枕ねぇ・・・事実のみを書こうかな・・・朝かぐやから始まる・・・。
先日のバイヤ-ズガイドに載せる作品の写真が必要となる・・・・。
では一体何が適切であろうか?となる。先方が価格を提示して来るのだから、
無難で一番な場所はかぐやさくらの弟子であり作品の依頼者でもある2人の作品となる。
ただ作品の写真を頼まなければならないとなると、さくらでは無くかぐやだろう・・・と
なるのも自然のなりゆきであろう・・・・。こんな事は何も考えなくてもすんなり決まる
違うかな?こんな事は聞くまでも無く当たり前。そこはいくら何でも説明をしなくても
かぐやでも判った・・・ここは良かった。けれど問題はここから・・・。
んで写真の大きさは?とかぐやが必要なサイズを聞いて来たので、先方に言われた通りに
この寸法って言ってた・・・と伝えると、今時デ-タじゃないの?そんな小さいの?・・・
と明らかに文句タラタラで始まった。俺は言われた通りに伝えたのだけれど・・・・。
これがまず今日1つ目の話。
2つ目はアイフルさんの看板の後に控えている勲章の作品の依頼者さんが、近頃年中
来るのだけれど、多い時は4.5度、少ない時でも2度は来る。
そして差し入れも頂いたりもする・・・がしかし、2度お金を貸してくれと言われ、
貸した事がある。翌日の朝、返しては頂いたが・・・・。
そして今日の用件は、急いだ用事があるから車で送っては貰えないか?だった・・・・
勿論教室があるからきっぱり断った。いずれにせよ、作品依頼があるくらいだから、
間違い無く応援はされている・・・こんな2つの話を最後のまとめの話と共に聞いて
頂くとすべての事実確認、そして今の俺の置かれている現状、そして扱い、
すべてが判断出来る話となる。って事を枕にして・・・・タピオカ教室。
そんな中、近頃年中やって来る・・・日高氏が来た・・・・。
そしてそんな中、昨日のみどりの作品があるのなら見たい・・・とタピオカ。
そして感想を聞くと、凄い・・・と言うのね。では何が?何処が?となる。
すると文字あたりを指すのね・・・この辺とね。まっ良いだろう・・・では日高氏。
いるのなら、猫でも使うのは昔からのことわざ。聞いて見ようかね・・・。
すると、まずタピオカにしてもみどりにしても、昔からもう俺にはついて行けないが、
細かくて凄いと言うのね。なるほどね・・・細かくて凄いのね・・・。それで?
すると1cmの4分の1のパ-ツを指を指し、こんな感じに同じ事を繰り返している所なんて
凄いと思うと言うのね。では今までの事を総合してまとめると・・・こうならないかな?
まず俺を含めた3人の中で、先生は俺、生徒はタピオカ、そして自分でも言うように
明らかに素人に近い日高氏の順番になるのは言うまでも無い事。
では、それを踏まえて言った事を掘り下げると・・・みどりの作品を見たタピオカは
同じ事の繰り返しのゾウのような部分を指さなかった・・・って事は、そこが凄い
部分では無いと判断した事になる。と言う事は、自分の作品の縁取りはすべて同じ
パ-ツの1cmの4分の1なのだから、凄いとは思っていない事になる。
つまりもし自分の作品で凄い部分になると思われると言う事になると・・・・ここになる
そうつまり同じ事を繰り返す事では無い・・・と判断をした。つまり点では無く線での
テクニックの方が凄い・・・そう感じた事になる。そうじゃないかな?
では日高氏。立場は一番下で1cmのモザイクの経験値はほぼ無い・・・その人の批評は
1cmの4分の1のパ-ツが凄い・・・との判断。って事は、タピオカの縁取りも含まれる。
つまりタピオカの評価と日高氏の評価は違った事になる・・・じゃどちらが信憑性がある
・・・・?では先生である俺の意見は?・・・俺はみどりの作品では昨日も書いたように
カ-ネ-ションだと思うのね・・・こう書くと、三者三様って話じゃん・・・と取られる
かも知れ無いが、本当かな・・・?それなら俺は先生じゃないわっ。
俺の批評はこう。つまり日高氏の評価した1cmの4分の1程度のパ-ツは常連なら当たり前。
ここは基礎中の基礎。だから評価の対象と言うよりも単に基礎。
それよりも持ち味は?って話での評価や批評。技術としても点で描くのは基礎であり、
線での描き方の方が難易度は高い。ここも要するに点でなら常連クラスは単に基礎。
つまり簡単な事で、モザイクの経験値が無い人は細かさや、同じ事の繰り返しを
評価した。しかし経験値があるとその評価は変わって、そこでは無く自分の出来ないと
思われたり苦手な部分と思われる事を評価した・・・では俺は?基礎は基礎であり、
大事ではあるが、それは出来る前提でいかにその人の持ち味や個性が生かされている
そんな部分を評価した事になる。いかがなもんかな?どうだろうか?説得力としては?
納得されれば、これ幸いなのだけれど・・・・。
要するにタピオカに限らず、基礎は確かに基礎だが、それをきちんと出来ればモラルと
なる。もしそれがこれらの場合に当てはめると、1cmの4分の1だったりすると、
ではタピオカの縁取りに使っている4分の1のパ-ツと、みどりのゾウの4分の1を比較すると、どちらがフォ-マルに感じるか?俺はタピオカの使い方の方がフォ-マルだと思う。
つまりフォ-マル感は同じパ-ツでも並べ方1つで全然変わって来ると言う事。
と言う事は逆を返せば、みどりの使い方はカジュアルだった事になる。
更に、と言う事は、今のタピオカの作品は非常にフォ-マル感が出ている事になる。
しかも色合いも金やパ-ルで豪華でもある。方やみどりはピンクや水色なのだから、
デフォルメしたゾウ、そして色は可愛い色となり、カジュアルはよりカジュアルになり
タピオカは同じパ-ツで、よりフォ-マル感を色で増した事になる。
じゃこれを説明するのにモザイクから離れる。日高氏が評価した4分の1の形はこうした
使い方や色の選び方で全く別な物になったと言う事。
さてではカジュアルになってしまったみどりに欠けているものは?って言うのは、
倫理やモラルがデフォルメまでされてしまったのだから、かなりのボケをかましたように
見えているはず。つまりかなり強力な突っ込みが必要となる・・・それがバランス。
ではタピオカの場合は、逆にかなり強力な突っ込みがいる感じになっているはず。
だってちゃんとしているように見えるでしょ?しかもかなり高級感も出ているしね・・・
じゃ逆だから、かなりのボケが必要なんですね・・・?こらこらっ違うでしょ・・・・。
どうしたいか?まずここ。つまりタピオカがどんな仕上がりを求めているか?なのね。
例えばもし大人可愛いを求めているとするでしょ?ならば大人な部分は十分なのだから、
足りないのはボケじゃなくて、可愛いって事になるでしょ?つまり更に掘り下げれば、
どの程度の可愛いか?いくつ位の大人設定か?ってこう言う事を考えるのが構想。
そんな中で、いつものような濃い味付けじゃなくて・・・薄めにと言うのね。
ここ。いつもと違って・・・・ここ。つまりほって置くといつもなら濃い味付けになる。
それを意識して・・・と言うのだけれど、そうするとどうするか?って言うと、
薄い色を意識する・・・ここ。違うのね。いかに薄味と言えど、好きなのだから
濃い色は使いたくなる。つまりいかに濃い色を押えて使うか?を意識すべきで、
薄味を意識する事では無いのね・・・・。
その理由は簡単。いつも金を使うかな?パ-ルをこんなに多用するかな?つまりいつもと
すでに違っている事に気が付こう。つまりいつも通りの色合いなら薄味にすればね、
イメ-ジはキウイっぽく・・・になる。いつも言っているでしょ?ほぼ好みは一緒で、
最後の最後に淡くか?はっきりか?とか、濃いか?薄いか?とかで違って来るのね。
この位の違いが2人にはある。そんな事も踏まえて考えれば答えは簡単でしょ?
要するにこのバラの紺がキ-ワ-ドで、何とか押えて、何とか入れて軽く入れたらね
キウイになったつもりで・・・・キウイならどうするかな?って・・・イメ-ジで。
そうすると自然と薄味になる。でも好きな濃い色の紺も入っている。だからタピオカ
らしさも入っているから、似ていてもキウイとは違う・・・となるはず。
そしてその紺が入る事で、他の場所にも紺を使いやすくする、前フリにもなるはず。
しかも縁取りにも押され過ぎずにバランスも良くなるはずなんだけれど・・・・
これでバランスだの、イメ-ジだの、構想だのってものはこんな事が1つの例となる。
何だかちょっとだけこのバラの色合いで、今後の展開が見えた気がしたのね・・・
さてそんな中、実家の親父から連絡が入る。実は先日、親父の実家で大工をやっている
親戚がいるので、銘木の件で何か頼めないか?聞いてくれ・・・と話していたのだけれど
その件だったが、以前取って置いたが連絡が無いから捨てたとの事・・・そして今
ある木が固いものしか無いと言うのね・・・
それではみんなに質問・・・何故に取って置いてくれたのだろうか?・・・・
頼んだのは先日なのに・・・つまり以前に親父が気を回して頼んでいてくれたからだろう
なのに何で俺の知らないうちに頼まれて、何故俺の知らないうちに捨てられるのだろうか
・・・・?とても簡単な理由なのね・・・。
つまり頼んだ親父が適当で、取って置いてくれた親戚は邪魔になったから捨てた事になる
・・・でしょ?けれど、連絡してくれれば何らかの形で俺に連絡が来るはず・・・
つまり連絡があったとしたら?親父が忘れていた事になり、連絡なしなら気を留めては
完全には頂けなかった・・・と言う事になる。
そして何より言ってくれただけで、結果としては何も起こらなかったって事・・・
もっと言い方を変えれば、取って置いたのに・・・なんて事もあるかも知れない・・・
結局、日本観賞魚フェアの展示も見てくれたはずの親父は、見ていてもきちんと親戚には
伝えられず、どんなものが欲しいのか?いつ欲しいのか?何をして欲しいのか?と言う
事までは何も決めずに、忘れ去られていた話になっただけ・・・そこで自分で話すわっ
となり、相当気分を害したみたいである。
何故かね?結果が出ないのは、きちんと伝えられなかったからじゃないのかな?
そして気分を害しているのは、やってやっている・・・って態度だからじゃないのかな?
御厚意と言うのなら、折角あったのに俺のミスだな・・・って言う態度でも良いはず。
親じゃなければさようなら・・・の場面だった。
実に傲慢な態度である。きちんと結果が出ないから相手にも迷惑が掛かるから、
自分で・・・となった訳で・・・・。やってやっている感が満載である。
ただこちらとしても満足なお支払いは出来ない前提での話であり、負い目はいつでもある
いつもながら相手の上目線なのは常識的であり、必要の無い人生にしたいものである。
その日が来た時に、どんな態度で接してくれたのか?一体何をして頂いたのか?
きちんと穴の空くほど見ていたいと思うし、一生忘れない・・・記憶にガッチリ焼き付け
て置こう・・・と心掛けている。絶対に忘れないように・・・と。ね・・・・
そんな中、最後の最後にかぐやがトドメの話をしてくれて・・・成功者として認められる
日が来るまで、かぐやには俺の声は届かない前提で、この先嫌いにならないように
努力して行く事を約束した・・・。
そして出来ればかぐやとは付き合いたいが、モザイクをしていないかぐやとは、
この先付き合いたくないし、出来れば死んで欲しいとお願いをした・・・・。
生きてくれるな・・・と。人として付き合いたくないと。腕が好きと。
奴の生き様はスポ-ツと同じ。俺は弟子には武道のように、道を教えたい。
スポ-ツは勝てば良いだけ。何々道と言うものは、茶道、華道、柔道、剣道・・・と
道なのだ。心が大事で、勝つに越した事は無いが、その心を持たねば師がいない俺を
師とするのであれば、俺に陽が当たらない以上、奴は浮かばれない。
それ所かだらしなくも見え、お遊びにも見えてしまう。しかも腕だけなら横綱にはなれないし、指導をする者にもなれない・・・。そんな奴では技術しか教えられない人になる。
俺は心が作るものと考える・・・もの作りとはね。それを判らないのならこの先は
単なる職工を目指せば良い。言われたまま・・・機械のように・・・
今それが伝わるのなら、きっと出来ないながら、迷いながらそっちへ向かって歩くだろう
・・・それならやろうとしている事を評価する。結果よりもプロセス。
ただ今理解をしようとせず、そのまま間違いを是正する気持ちも無く、弟子と名乗るのなら・・・・その日が来ても、今のままでいて欲しいものである・・・伝わらぬまま。
そうすれば、売れたから・・お金があるから・・・成功者だから・・・凄いから・・・と
ひるがえった事にはならない。一貫して伝わらない奴と生きられる。
がしかし、信用は腕以外ほぼ無い。どう生きるも良し・・・と伝えた。
弟子はきちんと伝えようと金銭とは別で教えているし、伝えている・・・・
親父は弟子じゃないし、習おうともしていない。つまり今の俺を何も知らない人なのである・・・。言い方を変えれば以前の古いkatsuを良く知っている人になる。
もし俺が世に出る事があるのなら、その人に習っていた事になり、その弟子なのである。
毎日伝えて伝わらないのなら?俺の未熟かかぐやの未熟のいずれかになる。
それなら自分の未熟を恥じる。何故なら俺は師匠だから。もの分かりが悪い奴なら
悪いなりの指導があるはず。つまり伝わらないのは俺の未熟さである。
ただもしそれが世に出た瞬間、理解するような事があったのなら・・・?
その時点で奴は人を見かけで判断する奴だった・・・の証明となる。誠に最低である。
それでは嫌いにならないように努力するしか無い・・・・それが限界。
そんな中、これとこれ。
先日のバイヤ-ズガイドに載せる作品の写真が必要となる・・・・。
では一体何が適切であろうか?となる。先方が価格を提示して来るのだから、
無難で一番な場所はかぐやさくらの弟子であり作品の依頼者でもある2人の作品となる。
ただ作品の写真を頼まなければならないとなると、さくらでは無くかぐやだろう・・・と
なるのも自然のなりゆきであろう・・・・。こんな事は何も考えなくてもすんなり決まる
違うかな?こんな事は聞くまでも無く当たり前。そこはいくら何でも説明をしなくても
かぐやでも判った・・・ここは良かった。けれど問題はここから・・・。
んで写真の大きさは?とかぐやが必要なサイズを聞いて来たので、先方に言われた通りに
この寸法って言ってた・・・と伝えると、今時デ-タじゃないの?そんな小さいの?・・・
と明らかに文句タラタラで始まった。俺は言われた通りに伝えたのだけれど・・・・。
これがまず今日1つ目の話。
2つ目はアイフルさんの看板の後に控えている勲章の作品の依頼者さんが、近頃年中
来るのだけれど、多い時は4.5度、少ない時でも2度は来る。
そして差し入れも頂いたりもする・・・がしかし、2度お金を貸してくれと言われ、
貸した事がある。翌日の朝、返しては頂いたが・・・・。
そして今日の用件は、急いだ用事があるから車で送っては貰えないか?だった・・・・
勿論教室があるからきっぱり断った。いずれにせよ、作品依頼があるくらいだから、
間違い無く応援はされている・・・こんな2つの話を最後のまとめの話と共に聞いて
頂くとすべての事実確認、そして今の俺の置かれている現状、そして扱い、
すべてが判断出来る話となる。って事を枕にして・・・・タピオカ教室。
そんな中、近頃年中やって来る・・・日高氏が来た・・・・。
そしてそんな中、昨日のみどりの作品があるのなら見たい・・・とタピオカ。
そして感想を聞くと、凄い・・・と言うのね。では何が?何処が?となる。
すると文字あたりを指すのね・・・この辺とね。まっ良いだろう・・・では日高氏。
いるのなら、猫でも使うのは昔からのことわざ。聞いて見ようかね・・・。
すると、まずタピオカにしてもみどりにしても、昔からもう俺にはついて行けないが、
細かくて凄いと言うのね。なるほどね・・・細かくて凄いのね・・・。それで?
すると1cmの4分の1のパ-ツを指を指し、こんな感じに同じ事を繰り返している所なんて
凄いと思うと言うのね。では今までの事を総合してまとめると・・・こうならないかな?
まず俺を含めた3人の中で、先生は俺、生徒はタピオカ、そして自分でも言うように
明らかに素人に近い日高氏の順番になるのは言うまでも無い事。
では、それを踏まえて言った事を掘り下げると・・・みどりの作品を見たタピオカは
同じ事の繰り返しのゾウのような部分を指さなかった・・・って事は、そこが凄い
部分では無いと判断した事になる。と言う事は、自分の作品の縁取りはすべて同じ
パ-ツの1cmの4分の1なのだから、凄いとは思っていない事になる。
つまりもし自分の作品で凄い部分になると思われると言う事になると・・・・ここになる
そうつまり同じ事を繰り返す事では無い・・・と判断をした。つまり点では無く線での
テクニックの方が凄い・・・そう感じた事になる。そうじゃないかな?
では日高氏。立場は一番下で1cmのモザイクの経験値はほぼ無い・・・その人の批評は
1cmの4分の1のパ-ツが凄い・・・との判断。って事は、タピオカの縁取りも含まれる。
つまりタピオカの評価と日高氏の評価は違った事になる・・・じゃどちらが信憑性がある
・・・・?では先生である俺の意見は?・・・俺はみどりの作品では昨日も書いたように
カ-ネ-ションだと思うのね・・・こう書くと、三者三様って話じゃん・・・と取られる
かも知れ無いが、本当かな・・・?それなら俺は先生じゃないわっ。
俺の批評はこう。つまり日高氏の評価した1cmの4分の1程度のパ-ツは常連なら当たり前。
ここは基礎中の基礎。だから評価の対象と言うよりも単に基礎。
それよりも持ち味は?って話での評価や批評。技術としても点で描くのは基礎であり、
線での描き方の方が難易度は高い。ここも要するに点でなら常連クラスは単に基礎。
つまり簡単な事で、モザイクの経験値が無い人は細かさや、同じ事の繰り返しを
評価した。しかし経験値があるとその評価は変わって、そこでは無く自分の出来ないと
思われたり苦手な部分と思われる事を評価した・・・では俺は?基礎は基礎であり、
大事ではあるが、それは出来る前提でいかにその人の持ち味や個性が生かされている
そんな部分を評価した事になる。いかがなもんかな?どうだろうか?説得力としては?
納得されれば、これ幸いなのだけれど・・・・。
要するにタピオカに限らず、基礎は確かに基礎だが、それをきちんと出来ればモラルと
なる。もしそれがこれらの場合に当てはめると、1cmの4分の1だったりすると、
ではタピオカの縁取りに使っている4分の1のパ-ツと、みどりのゾウの4分の1を比較すると、どちらがフォ-マルに感じるか?俺はタピオカの使い方の方がフォ-マルだと思う。
つまりフォ-マル感は同じパ-ツでも並べ方1つで全然変わって来ると言う事。
と言う事は逆を返せば、みどりの使い方はカジュアルだった事になる。
更に、と言う事は、今のタピオカの作品は非常にフォ-マル感が出ている事になる。
しかも色合いも金やパ-ルで豪華でもある。方やみどりはピンクや水色なのだから、
デフォルメしたゾウ、そして色は可愛い色となり、カジュアルはよりカジュアルになり
タピオカは同じパ-ツで、よりフォ-マル感を色で増した事になる。
じゃこれを説明するのにモザイクから離れる。日高氏が評価した4分の1の形はこうした
使い方や色の選び方で全く別な物になったと言う事。
さてではカジュアルになってしまったみどりに欠けているものは?って言うのは、
倫理やモラルがデフォルメまでされてしまったのだから、かなりのボケをかましたように
見えているはず。つまりかなり強力な突っ込みが必要となる・・・それがバランス。
ではタピオカの場合は、逆にかなり強力な突っ込みがいる感じになっているはず。
だってちゃんとしているように見えるでしょ?しかもかなり高級感も出ているしね・・・
じゃ逆だから、かなりのボケが必要なんですね・・・?こらこらっ違うでしょ・・・・。
どうしたいか?まずここ。つまりタピオカがどんな仕上がりを求めているか?なのね。
例えばもし大人可愛いを求めているとするでしょ?ならば大人な部分は十分なのだから、
足りないのはボケじゃなくて、可愛いって事になるでしょ?つまり更に掘り下げれば、
どの程度の可愛いか?いくつ位の大人設定か?ってこう言う事を考えるのが構想。
そんな中で、いつものような濃い味付けじゃなくて・・・薄めにと言うのね。
ここ。いつもと違って・・・・ここ。つまりほって置くといつもなら濃い味付けになる。
それを意識して・・・と言うのだけれど、そうするとどうするか?って言うと、
薄い色を意識する・・・ここ。違うのね。いかに薄味と言えど、好きなのだから
濃い色は使いたくなる。つまりいかに濃い色を押えて使うか?を意識すべきで、
薄味を意識する事では無いのね・・・・。
その理由は簡単。いつも金を使うかな?パ-ルをこんなに多用するかな?つまりいつもと
すでに違っている事に気が付こう。つまりいつも通りの色合いなら薄味にすればね、
イメ-ジはキウイっぽく・・・になる。いつも言っているでしょ?ほぼ好みは一緒で、
最後の最後に淡くか?はっきりか?とか、濃いか?薄いか?とかで違って来るのね。
この位の違いが2人にはある。そんな事も踏まえて考えれば答えは簡単でしょ?
要するにこのバラの紺がキ-ワ-ドで、何とか押えて、何とか入れて軽く入れたらね
キウイになったつもりで・・・・キウイならどうするかな?って・・・イメ-ジで。
そうすると自然と薄味になる。でも好きな濃い色の紺も入っている。だからタピオカ
らしさも入っているから、似ていてもキウイとは違う・・・となるはず。
そしてその紺が入る事で、他の場所にも紺を使いやすくする、前フリにもなるはず。
しかも縁取りにも押され過ぎずにバランスも良くなるはずなんだけれど・・・・
これでバランスだの、イメ-ジだの、構想だのってものはこんな事が1つの例となる。
何だかちょっとだけこのバラの色合いで、今後の展開が見えた気がしたのね・・・
さてそんな中、実家の親父から連絡が入る。実は先日、親父の実家で大工をやっている
親戚がいるので、銘木の件で何か頼めないか?聞いてくれ・・・と話していたのだけれど
その件だったが、以前取って置いたが連絡が無いから捨てたとの事・・・そして今
ある木が固いものしか無いと言うのね・・・
それではみんなに質問・・・何故に取って置いてくれたのだろうか?・・・・
頼んだのは先日なのに・・・つまり以前に親父が気を回して頼んでいてくれたからだろう
なのに何で俺の知らないうちに頼まれて、何故俺の知らないうちに捨てられるのだろうか
・・・・?とても簡単な理由なのね・・・。
つまり頼んだ親父が適当で、取って置いてくれた親戚は邪魔になったから捨てた事になる
・・・でしょ?けれど、連絡してくれれば何らかの形で俺に連絡が来るはず・・・
つまり連絡があったとしたら?親父が忘れていた事になり、連絡なしなら気を留めては
完全には頂けなかった・・・と言う事になる。
そして何より言ってくれただけで、結果としては何も起こらなかったって事・・・
もっと言い方を変えれば、取って置いたのに・・・なんて事もあるかも知れない・・・
結局、日本観賞魚フェアの展示も見てくれたはずの親父は、見ていてもきちんと親戚には
伝えられず、どんなものが欲しいのか?いつ欲しいのか?何をして欲しいのか?と言う
事までは何も決めずに、忘れ去られていた話になっただけ・・・そこで自分で話すわっ
となり、相当気分を害したみたいである。
何故かね?結果が出ないのは、きちんと伝えられなかったからじゃないのかな?
そして気分を害しているのは、やってやっている・・・って態度だからじゃないのかな?
御厚意と言うのなら、折角あったのに俺のミスだな・・・って言う態度でも良いはず。
親じゃなければさようなら・・・の場面だった。
実に傲慢な態度である。きちんと結果が出ないから相手にも迷惑が掛かるから、
自分で・・・となった訳で・・・・。やってやっている感が満載である。
ただこちらとしても満足なお支払いは出来ない前提での話であり、負い目はいつでもある
いつもながら相手の上目線なのは常識的であり、必要の無い人生にしたいものである。
その日が来た時に、どんな態度で接してくれたのか?一体何をして頂いたのか?
きちんと穴の空くほど見ていたいと思うし、一生忘れない・・・記憶にガッチリ焼き付け
て置こう・・・と心掛けている。絶対に忘れないように・・・と。ね・・・・
そんな中、最後の最後にかぐやがトドメの話をしてくれて・・・成功者として認められる
日が来るまで、かぐやには俺の声は届かない前提で、この先嫌いにならないように
努力して行く事を約束した・・・。
そして出来ればかぐやとは付き合いたいが、モザイクをしていないかぐやとは、
この先付き合いたくないし、出来れば死んで欲しいとお願いをした・・・・。
生きてくれるな・・・と。人として付き合いたくないと。腕が好きと。
奴の生き様はスポ-ツと同じ。俺は弟子には武道のように、道を教えたい。
スポ-ツは勝てば良いだけ。何々道と言うものは、茶道、華道、柔道、剣道・・・と
道なのだ。心が大事で、勝つに越した事は無いが、その心を持たねば師がいない俺を
師とするのであれば、俺に陽が当たらない以上、奴は浮かばれない。
それ所かだらしなくも見え、お遊びにも見えてしまう。しかも腕だけなら横綱にはなれないし、指導をする者にもなれない・・・。そんな奴では技術しか教えられない人になる。
俺は心が作るものと考える・・・もの作りとはね。それを判らないのならこの先は
単なる職工を目指せば良い。言われたまま・・・機械のように・・・
今それが伝わるのなら、きっと出来ないながら、迷いながらそっちへ向かって歩くだろう
・・・それならやろうとしている事を評価する。結果よりもプロセス。
ただ今理解をしようとせず、そのまま間違いを是正する気持ちも無く、弟子と名乗るのなら・・・・その日が来ても、今のままでいて欲しいものである・・・伝わらぬまま。
そうすれば、売れたから・・お金があるから・・・成功者だから・・・凄いから・・・と
ひるがえった事にはならない。一貫して伝わらない奴と生きられる。
がしかし、信用は腕以外ほぼ無い。どう生きるも良し・・・と伝えた。
弟子はきちんと伝えようと金銭とは別で教えているし、伝えている・・・・
親父は弟子じゃないし、習おうともしていない。つまり今の俺を何も知らない人なのである・・・。言い方を変えれば以前の古いkatsuを良く知っている人になる。
もし俺が世に出る事があるのなら、その人に習っていた事になり、その弟子なのである。
毎日伝えて伝わらないのなら?俺の未熟かかぐやの未熟のいずれかになる。
それなら自分の未熟を恥じる。何故なら俺は師匠だから。もの分かりが悪い奴なら
悪いなりの指導があるはず。つまり伝わらないのは俺の未熟さである。
ただもしそれが世に出た瞬間、理解するような事があったのなら・・・?
その時点で奴は人を見かけで判断する奴だった・・・の証明となる。誠に最低である。
それでは嫌いにならないように努力するしか無い・・・・それが限界。
そんな中、これとこれ。