katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生のオンライン教室と新モンゴル日馬富士学園の額の追加分

2020-04-30 01:02:41 | モザイク教室
今日は前半は中学生のオンライン教室で、後半はモンゴルの追加分の続き。今までキウイ教室、そしてのりちゃん、キウイのサークルメンバーの教室を経て、初の中学生・・・何しろこの状況では、簡単には終わらなそうな事と、必要な人への配慮としては、もうオンラインでのお教室は必須になりそうだったので、こちらも

良い機会だったのね。例えば、楽しむ事の割合と指導の割合なんて言うのがあって、これがいつものお教室なら、当然指導もするけれど、日常の会話部分なんかもあり、その部分の会話で趣味趣向などを聞き出すような事をしたりもする。その時に相手の眼がどう動くか?とか、様子や反応が見られる事で、その人の考

え方などが、判ったりもする。昨日のテレビとラジオの話では無いが、百聞は一見に如かず・・・つまり、画像がある、無しで伝わり方は大きく違うし、ラジオは最初から画像無しなので、丁寧な説明をする傾向があるが、テレビは画像ありきなので、画像を見ないで聞くなんて事をすると、同じ条件にすると想像力が問われる

のね。つまり指導するにも、同じ指導であっても、いつも通りには絶対にならないのね。ただ、画像はあっての指導だから、少し不便なだけで・・・でもラジオとテレビの例えとは違うじゃん・・・って思うだろうけれど、そう単純では無くて、それがいつもなら、その会話の部分は息抜きにもなり、趣味趣向を聞き出す事も出来て、

ではそれが何割あるか?になるのね。仮に3割あったとすると、指導は7割になる。ではこんな事を踏まえてオンラインでお教室をするとどうなるか?なのね。確かに画像はあるから、ラジオとテレビの話とは違うように思えるが、では同じように3時間で同じ料金としたら?とか、同じようにラジオとテレビを3時間過ごすとした

ら?どう思う?そうなると、目的意識の問題になるのね。つまり同じ料金ならラジオよりもテレビの方が良く感じるし、でも何かをやりながらなら、ラジオの方が良くなる。これは比較対象があるからで、誰もまだ何も言われてはいないけれど、準備や用意って点では、そんな事もある・・・って方が良い訳で。もしそんな事がある

としたら?労作展の宿題として、目的意識が高い場合、指導色が濃くても構わないけれど、そうなると息抜き部分の3割がやりづらくなる。何故なら画像では常に作品を写しているから。それを見つつ話を進めれば、顔が映らない訳で。それでは反応が判りづらいし、そうなると、他の事を考えなきゃならないが、まだ始まっ

たばかり。でも、それと比較した時に、楽しみ部分をいつものように入れようとしても、余り意味が無いし、そうなると7割の指導の専念になる訳で。つまり簡単に言えば、実際の3時間katsuは持っても、オンラインのkatsuでは3時間は持たないって事になる。単純に2時間程度になるのかな?しかも真面目に。これがのりちゃ

んやキウイだと、楽しみの分量が多くなり、息抜きとしてとなると、趣味の部分と退屈だった解消となると、会話として盛り上げる事だったり、その楽しんだ会話ありきで、ただ話すのでは無くて、ラジオじゃ無いけれど、話しながらの制作で、1人じゃ無い・・・楽しみながら進められたりする。ただこれには期限が無いから、気

楽でもあり、労作展の宿題とは違いはそこなのね。だから8割楽しむ、2割指導でも、成立したりもする。とは言え、10割楽しむでお金払いたい?ってなれば、もはや芸人の域に達しないと、流石にね。何しろこんな事をがあるだろうな?・・・って思いながら、手探りの1回目。全面的に丸々指導は初めてだったが、正直一方的

に発信する感じになっていた気はするのね。何故なら時間が短くなるであろう事と、次はいつ?となった時の事を考えると、迷ったら、残して置いて・・・の徹底と、手順の確認みたいな事、切り方や基本な事、材料の確認、ボンドの蓋を必ず閉める事など、もはやお母さんのティッシュとハンカチ持った?・・・のあの話のような

事だったりして・・・。いずれにせよ、初回にしては、良く逃げ切ったとは思うんだけれど。ただこれが掛け合いのように進む事になれば、もう少し、らしくなるのかな?とも思ったりして。そんなこんな後はモンゴルの追加分。もう切る量よりも、張る方が多くなったのね。


休んではいないんだけれどね・・・

2020-04-29 07:42:09 | 休み?
午前中は昨日に引き続きモンゴルの追加分やったんだけれど、ちょっと野暮用って事にして、ん・・・そうね、カジュアルとフォーマルなんて良く比喩で使うんだけれど、生き方なんかにも使えたりするのね。ちゃんとなんて言葉はフォーマルな感じだし、ふざけるなんて言うのはカジュアルに聞こえたりする。今の現状では、

みんな大変なのだから、安全安心とするのならフォーマルな事を重視すれば良いと思うのね。でもそうなると、全ての番組はコロナの話をしていれば良い事になる。これでは、きっと詰まらなくなるから、みんなとは言わないけれど、カジュアルな方側に行きたくなる。これを言い換えると、日常がフォーマルなら、非日常

がカジュアルみたいな。だから、普通の生活をしていたら、学校、塾なんかを過ごした残りの何時間がカジュアルな時間になるだろうし、仕事を終えた時間がカジュアルだし、家事やパートを終えた時間がカジュアルだし、それが余暇みたいなものなんだけれど、それを余暇とか非日常と言っても色々足りないから、旅行

などをする。これが普通だった頃の日常だったとして、今はそれが恐らく一生に一度の家族が一緒にいる時間になっている気がするのね。そう考えるとかなり非日常を暮らしている事になる。でもファンタジーとホラーの紙一重のように、ファンタジーなら終わりがある。けれど退治したものが生き返る・・・これでは終わら

ないだからホラーになる。つまりいつ終結するか判らないようでは、まるでホラーであって、中々一生に一回の方のファンタジーの気持ちになりづらい。こんな状況でニュース以外のカジュアルを続けようとすると、当然制作会社は、使命的な働き方を意識するような人であると、こんな時こそ笑いを・・・なんて事を、いつも

以上にやろうとしたら?3密を避け、出来るだけの配慮をして、欲しい芸人を集められなくても・・・と試行錯誤するんだろうと思うのね。これもまた制作と言うのであれば、俺も1人同じような事をしているので、良く判るとまでは言わないが、判る気がする。それが地上波だったら?ゴールデンだったら?と思うと、それだけの

予算のスポンサーのプレッシャーも受けつつとなると、かなり厳しいとも思う。そうなるとカジュアルな事を作るのに、かなりフォーマルな気持ちを抱えて取り組んでいるような気がして、かなり複雑になる。更に他社と比べられ、更にインターネットの配信。これはある意味、インディーズやら無印良品と言ったような、はた

またベンチャーとの戦いもあり、し烈な状況を強いられる。しかももっと言えば、テレビの人達はバブルを経験しているから、気持ちとしては削られている気分の中での制作と、逆にやりたい事を遠慮無く・・・では、同じカジュアルを目指せば、しがらみ、縛りが無い分、楽しさは比べ物にならない事にもなる。所がこれを深

夜だったりすると、視聴者が一般の人からマニアとか、オタクだったりすると、見ている側もカジュアルになるから規制が緩くなる。だから面白味も増す訳で。こんな仕組みがあるとして、だから深夜で楽しかった番組がゴールデンで詰まらなくなるのも、当たり前だったりして、それが更にラジオは、画像無しでテレビやネ

ット配信とも戦わないとならないのだから、それはそれは大きく不利になるとは思うけれど、それでも有名人、しかもビックネームのタレントだったら?その人のコアなファンや、深夜で働く人達にはラジオはまだまだお手軽に楽しめるカジュアルなものだったりするから、根強い人気があったりもする。しかも、今RADIKO

なる1週間なら再放送が聞けるとなると、別に深夜に起きていなくても聞けたりすれば、自分の都合の良い時間に聞けたりするから、確実に定期的に聞ける事になり、一般の人でもコアな状況になれる。ただ良い事と悪い事は背中合わせで、良い事はそれだけれど、悪い事は取り締まりがきつくなる。いつ何時でも、聞

ける事で、コアじゃ無い人も聞くから。昔なら、再放送は無いし、生か録音でもしないと聞けない訳で。そんな努力が必要なら、コアな人しか聞けない。となると、もはや聞いている時点でファンな訳で。そうなると、少々のリップサービス的な発言は、ファンにたまらない話になる。そもそも配信側は楽しませようとするのだ

から。そんな中、先日ここで岡村さんのラジオ・・・なんて事に触れたら、岡村さんがネットで叩かれた。何したのかな?とまだ先週の放送を聞いていなかったが、見て見たら、確かにそれはアウトだな・・・とは思うが、出演番組全て降りるみたいな話も出ていて・・・そこまでかぁ、収入全てを奪うまでの話か?とも思うが、以前

離れた時期もある事を考えると、また病気になっちゃうのかな?とか、そんな状況でお笑い番組はきついかな?とか、色々考えてしまった・・・。確かに会った事も無い他人だが、有名になるって言うのは、放送に流れるって事は、そんな事を意味するんだな・・・と改めて思うが、録音なら編集が出来るが、生放送。難しいね。きっ

と。しかも、仮に録音だって、スタッフが笑っていたら、そこをカットするとは思わないし、きっとスルーになる。仮に気が付いたとしても、有名になればなるほど、指摘は難しいだろうし・・・。ただ人気がある人だし、こんな時期に笑いが1つ減るなんて、詰まらなくなるな・・・とも思うのね。今後気を付けます。では済まされな

いのかな?と思うし、それによって、芸人さんが委縮するようだと、増々フォーマル化するだろうし・・・勿論、下から常に下克上を狙っている奴らはいるから、同じ事を目指している人達はギラギラしているだろうけれど・・・。何かね、先日終わったKing Nnuの井口さんも、岡村さんと交友がある感じで、楽しそうだったが、更

にaikoさんやら、似た者同士な感じがして・・・とても好感が持てる人で、ラジオに一緒に出ていた時には、聞いてて笑えたし、ほのぼのしてて、今を過ごすにはとても良かった気がするんだけれど・・・。って事を踏まえて、今日の午後の野暮用は、ダメな事と判断して休みだった・・・とします。

新モンゴル日馬富士学園の追加分の続き

2020-04-28 12:56:14 | モザイク作家
今日も昨日の続き。ブログがメンテナンスで動かなかったから、今入れたのね。ひとまず報告だけ。

今日も新モンゴル日馬富士学園の追加分の続き

2020-04-27 08:33:41 | モザイク作家
今日は・・・と始めたいのだけれど、昨日の分のブログが下書きになってて、公開になって無かったのね・・・って言う事に触れてからの、今日は、昨日に引き続きなんだけれど、新展開としてリップルの青を入れたのね。こんなやり方になるのは、リップルってタイルは色んな形があって、良い面もあるんだけれど、片寄って

使うと、量は足りているけれど、形が足らない・・・なんて事があるから、足りるの?足りないの?が見たいからなのね。それが中心部のピンクは足りるのは一目で判ったからなのね。そんなこんなで足りる事が判り、結果は後2枚残しって感じで青が終わったのね。そうね、昔、手塚治虫さんの不思議なメルモってアニメがあ

ってね、赤と青のキャンディで大人になったり子供になったり出来る・・・なんて話があったんだけれど、更に昔ね、お客さんに透明な半丸のガラスを貰ったのね。良くそれを目玉に使ったりして・・・ただ使えば減るんだけれど、その時に後何個作れるんだろう?なんて思ったりしたのね。何しろ特殊なものだったから。あのキ

ャンディみたいにね。リップルならまた足りなきゃ注文すれば良いけれどね。無くなるってあんまり良い気分じゃないのね・・・でも常に特別、特殊なものってそう言うものだったりする。勿論、いつもある・・・って思っていても、急に無くなる事もある。今までも廃番なんて見て来たし、売れれば継続されるけれど、売れなきゃ

無くなる・・・仕方無い事だけれど・・・。勿論、他人事とは思わないし、俺の存在自体でも、同じ事だと思って続けてもいる。しかも、客観的に見ても良く生き残れている・・・とも思っている。そんな中、この仕事にしても、こうして張ってしまうと、残りは・・・みたいに無くなって行く訳で。本来は量からすると、まだ全く終わりが見

えないはずなのに、もう振り返りになってしまって・・・終わりな気分になる。果てしなさって1cmタイルの部分が終わってしまったからなんだろうが・・・。何か考えたり、悩んだりする1点モノと違って、それが無くなってしまうと、その分の余裕が、勝手に色んな事を振り返る時間になってしまうのね・・・それもまた面倒な話で、

例えば、前回は日馬富士、モンゴル、日本、そして相撲と色んな事を考えて作った。でも今は何も考えないように作っているのね。単なる模様として。同じ場所に設置されるのに、作り方が全く違うのね。方や、色んな事を踏まえて考えたもの。方や何も考えずに、ただ遂行するって感じのもの。ただどう作っても根本は一緒

なのね。誰に作ったか?って言うと、生徒さんへ・・・・なのね。でも方や楽しかったりさせられるかな?みたいな気持ちはカジュアルにも思えるし、方や面白味は一切無く、フォーマルにも見えるし、方や個性的であるし、方や普通でもある。ただこれとて、単なる俺がそう見えるだけで、当日お開きされるのは、どちらか1つで、

比べられるのは、ここを見た人だけ・・・何も知らない人は、それだけを見るだけだから、普通なんだろうね。まぁいずれにせよ、淡々と粛々とは、ノリなんて気分の制作じゃないんで、地味に終わって行く。けれど終わるって事は、今の現状から考えると、備蓄の米はどの位ある?って兵糧攻めされている感じもしたりするの

ね。ただ、微妙に違うのは、終わればお金が貰える。今の現状では制作しか無いのだから、お金が入る事は有難いが、仕事が終わるってのは、やる事が無くなるって気持ちになる訳で。ただそれも違っていて、依頼されている作品はまだまだあるのだけれど、それに手を出すって言うのは、果てしない時間が掛かる訳で。

それに今、手を出して、時間と備蓄のお金を使ってしまうと、更に追い込まれる事になる・・・依頼作品って言うのは、重みが全く違うのね。何せ時間がエンドレスだから・・・終わるまでとね。これが建築のようなものだと、工期納期の範囲内になるから、時間制限があり、終わって見れば依頼作品のような時間は掛からずに

終わる事になる分、貯蓄にもなる。そうなれば手を出す余裕もあるが、お教室が全滅の中では、依頼作品に手を出すのは、かなりリスクを負う事になるし・・・いずれにせよ、あぁだの、こうだのと考えてしまう時間が増えるのは、創作活動では無いからなのね・・・まぁ堂々巡りになるんだけれど、ただそれも俺なりの解決策

はあって、昔とは違う近代兵器がある。それがタブレット。これを使って、日常のラジオでは無い時間を過ごす・・・勿論、聞きながらね。駆け出しの頃は、テレビを聞いていたのね・・・ほぼ見る事無く。それはとても難しいのね。何故ならラジオは見えないから、丁寧に解説、説明してくれるけれど、テレビは見る前提だから、

雑になりがち。やれ、美味しいだの、綺麗だのって、誰でも同じコメントになる。ただそんなコメント抜きでも、百聞一見にしかずで、見りゃすぐ判る。でも制作しながらでは、見られないから、想像するしかない・・・・いっつもこんな事をしていた。こんな事を踏まえて、黒子のバスケなんてアニメを知ると、どう生きるか?まで、

教わる感じがして・・・まぁ話としては、パッとしない体格にも、身体能力も劣る子が、何と無くバスケを始めると、そこはバスケの名門で、3軍スタートになるのだけれど、日々居残って練習をしていると、1軍の人が一緒に練習をしてくれる事になり、それが次期キャプテンに見出される・・・そんな感じ。ただ、見落とせないのは

、名門である事、その練習相手の1軍の人って言うのは、今後の日本バスケを背負うような逸材である事、そしてそれが見出される事・・・俺と同じような年代の人なら、この話見なくてもエースをねらえに変換すれば、ほぼ同じなのね。最初は憧れ、そして何しろ練習、そして追い付こうとして、目指す・・・良くある事なのね。

最初から目指すなんてのは、親がその分野でたけてた場合であり、大抵は何と無く始まるものであって、普通は何と無く終わるものだったりする。けれど、まれに同じ道なのに、良き指導者、環境、みたいなたわいも無いような事が揃う事があって、それを継続した人に、そんな権利が回って来たりする。ただここが厄介なの

ね。最初は何と無く楽しそうだから・・・と始め、上手くなりたいと努力して、みんなと同じだったとしても、人よりも上手くなるって言うのは、歩調が合わなくなるもので・・・例えば勉強。今は誰でも塾に行っているだろうけれど、俺の子供の頃の江戸川じゃ、そんな人はクラスの半分以下。ほぼあんまりいなかった。それをそろ

ばん、習字、ピアノ、水泳・・・みたいに習い事なんてもんがあって、何かしらの習い事をやっているって人でも、半分って感じだったのね。そうなれば習った人は当然上手くなる。泳げない人がいて、アップアップでやっとこさ泳ぎ切る人がいたりする中、クラスの中で習っている2.3人だけ、ぶっちぎりで早い。しかも、その習

っている奴の中には、そこで選手として活躍している人だったとしたら?・・・もうレベルが違過ぎるから、本気を出せば、みんなのやる気すらも奪う事になる。ただそれとて、今度は習っている場所になると、そこにはいくらでもそんな程度は、ゴロゴロしていて、もっと言えば2軍かも知れない。ただね、そこで伸びしろって話。

その段階では・・・の話で、その秘めた才能を見出す事が出来る人がいたか?いないか?で差は出るし、見出す事が出来ても、その人が続けられるとも限らない。ただ努力だけでは難しいのも事実であり、けれど人には役目があって、ホームランを打てる人もいれば、バントが上手い人もいる。同じプロとしてね。つまり、自

分を知れば、合った場所が見つかったりする事もあるが、人といれば、比較されるし、それによって褒められたリ、けなされたり、そんな中に身を置く事になるが、上手くなろうとすれば、努力すればするほど、格差は生まれる。でもそれは、普通の中での話で、上手い人だらけの環境では、またそこにも切磋琢磨はあって、そ

れは、辞めるまでずっと続くものだったりもする。けれど、ちゃんと続けていると、結果は必ず努力した分、後から付いて来るもので・・・しかし、人と会わない分、色んな事を考える時間があるのね・・・。こんな事もいつか終結して再開した時の糧になるような話として、引き出しを千と千尋のかまじぃのように増やしとかないとね。


新モンゴル日馬富士学園の額追加分の縁取り終了

2020-04-26 08:00:30 | モザイク作家
今日も新モンゴル日馬富士学園の額の追加分のレロレロって感じの模様の赤と青の部分・・・結果としては連日の深夜でかなり意地張って終わらせたのね。何かねぇ・・・自分でやってて思うのは、折角やる事がある・・・って気がするのね。なのに、ストレスの矛先を仕事にぶつけている感じがするのね。つまりストレス太

りっ感じで、何かおかわりばっかしている気がするのね。確かにこうしてやれば、スピードアップしているし、終わって行く安心感もある。だから満足感は得られるから、ストレスの軽減にもなる。けれど、若干その満足感とは違う、他の満足感がね・・・ん・・そうね、何か流れ作業的で、淡々とこなすって感じなのね。それは同じ

事の繰返しだから。一旦終わったデザインをこうしてまた見せるって言うのは、見ている側もやっている本人も刺激的では無く、あぁ終わったんだな・・・って感じになる。これが1点モノを作っているのなら、常に違う事の繰返しなんで、あっちこっち虫食いのような作り方で、段々終わって行く工程が新鮮に見えたりもする

のね。こんな違いがあって、例えば下地1つにしても、アトリエに来る生徒さんのものは1点モノばかりで、見た事の無いものばかり。けれどイベントや出張の場合は、量産だから、1つ見ちゃうと、2個目以降は沢山作ったね・・・になってしまうのね。まぁ人って残酷だからね。慣れるって言う言葉1つでも、良い事と悪い事は

背中合わせで、慣れるで良い事は、安定安心みたいな事で、同じような感じが、金太郎飴的に、どれを取っても平等な感じがする。けれど1点モノとなると特別。これは主役と脇役を作る感じで、出来れば圧巻・・・なんて方向になるようなものを目指したくなる。勿論、これにも良い事と悪い事が背中合わせで、良く取れば、

ひと際目立つ事で素晴らしく見えるが、逆に比べられた側にしては、いい迷惑な感じもする。こう言う話は上手くなればなるほど、起こりえる事で、いくら楽しく簡単で作っても、最初は良いじゃんなんて気持ちと、同じセリフを感想として聞く事になり、満足感を得ても、年数が経って行くと、それでは刺激を得られなくなるもので、

それはいつしか比較対象があって、それと比べて・・・比べられて・・・ってね。個性ってそんなもんで、最初は何と無く・・・なんて始めたり、友達と一緒に・・・って色んなスタートの仕方があるけれど、一番最初の段階で、何と無く始めれば、何と無く辞められるし、友達に誘われて・・・は友達が辞めたら一緒に辞めるみたいに

なったりする。けれど、だからと言ってそれでも、そんなきっかけであっても続ける人は続けられるし、逆に1人でスタートを切って継続出来る人もいれば、逆に一人でスタートしても相席で知り合いが出来て、モザイクだけじゃない楽しみが続ける魅力の1つになったりもして・・・。何しろ色んな事があったりするもので・・・。

おっと話を戻して、何しろこんな話って何でも一緒で、要するに最初の話なら、1回目は攻めた額を作った。これはオリジナルとして個性を出したとなると、追加分は個性を殺して既存である模様を使ったのね。だから主張もろくにせず・・・って感じでね。こっちはかなり引き気味な仕上がりになる。それを自分はどっち寄りな

んだろうか?・・・となった時、自分が思い描くのはどっち?になり、いつもの通りの感覚でやれば、自分がオリジナル側なのか?模写的なものなのか?だけで随分と、作り方は変わるし、1点モノとしてオリジナルを作る事は、悩んだり考えたりするもので、逆に量産の場合、1つサンプルが出来てしまえば、その精度を落とさ

ずに、永遠に同じ事を続ける・・・どちらも大変だしどちらもやり遂げるって部分では同じだとは思うけれど、結局最後は自分がどっち寄りの人か?にも寄るんだろうね。何しろいくら考えても悩んでも、何も出ない人もいるし、逆に次々と創作出来る人もいる。ただこの答えの出し方は作家側の考えで、先生としては、1人で

中々何も出ないと言う人に、きっかけ作りをする事で、出来ないって諦める事じゃなくて、自分も出来る・・・って気持ちで創作する事に慣れる事で練習したくなる・・・って満足した結果を手に入れる・・・そんな事への気持ちのきっかけの手助けなんかが出来ると、育てるって言う作家側とは違う生き方もあったりする訳で

・・・。ただどちらにしても技量は問われるので、何処のどの部分を求められるか?で随分と変わって来るとは思うんだけれど。いずれにせよ、同じ事の繰返しの悩みは、1点モノとは違うし、いくら気を抜かない様に・・・とやっても、必ずそう言う気持ちになる。そんな気持ちになるのも、慣れによる事で、1度出来た安心から出

し、でもいくらそう言う気持ちにならないように・・・とやっても、必ず手慣れるって気持ちにはそんな部分がある。そこで俺なりのその解決は、常にこれを誰かに教えるとするには?・・・と単なる創作にならないように・・・って気持ちでやったりもする。それによってみんなは何処の何に困るか?そんな事を考えると、漠然とは

進まなくなるもので、気は抜けなくなるのね。いずれにせよ、創作とは違った気持ちで進んでいるのね。淡々と。

新モンゴル日馬富士学園の額追加分

2020-04-25 00:39:03 | モザイク作家
今日は朝、外構工事のお客さんから電話を頂いて・・・近日中に結果が判る事になったんで、今、下絵を続けても完全にOKが出るまで保留にしたので、モンゴルの追加分1本で・・・。そんな中、結果は縁取りが完全に終わったのが3つって事で残りは5本となったのね。まぁそんな中、radikoで深夜放送の岡村さんを聴いた

んだけれど、外出出来ないんで、UberEatsでほとんど食事を済ませているらしいんだけれど、配達間違えがあったとか、たわいの無い話題で、しかも本人曰く、人と会っていないのに面白い事なんて起きない・・・って。全くその通りなのね。ただ毎日、人が亡くなった・・・って話題ばかりでは、ナーバスにもなるし、とは言

え、ストレスが掛かる訳で・・・。でもみんなそうなんだし・・・でもそんな中、先日自炊始めました・・・って話あったでしょ?これがどれだけ異常な話になるのか?って想像してね・・・だって、今まで例えば大昔に、パスタを茹でるとか、卵焼きとか、そんな事はした事あるにせよ、そんなの知れてるでしょ?でもね、一般家庭の生活

を一人でやるって事になると、買い物から違って来るのね。だって、今まで仮にスーパーに行ったとしても、お惣菜とかお弁当にお菓子に生活雑貨って感じに、片寄ったコーナーしか立ち寄らなかったのね。それが自炊をするって事は、野菜なんか買う訳でしょ?・・・そんなの買うの初めてなんだから、仮にキャベツを半玉買

ったとして、俺1回の食事に、葉っぱ何枚食べるの?そうすると、俺何日で食べ終わらないとならないの?・・・とか考えなきゃならないんでしょ?しかも、ベテラン主婦ならバリエーションがいっぱいあるだろうけれど、一体キャベツってとんかつの横以外に、何処に使われてたっけ?・・・って感じなのね。勿論、ロールキャベツと

か仮に浮かんだとしても、そんなの出来る訳無いし・・・所詮俺の自炊なんて、卓上の電気の一人鍋とレンジでやるんだから、おままごと程度の事で、モザイクなら精々鍋敷き一人で作る程度。それでも材料から揃えるんだから、それもハードル高いのね。しかも好き嫌いが多いし、そもそも聞いた事はあったり、作って貰っ

て食べた事はあっても、自分で買うのは初めてなモノばかり・・・最初の鍋なんて時は、まだ何とかなったのね・・・白菜とかカット野菜入れてさ・・・それをかぐやに割高になるから、切れば・・・って言われて、キャベツの半玉とかに手を出しちゃったら、いよいよシメジとかエノキとか始まっちゃって、鶏肉入れれば?とかにな

って・・・ただ流石に朝から鍋って訳には行かず、それでも朝なら目玉焼きにベーコンとか、簡単に逃げ切れるとして、どうすんの?昼と夜・・・しかも熱く無くなって来たら、鍋って訳にもね・・・主婦の人には理解出来ないだろうけれど、イメージは自分の娘とかせがれが、食材から買いに行って、毎食作るってどんな感じ?しか

も、横に指導のお母さん無し・・・便利なキッチンも無しでね。結構一生懸命やってんのね。でもさ、やればやるほど、ちゃんとやれば滑稽なのね。そもそも珍プレー好プレーって本気の結果だから面白いのね。何しろやってる俺が、一体何やってんだろう?・・・って思うのだから。いつまで続くんだか判んないけどね。しかし、

これを毎日やっていると思うと、お母さんって凄いね・・・本当に。こんなの当たり前とか普通って思っちゃダメだね・・・。これに朝早く起きて、お弁当なんて有り得ない・・・それなのに、これだけ?・・・なんて、市中引き回しの上、獄門で良いと思うのね。ただやっぱり当たり前だけど、毎日やっていると習慣になって、別に苦に

ならないし、みんなの普通の生活が、俺は今までやって来なかったから、新鮮でもあったりして・・・これはこれで笑えるのね。こんなたわいもない話しか無いのね。でも、岡村さんが芸人さんで、そんな感じなら、素人の俺じゃ、こんなもんで精一杯なのね・・・。


新モンゴル日馬富士学園の額1回目の納品と外構工事の下絵

2020-04-24 01:10:27 | モザイク作家
今日は急きょ新モンゴル日馬富士学園の額1回目分の納品となり、美術会社の方が2人いらして、最後の写真を撮って、次の2回目分の寸法確認をして納品完了となったのね。結構な大物だったので、しばらくアトリエを占拠していた場所がポッカリ・・・って感じで、あったモノが無くなるって言うのは、毎回の事だけれど、若干

寂しい気持ちにもなる。ただその辺の切り替えは、流石に20年近くになったので、慣れてはいるはずだとは思うけれど・・・。そんな中、こんな状況だとモンゴルには入れないし、実際は一体いつ開催されるのか?が判らないとは言え、現地からの情報では、様子を見て発送しないと、終結しました・・・じゃ送りますって事だと、混雑

に巻き込まれるなんて事になり兼ねないと言う事で、一応追加分に関して、5月中旬のアップって言う事になったのね。そうなると、いくらお教室が全滅とは言え、安全安心と言うのなら、なるべく期限よりも前に終わらせたいのね。ただ慌てると良い事は無いし、いずれにせよ、期限って事を意識する事で緊張感が戻ったのね。

そんな中、平行にやらないとならないのが、外構工事の提案の絵・・・大まかなモチーフは決まって来たので、絶対に動きようの無い色を塗る事にしたのね。一応かぐやの娘に相談するにも、彼女は絵を描くとか組み立てるとか、そう言う事を美大で教わっても、タイルの大きさや色合いは、かぐやのを見ているとは言え、絵具程

は詳しくは無い。そうなると、なるべく伝わるようにするにも、大体の雰囲気を塗ってあった方が・・・と思って、幸せの青い鳥とか、奥さんの好きな赤いバラとか、ご主人の帽子・・・眼に入ったのがグレーだったのね。ダンディなんて色合いで言うのなら、ロマンスグレ―なんて言葉があるように、渋い大人のイメージがある。ただ、

青い鳥や好きな赤いバラのように決定の色合いからすると、そんな感じかな?・・・ってワンランク決定事項からは下がる。当然、止まり木にも見える記号も、止まり木にも見せようとするからこげ茶なんて塗ってあるのも、ここも決定って程は力は無く、暫定な感じなのね。こうなると割と地味に見えるかな?になったので、ここから

は、華やかさみたいな色合いを補充・・・って感じになり、やはり鳥がいるから、葉っぱの緑は足しやすい。しかしながら、ただ足すんでは無くて、意味が欲しいのね。鳥を囲んではいるけれど、月桂樹の王冠にしたいのなら、普通は輪になるものだけれど、巣にも見えたりしないかな?・・・って感じに見えると、巣立ちみたい

にも見えたりすると、大人になると飛び立とうとするし、こんな人達と暮らしていた子なんだよ・・・みたいな感じにね。ただこれもモンゴルの額と同じで、個性的であればあるほど、1点モノとしては、その人の為に考えている事なんで、受け入れて貰えれば良い結果が生まれるが、そう言う事はいらない・・・となれば、無難

なデザインになる。追加分のデザインは、学校のマークとモンゴルの伝統的な模様のみ。つまり元々あるものを組み合わせただけになる。当然、同じような事が起きるとしたら?無難に青い鳥にクルンとしたラインの葉っぱのようなデザインみたいな事を好まれるだろう・・・と思うのね。ただ初回の印象だと、今までの作品

の写真をご夫婦で食い入るように見て下さった事と、問診に積極的に話して下さった事も考えると、攻めた提案をしたくなる訳で・・・いずれにせよ、そろそろお見せしても良い位にはなって来たのね。これでダメならグッと抑えた提案に方向転換も考えている・・・。ただね、こう言うのは毎回難しいものでね、そもそもが

タダだったとすると、随分とハードルは低くなる。お金が発生しなくて、やりますが・・・だったとしたら?支払っていないのに、何も言う事は無いし・・・なんて事にもなる可能性が高く、もっと言えば割と高確率で欲しいって言って貰えるだろう。しかし、金額が張れば張るほど、当然意識は高くなるし、こだわりも強くなる。そう

なると、趣味趣向や好みを重視したくなるが、初対面で100発100中って言うのは、かなり困難。当然外す事にもなる。ただこれがもし、テレビ番組のコーナーの奥さんが変身・・・みたいなのだったとしたら?化粧も髪型も洋服も、プロの人達の提案が通り、いつもの奥さんの好みとは全く違うものでドラマチックになる。

つまりいつもの好みとは違うモノで引き出す訳で・・・と言う事は、提案とは?その人の思い付かない事を引き出せるか?になると、想像を超えないとならない訳で・・・当然やり過ぎれば、昨日の話のチンドンに見えるし、旅役者なのか?それとも・・・ってね。まぁカジュアルか?フォーマルか?みたいな話とでも言うのかな?

それとか、家族の中の子供寄せなのか?大人寄せなのか?なんて言うのでも良いのね。それが超越すれば、老若男女的に万人に受けた事にもなるんだろうけれど・・・こんな事を毎回悩むんだけれど、いつもなら考えている時って、音楽を掛けるんだけれど・・・大抵は昭和歌謡だったりするのね。所が今日はそう言う気分

じゃ無かったのね。kinggunや、髭ダン、あいみょんに米津玄師・・・今旬な人達。やはり売れている人達ってのは、それぞれに個性があって、売れるだけの理由もあって・・・ただ今も昔も次々にヒットメーカーがいて、売れていても消えた人もいるし、今現在も一線で活躍している人もいる訳で。何故そんな事を考えるか?っ

て言うのも理由があって、お客さんご夫婦が、あの子達が喜ぶかな?と思って・・・ってワードがあって、この制作にあたって、ご両親の立場で、娘さん夫婦や、お孫さんの喜ぶ顔って言うのがテーマなら、子供のいない俺が、昭和歌謡聴きながら考えてちゃ、若者に受けないでしょ?って気持ちなんだろうね・・・。きっと。だから

何かそのお孫さん寄せもしたいから、そう言う気分を入れたいんだろうね・・・しかも相手は小学生なんだけれど、俺の思っているような小学生じゃない気がするのね・・・今の小学生は。思っている以上に大人な気がするのね。だから、そうね・・・昔の表現だと、おしゃまさんのもう少し大人な感じ。そんなイメージなのね。

そんな中、今日もかぐやの娘と話したら、katsuさんこれって着地って何処?って聞かれて、多分大人寄りの子供って感じかな?と答えたのね。すると、だよね・・・と言われたのは、奴にもそっち寄りに見えたからだと思うのね。ただ奴はクライアント無しで、常に学校では個性を出してやって来たと思うのね。だから、何でこの

色なの?・・・って質問が来るのね。だから、お客さんの要望を踏まえて・・・って言うと、なるほどねって。だから決まった事が無いようであって、それを踏まえて、主役達のモチーフの邪魔をしないように、何を足すか?・・・が仕事だったりするのね。だからその足し算がいらない人には満腹過ぎちゃうし、好まれればおかわり

・・・って事になる。中々提案って言うのは難しいのね。常に攻めるとハイリスクが付き物になる。これでハイリターンなら、生活に困る事は無くなるんだけれどね・・
あははは。そんなこんなで今日も深夜になり、普段なら片付ける所が、気が張っていたんだろうね・・・その後、モンゴルの縁取り分の仕込みで、パーツ切り。気が

付くと、1時近くなって・・・どうりで疲れたって気がした訳だ・・・と帰宅。

新モンゴル日馬富士学園の額の追加分と外構工事の下絵

2020-04-23 00:44:46 | モザイク作家
今日は昨日に引き続き、前半はモンゴル、後半は外構工事の下絵をやったのね。結果としては、白の縁取りは8枚目の途中まで終わったのね。それと下絵は・・・

こんな感じ。これが家の壁に付くって予定で、全体で6.70cmくらいあるかな?まぁ家族にゆかりがあるモノのモチーフで、家族の紋章風味になっているのね。

そうね、こんな事を考える時ってね、例えばね、ガウディとかを思い浮かべたりするのね。あのゴシック様式全盛の時代に、昔の人達の表現をあえて使わせて貰えば、チンドン屋みたい・・・この表現は俺が子供の頃に、誰もが変わった色合い、カッコなどを見た時に大人の人達が、使った言葉なのね。ただこれを紐解くと、普通

って言うのは、こんな感じであり・・・と決まっていて、それとは大きく違ったものは、その表現をされたのね。じゃあ何で?となった時、恐らく浮世離れしたカッコ、色合い、そして人前での演奏、メイク・・・こう言う、人と違った事をしているからであるとしたら?所がこれが役者だったとしたら?非難は無く、知名度でも大きく違って・・・

例えば役者さんの場合には、さんが付く。けれど点々とあちらこちらに回る役者を旅役者と呼び捨てにする。同じ芝居でも格差がある。それでも役者であるのなら、差別用語は使われない。つまり紐解くに、人と変わったモノは変なものとして扱われるが、変わっていても素敵に変わって見えて、しかも流派が認められていて、知

名度が高い場合は、さん。同じ芸をしても、一定の小屋、ステージ等を持たず、点々と歩くフランチャイズを持たないものをビジターとして、昔の野球でも、そう言う扱いをされていた球団は多々あったし、今でも正社員と派遣やら、助っ人なんてのも、そんな意味を持つ言葉だったりすると思うんだけれど。話は戻して、ただ化粧1

にしても、玉三郎さんなら、教えて貰った人や見て来た人達が一流であり、それを盗む事も出来るだろうが、旅役者だったら?そしてチンドン屋だったら?ちなみにわざと、さんは付けていないのね・・・じゃないと、当時の差別が伝わりづらいから。そして、それぞれに違いがあって、役目があったと思われるのね。それは、

役者さんとして最高峰の人達なら、きらびやかに、憧れを持たせるような浮世離れであり、旅役者なら、こんな田舎では見られないようなものが見れて嬉しいって言うような、もっと身近で有難う・・・位の浮世離れであり、チンドン屋なら、大人はその人達よりも、チラシの方に目が行く・・・そうなるような大袈裟で滑稽な化

粧をして、いる浮世離れしていたと思われるのね。ただ演奏しているんだけれどね・・・つまり鼓笛隊やら、ブラスバンドのように見えるんだけれどね・・・俺には。おっとかなり遠回りしちゃったんだけれど、こんな違いがあったとして、仮に値段なんかを付けたりして見て。一体いくらの価値があるか?ってね。答えはチンドン

屋と役者さんは今日の手間、でも旅役者はご祝儀・・・勿論、役者さんもチンドン屋も出るだろうけれど・・・旅役者のようにご祝儀命のような生き方では無い気がするのね。まっ、それも置いといて、いずれにせよ、物事ってのは、賃金が発生する。しかも建築ってのは、莫大な費用な訳ね。だって借金までするのだから。それ

を、あの当時にゴシック様式全盛の時代に、無名のガウディに一体いくら支払った?まさか同じ額は払えまい。つまり旅役者扱いだったんじゃないか?と思ったりするのね。ただそれでもやらせてくれた事を考えると、かなりの勇気。タダじゃ無いんだから。しかもあんな仕上がり・・・それで、はいゴシック様式のお金って、言

われても・・・そりゃあね。一昨日来やがれって話でしょ?でもね、あの建物が何だったか?なのね。最初はカーサ・・・つまり賃貸物件。なら、お客さんが入ればそれで良いのね。大家さんにしたら。それが噂を呼び、次から次のカーサってな話だと思うのね。だって見た事の無いものに大枚出せないでしょ?これが本当なら?

考え方は、ここに家族の紋章風味に見えるものが提案したい・・・だからゆかりのあるモチーフを入れる。この考え方はヨーロッパの紋章のデザインと一緒で、これを入れたら、これも無いと駄目だし、そっちのが大きくない?みたいな敷地分配もしたりして・・・ただ普通はワッペンのように形でくくって、その中に入れるのね

。それが普通。さっきの話で、浮世離れって言ったって、役者に旅役者、そしてチンドン・・・これだけあったりする。所が、俺の場合、知名度やら流派は無く、つまり最高でも旅役者止まり・・・それは簡単な話で感だけでやっているから。そうね、人って上を目指すと、芸大って事になるでしょ?プロに習いたいじゃん。でもね、今

から無理じゃん。勿論、お金とやる気があれば・・・なんて励ましてくれる人もいるだろうけれど、折角行って無いのね。ここ勿体無いでしょ?行っちゃった人は、行って無い人にはなれないんだから・・・って話なのね。発想の転換ってのは。じゃ折角行って無いんだから・・・と前向きになった所で、そのままやってても限界があ

って、それが証拠に塾を選ぶにしても、野球、サッカー、何でも肩書きのしっかりした人の方が良いじゃない?でも俺の履歴書の1行目はタイル屋20年。さて、じゃどうする?って話なんだけれど、風味・・・ここね。良く出て来る言葉で、風味だ、モドキだ、みたいだ、感じだ・・・的に、本物じゃ無かったとしても似せる。これなら、

何とか行けるんじゃないの?って事だとして、この1行目のタイル屋の部分に何かプラス出来れば、単なるタイル屋では無くなるし、美大出でも無いし・・・って曖昧な風味やらモドキにならないか?って事になった時、先生になる人は結構いる。その中で、一番良いのは、かぐやの娘なのね。奴は美大を卒業して、それを生か

した仕事をしている。つまり美のプロ。更に昔から俺が何している人で、どんな人か?も知っているから、割とざっくばらんに話せる。お互いにね。つまり何か質問や相談をしても、ザックリ切ってくれるし、判らない事を、老人のパソコン教室のように、親切に対応してくれるのね。これが大事で、俺には無い眼が手に入るの

ね・・・その意味も伝えたんだけれど、俺はここまで感でやって来た。何もかも見よう見まねでね。ただデッサン力のような、しっかりした技術って言うのは、感じゃ上手くはならない。しかしながら、プロとしてやって行くのでは、見て真似るではダメだし、オリジナルって言うのは、書道のようにオレンジの字は無い。だから考

える事になるのだけれど、考える事は流石に慣れて来た。けれど、それを絵にした時、何かが違う・・・の何か?って言うのが、バランスと言うのであれば、タイル屋だった事でのバランスの取り方で補えるにしても、デッサン力って言うのも、同じように何枚も描かないと上手くならない。そう言う点では、いくらかマシにはなっ

て来たが、更なる・・・となった時、基礎を知らない俺では、いくらモザイクが上手くなっても、最終的にはオリジナルの絵が見劣りしていてはね。その時に失礼な話なんだけれど、かぐやの娘の眼が風味やモドキくらいでも良いから、俺のモノになると、ウイルスはワクチンに変わる。ただね、プライドなんてくだらないもの

があると、ちぃとも向上なんかしないのね。俺はただ良いモノが作りたいだけだから・・・。ではその眼って何だ?となった時、きっと基礎を習った人の普通は・・・って言ってくれるはずなのね。つまりゴシック様式は・・・ってね。それを知らずにただオリジナルって言っても、限界があるのね。そこで、わざと途中の絵を見せて、

意見を聞くのね。その時に、恐らくここが変って言われるはず・・・って所を予期して置き、指摘された場所を確認する。それと同時に良い場所も聞いて置く。その時にポーカーでは無いが、残すカードがカギになるのね。でも流されると、奴の言葉が正しい・・・と流されがちになるし、意地を張れば良いモノにならない。その

残すカードを見る眼を養う為の練習に付き合って貰っているのね・・・何度か。面倒だと思うのね・・・仕事から帰って夕飯時に画像見て・・・こんな感じかな?って。やり取り・・・でもちょっとだけ塾に行った気分なのね。何せ是正が出来ているように見えるから。ただね、今はこの程度で済むだけで、本当に向き合う事になると

・・・今は奴が美大出の普通って・・・を俺に教えていたとして、俺はその普通を少しづつ風味でも手に入れられて・・・の関係が、今度はもし俺の感覚だけの影響を受けると、きちんと基礎を持ってして、学校で習った普通じゃない事を言い出したとしたら?・・・奴の中には無かったモノが出来る事になる。逆にまたそれを俺

のモノに出来る事になる。がしかし、それが余りに上手く行ってしまったら・・・赤の水と青の水を綺麗に混ぜたら、ただ綺麗な紫になるだけなのね。いつか同じ紫同士の会話になってしまう・・・だから常にきちんと赤であり、青でありの自分を混ぜに行かないと・・・そう言う点では、まだ違和感は無い。いつかヒカルと佐為の

ように、成長してしまうと、自分でやりたくなるのかな?・・・お互いに。ならば、それならそれ。それまでの間、付き合って貰おうかな?って気持ちもある。

新モンゴル日馬富士学園の額の追加分

2020-04-21 23:09:07 | モザイク作家
今日は新モンゴル日馬富士学園の額の追加分を張ったのね。これで白い部分が5枚目に入ったんだけれど、改めてやって見ると、まぁ進まない事。一体どうなってんだかっ・・・って思うが、やっていればいつかは終わると思ってやってはいるものの、ストレスを受けている感じはする・・・。そもそも良いモノを作ろうとすると

手間を惜しまずやる事になる。しかもそれを実行すると、どれだけ時間が掛かるか?は、はっきりは判らず、ただ恐らくこんな感じ位かな?って暫定的な予測で始まり、始まってから段々と痛みを覚えて行く・・・そしてそれに腕も気持ちも慣れて行き、最後はその果てしなさよりも終わりが見えた事でラストスパート・・・そんな

感じになる。所が終わったと思ったら・・・って事になると、事が大きければ大きい程、気持ちが一段落って事になり、受験の後、卒業式の後、旅行の後、オリンピックの後・・・みたいに、それをただ通過するだけでも、喪失感があったりする。いわゆる何とかロス的な。ただ見る側でもね。これが目指す側となると、合格した、優

勝したとなると、それでどうする?になる。もう一度目指すのか?辞めるのか?みたいにね。ただ一度経験してしまうと、あの苦しさをもう一回なのか・・・って気持ちが蘇る。1回目の時は、夢中でやれるが、2回目って言うのは、知ってしまった上での行為になる。その時に大抵は1回目のままでは・・・と目指すものは更なる・・・

なんて事になるのね。大抵・・・だから予定調和を崩すのね。そうね、プログラム変更みたいに。その新鮮さが上手く行けば、更なる得点に結び付く可能性が広がる。新しい事にチャレンジって部分が新鮮だから。所が高得点で終えた事を引き続き・・・になると、やる方も見る方も新鮮さを失う・・・それが慣れ。恐ろしいもの

である。それが証拠に演歌のように歌い継がれるような同じ歌を何年も・・・ってスタイルと、新曲を次から次から・・・となるポップスでは、スタイルが大きく違うし、スポーツだって同じで、新人は毎年のように現れる。そこに何十年も続けている人達は比べられる訳で・・・ほぼどれも一緒なのね。だとするなら、刺激も無く、

また同じ事を繰り返す。気持ちの立て直しをしないと、慣れからミスをする。なんて事の無いように・・・ってやろうとするから、増々几帳面になる。当然慣れって言
う良い面は能率効率によるスピードアップなのに、几帳面になれば進まない。新しい事は無い、スピードアップもしないでは、憂鬱だなぁ・・・って感じにもなる。

そうね、気分転換が無いから。そこでそれを防ぐ為に、半日はモンゴル、半日は先日のご紹介の仕事の提案の絵を描く事にしたんだけれど、本来気分転換って言うのは楽しまないとならないのに、一番苦手な絵を描くのでは、全く息抜きにはならないし、むしろ増々追い込まれる気分になる。がしかし、そのまた逆で油断

出来ないって点では、良いのかとも思ったりして・・・。ただね、飯も食える、今すぐ支払いも出来ない位追い込まれていない、だったら落ち着いて出来る事に感謝・・・そう思うしか無い。そうね、そんな中で1つまだあるとしたら・・・もう6時かよ・・・こんな言葉が出た事。何にもやっていないのに、もう6時かよ。別に遊んでは

いなかった訳で。でも思った通りにならない。予定とは違った気持ちでいる。でも、時間の経過の表現が、もう・・・これは良い時間が過ぎていると思うのね。これがまだ6時かよ・・・だったとするのなら、やりたくない感が満載であるのだから。だから、まだ気持ちに余裕はある。そんな中、埼玉のコープみらいの担当者さん

から連絡があり、夏の講座まで全部無くなったのね。まぁそうだろうね・・・長引きそうのご判断だろうね・・・なら、他の事考えなきゃ・・・なのね。とは言え、まだやれる事がある・・・これが救い。

1人でデイ・サービス今日は8名

2020-04-21 03:22:21 | デイ・サービス

今日はデイ・サービス・・・流石にキウイを連れて行く訳には行かないし、でも連絡が来ればね・・・そんな訳で一応報告だけ。8名だったのね。ただ張るだけじゃん・・・って言われそうだけれど、これでもヘルパーさんと2人で目地まで終わらせると2時間掛かった訳で・・・俺一人では切らせる事は無理なのね。だから予定通り

だったと思うのね。だから来月も切らないスタイル。