そんなこんなでかぐやと合流して、昼になるんだけれど、木場に材木屋さんが経営しているって言う食堂があるってかぐやが調べていて、丁度アトリエに戻るのに寄り道って程でも無い感じで、

そんな訳で行って見ると、材木屋さんがやっている・・・って言うのが、話題性があるんだろうね、テレビの取材を受けたのね。ただ俺も数は少ないけれど、テレビに取り上げられる事はあって

・・・でも今日は、1人でビデオを回しつつ、インタビューなのね。きっと予算が無いんだろうな・・と思いつつ、それはそれとして、新しい事をしている・・・って雰囲気はありつつ、割と

賑わっていたのね。そんなこんなでアトリエに着くと、サンシャインの準備になる。まずはチラシの折込みやら・・・あれこれとやったものの、ここからは俺は要らないなぁ・・・と感じて、

椅子の下地を進める事にしたのね。


まぁ何とか思ったような方向にはなりつつあって、そんな中、大家さんが帰って来たんで、下地を見せると、まずまずってOKを貰ったんで、明日仮止めを仕上げに変えるって事になったのね。

まぁ何しろ初めての事なんで、アップアップなのね。って事で、やっぱ釣果でしょ?って聞くと、 駄目だったようで、一緒に行った人がフグ3匹って・・・そんな中、お土産って事で・・・

トビウオをお刺身で頂いたのね。何しろボウズだったから、道の駅で買って来た・・・って。まぁ慣れた手付きでスイスイ捌いてくれて・・・かぐやと関心したのね。たたね、味は何しろお刺身を

食べたのが40過ぎって位に、浅いから、どうだった?って聞かれても、上手く表現が出来ずに、大丈夫だった・・・って答えるのが精一杯なのね。ただかぐやはハマチみたい・・・って美味しい

って言ってたのね。まぁこっちは随分と進んだ感じで、まずはホッとした・・・って感じ。

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とんかつモザイク教室と椅子の件

2024-04-25 07:22:08 | モザイクタイル教室
今日は午後からとんかつのリピーターさん教室。それまではウォールナットの額縁をやってて、いつもと違って木が硬いんで、手慣れない分、ちょっと時間が掛かってね。そんなこんなでお教室。

まぁ何しろタイトルだけでも、インパクトあるのね。世界が広いったって、とんかつのモザイクって、日本に無ければ世界に1つ。例えばそれって、サッカー、野球・・みたいなメジャーなもので

無く、ラクロス、セパタクロー、カバティと言ったようなスポーツと同じ分野なのがモザイクとするのなら、その上、モチーフをとんかつにするって言うのだから、もはやマイナーの中のマイナー

なのね。昨日も言った、花や犬、猫、鳥みたいなモザイクは世界中にあって、それは人気があり、誰もが好きで、華やかなのね。だから手本にする作品も多々あるけれど、良い事と悪い事は背中

合わせなんで、と言う事は比較対象にもなるって事なのね。その反対側にあるのがとんかつのモザイクで、きっとこれは世界で初めて・・・って事になると思うのね。ただ普通これに興味を持つか

・・・?となると、余程モザイク好きならまだしも、恐らく興味を持ちづらいと思うのね。しかも参考作品は無いし・・・。更に言えば、どんなモザイクであっても時間が掛かるのは同じなのね。

こう聞くと、とても報われ無さそうなんだけれど、消してそうでは無くて、キチンと作れれば、世の中に無いって事は知られていないって事なんで、世の中のとんかつ屋さんに欲しい人はいるはず

・・・こうしたモチベーションは必要なのね。ただ毎回頑張る・・・じゃ無くてね。例えばそれを大作が初めてなら、これを自宅のここに飾る・・・ってモチベーションで十分なんだけれど、

何せフェルメールがあるしね。しかもそれよりも小さい作品なのね。でも初めての1cmタイル作品だから、新鮮だし、硬いから切り慣れないし、何しろ1cmを切るのだから、ミリのパーツ・・・。

こうした違いがあるとして、完成するとフェルメールととんかつ・・・ここが難しい所なのね。そもそも初めての大作のフェルメールは誰に見せても圧巻だろうね。所がキャリアを積んでからの、

とんかつ・・・これはみんなに理解して貰いづらい。そんな中、旦那さんが釣りが好きって話が出たんだけれど、例えば釣りが好きな人なら、竿がいくらとか、釣り堀って・・・とか。普通に

話になるが、興味の無い人には、そんなお金があるなら、美味しいもの食べた方がとか、何か他の物に・・・って言ってしまいそうだが、それならとんかつモザイクはどうだろうか?なのね。

ご家族にもご理解しづらいもの・・・なのね。きっと。だからこそ、この話は凄く大事なのね。人の趣味趣向なんて色々あって、でも理解して貰う事に寄せるのは割と簡単なのね。割と・・・。

例えばもし、釣り好きって言う旦那さんが、シーバス釣りが好きって言うのなら、シーバスを作れば、興味を持って貰える。しかしながら、それとて良い事と悪い事は常に背中合わせ。

つまり上手く出来たら、そばに置きたい・・・と思うだろうが、ちょっとでも似ていない事や、不備と感じれば、ここは違う・・・とか、ここが変とか、言われる可能性もあるし、もっと言えば、

釣りが好きであって、モザイクには全く興味が無い・・・なんて事もある。その位、モチーフ選びって言うのは、結構大事だったりもするのね。だからこそ、そのモチベーションをキープする為にも、

大事になって来るのが、俺の立ち位置。きちんと上を目指して結果を求めないと、とんかつのモザイクを守れない・・・単なるご近所先生ではね。それが立ち位置が変わって、凄い先生って事に

なると、そこに通っている・・・ってハクも付くだろうし・・・。いずれにせよ、変わったものを作るリスクって言うのはある・・・って話。それを引き継いでからの椅子。

丁度、良いタイミングで大家さんが帰って来て、型紙を見せて相談すると、ここだけ気を付ければ、これで大丈夫だよって。おー合格じゃんってな事で、ひとまずきっかけになる1手を始めた。

全て頭の中で・・・って言うのは限界があって、この1手を持ってして、これをこの後に・・・みたいな次の展開を考えて2手目が打ちやすくする為にも、大事な1手なのね。ただ合格さえ出れば、

切るって言うのは、ジグソーなんで、その機械は割と得意だから問題無く終わったのね。何がしたいか?の方向性はガッチリ決まったんで、後は何処まで理想通りに行くのか?になるが、それも

掛かる時間と予算との兼ね合いもある・・・何せ立体は平面よりも遥かに難しいから。


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何だか今日はあっと言う間に・・・

2024-04-24 07:11:54 | モザイク作家
今日は半日自宅の水道の件で・・・そんな訳で午後からとなったのと、何と無く気忙しくなるのも嫌なんで、つっちーに頼まれた件を動く事にしたのね。ただどんな事をするか?は決めたけれど、

それを実際に作った時、どんな感じになるのか?って雰囲気を型紙みたいなものを作りたくて、まずはその下地になる椅子を買って、100均に行って・・・。ただこれが中々難しくてね。

ただ見せるだけなら、強度は余り必要では無いけれど、不特定多数に座られるとなると、壊れないように・・・となれば頑丈に作りたいし、しっかり作ると頑丈って言うのは当然重くなる。

簡単な話で、室内の壁に飾るなら、軽い方が良くて、なおかつ触らないで・・・のお達しがあるのなら、割と簡単に事は済むから、スタイロって断熱材で下地を作るって事になるし、これが外って

事なら、鉄筋とラス網ってもので形を作り、モルタルで・・・となる。良く使う甘いなら甘い、しょっぱいならしょっぱいって言う偏ったものは、極端なんで判りやすいのね。ただその作品が、

戻って来る事になると、余り頑丈で重いのもね・・・って事になると、必要最低限に・・・と抑えたくなるのね。そうすると、その必要最低限ってどの位?・・・ってさじ加減に悩むのね。

そんなこんなで一応部材は揃ったんで、下絵を見つつ型紙作りをして見たんだけれど、平面の下絵を見て立体にして行くのはとても難しいのね。何しろ単なる下絵だってこっちはバタつくんだから

・・・。まぁそれでも一応方向性は見えて来たし、こんなやり方誰もやらないし、感じとしては建築のワクワクさん・・・みたいな事だと思うんだけど。ただ完成すると中々の見栄えにはなる。

そっちの話は解決はしていないけれど、何と無く行けそうな感じとして、もっと根本的な事があって、例えばお客さんの依頼の作品なら、お客さんの意向を汲んで・・・となる。

これがイベントなら、同様で今回のように毒の生物って事でカツオノエボシみたいな事になる。どちらにしても相手に寄せる方向になる。所が今回はつっちーから頼まれたもの。

イベントサイドとつっちーって考えると、つっちーは俺を誘った時点で、何でも良いんたろうね・・・きっと。ただ運営サイドはどうなんだろうか?と考えたりもするのね。

こう言う時に思うのは、北斎が凄いって扱いをする人がいる。じゃ春画も凄いよね・・・と世界的にも認められているが、ちょっと・・・って受け入れられない人もいるのは事実。かと思えば、

サザンのデビューアルバムには、女呼んでブギって歌があって、歌詞に当時でもかなり不適切なものがあったりする。もはや春画のようなね。ただシングルカットじゃ無い所が配慮かなと。

それが売れると、マンピーのG★SPOTだったり、BOHBO No.5だったり、もはや公の春画でも万人に受け入れられちゃう訳で・・・。とてもやりやすくなる。昔、何度か女の人の裸をモチーフに

した事があったが、駆け出しの頃は何も考えずに作ったりもしたが、段々と身の回りに女の人が増えると、その人達の意見を聞くと色んな規制を自ら作り、その1つがデコルトゾーンは開放しても

アンダーのラインはエロいみたいな・・・そんな事もあったり、そもそもお任せしますって事がほぼ無いし、春画テイストはかなり封印して来たが、今回は色々考えた末に、作る事にしたのね。

そもそもそのイベントには、有名なタイル屋さんらがいらして、勿論つっちーもその1人なんだけれど、その人達を総称して俺は誰にでも判るように、エリートと呼んでいるのね。

その人達はそこのスポンサーの企業にも当然知られているような人だと思うのね。さてこんな事を踏まえた時、俺は挑戦者側であって、フェスなら端っこの小さなステージって感じだと思うのね。

この時に、流石に音量を上げて目立つように・・・なんてした所で、そもそも有名な人達の所が賑わう事になる。これは当然の話。ただフェスは同じ時間帯になるから、どっちか?となる。

ただイベントとしての参加となると、そこにエリートの人達の作品もあるから、同時に見て貰える権利が発生する。ただエリートって人達は、エリートらしい作品を作ると思うのね。だって、

エリートなんだから。そこへ同じようなものを作ったとしても、代わり映えしないどころか、立ち止まって貰えるとは思えないのね。大体個性的って言うのは、万人受けするもんじゃ無いのね。

つまり依頼の場合は、あれこれ規制が掛かるから、凄い個性的では無くて、程良く個性的とか、可愛く個性的とか、切なく個性的とか、表現が綺麗になる。だから今回はもしかすると、最後の

やりたい放題・・・って本気のエロで良いんじゃない?俺の春画・・・って感じにって思ったのね。つっちーに何でも良いから・・・って誘われたんだし・・・。本気だし・・・。

会場ではその作品に座れるらしいのね・・・でもね、芸術作品に見えたら中々座れないよね。そもそも本気の玄関の床のモザイクって、最初踏めない・・・って言われるのね。配達する人達でも。

じゃいとも簡単に座れないような作品にしないと・・・だから座れるけれど、座ると恥ずかしい椅子・・・って言うのがテーマなのね。挑戦的なら座れるもんなら座って見ろよ椅子。

そもそもエリートと同じ土俵に上がる事になる。前頭の最後の方って感じね。それなら肩書きが見劣っている分、飛んだり跳ねたり、かわしたりしても良い身分じゃん・・・ってね。

これがキチンと横綱扱いになったのなら、品格とか求められるだろうが、何処かの企業とか、商社みたいな参加の下では無く、素浪人での参加なのだから、良く見て貰う為にも、ゲロっって感じの

ものが良いと思ったのね。要するに若手芸人の爪痕残しみたいな感覚ね。落語のはたののりゆきでは、名のしれた彫刻師の2代目の葛藤の話だったが、それとてエリートの話であって、結局、

エリートのせがれが先代と比較されて見劣りしていた・・・しかも作っているものがオリジナルで、かっぱのようなたぬきのような・・・って得体の知れないもの。所がひょんな事から、

命掛けの最後の作品に観音様を彫ると認められる・・・って、当たり前の詰まんない話なのね。ただ、人がオリジナルを理解出来なかっただけで、人は見かけで判断するものだから、そもそも、

比較対象物が先代ととなると、恐らく逃げたんだろうね・・・きっと。ただ最低でも彫る事は上手かったはずなのね・・・そもそも下手な奴が観音様を先代と見間違うもの作れるはず無いじゃん。

ってな話。ここが厄介な話でね、例えばテレビでも、ワインの甲乙だったり、音色の聞き分けだったり、絵画の本物見つけだったり・・・まぁ鑑定的な話ね。それを例えば、音だけ聞かせるとする

・・・曲は猫踏んじゃったとでもしようかな。それなら俺でも弾けるから。それをピアノを習いたての人や、ピアニスト、俺も・・・余計な事無しで聞き分けられる?そうなのね、簡単過ぎると、

判りづらくなるのね。これをクラッシックとか、オリジナルで・・・とか、難易度を上げて行くと、そもそも参加出来無くなる人続出となり、勝手に順位は着いて行くのね。誰もの権利を

失って行くから。だから誰もが参加出来るとなると、優しいお題と、規制が少なくなって行くものなのね。となると、俺みたいに知る人ぞ知るなんて程度では、予選に埋もれちゃうでしょー。

だから普通のピッチャーとかバッターとか、選手なんてくくりじゃ、爪痕が残せないのね。だからデブのホームランバッターとか、小さいピッチャーとか、170キロの速球とか、消える魔球とか。

何か特徴が欲しいのね。それと昔から言っているのは、誰もが好きな花とか犬、猫・・・ってそのモチーフ自体が素敵なものは、そのポイントが入ると思うのね。だからゴキブリみたいに、誰もが

嫌いなモチーフにすると、純粋にモザイクの技術だけで勝負する事になるのね。ただその失敗がかっぱだぬき・・・かっぱだかたぬきだか判らないもの・・・って場合、見る人は何だこりゃ?って

事になる。だから良く見て貰えないかも知れないのね。良く見て貰えない・・・ただ印象には残る・・・ウェッ、気持ち悪いぃぃってね。でもその記憶で十分なのね。そもそも普通では、全く

記憶には残らないのね。あくまでフェスみたいな話だから。名も知れないバンドと、誰もが知っているバンドの中で、記憶に残さないとならないのだから。ただ恐ろしく注目されても困るのね。

そもそもエリート側では無いから・・・俺はあくまで一般として参加であって、招かれたのでは無いのだから・・・だからこそ何の規制も無く、やりたい放題やるって決めたのね。

それと素敵なものはエリートが作るはず。だから素敵な作品は要らない。花だの文字だのって単純に誰もが使って来るだろうし、つっちーにしても、恐らく可愛いものって来るだろうし・・・。

じゃ残ってんのは・・・エロいのだなって。本気で自由に作れる最後の作品かも知れないから・・・って思って、売れていない中で作れる最後の作品なんだから・・・って思って。

最後の作品を楽しみながら作らないと・・・。

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さくらに頼まれた刀置きと・・・

2024-04-23 06:45:21 | 下地彫り
今日は何と無くボヤッと始まったんだけど、そんな中すーさんが倉庫を片付けていて、目地をくれたりして話していると、何ならこっちにこんなのがある・・・って、ウォールナットの端材を、

見せてくれたのね。何か昔作ったらしいんだけど、今後何も作る予定は無いし、ただ銘木だから勿体無いし・・・ってな話しだったんで、ちょっと物色していると、あれこれサイズがあって・・・

それじゃ・・・と手始めに、昨日さくらに頼まれた刀置きを作る事にしたのね。まぁ大体こんなもの・・・ってGoogle先生で調べて、俺なりに俺の技術で出来ると思われる事を考えて・・・。

ただきっとしまう事も考えると、台座は分解出来る方が良いだろうな・・・とかあって、何しろ組み立て家具みたいな話になるから、構造みたいな事が必要で・・・俺はそれが最も苦手なのね。

ただそこさえ切り抜ければ、後はちょっとお洒落に見えるデザインに・・・となるなら、そっちは何とかなると思っていて・・・結果としてこうなったのね。

おーまずまずな雰囲気あるじゃん・・・って自画自賛していると、大家さんが、今日は何してんの?って見に来て・・・はぁ?何これ・・・って言うから、さくらに頼まれて・・・って言うと、

違う方向性になって無いぃぃ?って苦笑いされたのね。まぁとは言え、へっぽこ扱いでは無かったのは何よりだったのね。そんな流れで、ついでと言っては何なんだけれど、こっちは本業・・・

体験教室用の額縁。こっちもウォールナットで、まだ途中なんだけれど、なるほどこうなるのかぁ・・・って感じなのね。豪華にはなるんだけれど、いつもより厚みや幅があるから、まだまだ

やる事はあるんだけれど、あぁこうして作るのかぁって練習にはなったのね。例えばこうして比べた時、普通は刀置きのように初めて作るものの方が難しいと思うんだろうね。きっと。

それは昨日の話の思い込みなのね。確かに同じウォールナットだから、条件は一緒なのね。ただ刀置きの場合、何の規制も無いのね。所が額縁は張る部分が何cmとか、厚みはこれだけって感じに

タイルを張って仕上がりがこう・・・みたいに、あれこれと規制があるのね。つまり刀置きは自由演技で、額縁は規定演技になる。もっと言い換えれば、刀置きは新作落語で、額縁は古典落語。

こんな違いね。つまり古典は、こうしないとならない・・・って決まりがあって、新作はとても自由なのね。同じ落語でも全く違うのね。物事って言うのはこんな違いがあって、どっちも何とか

逃げ切れそうだけれど、俺には額縁の規制がある方が苦手で・・・こう言うのが得意なのは大家さんやすーさんなのね。何せ家を自分で作っちゃう人達だから。構造に詳しいのね。

そんなこんなで全くとまでは行かないけれど、日常と違ったように見えるでしょ?刀置きはね。そうね、ちょっとネタばれしちゃうけれど、中学生の1人が立体にしようとしているのね。

まず出来ないとは言って無いのね。それを前提に、こう言う事だって話なんだけれど、そもそも2年連続で受賞した腕は、平面のモザイクの作品で取ったのね。つまり認められている技術は、

タイルを切る張る行為とデザイン性。そこにはタイルを張る立体の腕は未知数で含まれてはいないのね。つまり立体の時点で必ず成功するとは限らないのね。しかも立体にタイルを張るって言う

のも初めてだから、それもまた未知数。ただ当然難易度は上がるのね。こうして考えると、棟梁の作品がいかに凄いか?って言うのが判ると思うのね。モザイクの先生の俺には、

あの作品に負けないモザイクなら出来ても、あの彫刻は出来ない。逆に木彫の先生も同様で、木彫は出来てもモザイクは出来ない・・・棟梁ならではの作品であって、この世に無いものなのね。

まぁ当然の事なんだけれど、あれを本人は趣味って言うのね。確かに本人の見解では、売っていないから素人であって、遊びなんだけれど、遊びじゃないらしいのね。では掘り下げるのね。

どう?俺の刀置き。初めて作ったんだけど・・・だからこれが俺にとって一番下手っぴ作品。確かに大家さんに方向性が違うじゃんと茶化されたけれど、もしここに少し彫ってタイルを張ったと

したら?・・・確実にこの世に無いものになる。売れないかな?って話。つまり個性的ってのは、この世に無いってものは一点ものとして発表出来る判りやすいものなのね。これが額縁の中の作品と

なると、いかに素晴らしい技術なのか?いかに素敵なデザインか?いかに似ているか?みたいな事が問われるのね。だから俺は最後の最後にタイルを張ると、全部作品として成立しちゃうのね。

考え方は同じで、タイルのイヤリングなんかを作っている人がいるけれど、タイルの技術では無くて、金具の取り付けだったり、そこに取り付けたビーズやレジンの技術の上手さであって、

その分野にタイルを使ったアイデアはお見事なんだけれど、アイデアはいとも簡単に真似されるものなのね。そうなると、比べられる事になる。所がどうだろうか?棟梁のは誰にも真似出来ない。

俺にも、木彫先生にも・・・そして今後真似する人が出て来ても、額を木彫の人に注文するってスタイルになるんだろうね・・・きっと。でもゴッホだろうが画家さんが額縁を作るとは思えない。

つまり頼んでも普通なのね。いずれにしても、真似が出来ないって言うのは、凄いものなのね。でね、ここまでなら単なる説明なんだけれど、ここからはホラーにもファンタジーにも化ける話。

みんなは売ってないから趣味と言うのね。じゃ売っているとプロって事になる。とても判りやすいのね。ではノンプロってなんだろうか?大学生までは、学生さん扱いになるのね。しかしながら、

働きながら・・・って人はノンプロって、プロでは無い人って扱いになる。でもね、ある時突然スカウトがやって来て、指名します・・・って指名されると、入ると決めればプロになる。

入らないと決めればノンプロのままになる。そもそもノンプロの人ってプロの待機ってスタイルだと思うのね。そう考えると、アマチュアって言うのは、草野球って扱いになるのね。

まぁ感の良い人なら、この辺で気が付くはずなのね。要するに自分で決める事じゃ無いのね。目指すのは勝手だけれど、認められると・・・って話で、認められると権利が発生するのね。

そう考えると、小学生で認められると芦田愛菜さん扱いになり、中学、高校、大学となれば、大人顔負けって扱いのプレーヤーになり、お母さんなら、料理研究家みたいになり、それを生業に・・

となると、プロって扱いになるだけなのね。そして仕組みとしては、今の俺が今よりももっと有名になると、場合に寄ってはみんなももっと見られる事になるのね。その時にもし欲しい・・・って

言われたら、どうなるんだろうか?・・・少なくとも俺の教えている生徒や弟子で、下手って言われた人はいないのね。今の段階でそうなら、もっともっと見られたら、どんな評価になるんだろうか?

俺はプロだから、今後もどんどんと今よりももっと知名度を上げるように努力をし続ける。当然だけれど、みんなも同様に見られる事になる。このままならこの程度で済むだろうけれど、もし

思っている以上に見られる事になったら?・・・本当にこのままの評価なのだろうか?俺は楽しみなのね・・・みんなの作品が知らない人から欲しい・・・って言われる事をね。

俺はそうなって当たり前と思っているけれどね。実はこんな事が、まだ発表はしていないんだけど、前フリの話で、地下潜伏の話のように、ある作品を作ろうとしているのね・・・。

それはつっちーの話の作品なんだけれど、普通にモザイクなのか、そうで無いのか。古典なのか新作なのか?・・・大家さんに相談をしたのは言うまでも無いのね・・・。だからそっち。

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急きょさくら教室

2024-04-22 07:18:34 | モザイクタイル教室
今日は午後からお教室が入っていると思っていたんだけれど、どうやら手違いがあったらしく、そんな中、急きょ相席で・・・となったさくらの単独って事になったのね。ただ体調不十分・・・

そうね、普通はそんな時には・・・なんだけれど、さくらは弟子なんで、気分転換にでもなれば・・・と思って呼んだんだけど、相席ならこんな指導は出来なかっただろうし、何しろ体調は

悪そうで、送迎の段階で大まかに判った。そんな中、まず問診のように、どうする?って聞く前に、何か形のタイルありますか?・・・って言うのね。だからキッパリ駄目だねと答えたのね。

すると、しばらく放置していると、今まで使っていたタイルを三角に切ったりして・・・何か考えたんだろうが、はぁ?って思ったんで、一旦切るのを止めたのね。何故そうしたのか?って、説明を

聞きたかったのね。って言うか、説明をさせたかったのね。そもそも理由ははっきりしていたから・・・聞かなくても良いんだけれど、思い込みって言うのもなんなんで、ハッキリさせて、本人

に自覚させる為にね。それは恐らくキチンと切れない・・・右手がグー、パーするのがきつい。だから真っ直ぐ切れない・・・と判断したんだろうね。本人も確認の上でそうだった。やっぱりね。

では結論、それが判断ミスなのね。そしてその判断ミスが、どんどんともっともっと深みにハマって行くのね。だってそもそもが間違っているのに、やればやるほど悪化するに決まってんじゃん。

つまり悪い時ほど、慎重にしかも最初の段階で間違っては行けないのね。じゃ何を間違えているか?それは自分が思い描く通りに出来ない自分への苛立ちや、失望、妥協・・・みたいな気分と、

それでも何とか・・・と無理やり立て直そうとして葛藤しているのね。確かに頑張ってはいる。しかしながら頑張り方を間違えているのね。まず今自分はそう言う気持ちでいるって確認ね。

そんな中、出来る事と出来ない事があり、やりたい事とやれる事は全く違うと言う事。だから、今出来る事を探して、その出来る事を何も考えずにひたすら繰り返し、それはただ切るだけ。

なのにそこから逃げたい気分が、何か形のタイルを張るって言う弱音。しかしながら、それと同時に質や構想の話を持ち出し、宇宙に見せたい・・・大体、形のタイルなんて、丸、葉っぱにハート

そしてクローバー・・・形あるものって言うのは、宇宙には中々見えないと思うのね。どちらかと言うと、曖昧な形、ほぼ決まりのない感じで、むしろほぼ色に左右され、白いツブツブで星って、

言えば何と無く・・・ってそう何と無くが良いだろうね。つまり形のタイルをそのまま張るって選択は絶対有り得ないのね。じゃ切る事は決定。でも切るには手が・・・。そしたら何も言って無い

のに、左手にしたのね。以前左手で切る事も教えた。そんな日はこうして・・・って、必ず基本通りやれば、やらないよりは進める。ただ普通は質を下げる。その時に、じゃさくらの手はいつ直る

・・・って考えたら、そんな事は判らないし、でも進みたい・・・って気持ちがあったり、気分転換と言うなら、日常と違うとか、いつもとは違うとか、良かろうが悪かろうが、予定調和を崩す

べきで・・・。いつも通りを壊す。そもそもいつもは放置に近いのね。何か困った時だけ。でもそれは日常でのさくらが調子の良い状況判断出来る中での話で、調子が悪いって事なら、さくらの

考えは全く持って当てにならない・・・と考えるべきで、考え方だが、そんな時こそ指導になる。それで大きな失敗をさせずに進めもするって具合に。そう言う点で、自分の考えで左手にしたのは

調子の悪い右手を捨てたのは正解。ただその選択止まりになるのは、見なくても判ったんで説明。
まずその左手でニッパーのに切り方、脇を締め手首を体に付け、そして刃を浅めに・・・と言った

基本動作の確認をする。ここで難しいパーツを切る意識を持つ。例えば4分の1とか、半分、丸・・と言った図らなくても判るサイズって言うのは、頭に大きさを理解させる事が簡単なのね。

でも今、切ろうとしているサイズは何?って時に、口で説明出来ないのね・・・大体この位って感じにね。つまりそんな人が切ると、適当になるのね。もはやその場その場の感。しかも調子が悪い

のにね。だからここをしっかり理解させるのね。自分の頭に。その時に師範代になるパーツが欲しくなるのが普通の人なのね。真似をしたくなるから。書道のオレンジのあれね。

ただ良く考えて欲しいのは、真似た所で書ける訳無いじゃん・・・なのね。だってまともにやったって、書ける訳無いじゃん。すぐ書けるならみんな段持ちになっちゃうよ。しかも調子が悪い。

ここで頭に理解させるのは、折角調子が悪いんだから・・・。って折角を付ける。これで調子が悪いながら、前向きになれる。そして更に左手で切る。ほら精神論だけで乗り切ろうとしている。

そりゃ無理でしょ。そこで、俺が見本のパーツを切っても無理なのね。そうなるはずが無いから。だから、今の自分、つまり左手で切れるパーツを見本にする。これくらいかな?って思うパーツを

ね。まずそれを毎回見ながら、10枚続けて切って見る。そしてただ切るのでは無く、成功を一軍、失敗をクビとかクズ、ゴミなんて言い方でも良いから、立ち直れない言葉にして、その間に、

切り直せば使える・・・って言うのを二軍と名付けて、切り終わったらそこに置く。一軍ならレギュラーとして見える缶にでも入れて置き、二軍を一軍に一人でも多く入れるようにする。

当然失敗もするから、クビにもタイルは集まる。でも良く考えるのね。今成功と思う側に2枚ある。つまり今の所、2割打者。10回やって8回失敗している・・・こう取るのが調子が悪い人の考え

になるのね。でも二軍にまだ控えているから、1枚でも成功すれば、イチローくらいにはなる。しかも利き手じゃ無いのに。それが、もし3枚成功したら、半分は成功した事になるのね。

こう考えれば、気持ちはいくらか楽になり、前向きに進めるのに、右手と同じグレードーを求め、出来ない事を卑下し、いつもだって満足に出来ないのに、こんなザマで・・・と追い込む。

まぁさくららしい考え方なのね。そんなに自分を責めて、プレッシャーを掛けて、乗り切れる訳無いじゃん・・・しかも調子が悪いのに。そして物作りは自分自身・・・つまり日常にその考えを

持ち込めば、残ったものは意地しか無いのね。そりゃ悪循環になる。つまり今出来る事はこれ・・って自分で切った見本に忠実にし続け、キチンと現状を振り分け、成功を増やすしか無いのね。

たださくらの性格上、クズ、ゴミのゾーンに入れたものを、自分のせい・・・とか、何とかならないか?って、そっちにスポットライトを当てちゃうのね。だから二軍の時に、何とか整えて綺麗に

って必要以上に切ろうとして、深追いをすると切り過ぎちゃうし、もう気が付いているのに、整えれば使えるかも・・・ってもっと小さくしてしまうのね。もうそれは蕎麦だね・・・ってね。

いくら整えても細ければ蕎麦。それはクズ入り。つまり細くなった時点で、いくら触っても無駄な時間なのね。だからすぐにクズ入りにする。わざとこう言う言葉にしているんだけれどね。

こうした繰り返しをすると、二軍は無くなり、一軍とクズになる。ではここで受けてしまったダメージを救済しないとならないのね。じゃそのクズ何処にも使えないかな?探してみ・・・。

するとここでなら・・・って見つける。だよな、敗者復活部位あるよな。つまりまだ正式なクズじゃ無いよな。じゃまだ一枚も失敗していない事になる。それを頭に叩き込む。まだ失敗してない

・・・と。はい、それじゃまた10枚。って具合にわんこそばのように、終わってはまた、終わってはまた・・・って切ると同時に気持ちも頭に叩き込む。そしたら余計な事は考えずに同じ事が、

繰り返しになる。ただ当然慣れない左手・・・いつしか精神論では切り抜けられなくなる。慣れるって事は必死でその緊張感と向き合い、やり続けた事になるから、疲れる。当然慣れて成功が

増えたはずなのに、続けざまに失敗すれば、そこが休憩や辞め時になる。こうした理屈に沿ったものがマニュアルになる。つまりこんな時の自分マニュアルを作れば良いだけなのね。

それが自分を知るって話になる。いつもいつもそこと向き合わずに、漠然と悩み、悩んだ時間だけが過ぎ、悪い時間帯が過ぎ去るのを待ち、また同じ事例がやって来る・・・それは当たり前で、

何がそうなっているのか?どうしてこうなったか?って言うのを、いちいち検証していれば、傾向と対策が準備出来る。だから是正も出来るが、何でだろう〜って、悪い時に考えた所で、悪いのに

良いアイデアなんて出るはずが無いのね。そもそも良い時に悪くなった時にどうして?の回避や、逃げ切るか準備して置かないと、備えあれば憂いなしになるはずが無いのは当然の事。

ただね、用意する備蓄ってのは、余裕のある人やエリート、お金持ち・・・と言った側の話で、相反する、窮屈やギスギス、やさぐれ貧乏、勿論、健康と不健康と言う対局では、悩みが違う分、用意も準備

も変わって来るのね。しかも心なんて、目に見えないものの備蓄や用意なんて、学校じゃ習っていないからね・・・お坊さんの説法だって、人が死なないとタダじゃ聞けないしね。

つまり教わるにはお金が掛かるし、お金を掛けないのなら、自分で考えるしか無いんだけれど、その自分を自分で理解していない以上、結果は出るはずが無いのね。ただ幸か不幸かさくらは弟子。

その辺の他人よりは割と良く知っている上で、本来の師匠と弟子の関係なら、こうしろ、こうすべき・・・となるが、俺の場合、世間的にそこまでの信用は無いだろうから、自分の1つの選択しか

持っていない人へ、貴方の考え方では無い考え方はいくらでもある・・・ただその考え方が好みか好みじゃ無いか?は別にして・・・って言う選択肢を言うだけで、感が良くなれば、自ずと方法が

見つかるはずなのね。自分らしい・・・ね。それをかたくなに・・・オー初めて知った。変換したら、かたくなに・・・って、頑なにになって、頑固のがんなんじゃん。じゃ言うまでも無く、

そんな場合、人に聞く姿勢は一切無いって人なのね。つまり付ける薬は無いのね。ただ受け入れるって言うのは勇気が必要で、自分が正しいと思っている、思い込んでいる場合、全てが否定に

聞こえるのね。それでは何を言っても届かないし、先生に言われたから・・・みたいに、ほぼ信じていないのに、納得していないのに、曖昧にして進んだ所で、あぁして置けば良かったとか、

何でこんな事をしたんだろう・・・とか、最終的には、先生がこう言ったから・・・なんて、良くある話で、同じセリフでも、常連が言うと笑い話だけれど、日の浅い人では、信頼関係が全く無い

って言う露呈な話になる。まぁ中々、難しそうな話に聞こえるが、簡単な話で、お教室って言えば、テクニックって言った目に見える事だけ教えれば良いのね。後は楽しく趣味だから。

でももし目に見えない事まで教えるのなら、それは所作みたいな事まで必要になるから、習い事となると思うのね。まぁ判りやすく言えば、何とか道ってやつね。柔道、剣道、茶道、華道ね。

礼に始まり礼で終わる・・・こんちわー、ちぇーすぅ・・・みたいなスタートでは無いのね。これがスポーツなら、そんな聞き取れない挨拶と、バカでかい声だったり、そこには礼儀はあっても、

品が無いものだったりして、相撲は例外で道とは付かないけれど、そっち側にあるから、横綱はやれ品格だのって問われるのは、その流れ。戦争と一緒で勝ちゃ官軍って言うのは昔で、今はそこも

品なんてものが合ったりもすると、大谷さんのような例外も出て来る。いずれにしても、曖昧にしても安全に進めるのは、調子の良い時だけで、その曖昧さは調子が悪い時には防げないのね。

さくらの場合は特にそう。しかも根本的に真面目な人だから、投げやりとか、まっ良いかとか、ひとまず・・・みたいな事が苦手なのに、それをやれる事が自分が変わったと思ったりすると、

こんなもん・・・って言えない癖に、こんなの・・・って言うと、調子が悪い時に、こんなの・・ってやったとしても、調子が良い時に振り返り、自暴自棄になる。まぁ聞かなくても判る話。

つまりそんな時こそ、いかに最悪を防げるか?絶対防御にならないと。それにはそう言う自分を知らないとならないし、知る事で卑下する事にもなったりするが、知ると対処も出来るのね。

それを行き当たりばったりなら、今後も、良かったらラッキー、悪かったら、何でこうなっちゃったんだろうを繰り返せば良いだけなのね。全て最初からそうなるようになっているだけだから。

それを気が付こうとせずに、結果次第で反応しているだけで、種を巻かなきゃ何も始まらないし、種を巻いても肥料も水も、外敵からも、守らないと・・・ただ必要以上の管理をすれば、温室に

なるし、それでは野生チックなものは生まれない。人が作った金魚は、手を掛けなければ無くなる。でも野生で強い種属はどんな形でも生き残る。野生でも無く、温室管理でも無くって、

甘いでも無く、辛いでも無く、甘辛いとなるが、右翼でも左翼でも無いって言うのは、左右翼では無く普通だったりもする。何しろ答えなんてどうでも良いのね。こうしたくだらない話の中で、

考え方は1つじゃ無い・・・って選択肢が増えれば、安易に決めつけて思い込むのでは無くて、どれが自分らしいか?って考える事、立ち止まる事が出来るのね。そして決めたら1歩目は勇気。

ここでも気なのね。ここさえ間違えが無ければ、ただ未熟なだけ。反復すれば誰でもある程度、上手くなる。しかしながら、そもそもの1歩目が間違っていれば、甘いのが好きなのに、辛いを選択

すれば、いつもの自分なった時、手が付けられなくなるのは当たり前なのね。こんな例が一か八かって、男前の考え方なのね。そもそも一か八かって、究極の選択なのね。つまり追い込まれた奴の

セリフで、日常は使わない。しかもそんな事を言う奴は、大抵いつも一か八かのどちらかなのね。つまり2つ選択があるフリをして、結局1つしか無いようにそれしか無いって自分を追い込み、鼓舞

しているだけなのね。しかもやり慣れない側でね。当然、この場合、ハイリスクハイリターンなのね。つまり食わず嫌いと同じ仕組みで、究極に追い込まれいつもは食べないものを食べた・・・

結果が良ければ、あっ美味しいんだ・・・となり、駄目なら、吐き捨てるし、一生恨む的な、1日最悪な気分だし、ある意味一生話題に登る感じになる。でも自分からは行かない分、こんな両極端

な結果が生まれる。さくらはそもそも土着民族系なんで、考え方も頑固に1つみたいな方だから、伝統、格式、習い事には向いているけれど、何しろ目が良いから目利きが出来る。

つまり良いものはこれ・・・って骨董商みたいな感じね。でももしその目で物作りしたら、こんなのへっぽこ、こんなの駄目・・・って人には言わなくて、自分だけを責めるスタイルなのね。

絶対に認めないってね。おー面倒臭いのね。ただ厄介なのは、何が簡単で、何が難しいかの区別が出来無いのね。簡単に言えば、肉を焼きますも、ポテトサラダも頑張って作ります・・。なのね。

確かに一見、どんなものでも平等にって、素晴らしい考え方かも知れないが、じゃどっちが高級?みたいに、シチュエーションが変われば、評価は変わるのね。でもそれが認めたくない・・・

たんぽぽもカトレアも同一。考え方はこうなる。じゃお金の無い幼い子供が、母の日にたんぽぽをくれた・・・美談だね。それを今のさくらがお母さんに、はい母の日って渡したら?はぁ?って話に

なるでしょ?SMAPの歌じゃ無いが、綺麗事なのね。そうだと良いね・・・って話で、たんぽぽじゃ口説けないのね。薔薇の花束じゃ無いと。花屋さんに無いのは、雑草みたいなものだから。

だからお金で売買をされないのね。こうした理解の上、そうじゃ無いと良いんだけどね・・・って話なら、痛みも少ないのに、人一倍感受性が強く、いちいち心をを痛めていたら、そりゃ病気に

なるわなっ・・・ってな話。具合の悪い時こそ、心のウミを出す為のオペ・・・みたいな話。ただね、人にこんな事をしたって事は、更に感受性が強いから作家なんかやっているのだったら?

師匠なんて事をしていたのなら?棚に上げてかよっ・・・ってな事になる。だから1人になったら振り返りをしないとならない・・・あぁ言ったものの、俺はどうかな?ってね。毎回・・・。

言えば言う程、面倒臭いのね。ただそれも後4ヶ月・・・これからの期間は、信じる人にだけ伝わる話になるように・・・と願うしか無いのね。4ヶ月後に何も起こらなかったら、今年はおしまい

・・・ただ思った通りになるのなら、今の環境はガラッと変わるはずなのね。何せターニングポイントになると思われるから・・・。だから、その時が来てから言ったんでは、売れたら何とでも

言えるよ・・・って言われないように、売れる前から言わないと・・・言霊にならないから。そして知らなかった・・・とは言われないように、こうして公にして置く事で、知ろうとしなかったと

する。知らなかったとは、俺の存在を知らなかった・・・って場合であって、知ってて、俺の活動や近況を知らなかった場合、興味が無かったからであり、それよりも楽しい事があったり、

気も止める時間も無かったんだろうから、そのままでいて欲しいのね。それを売れてから来られても、あぁそう言う人なんだなっ・・・って思うだけだから。それと、売れれば忙しくなるだろうから、そこに構う時間は無くなるしね。売れると言うのは、その人の時間を奪い合う事なのだから。

俺を必要としてくれる人だけの時間になるだけ。つまり何と無く・・・って時間は無いのね。そうなる為の4ヶ月・・・今しか出来ない事を楽しまないとね。お互いにね。

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kameyaさんの出張教室とピエロの壁画の下絵

2024-04-21 07:55:08 | 出張教室
今日はkameyaさんの出張教室。ではりょうさんから。自宅でパーツを切ってあったので張ったんだけれど、注意点はフリルの部分を張っている・・・って意識が無いと、緩やかなカーブでは無く

直線に張ろうとしてしまうのね。これは簡単で人は思い込むものなのね。これを前提にすると、きちんと、チャンとを意識しているからなのね。つまりその意識で張ろうとする時に、幾何学模様の

ような、左右対称やロボット、直角、縁取り、ブロック体の文字みたいな部分なら、それが見事に反映するけれど、それが植物や、曲線、なだらかな・・・とか、筆記体となると、隣り合わせの

タイルを段差の無いように意識はするものの、竹では無くヤナギの木のように、しならせるって言うのは、きちんと、チャンとの意識が違うのね。この意識が変わると、行動は変わるのね。

例えばきちんと、チャンと弾く。初歩ならこれで良いが、上手くなると、軽いタッチや、段々と・・・とか、同じ位置を弾いているのに、変化をさせるし、ピッチャーなら、最初はストライク

に投げ込むように意識を持つ。つまり最初はそのコードを弾く、ストライクに投げるって行為が、安定しないから、何度も繰り返す事で、その音をキチンと出すやら、キチンと的に投げるって、

基本を植え込むのね。でも上手くなるって言うのは、それをより高度にするって考え方もあるけれど、その場面場面を考えて、より適切に・・・となると、変化を付けようとするのね。

つまりきちんとから、柔らかいタッチとか、ストレートでは無くカーブとか、常に全力では無く、みたいな感覚ね。更にそれをズラして、わざとボールを投げる。外して次を活かす。

こんな事がテクニックって言うのね。全力真っ直ぐいつでも何処でも・・・これとは全く違うものね。ただそれには意識を変えないと、無意識にきちんとチャンとが身に付いちゃっているのね。

だって擦り込んだんだから・・・基本を。だから、ここはカーブしているフリルだな・・・って意識しないと、ここを張る・・・としか思わないのね。つまり無意識に切った白を張るだけになる。

これを切ったパーツは本当に全部同じなのか?と言うと、絶対に大中小になっているはずなのね。それならここは大きいので揃えようとか、良く見たら欠けているから、ここで切る時に使えるとか

パズルをする時みたいに、カドちょを集めて、色分けして・・・みたいにやるでしょ?でもあんな機械で切り抜いたような精度の訳が無いのね。それなら尚更、その使い分けをしないとね。

つまり上手い人って言うのは、切るときの意識も、きしめん、うどん、そばにならないように、うどんならうどんに統一しようとする意識で切るから、きしめんとうどんとか、うどんとそばって

事はあっても、きしめん、うどん、そばのように、きしめんとそばは同居しないのね。これで明らかな失敗パーツは無くなるのね。それを張るって段階になったら、更に厳しい仕分けをする。

うどんはうどん、きしめんはきしめんとね。そして更に欠けている・・・なんて見逃さない。こうして置けば、きしめんな場所、つまり大きく張れる部位に使い、うどんな場所はうどんだけを、

使う事で寄り統一感が生まれるし、ちょっと欠けは、必ずそのまま使えるなんて事は無いから、切る専用パーツにする。こうすれば無駄無く使えるのね。しかも失敗により見えない形でね。

こうした何個も何個もキチンと見せようとする目利きが必要になるのね。りょうさんはまずここなのね。こうしたパーツの仕込みを点で作れるような場所を自宅で切れると、進み具合は大きく変わるのね。

まぁしかしながら、いくらか安定感が出て来た感じもあるのね。自宅で切る事に慣れると、ニッパーもタイルも使い慣れるのね。それが月に1回しか触らないとなれば、忘れる方が多いのね。

それが棟梁くらいになると、

タイルを切るのは当たり前、揃えるのも当たり前、緩やかなカーブも当たり前・・・となると、より精度を求めるのなら、キチンとお手本、つまりその花の写真を良く見ないと・・・。

何と無く感で作らないで、しっかり良く見て、葉脈のブロックがどうなっているか?何と無く感で進まない事。常に何を作っているのか?単なる記憶の思い込みで作らない事。真似をするって言う

形は、楽譜を見て弾くその通りに・・・って事になる。ついつい棟梁くらいになると、タイルを自在に切れるから、対して困らずに進められるが、困らずに・・・ここね。対して困らずに・・・

何故困らないの?って話になるが、仮に困った事があったとしてもなのね。どっちも原因は一緒だから。説明すれば簡単な事なんだけど、そこにお手本を置かないからなのね。まっ書道と同じ。

そもそもどんな小学生だって、書き初めみたいな話で、見た事も聞いた事も無い字は無いでしょ?じゃお手本なんて見なくたって書けるでしょ。でもキチンと書きたいから見るのなら、キチンと

作りたいのなら、お手本の写真を良く見るべきなのね。つまり対して困らず進められるのは、ただ知ってる・・・ってだけで進められるからなのね。見本を見ずに、止める所、ハネる所、シュッと

はらう所・・・みたいに花もあるのね。切る事に困らないのだから、ただ書くでは無く、穴が空くほど見る。ただそれだけで、さっきとは逆に、中々進まないのなら、良く見れば花の構造が判る。

ただそれだけ。それが出来るようになったら、どっちから日が当たっているか?とか、風はどっちから吹いているとか、悲しそうな花とか、楽しそうな花とか、比喩すらも乗せられるのね。

まぁどれも上手くなった悩みだけれどね。さてそんなこんなでアトリエに戻って、ピエロの壁画となるんだけれど、何しろ大きいんで、一体ピエロはどの位になるのか?具体的に数字が浮かばない

のね・・・。恐らく1mはあるとは思うんだけれど。やっぱり現地に行くべきかぁ・・・。

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カツオノエボシ完成とピエロの壁画の下絵の続き

2024-04-20 07:03:34 | モザイク作家
今日は目地入れの後始末やら、ちょっとした工夫をした後に、仕上げのペンキ塗りにフック付けとスムーズに進んで完成となったのね。そんな時に、大家さんがやって来て、おー完成したんだ。

すると、すぐにペンキを見て・・・やっぱり気が付いたのね。普通の黒では無くて、アイアンペイントの黒を塗ったのね。違和感をすぐ判るのはペンキ屋さんなのね。ただキレイになった・・・

って思う人もいるだろうけどね。まぁ興味を持って道中も見てくれているので、そんな事も気になるんだろうね。まぁそんな訳でいよいよサンシャインの準備は終わったのね。

って事で、久しぶりにピエロの壁画。

が以前の絵だったんだけど、赤いテントが野暮ったい感じがしていたんで、

雰囲気だけテントみたいにした事で、赤いテントが軽い感じになり、ショートヘアになったみたいなのね。まぁあれこれと時間が掛かっているのは、久しぶりの大きさな事もあるって言うのが、

大きい気がするのね。作品が小さいと狭いアトリエの中でも、離れれば全てを見渡す事が出来るのね。しかも実寸でね。所が実際はこの下絵の何倍もの大きさになるのね。その時に、この下絵で

見た時は良いバランスに見えたとしても実際は・・・って、ほぼ想像に過ぎないのね。しかもタイルは艶があったりすれば、思っている以上に派手になるのね。そもそもだが、一般家庭の家に壁画

ってだけで、とんでも無く派手になるのは間違いないし、他に事例が何処にある?ってもんなのね。こっちとしてもそこそこのプレッシャーが掛かっているのね。しかも可愛く見える下絵。

何度も言っているが、可愛いって言うのは、中々理不尽なもので・・・。簡単に言えば、安く見えるものなのね。例えばこれを凄いって言葉と比較して見ると、凄い車、凄い家、凄い料理・・・

何にも見なくても高そうでしょ?見てもいないのにね。これを同じもので比較すると、可愛い車、
可愛い家、可愛い料理・・・完全に安くなったでしょ?そしてこれを服にして見ると、

大人の服とデザインも素材も同じにした子供服をオーダーした場合、可愛いぃぃと表現するものの、可愛い値段か?となると、むしろ驚くほど高く感じると思うのね。って事を踏まえると、

この可愛い下絵でそれを覆すように見せるには、バックの豪華さみたいな事が要求される気がするのね。それをバックにも可愛いモチーフを足せば足すほど、より可愛くなり、甘さだけが際立つ。

ただ完成したら十分に納得して貰える自身はあるものの、全く興味の無い人は、見た所で何とも思わないだろうし、値段を聞いたらそんなにするの?って思うのね。出来ればそこもクリアーにして

あげたい・・・とも思うが、これが例えば不死鳥なんて絵なら、神々しさなんてのも出せるが、何せピエロ・・・どうしたって可愛い方向になってしまうのね。一番の心配はそんな第三者では無く

ご家族なんだけれどね・・・これが完成すれば、知らない人が記念写真を撮るような壁画になる。何せ外なんだから。いずれにせよ、ここで悩むだけ悩んでスタートって事になる。

それがその作品のお金を貰う責任って事だろうから・・・。

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健さん教室とサンシャイン60展望台設置

2024-04-19 01:22:37 | モザイクタイル教室
今日は午後から健さん教室で、夜サンシャイン60展望台に、リュウグウノツカイを展示の為の設置。それまではカツオノエボシの追い込み・・・。何とかお教室前に張り終わったのね。

そんなこんなのお教室は、いつものように割と淡々と進んで、特に変わった事も無かったんで、広げる話は無いんだけれど、一応お話はしている話なんだけれど、この作品の凄さって話ね。

まぁ大作を作っている人は、大なり小なり一人で考えてやる場面があるのね。そもそも最初は、切り方の所作的な話で、脇を締めるとか、ニッパーの握り方、刃の入れ方・・・なんて諸注意をして

ある程度それが安定したら、技術論になったりする。そもそもちゃんと切れない状況で、あれこれ言っても出来ない事だらけなんでね。でもそれが出来るなら、こんな事は?じゃこんな事は?って

感じになる。そこでそのやり取りがいつしかスムーズになって来ると、考えさせる質問になって来るのね。例えば毛並みなんて事になると、手足の体の毛並みの方向が一緒なんて事がある?

良く見てどっち向き?とか、縦長と横長、色は一緒でも、切ったパーツを張る時、自分のモチーフの部位に合うのはどっち?みたいに、ちょっとした事を考えて貰えるように・・・ね。

こんな事が感じるって部分で、感性って話なのね。つまり五感の話ね。例えばこれが音楽なら、歌詞が切ない言葉だったりした時に、ダンダンダーンってタッチで弾くのと、タンタンターンって

弾くのでは、切なさの優しさが変わって来る。でもここを乗り切ろう・・・って力強くしたニュアンスの取り方もあれば、ここは悲しみや切なさの強調とする考え方で、力強く弾く事で、でも・・

って次の場面へ持って行くなんて考え方もあったり、当然バラードが王道なら・・・じゃ逆も真なりって事で、ロックのリズムで激しさで感情を表したり・・・考え方で同じ題材も変わるのね。

作り手って言うのは、キチンとちゃんと弾く、切る、磨く、彫る、描く・・・こうした道具を巧みに使いこなすって技術を身に付けると同時に、こうした構想って考える事で、見る側を操作する

事も出来たりするものなのね。いかにそう感じて貰うか?ってね。それは反復で得た技術とは全く違うもので、作曲が出来れば、作詞が出来るか?とか、シュートが上手いからって守りが上手いか?

とか、頭が良いからってくくりで、記号や単語の暗記する能力と、作文のように自分の意見を構成する能力が一緒か?となると、全く違うものなのね。ただユーミンのようにどちらも出来るとか、

大谷さんのようにどちらも出来るって例外はどの分野にもいるんだけれど、ただそれとて、例外って言うのを見せると、それを真似する側としては、チャレンジしやすくなるものなのね。

勿論、完成度がそこまで行けるかどうか?は判らないけれど、道を切り開く人達よりは割と簡単なスタートは切れるのね。ただ全ては良い事と悪い事は背中合わせで、先人は切り開く事で、

人と違う事をして行くのだから、その分野が成熟していれば、王道から外れて見えるから、邪道扱いを受けるだろうし、何か変わっている・・・って表現をされたりもする。逆にそこに乗ると、

王道の道は既に認められている以上、そこには比較対象の人達がごまんといるだろうから、優れている人とそうで無い人って比較されたりもする。まぁどちらも目指せば大変なのは一緒なのね。

ただどちらに耐えられる自分がいるか?ってだけで。後は味覚に好き嫌いがある俺が言う事では無いけれど、食わず嫌いってものがある。食べたら美味しかった・・・ってね。

つまり考える、構想って部分にたどり着いた人達は、是非オリジナルの大作を1つで良いからチャレンジをすると、達成感なんて事を味わえたりすると思うのね。勿論、何かを真似るって大作でも

良いのね。それは技術の大作であって、あれこれ技術の集合体って見せる作品になる。どちらも凄いもの・・・と表現としては一緒に扱われやすいが、意味は大きく違うのね。ただ健さんの場合でも、

バックの色1つ変えただけでも、青空なら、さっ行くぞー俺について来いって後ろ姿にも見えるし、グレーを暗めに使えば、チャーの闘牛士の歌詞のように、アリスのチャンピオンのように、

それでも最後の日に向かう背中にも見えるかも知れないし、一筋の光みたいなものがあれば、何か上を目指している最中にも見えるかも知れないし、同じモチーフでも大きく変えられると思うのね。

そんな風に見せるにはどうすれば見えるか?って探して行くものなのね。構想って言う考える事って言うものは、別に作品だけに使うものでも無くて、自分自身と向き合う事にも繋がるもので、

脳を使うってこんな事を意味すると思うのね。そもそも気付くって言うものが、きっかけになるものなのね。思い込まずにね。ただこれにも例外はあって、気付くって言う事も当たり前になると、

もうそこに刺激は無くなって来るのね。慣れてしまうから、当たり前になる。例えば、ちゃんと、キチンと切れないから、反復する事で慣れる。慣れるからおどおどしなくて、安定感が生まれる。

例えばそれを月に1回の5年で到達したとする。その時にオリジナルを始めようとしたら、切るのは5年、でも構想力は初めて・・・って1年になる。作曲は5年、作詞は1年みたいにね。

でもそこを受け入れると、慣れていない分、また1年生な気分になる。刺激って言うのは慣れちゃ行けないのね。常にフグ毒みたいにピリピリってしている感じなのね。なった事は無いけど・・・

でも強すぎると死んじゃうし、安全安心なら毒っぽいもの全て辞めれば良い。要するにチャレンジするって言うのは、新しい毒と向き合うみたいな感覚なのね。つまりベテランって事になると、

自ら毒っぽい事をしないと、刺激にはならず・・・それは大作とは限らないのね。常日頃やっていない事が刺激なのだから。つまり大作を乗り切った人の刺激は、お手軽な事になるだろうし、

お手軽な事ばかりでも飽きるから、一世一代の大作に向き合うなんて事が刺激だろうし・・・いずれにせよ、健さんのこの作品は自分の名刺になる作品で、かつてのウォンバッドを軽く超える、

自分書き換え作品なのね。それを俺が余り口出しせずに完成する事で、1人でここまでやった作品になる訳で・・・他の分野では真似る事が多いのなら、ここでは考えて進むって自由って事が、

考える事、不自由を楽しむスタイルになっているはずなんだけれど・・・とね。ちょっと複雑ではあるんだけれどね。とは言え、文字にすると小難しくなるんだけれど、実際はシュールに面白い

時間なんだけれどね。そんなこんな後は、小雨の中、リュウグウノツカイを積み込み、サンシャイン60へ・・・業者用のエレベーターに乗ったんだけれど、一度に運べなくて2回乗ったのね。

9時過ぎに。エレベーターに乗るのは別に珍しくは無いけれど、短い時間に60階を行ったり来たり・・・って。これが仕事の人もいるのかぁ・・・って、そうだよなぁ高層階に住んでいれば、

当たり前なんだろうが・・・中々俺には無い事だから、これもまた刺激なのね。でもこれだって、2日間を経験すると、すぐに慣れてしまうのね。人の刺激なんて単純なものなんてあっさりなのね。

でもこれが難しくて簡単では無ければ、すぐにへこたれる・・・勝手な生き物なのね。でも、こんな事1つでも、考える、想像するって事が出来るのね。それをわざわざ意識しなくても、仕事柄、

勝手に脳が考えてしまうのね。でもこれが日常になれば普通になるし、普通って言うのは安定になるし、刺激って言うのは非日常にある訳で・・・これもバランスなんだけれどね。

まっ簡単に言えば、日常を東京でサラリーマンだとする。毎日通勤で混んでいて、夜遅く帰宅って感じなのを、非日常って言うのなら、1年に1回のスキーだとする。そりゃ365日分の1なら、

待ってました・・・もはや七夕のような待ち方になるから大きな刺激。ただスキーの場合、普通に考えたら、雪ありきの話なんで、行けたとしてもシーズンが冬のみになる。当然回数も限られる。

これをサーフィンに置き換えると、湘南や太東みたいなサーフィンの場所へ数時間しか掛からない。これなら毎週行ける事になる。これを大きく超えるなら、刺激としてはそこに住むって、

事になれば、今すぐ大きい刺激になるし、でも日常にいつかなってしまうのね。って例は、少ないだろうから、大抵は毎週って位だろうね。これだって、ずっと続けられればかなり少数派で、

月に1、2回って言うのなら、アトリエに来る生徒さん位の話だから、普通にいる事になる。でもそれを何十年も続けているとなると、一体どんな腕になっているのだろうか?って話になる。

当たり前の理屈なのね。ただ趣味で終わるのも良しなんだけれど、趣味を実益にするって考え方もあったりする。それを先生になるとか、作品を売るって作家になるとか、今どきなら色々とある。

ただそれも色々とある・・・って言っている時点で、ある・・・って言うのだから、ある時点で普通なのね。そこを無い・・・無いと思うって言う方向に行かないと、個性なんて事にはならないのね。

だって、隣にあるようなものが個性な訳無いでしょ?もっと変わらないと・・・。それを生徒と先生とか、普通は・・・とか、折角なんでそんな常識を叩き壊したいと思っているのね。

予定調和ってのが気持ち悪いから。今プロと思っている、プロで生計を立てている・・・当たり前の事を全てぶっ壊したい・・・ってね。こんな話がちょいちょい8月まで続くのね・・・。8月まで。

そこまでにターニングポイントが来るはず・・・ただそれがどれかは俺にも判らないんだけど、俺のクインシー・ジョーンズは見つかった気がするのね・・・。だから期日は8月まで。

こうして予言のように言葉にしないと言霊が置きないから・・・まぁこの展示もその導火線の1つになるはずなんだけれどね。サンシャイン60に展示・・・中々無いと思うのね。


そしてアトリエに戻ってカツオノエボシの目地仕上げ。

後はペンキ塗り。これもまた展示作品。本来は水族館の方が似合うんだけれどね・・・でも、そこは受け入れて貰えるお客さんがいる場所。でも展望台に来る人が好きだとは限らないモチーフ。

予定調和では無いのね・・・だから俺のコンサートでは無く、色んな催し物の中の1つに過ぎない。だからフェスみたいなもん。いかに見て貰えるか・・・になるし、ワークショップも、

そりゃ水族館でやるのとは大違いなのね。しかも入場規制もあるらしいから。いつもいつも準備が整えば、期待と不安な気持ちで当日を待つだけなんだけれどね・・・。勿論次の手を考えてね。

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