今日は実家でコープみらいさいたまのイルカの貯金箱の箱に板の取り付けから。まずはセリアで買った箱のラップを外して、板に印を付ける・・・
それを切って、
それを張り付ける。それを100個・・・何しろ作業なんで、同じ事を繰り返すだけなんで、単調だし緊張感も特に無く・・・何しろ飽きないように。
その時に必ず最初はそれでも緊張はするのね。そもそも木工の人では無いし、組み立ては特に好きでは無いからね。ただそれでも何個かやって、何とかなる
と安心すると、安心感と引き換えに果てしなさを感じるようになる。だから何とか自分の気持ち、気ね。気持ちを騙し騙し、何とか50個までたどり着く。
果てしないのは100個かぁ・・・って思うからであって、50個になると、半分まで来た・・・って思うと、折り返したって気持ちと、今までで掛かった時間は
・・・と想像出来る。終わる時間は・・・とね。そこで終わりの時間が遅くなるなら明日にするし、行けると判断出来ればやるし・・・。その気持ちを操作となるが、
まぁ幸い俺の脳は単純なんで、大抵音楽のような音に頼るんだけれど、気分って言うのは、その日その日で違うでしょ?例えば、デザインなんて考えている時、
上手く行かないなぁ・・・って事になるのは見えているので、こんな時にテンポの早い曲なんて最悪だし、うるさい曲もいらない。ただ遅くて悲しいバラード
なんて事になれば、憂鬱になったりする。それが彫るなんて事になれば、比較的、トリマーは得意な方だし、そもそも音がうるさいんで、負けない音で、
そこそこ早めな音楽が良くなるし、ペンキ塗りなら、落語のように聞き取るとか、内容も把握出来たりもする。それを駆け出しの頃は無意識にやっていたが
今は、こうなるだろうから・・・って脳を操作出来るようになったし、もっと言えば、教室がしばらく無く、話す事が無くなると、人と会わない事が、孤独
を感じる事もある。そんな時はラジオとか、アニメのような会話のやり取りがあるものを聞くと、孤独から解放される事もある。ただ慣れないと、ラジオは
最初から局側が見えない事を前提に発信するから、配慮があって理解しやすいが、テレビって言うのは、見える前提なものだから、読み取る力が無いと、今
何がどうなっているのか?が判らず、しかも目を取られる事になる。まっ、これはギターを弾くみたいなもので、最初の頃はコードを抑える左手を見ないと、
弾けないのに、段々慣れて来ると、簡単なコードは見なくても弾けるようになる。ただその前にピックを持っている右手は特別な事でも無い限り見ない前提
なのね。こんな仕組みをただ漠然と使うのでは無く、練習として反復すると、人を見つつ進めたり、切った音の変化で、生徒さんがどんな事をしているか?
とか、切りながら話し声の内容を把握とか、教えるって事を前提の練習になるのね。ただの娯楽として使うのでは無くて、それも兼ねての練習なのね。
ただそう思っていても、流石に映画は難しいから、余程単純な作業とか、余裕がある事、もっと言えば調子の良い時くらいしか出来ないのね。何せ読み取れないと、ストレスになっちゃうからね。そんなこんな事を踏まえて・・・
何とか8時前には終わったから、予定通りに1日で終わったのはラッキーだったのね。その気分の良さで、アトリエに戻って麻布小のデザイン。
何しろ学校のホームページを見て、額縁に入れられそうな言葉の抜き出し作業をしつつ、書き出すんだけど、額縁は縦横になるから、横文字縦文字と言う感じ
に特徴に合わせたものが欲しくなるのね。ただ読みやすくするのか?隠して入れるのか?そこも考えながらなんだけれど、まずは使えるか?使えないか?になる。
ただ複雑にすると、1年生もいるから・・・そこら辺のさじ加減は必要になるし、単純にし過ぎれば、6年生には安く見られちゃうし・・・ね。勿論、今回は
大人も携わっているから、そこも踏まえて・・・まっそれよりも、ここも解放して張らせるのか?って事になると、複雑にすれば出来なくなるだろうし・・・
全部作家katsuとしてやるのなら、デザインさえ出来れば、時間だけの問題なんだけれと・・・。