今日はまず中学生教室から。3人来ている中で、内容的に一番大変かな・・・と思っていた中、体調不良で休んだりした分、かなり厳しい状況ではあるが、
キチンと自宅で進めてはいる。しかし、そもそも大変なスタートだから、普通のままでは厳しい。要するにもっとやらないと・・・。ただ事の重要さって点
になると、このままじゃ終わらない・・・ってプレッシャーが良いのか?それは凹んでしまう方に行くのか?・・・例えば、よーいドンってスタートする。
みんな1年生だから条件は一緒。それは学校の勉強ならそうなる。では土地の平米数は一緒で、好きな家建てて良いよ・・・だったとする。すると、平屋の家
もあったり、3階建てもあったりするよね?つまり一緒のようで一緒じゃないのね。しかも労作展に出すって言うのは、工期、納期があっての事。
その時に、雨で休む・・・これはみんな一緒。つまり学校行事ならみんな一緒。けれどクラブ活動、旅行、塾・・・こう言うのは人それぞれ。
つまり条件が一緒なようで、実はよーいドンの前に、10kの重さのハンディを背負ったスタートだったのね・・・彼は。それが1cmタイルを徹底的に切る・・
だから。それでみんなと同じペースでやっていたら、終わらなくなる。普通に最初はみんな頑張れる。でも物作りの果てしなさは、やるほど判って来る。
ここでこのままじゃ終わらない・・・って気持ちになった時に、あぁ無理だって思うのか?もっとやらなきゃ・・・って思うのか?で大きく違うのね。
この追い込まれた時の変化こそが自覚なのね。その自覚がどっちに転ぶか?で展開が大きく変わるもので・・・ただ頑張っているだけで乗り切れる作品と、
頑張るだけでは乗り切れない作品があるのね。しかも夏休みも半分って感じになるから、今の段階で半分以上終わっていないと、物理的に難しい・・・
これがどう理解出来るかなのね。今まで以上、しかもただやるじゃ無くて、このままでは終わらない・・・って危機感を持って。そうした気持ちで終わると
この作品が終わった時には、必ず凄いね・・・って作品になるんだけれど。まぁ、それは今の俺も一緒なんだけれどね。そんな後は、看板の方。

こちらは至って順調。定期的にいらしているし、もうタイルを切る事にも慣れて来ているし、決定的なのは狙って切る、この必然的なパーツが終わった事。
例えば文字はズレると見苦しい。けれど葉っぱはどうだろうか?曲がってる?揃ってる?そうなのね、ほぼ色合いだけで、言い方悪いが何でもOKになる。つまり
失敗パーツが無いのね。そして残りはダイヤモンドヘッドに砂浜。もはやクラッシュのみで逃げ切れる。となると、実は大変なのはバックなのね。
要するに今まで作って来た全てが邪魔になるのがバックなのね。確かに大きいパーツをそのまま使える場所がいっぱいある。けれど、行く先々にぶつかる。
その時に、ダイヤモンドヘッド、砂浜、ヤシの木とクラッシュで順調に楽々進んだ気分を味わってからのバック・・・これが気分って気の問題なのね。
後はバックだけ・・・なんて思えば、果てしないし、後はバックだけ・・・って、気力で逃げ切っちゃうのか?その人の考え方や性格で大きく変わるのが気。
何でもそうだけれど、気分良く・・・気が良いんだって・・・なんて時に、進まないなんて人はいないのね。つまり気分が良いから凄く進む。気分が悪いから
やらない。こう考えると、差し引き0みたいに考える人がいるけれど、実は違うのね。勿論、上手い人はそうなるかも知れないが、実はこうなのね。
例えば気分が良い、普通、気分が悪いって、単純に3つにすると、普通を1歩進めるとすると、気分が良いは、最低2歩以上進める事になり、気分が悪いと0
みたいに考えているのね。だから、さっきの気分が良いと2歩進んで、気分が悪いから0って考え方になる。それって本当に?って話なのね。実はそうで無くて、
気分って気は、数字じゃ無いのね。だって見えないから。しかも意識もしないから、適当な目分量的なものなのね。しかも判断する人が自分って・・・。
では気分が良い・・・って自分が判断する。じゃいつもよりもオーバーしてやろうかなぁ・・・って思えたりもするし、無意識の場合、気が付いたらこんな
時間・・・もはや時間も気にしない。気とはそう言うものなのね。つまり意識すれば、そこまでやらなきゃ・・・となり、無意識に気にしない・・・無制限
となる。つまり気分が良い場合、底なしに疲れも知れずに出来ちゃったりする。では普通なら、アトリエで3時間進む。これなら俺がいる手前、伸び伸び
って感じでも無いから、やらなきゃ・・・休まないで・・・とか、くつろげない・・・とか、勿論慣れている人はそんな事は無いけれどね。いずれにせよ、
規定量は進む。では気分が悪い・・・こんな時やる?やらないって普通は。ただ労作展なのね。その時に、アトリエに来れば絶対にある程度進むのね。けれど
来ない場合、果たしてやっているのか?となると、自己判断だし、自宅はくつろげるし、おやつも飲み物もゲームだってある。その時に今日もやった・・・。
って、その量で終わる?って休みが削られてから気が付くもんだったりする。その前にこっちは手を打たないと・・・なのね。つまり気分の良し悪しなんて、
もんで進むと、2、0、1、0、0、5、7、1・・・ってムラになるものが、ずっと普通に1をしばらく繰り返せると、1を繰り返した自信が、2になり3になる。
いつしか普通が3になったりすると、もう0って言うのは、学校行事のような出来ない日以外は、必ずやっている日になる。例え少しであってもね。
コツコツ進むとはそう言う事なのね。でもそれを習慣にするには、作りたいって意欲が無いと、大作って果てしないから心が折れやすいのね。未熟って腕は
気でしか乗り越えられないのに、気ってどんな事?どんなもん?って言っても、大人でも答えられる人は少ないのね。なのに、気分が・・・とか、気が・・って、
使うのね、みんなは。そこで俺の場合は、気で人は左右されるものであるのなら、俺もそうなんだな・・・と受け入れる。そして受け入れた上で、どんな時
に、気分が良くなり、どんな事で悪くなるんだろう?って考える。勿論、元気な時にね。そんな事、病気で寝ている時にやる事無くて、判断する事じゃ無いからね。
例えば、普通なら心ある人と会話をした・・・とか、趣味、娯楽をした。楽しかった・・・こんな場合、気分が良いんだろうね。じゃ何点?・・・
これが海外旅行に行って来たって言うのと、孫が来たって言うのと、映画を見た・・・って言うのと、ポイント数は全く違うと思うのね。逆に悪いって、
どんな事?勿論、病気や怪我なんて当たり前だし、自分で無くても親しき人が・・・でも同様なダメージになる。あおり運転をされたり、買い物行ったら
欲しいものが無かった、暑さの中での労働・・・色んな場面があるけれど、人として生きていて、0で済む事は無く・・・感情がある以上、毎日そんな事の
繰り返しなのね。その中で、常連さんなんかは生甲斐なんて事にしたから、月に1回進む・・・を続けているだけで、果てしない話だけれど、いつか終わる
スタイルなのね。でも労作展は突貫工事。人命救助くらいに思えないと、救出何人出来るか・・・になる。今の時間帯は、いよいよそんな時間帯に入った。
そんな感じなのね。そんな中、俺はと言うと・・・
地味に切り貯めたパーツで、黒文字を囲んだのね。まぁ何とも地味ではあるが、進んだと言えば進んだ。こんな場合、作家katsuだけの問題だから、いつ
やろうが、自分の勝手で楽なのね。でも趣旨としては、みんなで作る壁画・・確かにみんなで作ってはいる。けれどもう授業は終わった。つまり有志のみ。
まだ半分以上残っているのに、9月に決まった日は1日・・・正直、お話にならないのね。これをもうやったから、後はkatsuさんお願いって言うなら、とっと
と終わらせる方向に動くが、あくまで趣旨としてはみんなで・・・一体学校の人達は、どんな終わり方がお望みなんだろうか?これもまた労作展と一緒で、
除幕式の日程は決まっている・・・。はてさて。