katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuくんの日記

リピーターさん子供教室

2017-04-30 06:37:00 | モザイク教室
今日は子供のリピーターさん教室。本格的に作品作りを始める初日。それでも体験をしているから何をするのか?は判っているし、印象として大変だった・・・って事も残っているだろうけれど、何しろどの位の時間が持つのかな?・・・が知りたいのね・・・初日は。

これから何回かお付き合いして行く上で、どの位の根気みたいな・・・。そこでこの作品の難易度の一番高そうな足からスタートになる。要するに来ました・・・始めますぅ・・・は、今日一番の元気があるはずなのね。そこでどれだけ元気なうちに進めるか?になると、1回の教室で何本出来るか?・・・

になり、本人は2本は出来ると約束してくれたんで、3回で足は終わる事になる。そうなると1回の教室で足2本と、後どの位進められるか?になり、大体の目安になるって寸法なんだけれど、何しろ3時間頑張るって大変なのね。そもそも、室内、動かない、こんな条件は一生懸命が伝わりづらい。

これが3時間スポーツをすれば、汗をかき見ている方も大変さが一目瞭然だし、勉強だとみんなの評価は高いし、って考えると、モノ作りって言うのは、作っている姿が大変そうに見えづらいのね。何しろ最初は誰でも上手く行かないもので、上手く行かなきゃへこたれもする。

けれどね、スポーツでへこたれていると、どやされたり、ファイトぉぉぉとか応援なんかがあったりする。これが勉強だとしても、塾であぁぁぁ、ってへこたれて出来ないぃぃぃとか言わないでしょ?・・・じゃ3時間休みも無く制作するモザイクってどんな感じ?・・・・

俺はね、ご両親には申し訳無いけれど、ちゃんと・・・って言う事をあれもこれも全部初日からとは思わないのね。そもそもまず来た・・・ここから。
良く来たね・・・何しろ今日の1回来たって事は、これが終わるまで来ないとならなくなるのだから。これが大人なら辞めたぁ・・もありだけれどね。

何しろ子供は連れて来られるからね。若干強制もある。けれどまた来た・・・そしてこの下地。自分の描いた下絵のままの作成なのだから、文句は無いし、ピアノのバイエルじゃ無いけれど、誰もが一緒じゃなくて、自分の絵・・・やる気になる方向ではあるのね。しかも大きくなっているから、

迫力もあって・・・ここで喜んで貰えれば、取りあえず前向きな方向へ・・・となってくれると有難いのね。そんな伏線あってのスタートになるが、やっているうちに疲れるし、上手く行かずに失敗もしたりする・・・でも球が取れなかったり、打てなかったり、問題が解けない・・・ってものでは無い。

何しろ正解は何?って話・・・だってオリジナルだから、これが正解ですって言うものが無い。ただ正解は無いけれど不正解はある。その約束があるのね。そもそもがへこたれれば、あぁぁぁとか言えちゃうのね。しかも頑張り度が他のものよりも伝わりづらい。

そこでへこたれるのも良し。弱音を吐いてやりたくないぃぃも言っても良し。でも、何を言っても良いけれど、楽をするのは禁止。素敵になるから大きいのを入れる・・・のは良いが、大きいのを入れれば早く終わる・・・って言うのは禁止。そこにある拾ったパーツだらけも禁止みたいに楽をする行為・・

こんな事を約束出来れば、何を言っても良し、伸びをしたり、休むのもOK、何しろ結果。これが大人で長く続いている人なら、結果を良くする為の1つの方法として、作り手の姿勢・・・なんて事も言ったりするが、何しろ子供。ここは全て大人と一緒って事を言うつもりも無いのね。

ただ、親御さんにすれば、弱音を吐いたり、手が止まるのはちょっと・・・と思うんだろうけれど、ここは我慢って所だと思うのね・・・。そもそもそれが一番大変って事が判るのは、教えている俺なのだから・・・でもその大変さが伝わらないのがオリジナル制作なのね・・・。

だからこそ、特に楽を選んじゃ駄目だし、だから結果も気になる。本来なら取り組む姿勢なんて言いたいけれど、それは労作展の中学生なら必要としても、まだ小学生・・・ならば、楽をしなきゃ、へこたれも良し、弱音を吐くのも良し・・・って事なのね。

楽をしない事1つでも、十分結果に繋がって来る・・・そんな1日目。良く頑張っていたのね。その後はウミウシもやったけれど、あんまり進まなかったのね・・・
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みどり教室とウミウシ

2017-04-29 06:50:14 | モザイク教室
今日はみどり教室。その前にかぐやが昨日のブログ突っ込みどころ満載ですよ・・・って。若竹煮はワカメだし、ガメ煮は筑前煮の事だし・・・って。
色んな事混じっちゃってるし・・・って。確かにかぐやから聞いた事になってるから、とばっちりになっちゃうもんね・・・・ごめんごめん。

それでは・・・とその前に、まずはみどりから先日の横浜でのアートとジャズのイベントの結果報告。それをかぐやと聞いたのね。ひとまず10点ちょっと売れたらしく、全ての支払いを終えると宣伝をして来て貰った・・・って感じだったが、そこは正直かぐやとも話をしていたが、路上での販売・・・

売れる金額は決まっている。例えば衣食住的発想なら、洋服やら食べ物の衝動買いまではあっても住宅は高額だから調べそうでしょ?つまり何と無く見つけたものに普通一体いくらなら出せるんだろうか?となると、1万円以下だろうな・・・は想像はしていた。

しかし、売る事が目的なのか?それとも知って貰う事なのか?となると、売るのなら月並みだけれど、買って貰えそうなものは何?・・・と作るべきだし、逆に知って貰うって言うのなら個性的やら腕やらを見て貰うんだから、これなんですか?・・・と言われないとならない感じになる。

要するにお客さんの知識の中のモザイクとは違う・・・って感覚になって貰わないと。しかしそうなると、当然比較対象が無いから、いくらするもんなんだろう?・・・って基準が知りたくなるが、初めて見るものが路上・・・そこに何万なんて金額が提示されたら、きちんとした店舗じゃないから怪しい。

そう思われてもおかしく無いし・・・いずれにせよ、売り子のみどりは良かれと思っているから、やって見たい・・・と提案して来たんだけれど、そことその場所のお客さんとの温度差は金額に表れたりするもので・・・・つまり折角の提案も結果を売れたかどうか?に気持ちが片寄ると、気持ちは折れるし

・・・提案した人の事を考えると、折角の提案を恥だけを掻かせる訳には行かないし・・・だから看板になる作品としてジャズの作品を持たせたのね。
例え売れなくても、そこの趣旨に合っているし、そこは目を引けば・・・とね。ただいくらかの稼ぎも無いと・・・となるとね・・・。

そう言う点では地元であったみどりのお陰で知り合いも来てくれたらしく、経費は確保出来たから上出来だったと思うのね。そこをねぎらった上での話は、いつもならほぼ女の人の興味を引くものが、全くの逆で男の人ばかりに見られたらしく、更に年配の人が多かったらしいのね。

しかも、銘木としての木の評価だったり、彫った技術だったり、モザイク以外の部分の興味の話も多かったらしい。何とも嬉しいのは、こんな値段で良いの?・・・と言って下さったお客さんが何人かいたらしく、本当の意味でのお客さんと出会った事だろう。

勿論良い事だけを聞くつもりも無く、そろそろ批判らしき話もして貰おうか・・・そっちのダメージが大きいだろうから。正直、俺は本人だから、いくらでもそんな事はあったから、嫌でも慣れたし、かぐやは事務で何度もそんな事で味わったから、ダメージ慣れしているが、みどりは初めて・・・。

何かをやれば良い事もある。がしかし大半は批判みたいな事ばかり。何だこれ?うわっ、高っ・・・これって儲かるの?良いよなぁ・・好きな事だけやっていられる奴は・・・ちょっとまけてよ・・・これあんた作ったの?何だぁ・・・じゃ倍の時間あれば俺にも作れるかぁ・・・・。

いくらでもあるがキリが無い。いちいち気にしていられない。でもここで人の価値が問われると思うんだけれど、言われたから辞めるのか?そう言う意見もあるのね・・・って続けるのか?ただそれだけ。今回の話は俺やかぐやがみどりを見送っただけであって、みどりが折れるか?折れないか?

たった1回の出来事。それで結果が思うようにならなかった・・・って言うのか、自分が甘かったと思うのか?、懲りれば辞めれば良いだけで、甘かったと思うのなら、きちんと次は思い付きでは無く、これを踏まえた何か考える・・・その繰り返しなのね。続けるって言うのは。

多分良い勉強をしたと思うのね。まっ、どんな結果にせよ、2人に言ったが、今回の事で俺が手に入れたものは、わずかながらの食事代とジャズの作品・・・あぁこんな作品がこの時間で作れるんだ・・・俺ってね。こんなお題が来なくちゃ、こんな作品は作らなかった。

それがイベントに寄った作品を作った事が、新しいkatsu引き出しが増えた事。こんな事が財産になる・・・作り手としてね。何しろ結果は後から付いて来る・・・おてんとさまは見てるんだって・・・・朝ドラのひよっこの爺ちゃんが言ってた・・・あはははは。

まっ、いずれにせよ、弟子なんだから良い事も悪い事も見て行く事になる・・・それが等身大のkatsuを生で見る事であり、後はその人次第。ってそんな当たり前の事よりも、カルビも参加してくれたんだから、弟子のねぎらいよりもそっちの方が大事。

ただお疲れぇ・・・っていつものように次に会ったら言うだけ。ある意味、カルビがそこにいた事は凄く大事で、良い体験になったと思うのね・・・
良く人を見て、良く聞いて・・・・どう感じたか?次に感じた事を質問するから、きちんと答える練習をして、その解説を俺が出来れば・・・。

みどりと同じ事を経験・・・嫌、若い分、みどりに負けない成長もあるだろうし、本当にそうだったら・・・良いライバルにもなるし、良い相談相手にもなるだろうね・・・腕だけじゃないのね、大事なのは。少なくとも心持ちって言う点では、カルビも感じた事があるだろうし・・・。

きちんと大人扱いして、本来ならもっと楽しい場所でもっと年齢にあった人達と接する時間でもあるのに、その大事な時間を使うのだから、そこにいた時間が何かの足しになるような事になって欲しいと思うのね・・・まっ色々伝える事はあるのね。

まっ、そんな事がメインになったが、思ったほどのダメージでは無いように見えたから、きっと得た事が身になったのかな・・・いずれにせよ、終わったら明日がやって来るから、またその時の為の準備・・・腕も、心もね。そんな中、ウミウシを作りながら・・・
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初めての棟梁1人教室

2017-04-28 00:37:35 | モザイク教室
今日は初めての棟梁が1人のお教室・・・って言っても別に何にも変わらないんだけれど、本人にしてはハードルが今まで高かったようでね。そもそもみどり教室のやり取りをブログで見て感情移入して、そこまで言わなくても・・・なんて思うと、あんなに厳しくてはきつい・・・と思ったようでね。

ただみどりと相席を重ねる度に感じるだろうが、では言われている本人は?と言うと、結局すいませんでした・・・となり、それを生で見ている棟梁は厳しい話も見てはいても、それは弟子であっていつか仕事をしたい人への話であって、自分が言われている訳では無い。と判ったようで・・・。

もっと言えば、みどりが何故上手くなったのか?の理由もはっきり判ったようで、逆にそれを見て、積極的に来たいと思って貰ったようなのね。きっとそれだけ本気で取り組もうって思っているのも伝わっては来るのね・・・そうなると逆にまだ楽しみを残しつつやりましょうって事になる。

そうね、例えば社会人のスポーツ選手とプロの選手を比較して見れば簡単な話で、社会人の場合は給料としての保証ありきで、当然すべての時間を練習に専念出来るとは限らない。逆にプロの場合、給料は出るがまともな保証は何も無く、毎日死ぬほど練習は出来るがしかし、体を壊せばおしまい。

腐っても鯛とはそう言う厳しさを生き抜くからであり、消して楽しいなんて事とは無縁に近い話。しかし活躍すれば人の応援の度合も大きく変わるし、2軍のようなプロは最低賃金の話だから、給料みたいな表現をしたが、プロはいくらでも上限はあるし、逆にクビにもなる。

では俺の弟子って何だろう?・・・って事になった時、なった奴らが判断すれば良い話で、こんな厳しい話へ来る必要は無いと思うのね。ただ逆にその厳しさは必ず楽しみの人とは違う技術を得て当然だとも思うのね。DIYと職人の違いみたいなものとか、そうね、レッスンプロなんて話でも同じ。

DIYの人は趣味であって辞める事は簡単。しかし職人は仕事・・・辞める選択では無く続ける努力をしないと生き残れない。生きられないって事は職を失うって事なのね・・・レッスンプロとは、試合で勝てなくてもレッスンのお金を得られるが、試合で稼がないと収入が無くなるのがプロ。

多分説明しなくても簡単な話だと思うのね・・・後はもっと簡単な話で修行ってなんだろう?って話。普通に生きれば一生用事の無い生き方だけれど、覚悟1つで厳しさが変わる。遊びの1日体験の座禅と、小僧さんとしての修行では同じ座禅でも変わって来る。別に普通の話だと思うのね・・・。

ただそれが俺の話だから受け入れられない話になる訳で・・・あはははは。まっ別に大した話じゃないんでこの辺で説明はおしまいにするけれど、こんな話を抱えての1人教室・・・・だから棟梁は至って真面目に考えたからハードルが上がっちゃったのね。でも逆に言えば、その上手さに興味があったって

話にも聞こえるけれどね・・・くっっっ。まっ、そんな中、1人でどう?って聞いたら、別に何にも変わらない・・・って。だよね・・・後は、全てはこの作品が終わってからの話で、今は弟子のみどりなんかの話に一喜一憂なんかせずに、相席で得るモノが何か?を良く隣で見れば簡単に上手くなる。

そもそも当たり前の話で、人はその環境に応じているだけ・・・そして後はミミズのような生き方が出来るかどうか・・・。ちなみにミミズは雌雄同体。
出会った行く先々で自分の性別を変えられる。イグアナもそう。陸のイグアナはサボテンに登る事無く落ちるのを待つ・・・これでは生きる事が不器用。

逆に海のイグアナは海藻を狩る。自分で取りに行く。完全に別ものなのに、それらが合体すると水陸両用のイグアナになる。まっ生きるとは?そう言うしくみの元、残るべきものが残るだけだと思うのね・・・・。ではこれが生き方の原点だとして、全てをそんな事と受け入れて考えれば・・・。

例えば高洲。ここは楽しみ重視。ただトップが実力者のキウイ・・・単なる楽しみでは無く、みんな何処に出しても楽しみだけの作品には見えない。当然なのね・・・トップがキウイなのだから。ただ楽しいだけじゃなくて、あの作品を目の前で作るのだから・・・。それを見る事になるのだから。

ではカルチャー。ここも楽しみだけれど2時間・・・ここはとても難しい場所でね、上手くなりたい・・・と辞めてアトリエに来ちゃった人達がいる中、おかみさんがいてくれる事で、上手くなるとこんなのが作れるのかぁ・・・・と、ここの会場でのトップなんだけれどね・・・。

みんな仲良く・・・だと、1人浮いちゃう作品になるし、そんな中、さくらが入って二人が大作みたいになると、私も・・・なんて続く人も出て来たり、新しい人が入っても、楽しみ・・・と続けられれば良いけれど、こんなに大変じゃ・・・と辞めてしまう事も多いのも事実。

これがKAMEYAさんになると、カルチャー感覚で時間が倍になるんだけれど、時間の分、進むし、時間の分上手くはなる。けれどね、上手くなるって良いのを見る・・・なんてもんが刺激になるものでね・・・結局、そこの会場に憧れるだけの作品があるか?無いか?になるのね・・・。

楽しいだけなら、素敵なサンプル作りで十分楽しめる。けれどね、作り手って貪欲だったりすると、趣味なのにもっともっと・・・となった人は、一体何をどうするとその先があるのか?になる。けれど弟子は厳しそうだ・・・ってね。あはははは。

そこで考えられるのが、憧れの作品・・・あんなの作って見たいってね。棟梁はかぐやの作品を毎日見ていて、いつかこんなの作って見たいって。
でもみどりのも・・・でもそれは全て弟子達の作品・・・・だからアトリエに興味があったんだろうね。有難い話なのね。

そんな中、こうしてアトリエに来るようになって、確かに技術やセンスなんて事も教えてはいるが、一番教えているのは心持ち。そもそも簡単に楽しむだけなら、棟梁くらいになれば十分趣味の域は超えている。けれどね、もっと・・・となると、どうしても大作を作りたくなったりする。

でもね、大作って言うのは大きさだけじゃないものでね・・・中々終わらない重圧、上手く行かない自分への苛立ち、そんなもどかしさの葛藤の中制作する訳で・・・・簡単な道のりでは無いのね。つまり技術だけじゃ乗り越えられないのね。作り手自身を鍛えないと・・・・。

ただそんな自覚が無いと、勢いだけでは続けられないのね。けれど、だからと言って大きく何かをするって事じゃなくて、ほんのちょっとだけ、ちょっとした心持ちを変えるだけ・・・そのお手伝い程度の事。その時にみどりとの相席は勉強になったんだろうね。

要するにみどりが弟子で立場が上なら、情けを掛けたいのならみどりよりも上に行かないと・・・。そもそもお母さんが子供に情けを掛けるなら判るけれど、子供に情けを掛けられるのでは情けなくなっちゃうでしょ?逆に棟梁との相席で、過去のさくらとの相席を理解しているだろうね・・・。

みどりも。あの時は下の立場、今は上の立場で・・・ね。それに気が付くと、さくらがどんな気持ちだったか?自分は何をしていたのか?全てが理解出来るだろう・・・その時に1を知ったら10を知れ・・・の意味を理解出来るのなら、じゃかぐやは?・・・じゃキウイは?と自分との関係を理解出来る。

ではその人達はどんな作品を作っているか?・・・となると、作品は自分自身。ならば、その作品がその人達って言う事になる。見習うべきはその姿勢。簡単な話で、何度も言うが、人に凄いと言われるような作品を作るようになったなら、その作品に見合った自分を作る事だと思うのね・・・。

棟梁はそろそろその自覚を持つ事・・・その心持ち1つで必ず変わる。楽しみを残しつつ上手くなりたいと言うのなら、俺のやる事は1つ。棟梁の心の中に自覚って種を植えて、枯れないようにするだけ・・・・そんな事の繰り返し。後はみどりが良くも悪くも見せてくれるはず。

何せ弟子なのだから。痛みは必ず糧になるものだから・・・。そんなこんな後はウミウシなんだけれど、画像の撮り忘れ。それは明日にして、そうそう、厳しい話ばかりじゃなんなんで、どうでも良いこんな話。先日スーパーでそろそろタケノコの季節だし・・・とタケノコの煮物を買ったのね。

ここからは主婦の皆さんなら判って貰えると思うんだけれど、タケノコの煮物とは表示されていないのね・・・そこには土佐煮とか、若竹煮とか表示されていたりするのね・・・でも俺のお袋はタケノコ煮たから・・・みたいに言ってた気がするのね・・・・。

ほら、どうでも良い話でしょ?・・・んでね、例えば筑前煮とか土佐煮とか、地名が付いているからきっと名産なんじゃないのかな?とか思ったりする訳ね・・・想像でね。ここでググったら簡単なのに、そこをみんなに聞いて行く訳ね・・・何せ疑問の捜査だし、誰も傷付かない話題なのだから。

更に言えば、別に一緒なら名前を統一すれば良いのに、違うから名前が別なんだろうから・・・そうすると、東と西の違いとかなのかな?って思ったりして・・・そんな中、業務連絡がかぐやから来て、聞いて見たら・・・若竹煮は昆布とかと一緒に煮るって・・・それは棟梁も言ってたのね。

そしたら土佐煮はカツオが乗ってて・・・土佐はカツオ・・・あぁそう言う事かぁ・・・そう言えば乗ってた。じゃ俺が今まで食べていたのは、土佐煮だったのね・・・って解決したと思ったら、ガメ煮とも言うなんて、今まで一度も聞いた事の無い事を言うのね・・・・ガメと来たら、ラでしょ?

ガメニって・・・また誰かに聞いて見よっと。これをクグったら、何か味気ないのね・・・それは最後の最後にしないと・・・こんな話は慌てていないんだから。まっ、俺の趣味みたいなもんだから・・・。
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リピーターさん教室とアカフチリュウキュウウミウシ

2017-04-27 00:38:47 | モザイク教室
今日はリピーターさん教室。前回同様で安定感があるのね。首周りのえぐりも中々で、良く切り抜けたのね。ラインも綺麗だし、このまま慌てなければ、今の時点でかなり良い仕上がりなのだから、結果も付いて来ると思うのね。ただ何しろ1作目だし、楽しく・・・はキープしたいしね。

ただ必ず体験よりは誰が見ても上手くなった・・・・と評価出来るものにならないと。良く自分が納得すれば良いって言う人がいるが、それが本当か?となると、必ずしもそうだとは限らないのね。それはずっと個人レッスンなら比べられる事は無いけれど、相席になった時に相手の作品も見る事になる。

例えば最初からサークルやカルチャーのように周りに人がいる場合、良くも悪くも人に見られる。こんな場合、知らず知らずに意識せずに見られ強くなるものでね、それに慣れた人って言うのは、見られる事と同時に人からの批評なんてものも聞く事になる。

ただ普通は何でも褒めるんだろうね・・・大抵は体裁を使うでしょ。もっと言えばモザイクをやった事が無くても、可愛いとか細かいとか、大変そうとか、ひとまずこんなセリフを言って置けば安心だろうからね。ただ、本当の優しさってなんだろうか?本当の楽しさって何だろうか?

そう言う意味ではねアトリエでは特に、みんな本音で人の作品は批評してね・・・と言ってあるのね。体裁は体裁を呼ぶからね。それはその人の為にもならないし、自分の為にもならないから。それがみんながみんな統一感がある位に体裁なら良いが、それだって必ず習えば目が肥える。

いつか自分で判ってしまう。逆にアトリエ以外の人の評価が低かった時に、ショックを受けるかも知れない。そう考えると、いつか相席だってあるし、そこで本当の意味で評価をきちんと受け入れられる・・・そんな人に育てるべきだし、そう教えるべきだと思うのね・・・。

勿論それは教える側の俺の考えで、あくまで俺の考え。ただ必ずしも生徒さんがそう言う考えじゃないかも知れないから・・・。でも、もしここにいる人達が上手く見えたのなら、そう教えた事を理解して下さったからであり、そうなるとみんな自由に評価するだろう。

その時に少しでも何らかの評価が得られる・・・そんな何かを見つけ出せる個性を引き出した教え方をしないと、誰が教えても同じだし、何処で習っても同じであり、同じなら材料の手配屋さんであり、近いからであり、特に教える理由が見出せなくなるし、教わる理由も・・・お互いにね。

でも、だからと言って難しい事ばかりを言うつもりは無いし・・・正直、初めての方のさじ加減って言うのは難しいのね。そんな中、エプロン買っちゃいました・・・って言う一言が、それじゃ自宅でコースターでも作って見ますか?・・・って返答に繋がったのね。

やる気のアピールに感じたから・・・それならこんな提案みたいなね。そんな訳でフラミンゴはここだけで・・・コースターは自宅で好きに・・・って感じになったのね。一人でやるって言うのも大事な向上に繋がるしね。いずれにせよ、無理はさせずに楽しみを多めにキープしつつ進めて貰おうと思うのね

そんなこんな後はウミウシ。昨日張り終わったってウミウシが出て、また新しいウミウシに入ったのも気分が変わったようで、若干新鮮な感じがしたのかな?進みが良かったような気がするのね・・・・どうかな?


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アオウミウシとキマダラウロコウミウシの2匹張り終わり

2017-04-26 02:28:52 | モザイク作家
今日はお教室が無く、丸々1日作品作り。そうね、何と無くだけれど大作特有のペースダウンしている感じはあるのね・・・例えば続けてやると、勢いなんてもんで押し通そうとしたりして、そうすると進み具合が良くなったりするから、気分が良くなったりもする。ただ逆に勢いに任せると、進み具合が

良いだけに振り返らずに進んだ分、失敗した時に大きく崩してしまう事もある。それとは逆に、合間合間にやっていると、果てしないな・・・って後向きになった瞬間、いつ終わるのかな?・・・何でこんな事してんだろう・・・って後悔に近い気持ちになったりする。

最初はやろう・・・って気持ちで、しかも自分が描いたものをやるには何倍かの大きさにして、繊細に出来るようにする・・・ってしっかり準備もした。このきちんとした準備が、繊細に・・・とやる前と同じ気持ちでやっているようでも、思っていた以上に時間が掛かったりしたような気分になると、

そうね・・・簡単に言えば、食べ放題みたいなものの感覚で、食べる前に何皿食べるって決めていたら、食べ始まったら途中でそんなに食べられないかも・・・って思うような、判断ミスしたような感じ。でも休まず勢いに任せれば食べられたかも知れないが、何しろフランス料理みたいにチョコチョコ。

段々お腹一杯に・・・ってね。あははは。こんな時に、きちんとした目標みたいなものがあれば、これが宿題提出日まで・・・とか、建築のように期限とか、半強制的な場合、やる気なんてものだけで乗り切ったりしたりして・・・。だから勿論この作品も夏の営業に使いたい・・・ってあるけれどね。

でも営業に使うって事は、この作品を作っている限りは収入には繋がらないって事になる・・・それは最初から判っていたのに、掛かっている時間が長いと感じた瞬間、思っていた以上の果てしなさを感じてしまうのね・・・これが逆にやっていれば進んでいるのだから、終わりに向かっているのに・・・。

その時に収入には繋がらない・・・って気持ちのダメージって言うのは、何とも言えない気持ちになるのね・・・まぁ何回もやっているから少しは慣れてはいるんだけれどね・・・ただ、割と落ち着いてやっているとは思うけれど、後向きになりつつある・・・・って気分になって来たかもな・・・。って、

そんな気分になって来たって自分がきちんと感じられれば、その心の補修が必要になる。それが終わったよ・・・って思わせる事。だから今日、2匹終わった・・・って部分をやって、自分が終わったって気分になるようにして、気分を良くして見たのね。

大した事では無いんだけれど、いくらか気持ちが軽減されれば、それはそれでプラスになる。何しろ依頼品があるにも関わらずやっている事なのだから、そのダメージが大きいのは判った上での事。これで気持ちがいくらか持ち直してくれると良いんだけれど・・・。

まっ、でも良く騙し騙しやっているとは思うんだけれどね・・・・あはははは。



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ご新規さんの体験教室とウミウシ

2017-04-25 06:49:48 | モザイク教室
今日はご新規さん教室。いつものように送迎している時のちょいとした会話の中、モザイクを見つけたきっかけは?みたいな質問をすると、タイルって岐阜の多治見が有名らしいってテレビで見て・・・・タイルのミュージアムとかあるとか・・・って、いつもと全く違っていたのね。

良く聞くものとしては、ガウディとか、雑貨屋さんで小物を見たり、テレビのセットだったり、色々ときっかけはあったけれど、多治見の名前が出たのは今までで始めてだったのね。ただ多治見でモザイクって言ったら、ほぼドットのモザイクと片寄った言い方をしても良いくらいでね・・・・。

昔、イベントで呼ばれた時に、色々と見せて貰ったが、切った作品は見られなかったのね。全てと言って良いくらいに、切らない並べたドットの絵が至る所にあったのね。となると、タイルを切るなんて思ってはいないだろうな?・・・と思って、タイルを切るなんて思っていないですよね?って質問すると、

はい。並べてあったと思います・・・・でも、タイルって切れるんですか?もし私でも切れるなら・・・って特に抵抗は無さそうだったので、一通り説明だけして、特に決まりは無いんで、下地がある中でなら、どれでも・・・・と言うと、それじゃコースターって事になり・・・。

縁取りの色選びからスタート。もう何しろご新規さんの体験は難しい事一切無しで、楽しければ良い。出来たら良い。例えこれで終わっても満足しての1回になればそれで・・・・って感じなんで、正直、切らないって言われれば、それはそれで受け入れる気持ちはあるのね。

ただね、仮に作品自体の仕上がりには入れないとしても、一度も切らない・・・って言われると、正直教えたって感じは一切せず、ただの材料の手配屋さんみたいな感じになるのね。だから、とりあえず切り方の指導はさせて貰って、後は特に強制するつもりは無いのね。

でも、大抵は切った事が無いだけで、切れる楽しさを知ると、こうして切るモザイクになるものなのね。そう言う点では、このティーアートのぺきぺきタイルは幼児でも切れるタイルなので、誰でも簡単に楽しめるタイルなのね。何しろ初心者でもこうして結果が出るのね。

縁取りの1cmタイルで張り方やボンドの付け方を練習出来るし、この小ささで練習出来れば、ぺきぺきの大きさになれば、難なく張る事は出来るし、1㎝タイルの色の豊富さで、タイルの色選びの醍醐味も楽しめるし、初めての人にはぺきぺきは見事なタイルだと思うね・・・毎度毎度。

お疲れさまでした・・・・またよろしければ・・・・といつものように終えて、その後はウミウシ。


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ゆづ教室とウミウシ

2017-04-24 07:11:35 | モザイク教室
今日はゆづ教室。自宅で仕込んで来たパーツを張るって感じだったんだけれど、今日がモザイクの初日なんで、今後の展開の目安となる。そうね、これはらんちゅうの背中なんだけれど、背中の中心から段々と小さくなって行くウロコと、一旦終わった後、また続く側面って感じの構成なんだけれど、

側面はアトリエで切って張ったのね。そうなると結果として、6.7時間の仕込みを3.4時間掛けて張り、追加の側面をやった事になるのだから・・・ここまでに10~12時間は掛かった事になる。そうなると、金魚の大きさの大小があるにして、全部で6匹なんだから・・・後30時間位ウロコに掛かるのかな?

何しろ流石に今の時点じゃ読むに読めない・・・ただ1か月に2回のペースを5.6月も続けて貰えると、夏休みまで貯金が出来るので、出来るだけ金魚を進めたいのね・・・出来ればここはメインなんでね。そう言う点での滑り出しは好調だと思うんだけれど・・・。

そんな中、ゆづをちょっと知った感じがした話があって・・・なるほど・・・って思える事があったのね。それはこれからも続く付き合いの中で、また新しい事を知るってとても大事な事で、時間を共有する事は仲良くなるには必要だけれど、慣れ合いにもなる。

それが新鮮な気持ちって言うのなら、また新しい事を知るのだから、そんな事知らなかった・・・って事になる。つまり思い込む事無く、また新しいゆづに書き換えって感じで・・・ニューゆづみたいな気持ちでの2年目って感じになるからね・・・教える方としてはね。

いずれにせよ、ここからはモザイク先生のkatsu。そんな後はウミウシ。


みどりのイベントはその間に終了したんだけれど、これについては数日後に来るので、話を聞いてから結果報告をする事にして・・・。いずれにせよ、2日間のイベントは無事に終わったのね。お疲れさまでした。
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KAMEYAさん教室と吉田町アート&ジャズフェスティバル

2017-04-23 04:18:14 | モザイク教室
今日はkameyaさん教室。本日は3人。って事で、先に棟梁とおかみさんの画像もアップ。


この3人はもうアトリエの人になりつつあるので、月に2回は会っている人になるので、指導としてしばらく振り・・・って事では無いのね。例えば月に1回だと30日振り・・・って感じが月に2回だと15日振りみたいになる。全然違う感じがしないかな?・・・・

これが逆に1回休んだ・・・って感じだと、月に1回の人だと、60日振りになるのと、月に2回の場合だと、30日振りになる。当たり前の事なのだけれど、こうして数字で見ると、凄い違いに見えるでしょ?つまりこれが、人は忘れる事がある前提で、前回の指導を何処まで身に付いたか?になるとして、

この1回の違いがはっきりとした差になるのね。例えば、切るって行為1つにしても、えっと・・・どうしたっけ?って言うのと、ほらほら・・・あっ、そうだった・・・って思い出す。ここは指導のしなおしでは無くて、ほらほら・・・って4文字だけでも気が付いたりするのね。

それは前回の時に、口酸っぱく振ってあるから・・・けれど月に1回では、酸っぱく言っても時が立ち過ぎた・・・って感じで、場合に寄っては、そんな事言われたっけな?・・・・ってすっかり忘れていたりもする。それがほぼそんな事が無くなったのね。

そうなると、1を教えて0.7忘れて、0.3にまた1教えて、1.3にしたけれど、次に来る時には0.6になった・・・みたいな繰り返しの時は、セリフが思い出したと思ったらもう時間だわっ・・・・って感じ。それが今の状況は、1教えて0.7を覚えてたりして、忘れていた事が少ないから、取り戻すのも早く、

0.8とかになっていて、それなら2教えようかな・・・になったりする。要するに覚えている事が多いから、予習みたいな感じになるのと、忘れていた事が多いと復習みたいな感覚の違いは全く違う結果になって行くのね。ただそう言うと、完全に月2回の方が良い事ばかりに聞こえるけれど、常に言ってる、

良い事と悪い事は背中合わせで、理屈はそうだけれど、相手は人なのね。数字じゃない。要するに昨日のブログの続きで、その人の気分1つで全く違って来るのね・・・例えば月に1回なら体調が良く無くても何とかしのげる・・・って言う事かも知れないが、多くなるって言うのは慣れると同時に、

新鮮さは失って行くと言う事にも繋がったりもする。その時に技術の向上ってお題にして話を進めると、それは誰だって通えば上手くなりたいって思うのは当然だと思うのね。けれどね、じゃ一体どれ位?って言うと、そう言う質問に答えられる人ってしっかりした何か?を持っているのね。

例えば、建築としてのモザイクをしたい・・・みたいな事は、労作展に提出って言っているようなもので、じゃこんな場合は短期間に集中なんて目的意識がしっかりしている分、それさえ終われば・・・と頑張れる。それを1か月に1回の楽しみ・・・趣味ですって言うのでも、最初は楽しむ事も出来る。

では楽しみ5年目・・・ってどう思う?楽しみならそんなにガツガツ必要無いでしょ?・・・じゃどの位上手くなっていたら良いのかな?そしてその技術を証明するものは何?・・ここなのね。普通は勉強なら点数だったり、スポーツみたいに試合、美術なら展示・・・でもウチは良くも悪くも何も無い。

そうなると一体何?って言うと、全てが自分の作品のみ・・・そのグレードの評価のみ。だからコースターを5年作っていても構わないんだけれど、本当にそれで良いのか?となると、果たして5年間コースターの大きさで教わりたいか?になると、どうしてもチャレンジの大きさになって行く・・・。

その時に、普通は段々と・・・って言いたいのだけれど、最初の話の建築やら労作展は初回から凄い事を無謀に臨む。でも大抵は何とか結果が出るのは、短期間だから。夏期講習は夏期だけだから。毎日やれるものならやってみ・・・ってな話。普通はコツコツってものなのだから。

でも目的がはっきりしている分、頑張れるのね。つまり気持ちのみで乗り切るから。それが楽しみ、趣味って感じであったとしても、

続けるって言うのは、例え月に1回でも続けた事で身に付く事があるのね。その時にここが分かれ道になるって事があって、1cmタイルに本気で手を出すか?出さないか?になるのね。そこに耐えられれば、面白くなって行くんだけれど、そのままスタイルを変えずにいると、

自分の進歩に納得行かなくなったりする。なのに比べられるのが嫌と言いつつ、比べるものは自分なのに、どうしても見えない自分の理想みたいなものと比較したりするから・・・しかも進歩したのは腕と同様、目も肥える。だから人の作品の良し悪しまで判るようになる・・・。

その時に何と無く私も・・・って言うのと、どうしてもやって見たい・・・とでは、やる前の意気込みが違うでしょ?でも出来たら良いな・・・なんて言うのもあったりする。そもそも最初の何と無くやって見たい・・・って入ったのなら、また同じように何と無くやって見たい・・・でも良いのね。

ただ実は体験の何と無くやって見たいとは違っているのね・・・みんな。目が肥えちゃっているから。何しろ何処の場所にも達者な人がいるから。
そうなると、それを見てやって見たい・・・と思うから。だからやって見たい・・・って思うのか?それを見て、あんなの無理と思うのか?

あんなじゃなくて良いからやって見たいのか?小さければ出来るのか?・・・心の中はこんな感じに人それぞれなのね。この時に、過信も無ければ、卑下も無く、上手い人達がきちんとした判断が出来て、この位なら大丈夫だよ・・・なんてアドバイスがあったりすると、寺子屋のような場所になる。

高洲もそうだが、ここもそんな感じになりつつある。ここは棟梁とおかみさんがしっかりして来たから、後から追い掛ける人がしっかりして来た。
ただね、しっかりするって事は、ただ楽しむからだけじゃなくて小難しい話も多くなるのね・・・・こうしてね。

ただだからと言って、じゃ楽しく無いか?と言うと、小難しいだけなら面倒だし、ここだけでも良いのに、ここのみんながアトリエに来る事も無いと思うのね・・・きっと上手くなったらなった場所にも、小難しい事もあるのかも知れないが、楽しみもそこにあるのかもね・・・。

はっきりそうだ・・・って言えないのは、俺は俺の指導を受けた事が無いからね・・・・あはははは。そんな中、みどりが売り子をしているイベントのお知らせ映像入手。


小雨が降って、1時間前に撤収となったらしいが、みどりが地元なんで、お友達やらご親戚がいらしてくれたりして、まっ何とか1日過ごしたらしいのね。明日はカルビも同行してくれるらしいのね。お疲れ様でした。
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くじら教室

2017-04-22 03:54:54 | モザイク教室
今日はくじら教室。先日、俺のSNSの中での情報から何か俳句のネタを見つけたらしく、そんな話から始まったんだけれど、実はこう言う些細な事は別に不思議な事では無くて、偶然では無く必然だと思うのね。それは最近のブログの心持ちみたいな話で感じては貰ったようなんだけれど・・・。

そもそも俳句もオリジナルだから、常に考えていると思うのね。ネタ何か無いかな?ってね。その時に人それぞれのスタートがあるとは思うんだけれど、
例えば単純に音楽なら、作詞からなのか?作曲なのか?で方法は変わって来る。要するに作詞から入れば、その趣旨の内容によって詩が決まる。

そんな考え方と、ノリ・・・つまり楽器などを奏でたり、テンポやリズムの早さだったりしてそこから、寂しくなったり、楽しくなったり・・・ってその気分にあった作詞を後から乗せるって感じに作るなんて最低2つの方法があると思われるのね。

これが食事の支度だったとしたら?例えば、例えば今日はカレーとお題を決めて作ろう・・・と思えば、決まったお題に沿って食材を買いに行く。これが逆に冷蔵庫の中身からスタートして、これなら・・・ん・・・じゃこんなのが出来る・・・と食材からお題を決めるみたいな発想がある。

こんな事が作るって言う単純な考え方だと思うんだけれど、もっともっとベテランになって来ると、こう言う事を何年も何十年も繰り返す事になるのね。例えば、くじらのように俳句を例にすると、17文字の句を考えるに当たって、どんな事を繰り返して来たか?・・・と想像するに、

まずは何かのきっかけがあって、やって見よう・・・と教わる場所などに入会したり、身内にやっている人がいたり、友達だったり、クラブだったり、何しろ1句作るから始まっただろうね。最初は単純に説明を受ければお題となるが、好きなモチーフを決めれば、いくらでもあるのね・・・。

だってまだ何も使っていないのだから。じゃ例えばくじらの好きな金魚なんてモチーフを選んだとする。はい、そこで季語が夏になった。だから、夏にちなんだ想像をして行くと、連想ゲームのように色々浮かんで来る。こんな繰り返しをしたとして、17文字・・・一体1日何個作るのだろうか?

ここなのね。例えばモザイクだとすると17文字・・・恐らくコースターみたいなものだとして、それを1日何個作れるか?となると、きっと始めたばかりの頃は、やり方さえ教われば、色んな事が浮かんで、沢山作れるだろうね・・・きっと。けれど、上手くなればなるほど、きっと1個になると思うのね。

要するに最初は何もやっていなかったのだから、新品・・・って感じの心で作るから、あれもこれもと出来た事だけで楽しい。けれど、普通は作れば作るほど物は増える。増えれば増えるほど物はかさばる。だからこそ、質にこだわるようになり、当然その考え方は、心持ち1つで変わる。

じゃ俳句は?多分一生作り続けても、ノートで何冊になるのだろうか?多分パソコンに落とせば、何もかさばる事は無いだろう。つまりいくらでも作れる事になる。じゃかさばるモノ作りとは考え方が違うって事になる。しかも17文字。短く1個完結だから、コースターやら4コマ漫画や、短編小説、100M走。

みたいな感じであって、反対側にあるものが、大作、全100巻やら、ハードカバーの上下巻やら、マラソン・・・みたいな感じだとして、前者の方は数が出来ちゃうし、後者は数はそうそう作れない。前者は繰り返すと、ありとあらゆるモチーフに手が出るのね。しかもオリジナルでしょ?しかも何個も作れる・・・。

更に言えば、いついかなる時も完成しちゃうのね。だってモザイクなら構想は何処でも出来ても、メモは出来ても制作は自宅に帰ってから。けれど俳句は通勤の中で完成させる事も、トイレの中でも、昼食の最中でも1作完結させる事が出来る。だから俳句漬けにするつもりならいくらでも・・・。

問題はここ。そうしてしまうと、追われるように作り続ける事になる。これが毎日の食事作りみたいな感覚。。例えばこれが、プレゼントだったり、誰かを招いての食事作りだったり、刺激的な場合、緊張感があったりする・・・それが俳句は自分の為に作る事になる。

要するにこれが家族だったり、第三者だったりの目的の食事作りだとすると、気分としては、家族なら日常だから、緊張感は緩む。一生分の1回なら、まっ良いか・・・みたいな事もあるだろう。これはプロ野球やサッカーみたいな全勝しなくても優勝が出来るものの感覚。、き

それがコースターのような感覚だとして、これが第三者を招いた食事・・・これは非日常。つまりプレゼント感覚。これはこの日だけは頑張るって感じになるから、当然失敗が許されない・・・つまりトーナメント的感覚。1回きり。こうやって人は感覚ってもので考え方が変わったりする。

じゃ自分だけの為の場合は?・・・つまり今の2つとも違う感覚。ここをまっ良いか・・・とすれば、どんどんと適当になる事もあるだろうが、もしSNSに毎日アップとなれば、緊張感も出る。要するに発表するって事が刺激になるから。こんな事があっての何十年もの繰り返しがベテランなのね。

しかもくじらの分野は俳句。何百年もの歴史があるから、もうありとあらゆるテーマがありとあらゆる俳人によって、読まれてしまっている。
山ほどね。手軽な分だけ山ほどね。これが同じ歴史があっても、落語なら落語家の数が俳人よりも少ないだろうから、少なくなるだろうが・・・。

更に歴史がある伝統的なものは、規則や決まりがあって、それが古典落語のようなものと、それを壊す新作落語・・・つまりオリジナルの時代にあった落語みたいな考え方があって、くじらは後者の新作作りの俳句らしいのね。これを何年も繰り返した事になる。

きっと山ほど作ったろうね・・・生活に溶け込むように。でもね、日常って言うのはそんなに楽しくは無いのね。ドラマチックでも無いし、刺激が無い・・・何しろ繰り返しだから。けれど、逆に刺激は緊張を生む。毎日では疲れるのね。

こんな気持ちの葛藤があったとして、問題は心持ち・・・退屈だなぁ・・・ってのと、期日に間に合わせないと・・・とか、上手く行かないなぁ・・・ってのと、おっ調子良いぞ・・・では気分が違うじゃない?けれどそれって、結果が良ければ・・・って話だと思うのね。

つまり何らかの気分が良かった1つ目があって、その余裕が楽に次に取り組めるのと、あぁ失敗しちゃったじゃん・・・次は取り戻さないと・・・と、追い込まれれば、余裕どころか緊張感やプレッシャ―が掛かってしまう。こんな繰り返しだと思うのね。

その時に毎日何か無いかな?・・・と探しているくじらが、もし慌てて走っていたとしたら?俺のSNSは見られなかっただろうし、逆にゆっくり出来たとすれば、あっこれ使える・・・・って見付けられたんじゃないかな?・・・要するにその時のくじら次第。

良く聞く話があって、人は無くして気が付く・・・なんて事がある。あるべき時は、あって当たり前だから、それを無くした時、その大事さに気が付いたりするらしい・・・ただそれが本当だとして、その考え方を自覚しているか?どうか?みたいな話に変化させて考えて見ると・・・。

優れている人達はみんなそんな事は判っていたとして、例えばWBCのような野球の世界大会に出て、さぁみんな今度は仲間だった人達と別れて、今度は全員敵同士で戦う・・・しかも1つ負けたらおしまいって戦いから、1年間の戦いを3試合中2勝1敗の繰り返しなら優勝出来るって言う戦いをする。

そんな事は誰でも判っていて、その技術を持って1年間お互いに競い合うのだけれど・・・。

それをやる選手達は全て俺の子供のような年齢の人達・・・・技術はあってもね・・・ここからはくじらにしか伝わらないと思うけれど、同じ土俵に上がったら、年齢も性別も何の役にも立たない。実力だけが全てであろう・・・がしかし、若い奴には若さがある。しかし、それだけでは無い。

あるって事は無いものがあり、無いって事はある。無いものねだりとは?そう言うものである。若い奴らに若さがあるのなら?奴らに無いものを見つけられるか?・・・まぁ、それに近いものが、女の人に母性があるのなら、男の人にそれに匹敵するものってなんだろう?・・・

昔は良くそんな事を考えてたのね・・・・いずれにせよ、技術って言うのはある程度の時間の繰り返しが必要。だから今のくじらの俳句はそんな繰り返しをしたんだから、実力やテクニックはある程度付いているはず。だとしたら、常に心持ち。いついかなる時もいつも通りの心でいるように。

慌てたり、焦ったりせず、常に落ち着いていたとしたら・・・。気づく事が出来るかどうか?になると思うのね。ひらめきだの感みたいなものは、思い付きであって、そこはテクニックやセンスなんて事とは違って、そこに気が付くか?どうか?はみんな平等だと思うのね。

そこから文章の組み立てをするのだから、そこからはテクニックやセンスは必要だろうけれど・・・・恐らくここも、ここ数日良く出て来る、感じる事なんだと思うのね・・・おごり高ぶらず、卑下せず、自分らしく・・・それにはいつもの等身大の自分・・・そんな気がするのね。

そんな事が俺からのアドバイス。
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棟梁とおかみさんの相席教室とウミウシ

2017-04-21 02:18:42 | モザイク作家
今日は棟梁とおかみさんの相席教室。ひとまず棟梁の画像も一緒に・・・。


この2人くらいになると、やっている事が繊細過ぎる感じで、正直教える事が余りにもマニアックになるのね・・・例えば羽根がある繫がりとして、2人共に一緒な感じのものを作っている・・・しかも羽根があるから人では無い架空のもの。さてそれでは一旦ここから離れて・・・・。

くだらい事を真面目に掘り下げるんだけれど、半魚人と人魚そして先日の俳句の季語みたいな話を絡めて、まず一見とても似ている感じがするんだけれど、全く違うものなのね。何しろどちらも架空で、けれどね、きちんと日本語通りに解釈すれば、・・・人と、・・・・魚の違い。

つまり人って方は、あくまでも人なのだから足がある。方や・・・魚だから、尻尾になる。だから半魚人は人よりであって、人魚は魚よりの生き物になるのね。ここまでは日本語の見たままの情報になるが、今度は俳句の季語的解釈として、人魚のオスとか、半魚人のメスって見た事ある?・・・・

もし思っている通りだったら・・・・、いなかったとすると、人魚と言ったらメスであり、半魚人と言えばオスと言ったようなもん。季語的発想。
もう言わずと決まっている事なのね。これが作り手の操作によるもので、もう決まっていた事なのね。

って事を踏まえて、この2人の作品は一体何者なんだろう?って考えたとするでしょ?となると、妖精とか天使とかって言うと思うのね。そうなると、おかみさんのは判りやすいと思うんだけれど、花の天使とは言わないだろうから、花の妖精なのね・・・きっと。

そうすると、妖精の150cmっていると思う?・・・・多分いないと思うし、そんなでかい花があったとしたら?人食い花みたいになっちゃうから、恐らく10cmとか15cm程度の生き物なんだろうね・・・きっと。ほら、季語的な言わず語らず決まっている・・・・。

しかもこの時点でどんなに人っぽく見えても、15cmじゃ虫よりな感じがするのね。では棟梁は?って言うと、結構大きそうでしょ?他の2匹の生き物の大きさから言うと人間の大きさ位ありそうで、恐らくこちらは天使に近い感じがするのね・・・。ほらさっきの半魚人と人魚みたいに似ていそうで似てない。

こんな事を踏まえて、棟梁は人よりの生き物になっている・・・って感じに見えていたとする。その時に更に先日の聖子ちゃん的な話も加えると、もし人よりに見える状況に上乗せするように肌色にしたとする・・・可愛いものの上乗せ・・・これでもかって・・・それが聖子ちゃん的発想。

そうすると、人よりなのに、更にもっと人っぽくなる。ただもし棟梁が人じゃない・・・って方向にしたいとしたら、相反する方向にすべきだから、肌色じゃないと思われるのね・・・じゃ人に見えない色って何だ?となると、青ならアバターみたいになるよね・・・。

そんな考えをした時に、絶対にやっちゃいけない事があると思うのね。それが人に見える・・・って事を前提に、生きている人が具合が悪く見える時に表現に使う、青白い・・・って病気っぽくなるでしょ?つまり病人に見えるようでは困るのね。逆におかみさんの方は花の妖精って事で人では無い。

そう思わせているから、逆に人よりに肌色にしたとしても、花がある時点で妖精って事で、どんな事をしても人にはならない。なんて感じに見えるのでは無いか?・・・みたいに自分がどちら側にいて、どう味付けして行くか?になるのね。それを単に好きな色を選んでいては浅くなるのね。

何しろ自分の趣旨に沿って・・・この2人はそう言う事を考えて作らないと・・・その位の事をする実力はあると思うのね。
ただ考えるって言うのはそう楽じゃないのね・・・でも、ピタリと決まった時の心地良さはやった人なら良く判ると思うのだけれどね。

まぁだけど、ここまで教えるようになると、教えている方も結構ナーバスになる・・・相当繊細になるからね。いずれにせよ、ひと手間って何も切る張るだけじゃないのね・・・構想にひと手間なんて事も同じように言えると思うのね。

そんなお教室の後はウミウシ・・・。
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