katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

公式LINEアカウント出来ました

2021-12-31 11:19:55 | お知らせ

お問い合わせやお教室予約がより簡単にしていただけるように、公式ラインアカウント解説しました!

教室の空き状況も一目でわかるようになっていますので便利!ぜひお友だち登録お願いします。

ただし、教室中や作業中外出中など、トークでのお問い合わせや予約は既読になっても、すぐに返信できないこともあります必ず返信しますので何卒ご了承ください。


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リピーターさん教室

2021-12-31 08:16:04 | モザイクタイル教室

今日は午後から駐輪禁止のプレートのリピーターさん教室があって、その前に表札の下地の話を大家さんとして、するとその材料がたまたまアトリエにあって・・・割とすんなり解決。それを持って確認の為にお客さんに見せて・・・。

そんなこんなでお教室。いつものように自宅で進めている人には、どんな感じですか?って聞くんだけれど、終わりました・・・って言うのね。えっ?・・・確かに終わってたのね。凄いぃぃ・・・ぺきぺきでこの細さでこの文字・・・。

まだ始めたばかりの人が簡単に出来る事じゃ無いんだけれど・・・。ただ自宅でボンドは取ったって言うんだけれど、恐らく俺でも1時間じゃ取り切れないな・・・って感じだったので、次の作品が決まっているのなら、ラフ画で良いので描いて

見て下さい・・・って言うと、この大きさでこんな文字を入れて・・・って口で説明するので、しばらくボンドを取る時間が掛かるので、その間に・・・って説明すると、描き始めたんだけど、明らかにノートの大きさだったものが、画用紙の

大きさになっていたのね。こう言うのが大事なのね。ついつい理想の大きさって言うのは、小さめに作ろうとするのね。しかもこうして漢字でここまでの結果を得られると、自信も付くのね。ただこれが綺麗に切れたから、まだ細く出来ると判断

すると、もう限界な自覚が無いと、もっともっと出来ると判断したり、時間を掛ければ大丈夫とか、無謀な事を考えてしまうが、本人に自覚が無いと、全てが出来る前提で考えてしまうのね。出来ないかも?って言う事は考えずにね。

しかもプレゼントとなると、期限もある。それも良い事は豆に時間を取るだろうし、逆に悪い事は、思い描く結果と、時間通りにならないと、ストレスや焦りを感じる事になり、なのにこれよりも小さくする事になる訳で・・・。

この結果は焦らず気ままの結果であり、しかもこの大きさでの結果なのね。つまりこの文字の大きさのままであるのなら、後は時間の問題だけれど、変えてしまっては未知数になるのね。だからひとまず描いて見る事で確認をする。

もし描くだけで、その大きさに入らなければ、タイルを切る方が難しいのだから、その時点で無理と言う事になる。だから変更したって事は、その時点で難しいと判断したって事なのね。まぁ安心安全のままでなら、時間が解決するはず。

そんなこんなで、ボンド落としが2時間掛かり、下絵の是正も出来たんで、次回の下地の話も出来たのね。そんなこんなで目地をして・・・完成。良いのが出来たのね。お疲れさまでした。今日から飾るって言ってたのね。

そんな後は、ラパンさんに額を頼まれたんで、ホームセンターに買い物だったり、表札の下地に文字を写したり・・・なんだかんだいつもの時間までアトリエって事になったのね。さて今年も後1日・・・。

 


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母の手伝い

2021-12-30 00:22:31 | 休み?

今日は何と無くゆっくり目に家を出て母と正月の準備。まぁこんな事は後何回出来るんだろうか?って事になると、完全に思い出作りだったりするのだから、出来るのなら・・・って事で、そうなると今日しか空いて無かったから。

当然、昨日の続きで車内の音楽はベルばら。そうね、全く判って貰えないとは思うんだけれど、恐らく俺と同じように気分を作って行くやり方って言うのは、演者みたいな人達なら、結構いると思うんだけれどね・・・。

例えば、最近GYAOで、のだめカンタービレを見たのね。まぁザックリ言えば、幼少からピアノの天才と言われた女の子が、特訓をきっかけに強制される事がトラウマになるが、それでも音大に進むと、憧れの先輩の背中を追い掛ける・・・。

まぁ、話の内容からすると、アニメの、ちはやふるにも似ているのだけれど、そもそも誰もが何かのきっかけで頑張って取り組むなんて事は多々あるのね。その時に幼少の頃って、ただその分野が好きってだけでは中々続かないもので・・・。

それは当たり前で、友達と遊びたいし、ゲームだってやりたいし、テレビだって・・・それが友達もやっていたりすると、一緒に行けるから、出来るから・・・って言うと、続けやすくもなる。勿論、そこも良い事と悪い事は背中合わせ。

一緒に出来る為には、その人と同等の実力が無いと・・・いられないのね。もし仮にその人が大した実力が無かった場合、お互い補欠なら一緒に居られる可能性はあるが、厄介なのは、その人に誘われたのに、補欠だから詰まんない・・と

先に辞められたりすると、一緒に辞めたくなる。まぁこれならまだ良いが、更に誘われた方が付いて行けずに辞めるならまだ救いがあるが、逆の場合。誘われた方がレギュラー的に上手くなった場合、関係がギクシャクしたりもする。

更にもっと上を目指す場合、誘った相手が上手いと、そこに一緒に居る為には、もっと努力を重ねないとならなくなる。でももしそれが大会を目指すとか、優勝とか、志が高かった場合、もっと他の何かを割いてでもやらないと、とても追い付けない。

更にさっきの話と同じでも、志の高かった場合は、内容はもっと大きく変わって来るのね。つまり楽しいだけでは居られなくなるものなのね。そもそも、のだめの場合、幼少期に天才扱いされている時点で、きちんと続ければちゃんと音大に

入れる所までは何とかなる。ただ音大って言うのは、一体この先どうする?となった時、プロの道へ進めば、オーケストラに所属なんて事を目指す事になると、野球やサッカーみたいなプロの組織に入団しないとならない。

ある意味、入るだけでも凄いのに、レギュラーは人数が限られているのだから、入っても出られるかどうか?なんて事になるし、その肩書でレッスンコーチって言う道もあったり、KingGnuさんのように、ポップスバンドとして活動なんて

言う事もあったりもする。これは設計士でも同じで、大手建設会社に入社しても、設計士になれるなんて言うのは、ごくわずかであって、大半は現場の監督だったりする。逆に設計事務所なんかに入ると、確かに図面は引く事は出来ても、

志として、自分の設計をさせて貰えるか?となると、恐らく中々そんな事は無かったりもする。ほぼ全部一緒の話なのね。どれもこれも目指すような人になると、普通の人とは違う生き方になり、もはやド変態な生き方になるのね。

それがヒカルの碁なんて言うアニメだと、棋院に入れるのは・・・って年齢制限があったりして、これも優しさの配慮みたいなもので、きりが無くなる時間を諦める事の出来なくならないように、足切りをしてくれるシステムだったりして、

いずれにせよ、志すなんて言うのは、相当な覚悟が必要なのね。そしてその究極なものが、生まれ育った環境での縛り。カエルの子はカエル。歌舞伎なら血筋。それを稀に一般でやれる人もいるらしいが、ほぼ血縁関係。

つまり生まれて男の場合、100%後を継ぐ事になる。勿論、農家でも漁師でも、タイル屋でもあるけどね。でも絶対では無いのね。でも歌舞伎なら生き方を選択出来ない。そしてベルばらでも、近衛兵の良家の家柄と、ただの歩兵では、住む世界は違うし、交わう事は、護衛のみ。生き方はそれしか無い。

草むらに名も知れず咲いている花ならば・・・ただ風を受けながらそよいでいればいいけれど・・・バラだと気品に満ちた生き方をしないとならない・・・まぁ普通に読み取れば、バラ側に立つと、バラ以外は自由で良いな・・・となる。

勿論、バラ側では無いと、踏まれる事もあるし、摘まれてしまうかも知れない。名も知らぬ花なんて、花屋さんのような取引をされないのだから、単なる雑草扱い。たたき上げの生き方はそんなに甘くも無い。ただあくまでバラ側の歌ね。

だからバラには自由は無く、しかも気高く生きないといけない定め。そして平凡な人生はかなえられない身・・・こんな事をしっかり叩き込まないと、しぐさ、所作みたいな事とは何たるか?を理解する事は出来ない。

しかもそこに身を置く事になったのだから、知らないままで携われば、単なる仕事になる。それを知らずに一緒に作るなんて、ナンセンス極まり無いし、今更、誰にもそんな事を教えて貰えない。

しかも子供達が6年間教わっただけの事・・・それを58歳の大人だから、そんなの判るなんて言うようでは、思い上がりなのね。相手はオスカルなのだから・・・何とか一緒に居る為には、バラでは無いアンドレ程度にはならないと・・・。

そもそも例えば、のだめに出て来る話だと、楽譜通りに音を外さずに引く・・・こんなもん音大なら誰でも出来るのね。それは当たり前の事になのね。つまり普通。それを、目に見えない事を察する事が出来ると、その音が変わって来る。

それは当たり前の事で、意識が変えれば行動が変わる・・・つまりその技術を身に付けて置いて、目に見えない事を取り込む・・・それは時代背景や、作曲家の思い、その風景、そんな事を感じ取る・・・ただ弾く、ただ音を出していては、

誰もが一緒で普通なのね。でも感情が伝わらないのね。これは五感の聴覚の話。それが役者なら、自分の演じる台本の文字だけを追う者と、同じようにその人になり切る為に、生き方自体を想像して・・・場合に寄っては近づく為に、歯を抜いたり、

太ったり、痩せたり・・・俺はこっち側なんだけれど、勿論これも逆も真なりで、そんなの関係無いってスタイルもあるだろうが、いずれにせよ、その人その人の演じ方があるのね。これは視覚の話。そしてそれを徹底的に叩き込むのね。

それがしぐさや所作のように身に付いたら、一旦忘れる・・・じゃ無いと、演じてしまうから。このやり方は、その人になるのだから、演じるやり方では無いのね。その人なのね。身に付けて演技をするのでは無く、身に付けてその人なのね。

だからそうする為に身に付いたら忘れるのね。じゃ無いとやらされている感じになっちゃうから。いずれにせよ、そう言う気分作り・・・仕えるって言う点では、母に仕えたんだろうね・・・。これも1つの体験になる。


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小学校の卒業記念壁画制作の打ち合わせ

2021-12-29 07:08:42 | 打ち合わせ

今日は以前卒業生の代表の方お二人と打ち合わせを経て、学校で担任の先生を踏まえての打ち合わせ。その前に母の眼科への送迎もあったが、10時からには十分間に合うと判断したんで、送迎してその足で向かうと、やはり1時間弱前に到着。

流石に早過ぎるので、近辺で時間を潰して、それでもここまで早く来ているのに余裕を出して遅刻は嫌なんで、そろそろ小学校前で・・・と移動して数分すると、先日の代表の方がいらして下さり、学校内に移動となったのね。

流石に都会の小学校なんで、思ったような校庭で、そこを眺めつつ校門へ・・・そうね、俺の子供の頃の小学校とはちょっと雰囲気は違って、校門からしばらく歩いて校舎へ・・・では無くて、数歩で校舎へ。

それで部屋に案内される間に、色んな掲示物があって・・・当然、あの頃のような雰囲気のまま、小学校ってこんなだったな・・・って部分と、格式とか伝統を感じさせる、俺は今まで見た事が無い光景もあったりして・・・。

そんなこんなで案内された部屋に入ると、3人の先生と先日の代表の方がいらして、俺を含めた6人での打ち合わせになった。そして事前に子供達にどんなの作って見たいか?みたいな軽いアンケートを頼んでいたので、そんな事から始まったのね。

ただ、頼んで置いていかがなものか?って話なんだけれど、そもそも先生がモザイクって何?って感じだと思うのね。つまりその状況での子供達への質問は流石に乱暴な話だな・・・とは思ったが、趣味趣向的な事の様子伺い的なもの。

ただ何も無いよりもね。そもそも例えば、こんな依頼の場合、この絵を作りたい・・・って下絵ありきだったりして、それを制作依頼なのか?それとも一緒に作るのか?逆にデザインをこちらが考えて、それをやはり制作なのか?一緒になのか?

みたいないずれにせよ世の中ってくくれば、これが普通・・・って言う事があって、それを基準に何か事を進めようとするのね。それが予定調和なのね。安心安全ってね。でもね、それだと不公平なのね・・・だって子供達には、やった事も

見た事も無いような分野の話を突然されて、何が良いかな?って・・・でも大人達はきちんと説明を受けて話し合い。何か不公平でしょ?だから、みんなでちょっとずつ困るべきと思うのね。そもそも考えるって言う構想は楽じゃ無いのね。

何も無い事から生み出すって、例えば漫才のコンビがいて、片一方はネタを考えて、その時間に相方は酒吞んでいたりして遊んでいたら、ネタの通りの練習は一緒でも、一切考えていなかった事になる。でしょ?不公平じゃない?

勿論二人が納得していれば、別に関係無いけれど、今回のようなみんなで一緒に・・・なんて場合、趣旨の中に一緒にがある。となると、イーブンって訳には行かないけれど、ちょこっとずつ大変な事を背負って貰わないとね。

じゃ無いと、当日の数時間の制作では、楽しかっただけの薄い体験になる。その安い経験でその記憶を思い出に変える事が出来るだろうか?つまりあんこを甘くしたいのなら、少量の塩は必要なのね。ただ良い塩梅にするには、入れ過ぎず、

入れ無さ過ぎず・・・この分量が難しいのね。では一体何をモザイク以外でやって貰うか?そもそも簡単な話で、やった事が無い事をやって・・・って言うのが乱暴なら、モザイクは乱暴な事になる。ただね、それを出来るようにするのが、先生katsuの役目なら、モザイクに関しての話じゃ無いのね。

むしろそっちは簡単とは言わないが、目に見える話なんてのは、所詮反復練習のたまものなのね。大事なのは目に見えない事・・・では一旦、話をそらして、例えば犯人を見た目撃者は、記憶を辿ってその情報をモンタージュを描く警察の人に伝えないとならないのね。

では他には、お医者さんは患者さんに問診として、どうなさいました?熱は?喉は?と考えられる質問をして情報を提示して貰う訳ね。ほら一緒じゃ無いかな?つまりゴールにたどり着く為には、知らない情報提示は必須なのね。

当然俺にも提示して欲しいのね。俺の知らない学校、生徒達、たった3時間で俺以外の人達が経験したこの学校での思い出を・・・俺もこの学校の一員とまでは言わなくても、エキスだけは注入しないと・・・。

そうね、まっ普通は仕事をするんだろうね・・・でもね、仕事でやって思い出作りの手伝い?何か事務的になるんじゃ無いのかな?例えば、素晴らしい役者の演技は、演技を通り超えて、その役の人が実際存在するように思えるから、見ている

人が感情移入をして、感情を揺さぶられるものでしょ?つまり本物って言うのは、仕事を超越するようなものなのね。だとしたら、仕事で請け負ったら、子供になれる?親になれる?先生になれる?OG、OBになれる?・・・。

そんな大事な人達と一緒の気持ちになんてなれるはずが無いのね。でもそしたらただの仕事なのね。それなら俺じゃ無い人の方が仕事でやってくれるはずなのね。でも逆に俺にしか出来ない事って言うやり方があるって事なのね・・・。

この後、色んな行事の出来事だったり、子供達の様子、コロナ、何でも良いから思い付く、俺の知らない話をして頂いたのね。そしてそれぞれの教室も見せて貰ったのね。そこにあった1枚の張り紙が、最後の最後に響いた・・・。

しぐさ・・・とあった。俺の行ってた小学校も100年は優に超えている。歴史と言うならそこそこ同じだったりする。しかしながら、この先何百年続こうが、しぐさなんて言葉が張られることは無い。これは伺う前から意識していた事への、

事実確認であって、格式、伝統・・・いわゆるただ演者として上手いって技術だけでは無く、しぐさ・・・それは所作の事であり、だよな・・・の気持ちを上乗せする事になった。

俺は俺なりに気持ちを作ろうと、昨日から気分を高める為に、ベルサイユのばらのCDを聴いているのね。オスカルとアンドレってあれね。別に信長と秀吉でも良いし、仕えるって言う事の比喩であり、俺はその立場で何が出来るか?

それを当日まで持って、当日にはオスカルであり、信長のように逆の立場で仕切る・・・これが俺のプラン。それまでは、アンドレであり、秀吉であり、それらの生き方として、いかに仕えるか?俺はkatsuとしての仕え方があるのね。


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ローラとさくらの相席教室

2021-12-28 02:00:38 | モザイクタイル教室

今日は午後からローラにさくらの相席教室。って事でまずは、ローラから・・・目地をしてとうとう完成したのね。1年近く掛かったって言ってたかな?・・その辺は特に引っ掛からないんだけれど、要するにこんなに掛かるとは思わなかった。って

言う感じなんだろうね。だから道中何度も挫け掛けた・・・でも何度と無く、立て直してこうして最後まで・・・そして完成。これで前回のバラの作品に引き続きの2作目の大作。もうこの位の大きさはまぐれでは無く、2作作った事で必然となった。

この大きさなら結果は出る・・・と。では一体どんな結果が出たか?と言うと、大きさは40cm程度であって、尚且つ完全なオリジナルでは無いけれど、そっくりそのままを真似たのでは無く、バックもメインの柄もデザインありきの組み合わせの妙。

そしてそれによって得た事が、色んな形の練習をした・・・まぁ例えば、蕎麦、うどん、きしめんみたいな切り分けが出来るようになったのね。しかし切る事が上手くなったけれど、色合いは単色であって、グラデーションなんて事は無かったりする。

これは料理で言う、煮方、焼き方みたいな事だったり、守備と攻撃とか、規定演技と自由演技みたいに、こっちが上手けりゃこっちも・・・みたいな事にはならない、別の技術的なものなのね。つまり切る事は上手くなったから、次は味付け。

それがモザイクとしては、じゃ今度は色合いに・・・次の作品では、そんな事を意識する作品が良いんじゃ無いかな?そんなこんなで、とにかくこうして完成したのが何よりだったのね。お疲れ様でした。その後の時間にお楽しみモザイク。

そうね、本来ならお楽しみだけのモザイクだったのに、本気な指導をする事になったのね・・・それは何故か?まずさっきの説明の中に出て来た、今回の大作で得られた事・・・それは切り方が上手くなった。つまりこのお腹のパーツは、何も

問題は無いのね。問題は色なのね。例えば、これが絵画だとする。そしたらお好きな色を混ぜて作れば良いのね。だけど、その色を混ぜて作るのがテクニックだったりするのね。ではモザイクでは?そもそもモザイクって、人の作った色の

組み合わせなのね。だから常に今後も必ずその思い描く色があるとは限らないのね。そうね、感じとしては今、料理をするに当たって、自宅にあるものだけで料理をする・・・そんな感じなのね。後先考えずにやってしまうと、あれ無い・・・って事になるのね。

ちなみに俺のサンプルは水色のお腹に濃い目の青の2色で体をやってあったのね。それを見てきっとピンクベースに変化させようとしたんだろうね。考え方は間違ってはいないのね。でも果たしてそんな気に入ったピンク色が常にあるだろうか?

そもそも混ぜられないスタイルなのに、どんな色も均等に種類があるか?となると、実はそうじゃ無いのがモザイクなのね。そもそも悪意を持って言うならば、モザイクって窮屈なドMな分野だと思うのね。何しろ不自由を楽しむ分野だと思うのね。

例えば絵画は、やはり悪意を持った表現をするのなら、お好きに自由にどうぞ・・・好きな色が作れるのなら・・・つまり色が作れるって事は、上手い人は自由に色を作れば良いが、へたっぴは作れない。いくら自由な権利があっても、

作れなきゃ地獄。でも逆にモザイクは色が混ぜられない。嫌、混ぜなくて良いのね。ほら考え方1つで、ニュアンスが変わって来るのね。つまり好きに混ぜて作れる側なら、混ぜられないストレスになるし、へたっぴ側なら、混ぜなくて済むから安心。

しかし、そのテクニックは無くなったけれど、今度はその分、きちんと選択する目が必要になるのね。それがモザイクって言う分野のテクニックになるのね。つまり作らなくて良いけれど、選ばないといけないのね。でも作らなきゃならない事と比較

するなら、選ぶだけだから、へっぽこでもチャンスがある・・・それがモザイク。これがモザイクって分野に取り組む前の考え方なのね。ここを理解出来ないと、この先にいくらでも挫折する場面が出て来るのね・・・。さてそれを踏まえて

ピンクの選択からスタート。サンプルを変化させた・・・つまり俺のサンプルの水色の3色に匹敵するピンクの3色があれば、何も起こらないで完成となるが、こうして1つ先を考えずに、色はあるって前提で見切り発車すると、痛い事になる。

ではその検証。まず何故このピンクから始めたか?この色が淡く可愛くて、いっぱい使いたかったから。それが理由なのね。つまり1位指名って事になるのね。問題はここなのね。ではこのピンクってどんな感じだから可愛かったかな?

淡い感じで・・・こんな理由からなのね。つまり淡いから可愛く見えた・・・しかも、その淡いから可愛いピンクのタイルを沢山使いたかったから・・・この文章からこれから起こり得る事を読み取れる事がモザイクの全てになるのね。

では何が起こるか?つまり淡いピンクを沢山使って、それが目立つようにしなきゃ行けないのね・・・それがローラが自分で作ったルールになる。ただね、本人はそんなルールを作っている気はさらさら無いんだけれどね・・・。それが自覚。

つまり好きって感覚のスタートを切った事になる。でも最初に体は濃く、お腹がそれよりも薄いタイルになれば、大きくサンプルから離れる事は無いですよ・・・のアドバイスはしてあるので、大好きな淡いピンクをお腹に張ったんだから、

じゃそれより濃いタイルを選んで・・・って合わせようとしたら、濃いのを探してこれかな?って見つけたシーンがこの画像なのね・・・ただ、後1色欲しいんだけれど・・・恐らく受け入れられないだろうね・・・って話になるのね。

そもそもの問題は、ピンクのペンギンを作っているのであって、国盗りゲーム感覚では無いのね。ただそうも考えていないんだけれど、無意識にそうしているような感じなのね。つまり大好きな淡いピンクを佐賀や栃木には使えない。

何しろちょっとしか使えなくなるからね。だから北海道、長野、岐阜、宮崎、熊本・・・みたいな大きな場所で使いたい。何しろ目立つように大きく・・・って感覚になるのね。じゃその大きな県の何処でも良いか?となると、そうとは限らないのね。

大きくニュアンスが変わって来るのね。例えば北海道に使えば、頭の方が淡くなるのと、逆に宮崎や熊本が淡くなると、おしりの方が淡くなる・・・みたいな違いが生まれたりするのね。しかも分量的にも変わって見えるしね。

こうして国盗りゲーム感覚でもこんな違いが発生するのに、実はそう言う考え方では無いのね。つまり淡いピンクファーストにしないとならないルールなのね・・・じゃ例えば3色のピンクのキャスティングなんだけれど、淡いピンクがエースな話・・・。

しかし、ローラの選んだエースは一番淡くならないといけないのね。でも今、手に持っているタイル・・・果たしてそのルールに乗っ取ると合っているか?となると、似たような感じでパンチが無い感じで、しかも余り代り映えが無い・・・

でも確かにエースが薄く見える・・・だからひとまずはルール通りではあるのだけれど・・・そう、けれどなのね。つまり余り差を感じない・・・って事は、次のピンクは濃い目になるはずなんだけれど・・・ここなのね。

実はこれがモザイクの選択の難しさなのね。要するにぺきぺきには施釉って和風な色合いのお茶碗の色みたいなものと、上絵って言うポップな色合いの洋風な色合いの2通りがあるのね。ちなみにローラの選んだ淡いピンクは上絵。

つまりポップなタイルを選んだ事になるのね。しかしながら、ポップな中の淡いピンク・・・でもルールはそこが一番薄く・・・なんで、ひとまず合っているんだけれど、それよりも濃い2種類となった時に、施釉って和風の2色を選ぼうとしても、

実はそこには濃いピンクは無いのね。つまり濃いピンクが無く、次の濃い色合いは、赤とエンジになってしまうのね・・・そしたらローラの好みになるか?と言うと、淡いから素敵に見えたピンクなのに、邪魔する2色になるのね。

しかも赤・・・色の中で最強な色。もはや何処にもエースには見えなくなる。では施釉に無いからって、上絵なのか?と言うと、上絵はポップである・・・なのに、仮にあったとしても、赤ほど激しくは無い色だったとしても、分量的にも、

もはや淡いピンクがエースにはならなくなる。ただ好みにはなるんだろうけれど・・・そう、またけれど。つまり偶然に好みになっただけで、自分の掲げた淡いピンクがエースには出来なかった事になるのね。これが釣れちゃったとか、出来ちゃった・・・ってだけの表現になるのね。

つまり上手くなるって言うのは、偶然の表現の釣れちゃった、出来ちゃった・・・では無くて、必然の予定通りに釣った、出来たって言うのを狙い通りになるようにする事なのね。もっと簡単に言うと、全てが自分の決めた通りに、事を

運んで行かないと、全てが偶然になっても当たり前なのね。では簡単に言うと、一番好きな色を最初に選んだと言う事は、次は二番、次は三番となり、つまり格下で無ければならない、二番と三番に、エースで無ければならないものが、

いとも簡単に二番と三番の色に占領されるのだから、気に入るはずが無いのね。つまり淡いタイルをエースに選んだ時点で、実はそれをお腹に選んだ事が、難しくした原因なのね。例えば色合いが薄かったとしても、エースなのね。

では何処に使うべきか?となると、薄いからお腹・・・では無くて、薄くてもエース・・・つまり薄くても濃い側の頭に入れる考え方で始まらないと、どんな色合いを選ぼうと、これから出て来る二番、三番は濃い色合いなのだから、何をしても、

薄いタイルはメインにはならなくなる。最初からね。つまり薄かろうと濃い扱いをして、今、手に持っているピンクを類似と見なして、頭に使う事で淡いタイルが頭になった。そしてお腹にその頭の雰囲気よりも薄い色を探す・・・。

これならローラが掲げた薄味になり、淡いピンクがエースに見えるかも知れない可能性があると思うのね。こんな事がモザイクの切り方が上手くなった人の次なるテクニック・・・これが味付けの仕組みなのね。まぁ窮屈な話なのね。

これが好きなものだけ集めて作りました・・・では、それ以上は上手くならないのね。それは楽しく作れただけで、いつも偶然なのね。つまり色を常に好みで見つけて、しっかり切る・・・ってやり方で、色があった場合は気に入った色を

きちんと切る。しかしもし気に入った色が見つからなかった場合、じゃこれで・・・と選んで、きちんと切る。常にきちんと切る腕は身に付いて来ているのだから、この先もきちんとには磨きが掛かる。なのに選択だけの事なのに、色に関しては、常に流動的になってしまうのね、

それは常に好きなものを集めて作る・・・絵画チックになるからなのね。それをいかにエースに選んだタイルをいかに引き立たたせる為に、二番目以降に選んだタイルが、エースの邪魔をしないように、正しい選択が出来るか?なのね。

そこがテクニックであって、好きな色集め・・・では、切る技術が上手くなればなる程、見劣りして行くのね。いずれにせよ、まさかこんなに早くその指導が始まるとは思わなかったんだけど・・・。ではさくら。

下絵の細かい線に惑わされて、何処に何を張ったら良いか?四苦八苦していたけれど、それなら濃い部分を徹底的に張って行くんだな・・・なのね。あれこれ手を出すと難しく感じるから。だから使い切って濃い色から順番に使わなくて済むようにしてしまえば、悩み事が1つ無くなって行くのね。

そんなこんなで帰ってから組み立てた・・・って画像が来たのね。

お見事です。お疲れさまでした。


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ウォンバットのリピーターさん教室

2021-12-27 01:59:23 | モザイクタイル教室

今日は午後からウォンバットのリピーターさん教室。とその前に、ちょっと下見ってのがあって、訳あって、表札を作る事になったのね。場所が実家の近くなんで、チラシ効果かな?そんなこんなのお教室。そうね、今日は何しろ是正の日かな。

まぁ簡単に言うのなら、攻めるか?守るか?みたいな方針・・・そんな事があるとする。じゃこの作品が初めての大作で、何処から始めた?ウォンバットからなのね。ただ文字は後付けだから、当たり前のごとくウォンバットから始まったのね。

これを攻めるって言うかな?つまり無意識の中でのスタートだから、普通としよう。じゃ文字は?これもまたやりたいと思った書体にして無意識で良かれと始めた。じゃこれも普通。それならバックも後は今までと同じに普通に出来たとしたら?

それでおしまい・・・って全部普通で終われるでしょ?ただね、ここへ来て中々思うように進んでいないように見えるでしょ?それは一体どうして何だろうか?・・・では目に見える事の判りやすい説明は、ウォンバットにしても文字にしても、

どちらも邪魔になるものは無くて、好きにやりたいがまま進めたのね。所が白いバックはウォンバットを作りたい、文字を入れたいと来て、バックを白に、って色は決めたけれど、白にしたいってウォンバットや文字のような気持ちになれるか?

って言うと、コース料理のように、前菜から始まって、coffeeに至るまで、気が抜けないように食べられるか?って言うのと、ファミリーレストランで同じ事を出来るか?って言うような話なのね。恐らく普通は無理だと思うのね。

勿論、私は平気です・・・って言える人もいるんだろうが、その人に俺は教える術は無いんで、スルーするとして、もし一緒では無いな・・・自信は無いな・・・って人は、常に全て一緒のスタンスではあるとしても、全く同じなんて無理

なんだ・・・と思えるのなら、だからこそ、後はバック・・・なんて言葉があったりするのね。どうしてもメインディッシュとサラダを同等なんてね。だから後はバック・・・これはつまり下に見ている意識があると言う事なのね。

その意識を芽生えさせてしまったのも自分であって、最初は戸惑いながらウォンバットをやると、結果が出た。その自信を持ってして文字。これも満足した。しかもタイルが変わったとは言え、今までよりも薄い1cmタイル。手慣れた事も加わっている。

その2つの結果を踏まえて、どんな満足感か?となると、それが大きければ大きいほど、後はバックな気分になる側の人もいるし、逆に後はバックだけど、このままの状況で何とか終わりたい・・・みたいな謙虚な姿勢な人もいる。

ただ気持ちって本当はもっと複雑なものなのね。まぁどれもこれもストレス的な仕組みと同じだから、どんな組み合わせによって・・なんだけれどね。では話を戻して、ウォンバットも文字も普通な気持ちで無意識にやって結果も出た。

しかも最初に厚みのあるリップルでウォンバット、その後にそれより薄いタイルの1cmタイルで文字、そしてまた手慣れたリップルに戻って白のリップル。どう見ても楽に終われる伏線を張っている感じがある。だから引っ掛かる可能性がある。

ただ実はこれが厄介な原因の1つで、手慣れたのは何?って言うとタイルを狙って切る事なのね。しかも目的意識を持って、毛並みの形に切るだとか、丸く切るとか、この形に・・・が得意になったのね。しかもピッタリね。

イメージ的には100点を狙いに行っている、95点ならまっ良いか・・・90点かぁ・・・80点後半ならまだしも、82点なんて・・・って感じだとして、仮にね、そんなピッタリきっちりに無意識にやっているとして、それを第三者が見た時、

えっ・・・こんなにキッチリ意識無しって。って思うとしたら?他人さんの目とのズレは半端無いのね。それを意識的にやりました・・・って自覚の元だとしたら、そうするつもりでやった結果なのだから、人とのギャップは当たり前な事になる。

では意識的にキッチリやったとする。なら必然にキッチリやった・・・ウォンバットと文字をね。そしたらキッチリバックも・・・となりたくなるが、そのまま張るリップルって言うのは、本当はレロレロってラインが売りのタイル。

つまり目地幅が大きく取れてしまうのね。つまりキッチリピッタリ否定のタイルなのね。例えば飾り包丁の名人にざく切りに・・・と頼んだ感じで、腕前否定になる。でも無意識にどうしてもそれでもキッチリピッタリ張りたくなる。

その意識が邪魔をすると、例えば目地幅の話として、ウォンバットと比べると、バックの目地幅は60点が満点ね・・・みたいな感覚とすると、40点もマイナス?みたいな感覚を生むし、そこが決まらないと、油断すれば40点も平気じゃんになるし、

逆に意識が高ければ72点でも、これだけへっぽこなら大丈夫だろう・・・にも思える。そうね、さっきは82点で許せなかった人からすればね・・・しかも複雑なのは、これらは意識があっての事なのね。そう思っての事だから。

でも厄介なのは、どちらも無意識だった場合。そんな気は無かった・・・これは実は脳はそう思っているのに、自分は無意識で脳と意見が違う・・・自分が脳に気が付けない・・・こんな場合なのね。まぁちょくちょく起こる事なんだけど。

この無意識って言うのが前提で、何か気が付いちゃったのね・・・危険回避的にね。まぁこれは感なんて習性って感覚なんだけれど、恐らく難しいかも・・・と感じた側から説明すると、だから切らない部分を先行し、切る部分を全部残した。

意味は簡単で難しいと感じたから、後回しにした・・・無意識に。逆にもし意識的なら、全体の雰囲気を掴む為に切らないタイルを先行して、全体の目地幅確認。つまり目地幅だけの事を考えたら、まさか最後に切る事だけの大変さが残った

・・・意識は目地幅だけに持って行かれたから、後始末みたいになり、後の祭りみたいになった。この場合、意識を持っていただけに、まさかの展開に驚く事になるし、前者の場合は驚きもあるが、じゃどうしよう・・・みたいな感じ。

じゃどっちのダメージが大きい?みたいな話ね。勿論人それぞれだけど、どっちが自分に合っているか?だけなのね。いかにストレスの軽減出来るか?が乗り切る鍵になるものでね・・・そして最後にプレッシャーって話になるのね。

そもそもへっぽこならノープレッシャー。それはただ終われば良いだけだから。でももし自分なりに良い出来栄えと思えば、失敗したくない気持ちも芽生えるし、それが自分だけの問題なら自己満足に繋げる為になる。ただね、人の評価も

あった場合、もはや自己満足では無くなっているのね。他人の評価もあるのなら、もう自己満足を超えている作品であると言う事なのね。それでノープレッシャーなんてある訳無いのね。例えば1人で鼻歌を歌っている時も、アリーナで歌っても、一緒じゃん・・・

こんな事言えるのは、余程の技術と器のある人であって、一体何処までなら平気でいられる?それが友達レベルで上がっちゃうなんて人は、人に見られる緊張感って恐らく半端無くプレッシャーが掛かると思うのね。

これを意識的にプレッシャー掛かります・・・って言えるのなら、前進する意思も感じられるが、意識せずにってだけでは無理なのね。その領域は上手くなってからじゃ無いと・・・。その場合は意識せずにじゃ無くて、意識しないように意識しちゃっているんだから・・・。

そうね、こんな事を踏まえると、ここまでの自分の作品をどう自覚しているか?なんだろうね。そこで今日は、最初はここから始めます・・・こんな感じ、次はこう・・・って数枚見せながら進めたのね。すると、是正のコツを掴んだようで。

すぐにここ剥がしたい・・・ここも・・・になり、まぁそうなるだろう・・・って事が起きると、ウォンバットまでのバックが終わったのね。恐らく次回張り終わるだろうから、新作の話でもしましょうか?何か手掛かりになる資料を持って

来て下さい・・・って事で終わったんだけど、これだけの作品が体験を経ての1作目・・・そりゃこんな事が起こって当然なのね。そもそも今バックに入ろうとしている感じの人が多くて、きっと年末の振り返りのような気分になっているのね。

ただ同じ今日であり、明日であり、昨日だったりするのに・・・でもね、大晦日や元旦、誕生日・・・普通の日と違ったりしちゃうのね・・・気分ってそんなもん。しかもここまでこだわった自分・・・そりゃ楽だの簡単、後はバックなんて

終わらせ方がある訳無いのね。300円のガチャガチャなら、たまになら何回かやらせてあげるよ・・・でもさ、たまにだから、30万の旅行、300万の車、3000万の家・・・たまにだからって金額が変わると感覚も変わるでしょ?

金額が上がると気が抜けない話になる。つまり気が抜きたいのなら、300円のガチャなモザイクを作れば良いのね。だから、気の抜けないモザイクをやっている人達は、ここが正念場なのね。その1抜け的なのがウォンバットのリピーターさんなのね。

 

 

 


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kameyaさん教室

2021-12-26 07:55:29 | 出張教室

今日は今年最後のkameyaさんの出張教室。棟梁も元気になったみたいで・・・とは言え2人。何しろ2人なんで、お茶飲みから始まると、ラパンさんが孫にステンドの時計を作ったんだけど、壁に穴を開けられない事から、置ける時計を作り直さないと・・・って画像を見せて貰ったり、棟梁の完治してモザイクを始めた話を聞いたのね。まずはその棟梁から。

中心部の文字と

このシンプルな娘さんに頼まれた鍋敷きと、

 

親戚のプレゼント用って表札が出来ていて、その目地。まぁこの手の小物作品に口出す事は無いんだけれど、こんな事があった・・・って話だと、ヤモリの手についての話なんだけれど、この模様を最初より丸みを帯びた形に切ったんだって。

そしたら気持ち悪くなったから、割と直線気味に切り直しをしたって言うのね。まぁ簡単な話なんだけれど、棟梁は説明し始めると気が付いたんだけれど、まず自分がやじろべえになった気分で片足で立つとする。

その時に両極端なものを左右に持つイメージ。この場合、リアルにヤモリって言う考え方と、可愛いヤモリって感じにね。その時に簡単なのは、どっちかに片寄れば良いのね。そしたら簡単に事は決まるものなのね。

じゃリアルに・・・って言えば、こんな花の模様なんていらないでしょ?もっと気味悪く、もっと自然と同化するような色を選んで・・・になるし、逆に可愛く・・・となれば、お花だって良いし、パンダもピンクで良いって感じになる。

ほら判りやすい。でも棟梁はどちらにも偏らずに作りたかったんだろうね。でもね、そんなの無理なのね。何故なら簡単に言えば、オリジナルの創作って言うのは、まず明確な文字にする事が大事なのね。例えば、何か美味しいもの作って。

こんな頼まれ方で、いくらベテラン主婦だって作れんの?って話。つまり例えば中華とか、でも中華の何よ?って、掘り下げて、じゃ回鍋肉って言えば、じゃご飯炊かなきゃ・・・になるし、ご飯ならチャーハンか?とか、膨らませられる。

それが麺と言うのなら、ご飯は要らないし、なら餃子も行っちゃうか?みたいにも膨らませられるのね。つまりオリジナルって言うのは、連想ゲームみたいなものだから、お任せ的になると、考える事を諦める事になり、進まなくなるのね。

じゃそれを踏まえたこのヤモリの表札の場合、ヤモリの表札には見えるのね。つまり最低限は守られているのね。それを可愛いヤモリの表札・・・って言うのなら、リアルに作っては、可愛い色合いにはならないのね。勿論例外として、愛好家で

あったりすれば、リアルこそが可愛いとなるが、愛好家では無さそうなので、暗めな色では無く、明るくポップにしたいと言う事になる。つまりバラードでは無く、ちょっと早足で歩ける、しかも時よりスキップや回転もするミュージカルとか、

ほら何か浮かんで来たでしょ?それを蜷川美花さん的にしたらやり過ぎなのか?とか、中華街的な華やかさなら、金入れとくか・・・みたいに、具体的にイメージされる側に引っ張られて行くものなのね。その時に、指先をいきなり本物チックに、

色だけポップにして切ったんだろうね・・・そしたら棟梁やじろべえは、ぐらッと傾いた。だから切り直した。何故?どうして?・・・この掘り下げをしないで、何と無く変だったから・・・こんな文章で直していたら?単なる偶然なのね。

上手く行ったとしてもね。何故?を掘り下げるのね。つまりこのまま花模様で終わらせて置けば、可愛いヤモリの表札って言う事で、やじろべえは右に大きく傾いて倒れた事になるのね。言い方を変えれば、可愛いだけのヤモリの表札になるから。

それを五感でそれは嫌だ・・・と思ったんだろうね。だから何かそれを変える味付けをしようとしたのね。リアルを隠し味的に入れようとしたのね。甘みの中に塩みたいな感覚でね。そしたら入れ過ぎちゃって、うぇぇしょっぱいになった。

それが丸みのある指先の模様。でもそれが例え色をポップにしても、気味悪さやリアルが勝っちゃったんだろうね。棟梁やじろべえはね。別にやじろべえじゃ無くても、棟梁陪審員でも良いし、テニスの審判でも良いのね。ジャッジって比喩だから。

その時に必ず公平とも限らないのね。ほらサッカーだって、野球だって、何かあっちよりなんじゃ無いの?ってジャッジはあるじゃ無い?ただなるべく公平的位でもね。でも棟梁ジャッジ的には、この指先はOKが出たのね。

でもきっとこれを見ている人達が判断したしたとしたら?そして却下になった指先と比較したら・・・きっと何が違うの?って位、区別が出来ないと思うのね。でもそれがさじ加減なのね。こだわる人だけの話・・・。

で、恐らく棟梁的には、それを直線に近づけた事で、リアル感が薄れた・・・と判断をしたって言う折り合いを付けたと思うのね。そして出来上がった仕上がりは、ただの可愛いヤモリじゃ無くて、スパイシーソースとか、何とか添え的な

エキスを入れた感じの仕上がりになったのね。更に言えば、何しろ棟梁は感性の人だから、こうします・・・ってスタートじゃ無くて、まずやりたいと思う事から始めるのね。だから今回は可愛いスタートを切ったのね。

そしたらこのままだと可愛いだけになるし、指先の細かい部分じゃ可愛い花は分断されちゃうし・・・それならリアルにして見ようか・・・でも、リアル過ぎは嫌だから、ひとまず色はリアルから離れて・・・しかも花の色を邪魔しないような・・・

みたいに考えたはずなのね。ただね、可愛い寄りスタートを切ったのだから、本人が苦手なんだろうね・・・ヤモリ。でも、残念な事にその作り手の棟梁が上手い人なのね。そうなると色んな形に切れる人って事になるのね。

つまり上手いが故にバリエーションがあるのね・・・これが余り上手く無い側なら、ここまで花が上手く行ってたら、あえて冒険のような初めてのキャラなんて出現させないでしょ?安心安全にこのままで終わって行くはずなのね。

所が作り手ってエゴイストなのね。いつしか良いのが作りたい・・・って事になると、フィーリングで、好みでリアルを外したはずなのに、もっと良くするには・・・ちょっとリアルにして見ようかな?・・って遊び心を出しちゃったりする。

かと思うと、寅って文字を良く見ると、輪郭がギザギザしたパーツなのね。あぁ何か理由あるな・・・さては毛並みとか何かそんな事を考えたな・・・と思うと、気が付いてくれましたぁ・・・って笑ってたのね。あぁ達者な人は厄介なのね。

こうやって、色々仕込むからぁ・・・でもね、こうして色々考えるって言うのがオリジナルの基本なのね。この繰り返しをしていると、必ず対策に役立つのね。想像力、洞察力、観察力って目に見えない力を鍛えるには、良い練習になる。

次はラパンさん。それが俺のミスでバックのタイルを用意するのを忘れたのね。ただ葉っぱを増やしているから大丈夫との事。それなら大丈夫って言うのなら、前向きに折角忘れて来たのだから・・・って考える事にしたのね。

しかも、持って来て欲しかったタイルが、リップルってタイルで、厚みがあるから現状より出っ張ってしまうって事だから、どちらにしても却下だろうし・・・それなら折角の却下となる。つまり最初から・・・となる訳で。

さてそれではどんな着地の仕方があるのだろうか?となった時、目の前の棟梁の大作が目に入ったのね。あぁこれかぁ・・・と思う節があったので、こんな質問をしたのね。ねぇラパンさん、この大作どう見える?って。

すると、凄いです・・・って言うから、どう凄いの?って掘り下げらせると、モザイクと木彫の額どちらも棟梁の得意なものが入っていて・・・そうね、そう見えるのね。ちなみに俺もそう見える。じゃこれで2票入った、その意見に。

では一旦置いといて、違う切り口で、俺はモザイクしかやっていないし、でも先生だから、モザイクは一番上手い人って事で良い?って言うと、はい・・・って2人が言うので、じゃ二人はモザイクも木彫もやっているから、俺だけ木彫0点ね。

えっ・・・何か始まる予感だけはしたんだろうね・・・流石に数年教えただけはある。何か察したのはね。じゃそんな木彫0点の俺にも、凄いな・・・って思う木彫は、経験者のラパンさんには、どんな風に見えるの?って聞くと、そりゃ凄い

ですよ・・・って。それ文字一緒じゃん。えっ?ん・・でも凄いです。みたいな表現に留まったのね。さて困って貰ったから、今度は棟梁・・・そうだってさ。凄いんだって、モザイクも木彫も自分の得意なものが2つ揃っていて・・・。

気が付いた?何か・・・じゃ仕方無いな。じゃヒントね。朝一番に何か見せて貰わなかったっけ?えっ?・・・あっステンド。見たよね。モザイクよりもステンド歴長いよね?つまりバックをステンドにすれば、2つ揃うんでしょ?あっ・・・

2人とも気が付いたみたいで・・・。ただラパンさんは戸惑っていたけれど、今度は俺も棟梁もステンド0点。なのに、仕上がりが浮かんでいるのね・・・なのに当人は戸惑っている。何故?簡単な話で、想像出来ているからなのね。

ただ腕が無い0点なだけ。でも想像は出来ている・・・恐らくあぁなると。しかもラパンさんはモザイクよりも経験値があるのに、戸惑っているのは何故?・・・簡単な話で、その想像力が俺達よりも低いから。折角腕があるのに。

つまりまとめると、いくらその分野の腕を付けても、オリジナル的に考える事に出くわした時に、想像力、洞察力、観察力が乏しいと、図面やレシピ、そして楽譜と言ったものが無いと出来ない事になってしまうのね。だから必要なのね。

考えるって事が・・・。つまり今朝までタイルなら、タイルの先生だから、何か見繕って、私のバックのタイル持って来て・・・みたいな丸投げチックだったものが、今度はステンドになった瞬間、どうして良いか?考えないとならず、しかも

一番詳しいのは私・・・でも0点の2人は出来栄えを想像して、良い結果になると言う・・・どうして?って思うんだろうね。ただ、これで自分で考える事になるだろうし、もしお任せだった気持ちが、自分で考えないと・・・になった瞬間、

もしまっこれで良いか・・・的に楽にやれば、次回は後はバック・・・的にやって来るだろうし、逆に知っているだけにこだわったら?・・・さっきのヤモリの話になって行くだろうね。ただ張る前にLINEしてねとは言ったけどね。

いずれにせよ、ここまでの作品に、後はバック・・・みたいな気持ちの終わらせ方なんて無いのね。そもそもただ何と無く絵は描けないし、ただ何と無くその時に好きだった絵の模写だっただけなのに、まさかこんなに掛かるとは・・・。

きっとそれが本音だろうけど、実はその何と無くここまで来た事で、色んな切り方の勉強をしていたのね。しかもただの練習なら素直に真似だけをすれば良いのに、色々付け加えたりしたのね。もっと・・・ってね。でもそれがプチオリジナル。

真似のままなら考える必要は無かったのに、変化をさせたから、バランスが変わった・・・ならその変えたバランスを見て、また考えれば良いだけ。けれど向き合い疲れしてしまった。だからもう終わらせたい。ならなるべく切らずに大きな

タイルで・・・と考えてリップルだったんだろうけど、リップルは厚いって事は、硬いって事でもある。しかも、色んな部分が残っているこのバックだと、ただ張る部分よりも、細かく切らないとならない事の方が多くなるのね。

恐らく自分で選んで、厳しい状況になっていただろうね。それはタイルを知らなかったから。でも良い事と悪い事は背中合わせなのね。知らなかったから後から痛い思いをする。じゃ知っていたとしたら?ステンドは俺達よりも経験者。

知って選ぶと痛い思いはしなくて済むのかな?違うのね。ただ知っている分、自分に有利な展開になるのね。知らない事が少ない分ね。と言う事は、楽を選ぶ事もモザイクよりも簡単なはずなのね。より知っているのだから。

だから楽をする気なら、簡単に終われるはず。でももし簡単に終わらなかったら?しかも人任せにせずにね。そっちを選べば、人任せから自分で考えるに変わった事になり、しかも知った上で、楽を選ばなかった事になる。

もう見なくても結果は見えたはず。後は腕が助けてくれる。これを指導と取るか、世間話と取るかは聞いた相手が決める事なのね。ただ俺は本気で話したけれど・・・。そんな中、りょうさんが年末の挨拶だけに来てくれたのね。

病み上がりって聞いていたから、わざわざ・・・でも思ったよりも元気そうで良かったんだけど。でも見た目でギブスが痛々しいんだけど・・・それでも、歩いて来た・・・って。リハビリですって。本当に有難うございますなのね。

そんなこんなで今年のご挨拶も出来て良かったのね。


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こう言う日はあるんだよね・・・

2021-12-25 07:23:07 | モザイク作家

今日は午前に2時間ちょっと野暮用があって、アトリエに帰る頃には、ちょっと早めの昼って感じで、さてこの後、どうする?・・・来週火曜日に打ち合わせが入っていて、明日から月曜までお教室がある。そんな事もあって、大きな事はしたく無いし、

かと言って何もしないみたいな時間を過ごすのは嫌・・・でも何かしないと・・・。何しろ目に見える結果が残らなくても良いから、明日に繋がる爪痕だけでも・・・って、もはや若手の芸人みたいな気分になるのね。

そうさせる原因の1つは暮れも迫って来た・・・これは誰しもがせわしい気持ちになりがち。日常として、繰り返しなのだから、1月だろうが、8月だろうが、結局明日が来るだけで、明後日や一昨日が来る訳じゃない。だから不思議な事は無い。

でも何だか年が明ける・・・その序曲見たいなものがクリスマス。いつものコンビニでも、チキンだ、ケーキだって賑やかな事を見せられると、気忙しくなる。そんな時期になったんだと・・・。しかも、これが厄介な事に自炊なんて始めたから

コンビニ所か、スーパーにも行くようになると、そんな可愛いちょっとしたコーナーじゃ無くて、本気で売るよって購買意欲をそそるような陳列になり、当然そのスペースも大きく取っているのね。はぁ?何言ってんの、今更って、そこのお母さん。

そもそも自炊するようになって、まだ1年チョイの新人なのね。やっとスーパーにも慣れ、ポイントカードを持って、エコバックを持っての買い物を出来るようになり、薄いロールのビニールの袋にお肉のパックを入れて来る事もスマートに

出来るようになった・・・そんな感じのクリスマスはまだ2回目。それだけじゃ無くて、それと並行に、もうおせちなの?って感じで、しかも昨日まで100円だったかまぼこが1000円って・・・最初見た時、一瞬目を疑ったのね。

確かに立派な袋に入っているにはいるけれど・・・果たして俺がスーパーのみかんと、千疋屋さんのみかんの区別が出来るか?って言うと、多分無理だろうな・・・って思うのね。おっと話を戻して、日常ってだけでもこんなに変わるのね。

完全に気分を作られてしまう・・・しかも仕入先もお客さん的にも正月を迎えるとなると、休みになるから、自由になる時間が日常では有り得ない位、出来るのね。今年は幸い大晦日までお教室なんで、元旦からの1週間位あるのね。

その時間、一体何をする?・・・それを単純にやり掛けのクロダイを・・・なんて、手を付けて終わらせると次の下地を彫らないとならなかったりすると、流石にコーナンだってお休みだろうし・・・まぁやってれば、目立ってそれも良いけど・・・。

つまり最悪の場合、クロダイをやれば良いから・・・と残して置けば、正月から考えずに済む。でも来春にキープすると、今、この後どうする?・・・になる。しかもお教室は続き、火曜は打ち合わせ。新しい事をやっても、火曜次第では

すぐに始まるような話・・・中途半端になる。だから時間の掛かる事はしずらい・・・こう言う時間は、何かを作るって時間では無く、どんな事をこの先するか?を考える時間になる。ただ考える時間って言うのも、余りにも漠然なのね。

例えば、体験下地を・・・とか、小物作品を・・・とか、ただね、ある意味、逆の発想ならとっととクロダイ終わらせて、何にも無くしちゃえば、1週間好きな作品作れるよ・・・って考え方もあったりする。

ただ昔はそうした時間を大きくオーバーして、穂竜って金魚を1mの大きさで作ったり、ウミウシだったりを1か月以上掛けて作ったなんて事もしたが、あれはやり過ぎだったのね。確かに先の展望としては悪くは無いけれど、目先の事を

考えたら、無収入の1か月以上を過ごしたのだから・・・。むやみやたら・・・って言うのは、経験値が低かったからであって、大人とか、経験している人となると、どうしても経験が邪魔をするのね・・・本当にそれで良いのか?って。

だから勢いなんてもんだけでは、中々動けなくなるのね。経験値で慣れる事がある癖に、経験値がストッパーになってしまう・・・まさに良い事と悪い事は背中合わせなのね。そんなこんなでいつもの時間までアトリエにいた癖に、何も

浮かばず、何の爪痕も残せず、・・・何の結果も出せぬままの帰宅となった。


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フェルメールのリピーターさん教室

2021-12-24 01:54:48 | モザイクタイル教室

今日は午後からフェルメールのリピーターさん教室。って事で午前中は、タイルの注文。ただ来週、打ち合わせが入っていて、正式に決まれば結局また注文って事になるが、年末って事もあるから、今年中・・・って事になると、結構大変になる

だろうし、来週の話は年明けでも問題無いし・・・そんなこんなでかぐやと検討して・・・発注。さてそれではお教室。これはお教室とは一切関係無いんだけれど、先生はいつも忙しいですね。仕事が切れない・・・って、言うのね。

これはちょっと嬉しい話なのね。何故ならここ数年のリピーターさんで、尚且つ豆にいらして下さる方の眼から見て、そう見えるって事は、ライブ感みたいな感覚であって、CDを聴いているのとはちょっと違うのね。

実際に日馬富士学園やら、ドゥカティやら、かなりの大物作品を生で制作過程を見たりして頂いた訳で・・・。つまり今の実力のkatsuを見て頂いた上での生徒さんな訳で。例えば、これが何か作って見たい・・・とかの体験の場合、ネットで探して下さったりして・・・。

そんな場合、大抵モザイクタイル教室katsuのホームページを見て下さったりするのね。つまり先生katsuを知った上で、いらした事になる。そしてアトリエでかぐやの作品や生徒さんの作品に、俺の小物の作品を見たりする・・・。

つまりある意味、アトリエ内にある俺の作品では、作家katsuの腕前はほぼ見せられないに等しいのね。むしろかぐやを始めとした生徒さんの作品の方が目立つし、逆に生徒さんでもこうして作る事が出来るのかぁ・・・って点では、やる気に

火を付けると言った効果があったりもする。それがこうしてフェルメールの作品を作れるようになったリピーターさんが、その腕を持ってして、作家katsuの作品を何個も見た上での信用は、腕前を知っていただく上で、とても重要な要素。

そんな事を踏まえて、今の作家katsuも先生katsuも良く知った上で、そう見えているって言うのは、実感として生々しく、客観的に貴重な意見だったりするのね。良くも悪くも正しい今のkatsuへの意見になる。そう見えるのかぁ・・・と。

例えば、これが昔から知っている人で疎遠なんて場合、恐らくテレチャン辺りで消えていれば、まだやってるんだ・・・って感じになるし、以前やった事がある・・・位なら、今の生徒さんの実力にビックリするかも知れないし、それが、

ハンドルネームがあった人のような場合だと、そこそこの実力を持っていたから、まだまだ・・・って思うかも知れないし、ただ好みは別として、日馬富士学園やらドゥカティの大きさはその頃とは全く違う大きさであったりするし、

ただ具体的にどう変わったか?・・・って話になると、一見何も変わっていないじゃん・・・とも取れるのだけど、先日の幕張のイベントでの手ごたえは、かぐやにも十分伝わったし、変わって行く一歩になり得る出来事だったと思うのね。

それは今までもやった事があったりしたんだけれど、あぁこんな事の繰り返しなんだな・・・って点では、初めての経験だったのかも知れないのね。

そんな話はブログで中々説明はしずらいし、こうして興味を持って頂くと、その説明を更に付け加える事も出来たりすると、信憑性が更にも増したりもして。

しかもこのマニアックなブログを見て下さる中で、技術の向上に役立てて下さるも良しだし、何と無くでも良いし、ただあくまでオッサンが何かを目指して日々

奮闘しています❗って日記なんだけれど、もし結果が出た場合、こんな事をして結果を出しましたって事になるのね。恐らくなんだけど、人に寄ってって事に

なるんだろうけど、単純に裕福側からの成功と叩き上げ的な貧乏からの脱出みたいな二通りが合って、自分はどっち側となると、叩き上げ側。

その道中の出来事の記録みたいな事で、それをどう自分なりに置き換えるか?で、もしかしたら何かの役に立つかも知れないのね。

でも裕福側の人には全くお勧めは出来ないのね。ただ恐らく身の回りにある事例では無いので、受け入れられれば、参考例の1つの事例にはなるのね。

何しろワクチンはウイルスから作っているのなら、自分の中には無い外部から作るのだから、いかに新しい事を取り込むか?になるのね。

ただ、単純にそのまま受け入れても、クスリだって分量が違うし、例えば大人と子供なんてザックリなのは、風邪薬みたいなもので、これが命に関わるようなら、

もっとさじ加減も変わって来るだろうし、それがもし歌だったり、楽器の演奏だったり、絵画、スポーツ、何でも良いが、大人が簡単に子供に負ける事が多々ある。

それは見た目での判断であり、自分の眼に先見の明も無いからなのね。常に相手をする時に、油断は禁物だし、逆に警戒し過ぎて、大人げない結果になったり。

くくり方次第で、自分との間合いなど変えたり出来ると、都合が良いのだけれど、何ぶん立ち回りが器用じゃないんで、そこはいつも難しいのね。

いずれにしても、そんな事を振り返るような話だったのね。そんな話はお教室には関係無いように思えるが、そんな事も無いのね。要するに続けて行くと、誰もが比較出来る過去の作品を持つ事になるのね。

その時に、このフェルメールが過去の作品と比べた時に、圧倒的な差があったとしたら、これが本気な作品の1作目だった事になる。しかし差ほど変わらずに

見えたのなら、まだまだだし、それが上手くなると圧倒的な差にはならなかったりする訳で。そんな1作だから、何しろ大事になのね。慌てずにね。

 

 

 

 


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外用の流しのリピーターさん教室と東京のコープみらいのサンプル変更

2021-12-23 07:33:45 | モザイクタイル教室

今日は午後から外用流しのリピーターさん教室。それまでの間に、先日彫ったドーナツのカフェトレイを張って見たのね。

そうね、こうして出来ると、先日作ったBEEって文字に小さなハチのサンプルと比べると、BEEって文字をキチンと切り、小さいパーツでハチを作る・・・ってよりも、ドーナツだと、チョコもあるし、ストロベリーも・・・となると、

バリエーションも増えるし、小さなパーツにしても、トッピングとしての丸や、棒状のチョコチップみたいになると、色んな色も使えるし、あれこれと色んな規制があるBEEよりも面白いかな?って感じがしたのね。

そんなこんなでお教室は・・・となると、ちょっといつもよりも内容は変わって来るのね。それは今までと違った事をするからなのね。例えば外側の青や白のタイルを張る・・・って言うのは、どんな色でどんなデザインにする?って事になる

から、好きな色を選んで、それをラインやらトッピングのようにまばらに散らすとか、そんな事でスタートをする。そんな中、切ったのは白いタイルにぶつかった所のみ。つまりデザイン上、ぶつかってしまったから切った・・・になる。

所が今度は鯉となると、同じ切るでも、ぶつかったから切るでは無くて、鯉に見えるように切る事になる。勿論、輪郭だけで鯉に見えるから、ウロコやヒレの形に切らなくても良かったのね。ただそうなると、色だけを変えて、本体も影も

クラッシュって事になる。でもそのランダムのクラッシュを選ばなかった・・・さっきのぶつかったから切るって言うのでも、その形にぶつかった先で狙って切ったんだけど、それは誰がやろうとしても、誰もが同じ形に切る事になるのね。

しかし、ウロコやヒレって言うのは、誰もが同じになるとは限らないのね。場合に寄っては力量不足で出来ないなんて事もあるパーツなのね。だから難易度が上がったパーツを切る事になったのね。しかし、もしランダムのクラッシュを

選んでいれば、それは自由なんで、このパーツじゃ無きゃダメって言う事は無いし、輪郭だけ守れれば良いって言う、難易度は下がる方法もあったのね。ただこれが厄介な話で、一概に自由が簡単って訳じゃ無いのね。

例えば、後は自由です・・・って言われた時に、ラッキーって思うような人には自由って簡単とか、楽とか、お手軽感をも得たりするような気持ちにさせたりもするのね。ただ逆に、えっ・・・指示無しなの。えっ・・・どうしよう?

ってこんな人の場合、自由は不自由になるのね。つまり音楽なら、楽譜通りに弾いて来て、はいそこからソロどうぞ・・・ってのを、ヤッホーって出来る人と、戸惑いを隠せない人みたいな違いね。こんな差になるのね。

つまり言い方を変えれば、自由が好きな人は、楽譜に無い事を待ってましたぁ・・・って解放された感じになるし、逆に自由を不自由と感じた人は、全ての楽譜を難なくこなせる・・・そんな腕を持っている人とも言えるのね。その差は、

考えなきゃならない自由と、考えなくて良い不自由みたいな差なのね。方や、楽譜が無いのだから、自分で考えないとならないのと、方や楽譜通りに弾く事であって、自分の考えなんていらない・・・何しろ遂行みたいな感覚。

ただね、これもバランスなのね。要するに自由側の人は、ソロだけやるの?って事になると、ギターなら、時よりコードを弾いたりもする。つまりリズムを刻むって行為は、自由な事までの前菜みたいな話で・・・。

だから自由な側には、地味な事の練習が必要になり、逆に不自由を感じてしまう側には、自分で考えるって指導になるのね。苦手な事の克服みたいな事になるとね。ただそれに寄って、克服までは行かないが、感じ取る事が出来た場合は、

例えば、キチンとちゃんと・・・って言う事が出来ると、幅を揃えたり、面を取った野菜は見栄えが良くなるし、視覚としての美しさを手に入れるが、自由な味付けだけが売り・・・なんて事を続けると、見た目は悪いが味は良いみたいになる。

まぁただ、それって、のんべだけど、腕は良いみたいな昔の職人みたいな感じなのね。何かべらんめぇって感じ。逆にキチンとちゃんと・・・って言うのが得意な不自由側は、格式伝統、決まりみたいな事を軽くこなす感じなのね。

勿論、軽くは無いんだけれどね。でも、それら全ては楽譜として、キチンと準備して来たもの。つまり予定調和なのね。だからその差はアドリブが利くかどうか?みたいな感覚。そうね、両者はジャズとクラッシックみたいな感じかな?

片や相手の出かた次第で、どう切り返そうかな?ってジャズ的なセッションのように常に考えるやり方と、何しろいつも予定通りの楽譜のクラッシックの差。それがアドリブの差になると思うのね。それが自由と不自由の比喩的な説明なんだけどね。

って話を戻して、じゃ今日は?となると、波紋に入ったんだけれど、前回コンパスで円は描いてあったのね。じゃ切るだけじゃん・・・こうなると楽譜通りって事になるのね。ちょっと待ったぁ・・・なのね。その波紋って何?って質問。

もしヒレや尻尾が動いたから・・・って言うのなら、波紋を付ける事に寄って、動かない鯉を動かそうとした・・・つまり動いているように・・・ってね。動作の表現なのね。まぁ意識はせずに何と無く・・・って感じなんだけれどね。

それを意識して貰う為の質問なのね。じゃ波紋を付けると動いたように見えたとして、ヒレも尻尾も大きな鯉でも小さな鯉でも、波紋は大きさ、太さも一緒なの?って質問。これを音楽に例えると、タン、タン、タン、タン・・・ずっと強弱無し。

これは単調じゃ無い?これを、ドン、タン、タン、タン・・・みたいに、ドンと強い部分を入れて叩くと、メリハリが付いたりする。そのドンの位置を変えても、雰囲気は変わったりもする。これは音楽だから聴覚への刺激の話なんだけれど、

モザイクは視覚の話。つまりもし音楽にそんな事があるのなら?当然視覚でそんな事をすれば、上手く行けば、寄り上の表現になる訳で・・・つまり太さの幅、波紋の大きさ、全てを繋いで丸にしちゃうと、ただの標的の的になっちゃうのね。

あくまで波紋を作っているのね。もしこれが雨が降って来た波紋なら、小雨なの?大雨なの?って言う雨粒の大きさで、変えないとならないし、繊細な表現って言うのは、こんな事を考えてからスタートするのね。

そもそもこれだけ切れるようになった人は、楽譜やレシピ、図面を渡せば、そこそここなす人になったのね。それなら、こうして、ああしてって言えば、ある程度理解して簡単では無いだろうが、左程困らず切れるのね。

問題はそこからいかに上手くなるか?になった時に、ジャズ的セッション要素のそれで?それを?どうする?みたいに常に考える・・・って部分だと思うのね。何をどうやって描くか?みたいに、ただ鯉が2匹いるってだけなら、後はバックって

考え方でおしまいなのね。そこから先の進歩は無いのね。そうじゃ無くて、この鯉を泳がす・・・動かないものが動いて見せられれば、リアルになる。でもただ動いたように見えても中々なんだけれど、例えばもし冬を感じさせるものがあったとする・・・

例えば氷とかね。そうすると、見る側が感受性ある人であると、あぁこの寒さをしのいだ先には、春に卵でも産むのかな?とか、そうね、面白さなんて言うのなら、下の方に人の顔に見える影を入れたりすれば、覗いている自分みたいな感覚に

なるだろうし・・・何しろ考えれば、ありとあらゆるバックを想像出来る。その中で自分が考える、どう見せたいか?を見つける事が、オリジナルとしての作品の向上なのね。まぁこんな事って俳句っぽい話になるんだけれど、たった17文字の世界。

まぁモザイク並みに窮屈なのね。しかも昔っからあるのも共通で、題材のモチーフも先人が結構やり尽くしているのね。ただ逆にスマホなんてのは無かったから、そう言う新しいモチーフも増えたとは思うけれどね。

そんな中、たった17文字しか無いから、もうさぁ言わなくても判る事は、感じ取ってよ・・・ってルールがあって、それが季語。金魚って言ったら夏だろっ・・・判んだろっみたいな。多分、知らなくても、つららなら冬なんじゃ無いの?って

想像出来るでしょ?そんな感覚が、感じる・・・って事なのね。そうした感じるって行為を、音で感じ取るとか、目で感じ取るとか・・・って五感を使って作り、五感で感じ取って貰う訳ね。そうした時にこだわりを持つ人相手だと、中々大変でね、

例えば金魚の場合、バックの水は?って一般の人なら、水色とか透明みたいな事を思い浮かべるんだけれど、愛好家の人達の水は緑っぽい色なのね。かと思えば、アサリの三番瀬カラーなんて言葉だったり、地元御宿のアワビと三陸のアワビとか、

何しろただ似てるだけ・・・なんて簡単な事を頼むお客さんがいなくてね・・・俺には。こだわるって言うのは果てしないのね。勿論、そうしたら?なんて言うつもりは無いし、こうした作り方もあるよ・・・的なお知らせなのね。

ただそうした意識を持つだけで、行動が変わるものでね・・・中々行動から入っても続かないのね。何しろ単調になると飽きるから。そんな後は、ドーナツの目地をして、送る為の写真を撮って・・・ひとまず急ぎは終わったのね。

 


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