まずは先日、かごしま水族館の展示がスタートした事のご報告画像が担当者さんから送られて来たので、そのご紹介から。
こんな立派な場所にずっと飾られる事になったのね・・・本当に有難いのね。お知らせでは年間60万人強の来場者らしいのね。そう考えると、今までの環境からしたら、一番人の眼に触れる場所へ行った気がするのね。もうお嫁先でどんな活躍をしてくれるのか?
そう考えると、ワクワク、ドキドキ・・・そんな気分になる。さてそんな朝、まずは朝飯前って事で、棟梁とリピーターさんがいらっしゃる前に、まずは来年の干支の絵馬の下地と、昨日のみどりとの相談で追加となったハリネズミの下地作り。
そんな中、大家さんの駐車場を借りるに当たって、katsuちゃん、じゃ勝手に動かしといて・・・って話になり、2人がいらしたんで、車を動かそうと乗ったまでは良かったんだけれど・・・あれ?・・・この車、カギを差す場所何処?ってもっと言えば、カギ何処?
もはや、何が何だか判らず、目の前の板金屋さんに、すいません・・・この車、どうやって動かすのぉ?って呼ぶと、全くぅkatsuちゃんは何も知らないんだなぁ・・・と呆れるように来て、そこのボタン押してみぃ・・・って。えっ?どれ?
もう良いよっ・・・どいてみ・・・って結局移動までして貰っちゃったのね。まぁ、世の中の新車ってカギを差してエンジンは掛けないんだね・・・勉強になったわっ・・・まぁビックリなのね。そんなこんなのモタモタ感で、2人は車中で待つ中、先生もしかして、
動かせないんじゃないの・・・?って話していたんだって。あぁそうですよっ・・・動かせませんでしたぁ・・・全くもう。
そんなこんなのお教室。それが、今日もまた昨日のみどりの続きになるとはね・・・棟梁ぉぉぉ。
それが、後光が差す・・・なんて言葉を言うので、後光が差すなんて見た事ある?って言うと、あります・・・ときっぱり。では、見たと言うのだから、見たとする。では差すって繫がりで、俺が見た事があるのは、日が差すなんてものがある。
そこで後光が差すと日が差す・・どんな違いかな?って逆に質問をして見たのね。するとほぼ説得力の無い曖昧な表現が返って来たのね。つまり変わりが無いのなら、日が差すでも良いのね。そこでその日は何処にあって、そして羽根の生えた恐竜は一体何処の
立ち位置になる訳?って聞くと、日が左端で恐竜で、天使の順になるらしいのね。これで位置確認は出来た。そこでもう一度、後光に戻りどんな感じ?とニュアンスを聞くと、無色透明って言うから、そんな理想は聞いても無駄なんで、タイルで言って見て・・・。
すると、思った通りに白って言うのね・・・あぁ、言っちまったのね。じゃ白ね・・・好きなだけ置いてみ・・・一体どう見えるか?・・・じゃこの下地をオセロの盤だとする・・・もはや白だらけだわっ。それじゃこの世じゃなくてあの世だわっ。
そもそもすでに天使で白を大量に使っているのだから・・・。まるで、昨日のみどりのようで、今まで自分のやって来た事を引き継ぐのでは無く、常に凝り固まった理想の追求。そこだけを見てしまうのね。
そもそもこの絵のテーマは、2匹の大事な生き物・・・つまり恐竜は犬のつもりな訳。だから死んでしまった犬が飛んでいる恐竜。
って事になるんだけれど、この絵のバックをハスの花で後光が差すなんて表現をしていたのね・・・。最初は。
あらまっ・・・なのね。死んで悲しいのに、そんなバックにしてみ・・・あの世で会おうねって絵になるわ。死ぬまで待っててねってね。ばかちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん。って話なのね。悲しみの増量だわっ。もはや何をしたいか?判らない。
俺が思うに、だからこそあの世では無く、この世を作るべきなんじゃないのかな?だからこの世に見えれば、あの世から盆暮れ帰って来る・・・って見えるんじゃないのかな?だから、どうしてもこの世に見えるバックにすべきなのね。
そこを納得した上で、色を押さえて、バックになったらど派手なお花畑にしてこの世に見せる・・・そんな話で落ち着いたのね。
そう以前はね。しかしね、そんな悲しみの中でこの下絵を描くのに2年も掛かったのね。しかも一旦諦め掛けた・・・。
そこを乗り越えここまで来た。そんな経緯があるからこそ、ひまわりってモチーフが出た時、そんなに描き込んではいなかったのに、決定する為に写す事を強制したのね。それはこんな日が起きる可能性があったから。
では一体何が起こったか?それは、棟梁は口では納得したようでも脳が納得していなかったのね。そう、まるで昨日のみどりなのね。つまりこの世を作るべきなのに、あの世をまだ意識しているのね。だから日が差さずに後光が差しちゃうのね。
そこに迷いがまだ残っている・・・何度も言うようにストレスのしくみの話で、口に出した事と脳で考える事が一致すれば何も起こらないのに、口に出した事と脳で考える事が違った場合、それこそがストレスのしくみな訳なのね。
まぁ面倒な仕組みなのね。くだらないって言えば、くだらないんだけれどね。じゃ、何でひまわりだけを写させたか?はひまわりが余り好きじゃないんだって・・・なのに入れようかな?って言ったから。では、そもそもひまわりってどんな大きさ?
普通ね、きっと花の中では相当な大きさだと思うのね。それが棟梁は好きじゃないのに入れるって言ってたのね。そんな影響力のある花をただの好みであったり無かったする・・・もはやどうにもならないのね。それじゃ無くした時にどう教えるのかな?
困るでしょ?何しろ好きじゃないのだから、気が変わるかも・・・そう人は気が変わるものなのね。ほらね。つまりあの世になっちゃうかも・・・なのね。でもそんな影響力のあるひまわりを写しちゃったら、流石にハスの花は入れずらい・・・。
つまりハスの花を妨害する為。これであの世の邪魔が出来るのね。所がなのね・・・今更だけれど、左端にひまわりを入れていたら太陽にも見えたけれど、恐竜に被るから辞めたって言うのね・・・そんなに恐竜が大事なのね。
ただね、もしそこにひまわりを入れて、太陽にも見えるようにしていたとしたら?確かにこの世に見えるが、じゃ一体この恐竜は何処からやって来たんだろうか?・・・何かつじつまが合わないのね。つまりそんなのどうでも良いって人の作り方なのね。それは。
いずれにせよ、意味はどうであれ、折角そこにひまわりは無いのね。しかし折角無いのに、後光を差してあの世のスペースを作ろうとしてしまう・・・折角無くなったのに。しかも後光は?って聞くと白・・・そうね、棟梁の口癖で言うなら、寝ぼけた色合い。
まさに自分が一番嫌いな方向に走って行く事になる訳で。それもこれもイメージと言う名ばかりの思い込みやエゴから来るもので、一番大事なモノを引き立たせよう・・・って言う事から逸脱し、単なる好みで作ろうとしてしまっているのね。
では何故こんな事が起きるか?は簡単で、本人は気持ちがブレてしまう・・・って言ったが、それも全くの嘘で、逆に言えば一貫してブレは無いのね。何故なら最初から後光が差してハスの花、そして天使・・・あの世の決定版。
作りたいのはそれなのだから。けれどそれは悲しいから・・・だからこの世・・・ってただの言葉で納得しようとしているから、こんな事が起きるのね。それでは、そんな事を全て踏まえて、こんな話を聞いて貰おうかな・・・。
大事な犬は2匹。でも大事な娘も2人。そして1匹は死んだ。娘は1人嫁いだ。つまりそこをシンクロさせるとね、死んであの世に行った犬と、お嫁に行った娘と思うと、盆暮れに帰って来る犬も、里帰りの娘も同じように思えるのなら?
死んでも生きても、嫁に行っても、ここに居ても、全てが棟梁に取って大事なモノ達であるのなら?同じ扱い・・・とする。すると同等である・・・って見えると、より平等な愛情に見えるかも知れない。そこで、棟梁の後光の話を一旦潰して、へこませて・・
やり過ぎから、留まるか?引き寄せるみたいな、思い込みにストップを掛けたように思えるでしょ?何故ならそうしたい・・って思っているのだから。そんな中、立ち止まれた。そこで立ち止まったのなら、ちょっぴり後光チックなんてのも見せとこうなのね。
ほって置いたらあの世になる所を諦めさせられた。これでやり過ぎにクギをさせた。きっと大きくへこんだろう。そこでかなりのブレーキが掛かった。そうね、安全運転になった。その気分なら、少しアクセルを踏んでも大丈夫。謙虚だろうから。
ではあの世を作るとどうなるか?つまり左の恐竜は死んでいて自分の羽根であの世から盆暮れに迷わずに帰って来る。つまり左端にはあの世に見える白やらグレーのような、モヤモヤっとした世界を描く事で、よりこの世のお花畑のようなこちらにやって来る。
そう見える為にはより素晴らしく見えるこの世に見せたいから、あの世は寂しく見えても良いはず。そもそもが天国なんて行った事が無いのに、生きている方を美化しない時点であの世に行けよって話。そこの厳しさが足らないのね。
その何とも言えないモヤモヤを上手く白を使って、白を使う部分に白い花を隠す。そしてこの世に入った時点で全ての花は色づく。ただ白を使うと羽根に色が被り、羽根が見えづらくなる・・・おや、昨日のみどりにまた戻った・・・ただそれで良い。
折角被って見えづらくなった。そうなのね、つまり消えて良いのね。羽根が消えれば飛べなくなる。そうね、自力じゃなくて天使の母に甘えられる寸法。つまり返って来た娘も同様。羽根をたたんで休める・・・そんな絵。
それにはこの世が返って来たい・・・そう見えるようにするにはどうすべきか?を考えるべきで、ただ華やかなただ自分の好きなでは安易になるだろうね。そこに意味を持たせる事でより重みも出る事だろうね。
ここまで切れるようになったのなら、安易に作らずきちんと考えて作る事。今までの考えるは、より自分の理想って言っているだけでしかも感に頼るだけ。もうきちんとした根拠の元に作るようにすれば、もっと意味のある内容になると思うのね。
この方の場合は、まだ思い通りに切る事に四苦八苦な感じなので、何しろ進む事より納得するパーツを切る。って事を繰り返しているのだけれど、そんな中、前回見本の下絵を忘れた事で、色を真似しない事にしたのね。
そうなると、元の絵はその色で成立していたものを、自分の気持ち1つで変えられる事になる。つまり自我が芽生える的になる。
ただそうなると、これからは見本が無い以上、自分で考えないとならない。そう考える事が始まったのね。
でも最初は何でも見本があってそれを真似する・・・そんな事から始まるのだから、そこから離脱するのだから、切る張る事は一緒でも、確実に何かが変わって行くのね。歌手として歌を用意して貰うのと、歌を作って歌うのでは全く意味が違って来る。
ただ、今の1歩は仮に色がとんちんかんになったとしても、下絵は変わらないから、感覚としては今流行りの大人の塗り絵の感覚。
輪郭線は本物のままで、好きにお塗り下さいって感じになる。ただ雑に塗れば質は落ちるし、丁寧なら進まない。それだけ。
ただ初めて自我みたいに、自分を出すのだから、一体どんなものを考えているのか?最初の1手を見ないと判らない。それが前回、赤とかエンジとか色づいた。この事から、この花は今後、もっと華やかになって行くと思われる。
しかも前回はKAMEYAさんなので、持って行った中でのタイル。今日はアトリエ・・・全く意味が違うのね。全ての色に権利がある。一体、何をどう言って来るのか?前回よりも自分を出せる状況なのね。そう今はそれだけで十分なのね。
今は下絵通りよりも1歩踏み出して、自分で考える・・・になったばかり。悩んでいれば良いのね。悩んで切って、悩んで張れば、見たまま悩まず切るだけ・・・からは進級した感じになる。作品は自分自身なら、自分の考え方と向き合うってスタイルになった
・・・そう考えれば、初めての事なのだから、そこに慣れるまで、頑張って考える・・・しかも、考えるだけでは進まないから、ブレない・・・これは変わらない・・・・って所から、進められる場所から進める。そして前回を引き継いでまた今日も同じ。
そして更にまた、そしてまた・・・と繰り返すと考える事にも慣れる。ただそれだけなのね。ただ、キャンパスが大きくなればなるほど、当然心変わりがしやすい・・・それがさっきの棟梁の話になる。相当先輩の話。もっと言えば、みどりの話は、更に上。
いずれにせよ、どの人の指導もかなり厄介になったのね・・・何しろ上手くなればなるほど、考えるって自分と向き合うスタイルになる。ただ理想が高ければ高い程、きちんと進まないとならないのに、いつまでも気紛れだらけでは上手くならないのね。
根拠の元にブレなければ、後は切る張るだけ・・・上手くなればなるほど、考え方、つまり構想がしっかりしないと、ブレたままでも、進んでしまう腕が付いているって事になる。これもまた良い事と悪い事は背中合わせである・・・って事。
ただそれだけ上手くなっている事は間違いが無いのね。それが証拠に下絵ありきでやって見ると良いのね。楽しいか?楽しく無いか?は別にして、ここまで来るような人は、ちゃんと結果は出るから似ている・・・は手に入っているはずだから。
ただここからは本当の意味でのオリジナル・・・難しくなって当たり前なのね。習う方も教える方もね。こちらも勉強になるのね。そんなお教室の後、来年の干支の犬の絵馬のサンプル作り。