katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新モンゴル日馬富士学園の額

2020-02-29 07:23:41 | モザイク作家
今日もずっと新モンゴル日馬富士学園の額。まずは上部のモチーフに合わせて下地切り。これで細かな直しはあるものの、大まかな部分は終わった。その後、額の幅直し。実はカットの段階ではタイルが15cmだったんで、1回目と同じ位の幅の12cm位かな?みたいな感じでやってしまった後、デザインを後日に決めたら、寸法

合わず、3cm追加みたいに額縁の幅を直してパーツは切って置いたんで、それを接着。ここまでで半日。そこからタイルがあるだけ額の側面を張ったのね。これがシュールに大変なのね。全部繋げて寸法を測って、模様を合わせる前提の印を付けて、レロレロってした模様の位置をまたしるしを付けて外して置くのね。それは

側面にペンキを塗らないと見えてしまうから。張ってしまうと塗りづらいからなのね。この繰り返しをするんだけれど、側面のタイルを張るって言うのは、割り付けを決めるって大事なのね。もうそこが決まれば、次の展開はその上にタイルを乗せるだけで、いちいち測る必要は無い訳で。これはタイル屋の時に習ったやり方。

こうして置く事で、もう割り付けをその都度考えなくて良いので、ただ張る事だけに専念出来るのね。けれど今回のように柄が入ると、黒、黒、黄色みたいにいちいち図面を見ながら張らなきゃならないから、面倒な事の軽減って感じではあるのね。そんなこんなであっという間に夕方・・・まじかよっ。最近こんな事の繰り返し。

その後、レロレロ模様の側面のペンキ塗り。

下地が終わってしまえば、この手のモザイクは単なる繰り返しなんで、時間で解決になるが、眼などを作ろうとすると、喜怒哀楽が出てしまうから、自分の決めた眼になるまで終わりが無く、時間を掛ければ出来るってもんじゃないのね。そんな違いはあるものの、ただ張るだけでも1万粒位あるのに、レロレロ模様をカットする

訳で・・・。結構な手間が掛かるのね。まぁいつもの事ながら、俺のモザイクに楽は無し。そもそも簡単に真似が出来たり、楽だったりしていては、人が見て凄い・・・とは言わないし、もっとモザイクの知名度が上がって比較された時に見劣りしてはね・・・非常に問題なのね。もっと言えば、美術会社からの依頼。そりゃ厳しい眼

で見るだろうし、そもそも悩み無しなんてあるはずは無いのね。そうなると、何処までやっても不安になるし、かと言って時間を掛けた所で必ず結果が出る訳では無く、何しろこのやり方は大作を作る時に教えているやり方で、完成図ありきでやっているのでは無くて、大まかなイメージをその都度、掘り下げて完成して、

また次へ・・・となるので、段々と出来ると思っていた事とは変わったり、ラフで描いた絵とは幾分違ったりもする。ただ大きさは何も変わらないので、その中で・・となると、下地は決まっている大作とでも思って貰うと判って貰えるのかな?いずれにせよ、日々前進はしているのね。

新モンゴル日馬富士学園の額となおみぃぃの下地

2020-02-28 00:52:07 | モザイク作家
今日はまず例の模様の下地を6個切り抜いて、イースターのペーパー掛けをして、それでお昼過ぎ。そんな中、見積もりの話が来ていて、それをかぐやと対応して、夕方コーナンに行く前に、ナオミぃぃの新作の下絵・・・それを持って夕方からラストの上部の下地を切って、ナオミぃぃの下地も・・・。それからアトリエに戻り

気が付くと12時を回ってて、慌てて帰宅。何か気忙しく1日があっという間だったのね。

イースターの下地と新モンゴル日馬富士学園の額

2020-02-27 07:26:51 | モザイク教室
今日はまずイースター下地の切り抜きから。電動糸鋸は機械が大きいのでアトリエの外で抜くのが都合良く、そんな訳で大家さんに頼んで午前中には終了。先日のモンゴル模様の切り抜きからしたら、随分と気楽に出来たが、同じ切り抜くにしてもどうして、電動糸鋸とジグソーって手持ちの器械の違いがあるか?となると、

電動糸鋸は40cm程度の大きさまでしか切れないのね。それ以上になるとジグソーって手持ちの器械になるのね。そんなこんなで午後からは、新モンゴル日馬富士学園の額のモザイクとなるのだけれど、キリの良い部分って所まで張りたいのね。何しろ5mx2mもあるからアトリエ内で広げる事が出来ないから、分割になる。

そうなると、繋ぎ目までやって次の下地・・・みたいになるから、キリの良い部分まで進んで片付けたいのね。それと本当は切り抜きを進めたいのもあるんだけれど、大家さんが仕上げのペンキを始めたんで、明日にした事もあるが、先日切り抜いた余裕もあって、やれる事を進めて置こうって感じでもある。それともう1つは全部

切り抜いて今の様子が見たいのね。それを見て最後の上部の部分の切り抜きをしようと思っているのね。何しろ大き過ぎて全体像が見えなくて・・・。いずれにせよ、明日以降それさえ終われば、下地の終わりが見えて来るんだけれど・・・。そんな中、Jcomの江戸川パラダイスって番組の取材を受ける事になったのね。何で知って

いるのか?忘れちゃったんだけれど、たまたまこの番組知ってて、芸人さんが江戸川区のお店をご紹介する番組で、電話が掛かって来た時に、そんな話をしたんだけれど・・・。まぁそれについては、またの機会に。

さくら教室と新モンゴル日馬富士学園の額の下地

2020-02-26 07:51:30 | モザイク教室
今日は朝オイル交換からスタート。午後からさくら教室。そんな中、1時間位、昨日の下絵を切らせて貰ったのね。それをさくらに動画に撮って貰って、様子を見たかったのね。一体どの位の時間が掛かって、どれだけ疲れるか?正直、描き写した段階で、思ったよりも大変で結構時間が掛かった。当然それを切るのだから、もっと

時間は掛かる・・・それをやる前の想像の中でヤキモキするよりも、大体この位・・・の目安があれば検討が付き、今後の展開を予測する事も出来る。

その結果がこれ。恐らく1回で1時間程度を2回やらないとならず、結構気持ちが削られるのね・・・長さが90cmもあるのに、5mmのベニアをこんな複雑に抜くって言うのは、失敗すると折れる訳で・・・どの位、慎重に何処から切るのか?みたいな事を考えながらやらないとならず、けれどそれを1枚やっただけでは、上手く行けば、

簡単だと判断したり、失敗すれば手慣れていないだけかも知れないのに、必要以上にダメージを受ける。人の気持ちとはそんな単純なもので、最初に成功をすると痛みも知らずの成功は、失敗した時の立て直し方や用心する場所など、何の何処が成功に至ったか?の検証が出来ず、かと言って、1枚目で失敗をすれば、その

難しさが何枚も続くのか?・・・と果てしなさを覚える。しかしその失敗の是正の参考にもなる訳で。しかしそう思えてもそのダメージと引き換えな訳で。いずれにしても、そう言う事無しで、ただ切るって進められる人はそれで良いが、その人は自分が出来ても、何故成功したのか?を説明する事は出来ない。こんな人が職人に多い

のね。つまり技術は盗むもので教わるものじゃ無いからって言う理屈。でも確かに一理あるのね。つまり痛みを伴わない技術は、一定の成果は得られるが、それは教科書通りの工程を何事も無く進んだ場合の結果であって、いつもの環境や状況では無く、イレギュラーな事が起こった場合の対処は海千山千の現場をこなした

ものにしか中々難しい事で、ありとあらゆるハードルを逃げ切った事で得たものは、お母さんがハンカチ、テイッシュは持った?ほらテレビに集中しないで、こぼすからとか、歯磨いた?とか、宿題やったの?・・みたいに、そいつがきっとやっていないだろうな?を先読みされている訳で。それを習慣漬けされると、出来るようになり、

あたかも自分一人で出来るようになった気分で、判っているよ的な発言になったりするも、亡くなったからの有難みなんてものに繋がったりもして、それも全て伝承的なもので、反復練習だったりする。けれど言われていなくても、反面教師として出来ない人の失敗を見て、あぁにはならない・・・って勉強するのは盗む行為。

それも逆も真なりで、それを出来る能力があれば、出来たりもする。しかしその欠点は、必ず教わったものの中に失敗があり、反面教師の中にもわずかながらの成功がある。それを見極める眼は常に必要な訳で。道具1つ取っても時代が変われば、それに対応出来るか?出来ないか?で能率効率は上がる。しかし、それが

無くても、出来た時代はあった訳で。みんながみんなそうしている中、1人だけ昔のやり方みたいな行為はあまのじゃく的になるが、それはある意味、個性とも言える紙一重な行為な訳で。常に新しいモノを作ろうと先端に向かう考え方がある中、山下達郎さんは5.60年代の歌に詳しかったりすると、それも初めて知れば、

新曲だ・・・のように唱える訳で。それを今風に、自分風にアレンジをすると、それが新しいモノに見えたりする成功例だったりする。話はそれたが、常に何をしても教える事が出来るように・・・と人に教える前提でモノを考える癖があるのね。つまりもう一人の自分が俺の中にいて、こうしてイレギュラーな切る行為はいつも

手慣れた事とは違う訳で。つまり初心者では無いが、挑もうって言うような人の例だな・・・と。さてどっから切る?切り抜けば切り抜くほど、安定感は無くなり、折れる可能性は高まる。本来安定感と言うのなら、スタイロフォームって断熱材を引けば平らで切りやすいが、それを買ってまで捨てる前提の予算は無い・・・。

当然、厳しさは増す。つまり工夫だけで乗り越える練習かぁ・・・になる。慌てるな、良く考えろ、大丈夫か?先に進む事ばかりで何も考えないと、折れるぞ・・・何処が危ない?離れて見て見ろ・・・全部みんなに教えて来た事を自分に当てはめるだけ・・・しかし難易度が上がればそれだけでは乗り切れないし・・・。それが器。

1時間でこれだけ出来たんだから、1日で終わるじゃん・・・こんな楽観的な考えは過信。思った以上に疲れた訳で・・。つまりまだまだ先が長いのに、そんなに身を削っては、長く続かなくなる。言い方は悪いが騙し騙し進まないと。無理せず余力を残してグレードを保つ量や時間はここまで・・・とし、その余力でモザイク。

不得意得意の分量をほどほどにして、継続する。休まずに・・・って感じね。それで難関を突破すれば、得意な分野に進めるが、無理して疲れを残したり、グレードを下げると、モザイクでカバーしたり、時間を取り戻そうとグレードを下げては本末転倒な訳で。これもそれも全てそうならないように・・・教える為の体験。

そうね、つまり俺が切っているのに、もう一人の自分が見ていて、どうなんだ?って自問自答している感じなのね・・・いつもいつも。そう言う状況の人は今どんな気持ちで、どんな事に悩む?って。・・・いちいち手を止めてでも。そんな風に教えるって行為の練習をしている・・・って前提でさくらの小物作品を説明すると・・・

大作の下絵が描けていないんで、昔から持っていた下地を見つけたらしく、それをやるって決めたらしいのね。紐から見て小指の第二関節弱の大きさ。バックはビーズが付けたいとなると、土留めじゃ無いが、縁取りでせき止める事が必要だろう。では縁取り。アトリエにあるタイルでは9mmが最小でも、こんな小さくては

切らないと張れない。ではこの縁取りの黄金比は?となった時、この画像が適切に見えたとしたら?1cmの9分の1なのね。しかし、外側に切り口を見せる訳には行かないのね。危ないから。それを踏まえて、普通9分の1は、短冊に3列に切ってそれを3等分にする。その繰り返しを3回やると、成功すれば9パーツになる。

しかし真ん中は両方切り口なるから、触るであろう端っこの縁取りには使えない。だから中の1列を捨てる覚悟の3等分のイメージ。ただ厳密に言えば真ん中の1粒だけ使えないだけなんだけれどね。まぁ先に進むと、そもそもこれを3個作ろうとしていたのね。けれど、恐らくやりそうな事は、サンプル的に1個仕上げようと、

する可能性があるのね・・・1個ずつみたいに。これが上手く行かない状況を作るのね。そもそも3個作るみたいなのは、大作と違って流れ作業なものなのね。つまり能率効率。こんな9分の1みたいなパーツ、ピッタリ切り終われると思う?恐らく余ったりするのね。それなのに次の工程に進むって。きっと無くすのね。

だから同じ工程は続けてやる。ここでせ若干ひねくれていたり、中々のツワモノは、さっきの下地続けてやらなかったじゃん・・・って突っ込んで来るのね。そうだね、確かに。でもね、あれは難易度高いって言ったよね。つまり身を削るから無理しない為だったのね。でもこの場合、余りが出ているパーツの放置になるのね。

ではまだ信用出来ない人へ。もし仮に1つずつ進んでいたとしよう。どうなるか?まだ乾いていない張り終わった縁取りの次に桜の花びらを張るのね。中心に合わせようとしたくなるのね。けれど、既存のパーツじゃないから、同じ大きさじゃないのね。つまり何と無く中心に合わせるしか無いのね。あっちこっち触るね。

その時に桜にばかり気を取られると、縁取りを触るのね。当然張ったばかり・・・動かすよね。直すよね。ズレるよね。深みにはまってさぁ大変。ドジョウが出て来てこんにちは・・・って事になりそうでしょ?つまり失敗する方向に向かうと思うのね。それをそっとして置いて、次々と縁取りをやっていると、最初のが乾いて来る。

その時に桜の花びらを張って、また張ってと3つやって、また戻る。すると今度はボンドのベタベタ感が落ち着く。そこでカッターでいらないボンドをそぎ落として・・・もう少し放置。帰り際に木工用のボンドを垂らして、ビーズを押し込む。それをスポンジで拭けば今日はおしまい。もう触らない。そして明日以降に目地。

こうした流れ作業で無駄な時間を使わない。これが1点モノじゃない作り方。けれど、目地をしていないから次回以降に持ち越しにはなるんだけれど。

新モンゴル日馬富士学園の額の追加のデザイン

2020-02-25 07:33:59 | モザイク作家
今日は1日ずっと新モンゴル日馬富士学園の額の追加のデザイン。先日の話で、3回目の完成度に気持ちがやられていて、このままでは納得行かず、モンゴル色が薄く感じ、モンゴル色で王道の3回目との比較をすると、迫力はあるし、インパクトもあるから、中々の期待は出来るんだけれど、何しろ飛び道具的なデザインは、

見る人に寄っては邪道だったり、おふざけにも見えたりもする。例えば、クラシック、スーツ、ディナー、デパート・・・こんなワードと、対極にJポップ、Gパン、モーニング、スーパー・・・と言うと、格式や伝統、もっと言い方を変えると、重いとか、ちゃんととか、って言うものと、軽装とかラフ、お手軽、何でも良いよ的にラクになる感じ。

勿論、一言での表現なんで、一概には言えないが、例外を探せば何でもある。コナカや青木のスーツとビンテージのGパンを比べれば逆転もするだろうが、一般的に多い方として考えているだけで、仮にそうだとすると、いままでやったモンゴルの例は、大学、美術館、そして今回。どれもこれもきちんと側にあると思うのね。

つまり今までを引き継いでモンゴル一色にすれば、成功の確率を上げるんでは無いか?が普通だと思うのね。しかし今回のように日馬富士なんてワードがあって、しかも日本だ相撲だと今までに無かったものが使えるとなると、それを使う方を選んだ。所が真面目にモチーフとして選んだとしても相撲なんて究極のコスプレ。

これがユニフォームなんてあれば、お洒落なんて事も有り得る。それが証拠に卓球やバレーは明らかに派手になった。これがアメフトや野球、みたいに道具があると、人を描かなくても、それだと判ったりもする。それが相撲では裸の男が2人・・・勿論描き方だろうけれども、結構格式みたいなものを生では出せても、モザイクで

・・・となれば、かなりハードルも上がる。こうして考えると、簡単に言えばお洒落とか格式とかから大きく離れている事になる。しかもその上、日本色が強い。目指すはハーフ&ハーフ的なものなのだから、かなりモンゴル色で巻き返さないとならない。・・・・なのに残るスペースが狭い。このままではバランスが悪い。

これを踏まえて何らかの打破出来るアイデア・・・ん・・・と悩んでいたのだけれど、モンゴルの国旗には青、赤、ミカン色の3色が使われていたり、あるいは、他の部分でも家具やなんかにも割と色が使われているのね。.しかも良くある定番のようなのね。そんな事も踏まえて下地にこんなものを追加で合体させる事にした

のね・・・ん・・・そうね、例えば建築で和風なら四角い柱って定番が、洋風ならモールって硬めの発泡剤のようなデコボコした柱とかあるでしょ?あんな感じに追加で合体させれば、平屋を二階建てにした感じに立体になる訳で・・・トリッキーにはトリッキーをぶつけ、伝統格式には、伝統格式をぶつけ・・・と考えてこんな

模様を付ける事にしたのね。しかし本来は左右対称で2つで1つの模様のようなんだけれど、あえて半分にしたのね。ハーフ&ハーフなんで。日本の文化も、モンゴルの文化も共有したいから・・・それと、もう一つは異国の地からやって来て、どんなに勉強しても粗相はあると思うのね。それを完璧に作らないとならないか?

それとも大きく間違っていなければ、良くここまでお調べになった・・・と言って貰えるのか?全ては受け取る側が決める事である。でもね、あえて何かその通りじゃ無くしたいのね・・・普通違って当然じゃないか?と思うのね。だって異国なんだもの。もっともっと付き合いが深まったら、その内にもっと判れば良い気がする。

だから今はそこまで完璧じゃなくても・・・と、あえてちょっと違う位が丁度良い感じがするのね。あくまで解釈は俺って部分だけは主張したい部分なんで、ただ正式にあるモノだけを描いたら、単なる施工になっちゃうのね。そこに何でそうしたか?の意味があれば、良いんじゃないのかな?芸術って・・・。少なくとも、これを

付けると、悩んだ事は軽減した事にはなるが、当然これだけの事で1日を潰すのだから、また手間が掛かった訳で。しかもまだタイルも張っていないし、これから切り抜かないとならない・・・楽な事は1つも無いのね。でもあった方が良いはず・・・。

ご新規?さん教室とイースターの下地

2020-02-24 07:37:52 | モザイク教室
今日はご新規さん教室。って言うか、亀有カルチャーの方が初めてのアトリエって話なのね。何しろ初めての方は外の看板から興味を持ってくれて、更に玄関、入るなり殺伐とはしているが、モザイクの山・・・しかも今回はモンゴルの額もあるから賑やかな状況・・・何かそれでもアトリエって感じって喜んで貰えて・・・。

そんな中、カルチャーの続きをやったのね。そんな訳で完成。これが1作目ならそりゃご満足だと思うのね。何か丁度良いって感じなのね。時間もグレードも、これが目安となって、これからこれよりも上手く切れるように・・・となると、これはこれでそう簡単には越えられないし、でも既にデザインは確立しちゃっている感じなのね。

恐らく作りたい模様はいっぱいあるだろうから、後はその模様をきちんと切れる技術が欲しくなる。でも普通はそんなに簡単にデザインが出て来ないもんなんだけれど、既にそれを持っているのだから、ある意味、切る事に専念出来ればかなり近道でもあったりする。そうなると、切る事に慣れるのが大事になる。けれど普通は

じゃコースターでも・・・となり手頃な大きさで手頃な時間で、手頃な枚数を作ると思うのね。その後、大きくして鍋敷きとか、トレイ、ミニテーブル・・・と変化させたりするが、この方はこの模様の先生だから、それに飽きる事は無い訳で。つまりずっと同じ大きさで違う模様で・・・の難しさをクリアー出来る要素が多いのね。

普通はコースターは何枚もいらないし、鍋敷きもそう・・と次々と目先を変えて大きさを大きくする事で、迫力なんて方向に移行するんだけれど、同じ大きさを飾りとして何枚でも問題無かったりするし、そうなると、かなり果てしなく繰り返せる。場合に寄っては、5~8cm程度の下地に模様を変えて100個作ったとするでしょ?

それを1つに合体すればテーブルのトップにもなるみたいな事が出来たりもする。こんな例は棟梁も同じで、木彫が出来るから額縁を自分で作る。自分の特徴を生かすってやり方は、オリジナル作りとして武器になるし、そう言う点では、この模様の違うものを同じ大きさの下地で繰り返すって言うのは、切る事に慣れるにも良い

し、更に言えば、100個作ればそれはそれで大作にもなり得る。ただそれも慌てて先を急げば質を落とす。あくまで今日出来たこれより大きく見劣りしては意味が無いのね。何しろそれは美しいか?を自分に問いかけると、必ず上手くなる。その意識が行動を変えるのだから・・・。まぁこんな事は、カルチャーの領域で語る

事では無いから、そんな事がアトリエ教室との違いかもね。さて、その後は、りょうさんとデイ・サービス分のイースター下地を彫りにコーナンに。

そんな中、さっきの模様の話なんだけれど、色々と模様についてご新規さんと話をしている中、色んなデザインを見たのね。こんな時思うのは、この方と話をしなければ、これらの模様を掘り下げる事は無かった。こんな機会、何故今やって来た?・・・って感じちゃうのね。良くテレビの中で白い天使と黒い天使みたいな話

だったり、デジャブでも良いし、そんな説明の付かないようなファンタジーでも良いし、何しろその類の話と思って貰えれば良いのね。まず一旦この話を置いといて、先日モンゴルの額の全てをもう一回見直すと、3回目の仕上がりに舌打ちした感じになったのね・・・チエッ、良い出来してんじゃん・・・と。正直、1.2回目には

簡単に越えられる自信みたいなものがあった。ただ3回目のは、完成度が高く、正直このままでは越えると言うり痛み分けみたいな事になり兼ねない・・・そんな気すらしたのね。問題は3回目は全面モンゴル一色だった事。それにより、先方にはモンゴルの見慣れたデザインで受け入れやすく、逆に日本の先生には、異国

の文化を味わって貰えて、そのデザインを知らずとも、受け入れるしか無かった感じでもあったと思うのね・・・知らないから。では今回は?となると、今の段階では日本色がバリバリ出ていて、尚且つ相撲色も多い。つまりこの時点では、学長の日馬富士さんと、生徒さんには受け入れて貰える可能性は秘めているが、

相撲と言う分野が何処まで通用するか?となった時、モンゴルと融合させようとすると、いかにここからモンゴル色を巻き返すか?となった時、残りのスペースでは巻き返せない・・・と判断していた最中の、ご新規さんの模様の話・・・俺には神様とか、天使が肩の上で、ねぇ、ヒントは模様なんじゃない?って聞こえるのね。

このタイミング・・・ヒントなんじゃないの?って。でも白いのはそう言うんだけれど、黒いのは、今でも結構迫力あるし、このままで良いじゃん。十分じゃないの?ってラクをさせようとするのね・・・ただ悩むのは手間を掛ければ必ず結果が良くなるのならやれば良い。けれど、必ず何て無いのね・・・。例えば、勉強したら絶対

合格するのなら、みんな合格しちゃうし、練習したらみんな甲子園に行ける?って話で、いくらやってもダメなものはダメだし、レベルを下げるのならクリアー出来たとしても、それで満足か?となった時、作り手ってそっちへ行っちゃうもので・・・崖へ崖へと引き寄せられる。もう金額は決まっているんだよ・・・厳しいよ。

なのにまだ無いのか?これで良いのか?って・・・当然やり過ぎになる。まぁここまではいつも通りなんで、正直どうでも良い話なんだけれど、そもそも1.2回目を軽く越えると判断出来て、3回目の完成度にひるむのは何故か?簡単な理由で、1.2回目は遠慮し過ぎたから。それを3回目では少し自分色を出した・・。ここ。

そもそもアーチストなんて俺が、俺がってとこが少しは一般の人よりもあるべきだと思うのね。何せ提案みたいなどう?って人だから。なのに1.2回目は、なるべく粗相の無いように・・・と色合いも地味に、主張も隠し、シックと言うよりも地味になっている。勿論、それがその後に繋がったのだから、成功だったとも言える。

がしかし、3回目は慣れたし、大学から離れてリセット出来た。つまり額と言う事も大きさもほぼ一緒であるけれど、美術館って言う華やかでもある響きや、格式なんて言う事や、今までとは違う・・・って言う作家としての主張だったり、モンゴルに統一した事で、色んな意味でまとまったと思うのね。この時点でお気付きな方

もいらっしゃるだろうが、つまりさっきのご新規さんのアイデアの話と一緒なのね。つまり大きさは同じでデザインを変えるって意味では。その時に音楽だとしたら、1回目と2回目は、AとA`くらいの違いだったのを、色を付けて、四角くない額にして、かなり変えた・・・つまりAもどきでは無く、BとかCになったと思うのね。

でもその額の幅や色。そして古典的な模様自体がマッチした事で、額は四角いって言う概念から離れても、額の幅みたいな事が大きく逸脱しなかった事で、評価に繋がったとも思うのね。所が今回、もはや額の幅は80cmを超える・・・今までの3倍以上ある。もう単なる額では無い。つまりすっとんきょうなのだ。

人は見た目で判断をする。つまりその時点で大きいとか、思えば迫力を感じるだろうから、見て判りやすいものなら、例えば2mのゾウがいたら、おぉぉぉっとか、わぁぁぁって子供達には言って貰えると思うのね。それは見たままの感想だから。でも、では学校サイドはどうだろうか?この神聖な場所に必要か?になる。そして

お金を出しての出展の先生なら、なんでこんなもんが付いているんだ・・・なんて声も聞こえる。そうね、一体これを誰に向かって作るのかな?って話。今回は今までと違って、遠慮無く思い切り主張しようと思っているのね。そして与えられたスペースいっぱいにね。ただここからが若干そう言ってて違うのは、別に俺が主張

しようとは思ってはいないのね。きっと心ある人はこうなるだろうな・・・と主張したいだけなのね。恐らく、普通はお金を出して出展した先生は、経歴の1つにもなると考えているだろうし、場合に寄っては賞を頂ける方もいらっしゃるだろうし、それによって作品にハクも付くかも知れないし、思惑は色々あると思うのね。

しかし中には、日馬富士さんのファンだったり、相撲のファンだったりして、母国で学校を開いた横綱への思い入れだったりするかも知れない。逆に日馬富士さんは、母国に作ったのだから、モンゴル色で良いのに、日本や相撲など、文化丸ごと受け入れたような学校に思え、志すら感じたりもする。そんな事を踏まえて、

今回は日馬富士さんのお陰で日本色を入れやすくなった。つまり過去3回とは全く違うものになる。しかもかなりの分量を入れてしまった。けど、テーマとしては融合って事なら、カフェオレを作るみたいに、ハーフ&ハーフにならないと。ただ余りにも日本色が濃くなった。これではミルクを垂らしただけ。でも混ぜても、

カフェオレになるだけ・・・そうなると、ラテアートを目指しちゃう。でも味も大事。でも量も大事。何故ならあくまで額だから。こんな事を踏まえて、考えた内容は、横綱として頂点に立つ者は、きっとみんなその道に打ち込んで、勝ち得たものだったりすると思うのね。それはみんなも一緒で学芸会の主役、リレーの選手とか、

学級委員、更に受験、レギュラー、そして恋愛、みんな何らか味わった訳で。そんな最高峰の人は、国を出てまで勝ち得たもの。そう簡単じゃ無いし、想像し切れない努力があったと思うのね。そしてその横綱になっても、土俵入りの時に、太刀持ちと露払いって2人を従えて来るのだけれど、この2人だってそこに立てる実力

はあるのだけれど、本来みんな横綱を目指している訳で・・・そんな上を目指す気持ちと、それを務める役目は、いつか・・・俺もって気持ちの葛藤があると思うのね。つまり、作家の先生方も同じで、そこの位置のままでも、更なる上を目指すのも自分なんだけれど、でも全員誰かに支えられているもので・・・。大抵、応援や

支援を受けて、そこまで来ている訳で。努力だけで、自分一人で・・・と思っている事は思い上がりな気がするのね。恐らく頂点に立った人はそんな事は無い気がするのね・・・だから立派に見える気がするのね。俺はそこを目指しているから、そうだ・・・とは言えないのね・・・。つまりそうやって支えられて、そこに向かってる

・・・そしていつかこの学校から旅立った生徒が、立派になってここの学校卒業です・・・と名乗ってくれた時に、ここにご参加されたり、出展されたり、関わった人達が、やって良かった・・・って思えるような、相当先の未来へのスイッチみたいなものにならないかなぁ?・・・だからすそ野の広く、上は尖ってみたいな、そこに

辿り着けるのはそう簡単じゃない・・・でもその一番上に校章を付けたい・・・そんなイメージなんだけれど、余りに構想がデカ過ぎて、まとめるのが大変なのと、何よりも広げちゃった日本色に負けないモンゴル色の挽回にひたすら構想中・・・。


kameyaさん教室と新モンゴル日馬富士学園の額

2020-02-23 06:57:22 | 出張教室
今日はkameyaさんの出張教室。何しろ今日はりょうさんなのね・・・先日のナオミぃぃに引き続き、目地をして大作が終わったのね。ちなみに若干広めだったフクロウの目地幅をブラウンの目地にして、バックをベージュにしたのね。それに寄っての効果は、バックを同化させて粒々に見えていた模様を1つに見える事でスッキリ

になり、よりフクロウに目が行くようになり、更に少し広めの目地幅をブラウンでカバーした事でクッキリはっきりさせて、よりフクロウが見やすくなった。これを見て棟梁が良いね・・・と言うものの、何か凄く早かった感じがする・・・みたいな表現があって、そう感じる1つには、やはり自宅でパーツ切りしていたって事は大きい。

それに寄って、当日考えながら切るのと、切って来たパーツの是正なら、進むペースは速いし、それと帰り際の宿題パーツの話をしてから帰るって言う事で、考えるって言う事が随分と慣れた気がするのね。創作活動って言うのはアドリブだけでは難しいもので、構想は当日では無く次回までの間にするものなのね。それでも、

例えば正解が出なかったとしても、色々と考えたはずなのね。その時に大事なのは、失敗だと思って消してしまったアイデアがあるはずなのね。そのアイデアが本当に失敗かどうか?検証する事が正解探しなのかも知れないのね。その時にkameyaさんには棟梁もおかみさんもいる訳で・・・自分より上手い人の眼でも検証する。

そうすると、自分の眼で消したものが、使い方次第で良くなったりして・・・考えた事を無駄にしなくて済んだりもする。それが出来るのも考えた事を持っているのと、その場でどうしようかな?・・・では、頭の中で決まってもいないものを仮にみんなに付き合って貰うって言うのは、ちょっとどうかな?って話でしょ?みんなも進めたい

訳だから。けれど、こんな事を考えたらしいんだけれど・・・?って質問なら、ほんの一瞬で各々の意見は出るモノで・・・実はそのいきなりの質問が棟梁やおかみさんにはアドリブの練習になるのね。本来、自分の作品に専念したいものだけれど、その作品ってどう作っている?って言うと、単純に自分の好みで作っていたりする。

でもそれなら自分を磨かないと、ただ切る事、張る事が上手くなるだけなのね。では自分を磨く・・・どう磨く?って言うと、考える・・・って事だと思うのね。つまりこう思う・・・って何かを持って話した時に、全くそう見えなかったり、お門違いな感じになっていたりした場合、切る張るが上手ければ上手い分、お門違いを正確に

作る事になる訳で。つまり2人は自分の作品を進める事も大事だけれど、そうした質問に答える事で、自分なりの意見を言う練習になるのね。そもそも自分の作品は自分の好きなモノだけの中で考えているのね。しかし人の作品についての話は、特に興味の無いものもあったりする。つまり興味をそそらないもの・・・。

そんなお題に向き合うのだから、常に新鮮な意見を求められる。これが好きなモノの時だけ反応しては、いつかその範囲のみになり、狭める。まぁ古典落語と新作落語みたいな話で、常に同じ話をより充実させるのなら、繰り返しは必要だし、常に新しい事を生み出そうとするのなら、常に新しい発想が必要な訳で・・・。

しかもオリジナルをやっているのなら、尚更で・・・新作落語作りになる。その時に自分の好きなモノの中には無かったけれど、意外とそれ使えるかも?と思えたりするものが出るかも知れないのね。それが発見だったりする。常にそこに、感じる・・・って敏感なものを持てるようになると、今、手を止めてでも向き合う時間が、

大事になったりもするのね。しかもその時に質問した人との差があれば、楽に簡単に答えられるが、りょうさん位になると、中々高度な質問になるから、難易度は高く、質問が難しくなればなるほど、勉強になるもので・・・。そんな練習が自分の作品の時に、考える・・・って向き合う練習になるものだったりするのね。

それは俺とて同じで、みんなの質問に答えるって事は、それだけ向き合う回数が増える訳で。そこで勘違いしちゃいけないのは、こうだ・・・と押し付けるのでは無く、こう思うであって、ここも難しいのは、先生として認められればられるほど、先に意見は言わなくなるもので・・・それはその人への影響が強くなるから。

まぁそこまで膨らませる話でも無いのかも知れないから、この辺にするとして、いずれにせよ、こんな話をする作品が完成したのでお疲れ様・・って言いたい所なんだけれど、もう既に新作の絵があって、その是正までやってたのね・・・つまり完成したのに通過点。しかもオリジナルで大作となれば、この作品を大きく超える

作品な予感があるので、楽しみなのね。そんな中、本当のお楽しみ作品も完成。

これは以前、俺がやろうとしていた下地なんだけれど、何か思っていた通りに作ってくれた感じなのね。きっと俺もこんな感じにしていたと思うのね。
では棟梁。これが最初に見せたいのはこれ。

先日作ったプレゼント作品。表札になったんだけれど、こうしてきちんとした字が入ると、見事な表札に・・・格式高くなったし、こんな個性的な表札見た事無い。
何か下地を見事に使いこなしてくれた・・・って感じで見ていて楽しい。2人共に、下地を最大限に生かしてくれた仕上がりなのね。

で大作なんだけれど、りょうさんも新作が花なんで、これを良く見て置く事なのね。棟梁でさえこれしか進まないって事。つまり質を問えば、進む事よりも美しいかどうか?棟梁は下絵に2年も掛かった・・・だから気長にやるつもりで・・・なのね。ではおかみさん。

もう流石に終わらせないと・・・って感じ。後はガラスでクラッシュ。コツは大きいスペースにいかに小さいパーツを入れるか?と小さいスペースにいかに大きいパーツを入れるか?の意識を持って切れるか?なのね。それをここは狭いから入れば良い、ここは広いからドン・・・って感じになると、粗雑感が出ちゃうのね。だから

意識する事が大事で、そうするだけで、終わりも見えるし、丁寧な仕上がりになるはずなのね。後もうちょっとなのね。そんな後は新モンゴル日馬富士学園の額。

例えば上部の図面的なものと、それを切る為にホームセンターでこうやって切って貰う・・・みたいなものなんだけれど、単に全長を均等に割るってもんじゃ無く、下絵の何処で切ると区切りが良いか?みたいな事まで考えるから難しくなる訳で・・・・。そんなこんなで絵の区切りの良い所まで終わらせようとしているのね・・・

新モンゴル日馬富士学園の額

2020-02-22 07:13:04 | モザイク作家
今日は朝から新モンゴル日馬富士学園の額を張ったんだけれど、そんな中、以前学校のパンフレットをネットで見つけた中に、面白い記号のようなものがあって、何かそれがモンゴルの算数とかで使う公式とかだったら良いな?・・・・それなら使えるかな?と美術会社の方に問い合わせて貰っていた返答が返って来て・・・。

それがただのパンフレット上の演出的に使っただけの事らしく、入れようとしていたデザインが1つ飛んだ・・・そんな朝のスタート。何しろモノが大きく、側面の片側だけでもアトリエ内では広げられないそんな状況では、これをやっては片付けて、これを出し・・・みたいになるから、繋ぎ合わせの所を合わせて次へ・・・となる。

まぁネタバレ禁止となっているから、全貌を見せる訳にも行かないから、こうした一部の画像では、やってます・・・しか伝わらないのはもどかしいけれど、何しろ大きいって言う事と、今までのモンゴルの額の中では一番主張の部分が判りやすく、伝わりやすいとは思うが、逆に伝わるが故に、何だこりゃ?って方もいるかも・・・。

ここが難しい所で、ん・・・例えば、演出として火を使うってコンサートは昔はあった。今でもKISSならジーンがベロ出して、火を噴く。あれをカッコイイって思ったら素晴らしい演出だけれど、危ない、何かあったら危険と言われたらダメになる。それを黙って演奏をすれば良いって言ったら、元も子もない訳で。そもそも人と違うを

探しているのだから、ただ演奏ではその化粧も派手なコスチュームもいらないって話になる訳で。それじゃCDと変わらない。つまりこれに当てはめると、最初は流石にベロすら出せない状況で、額は普通四角いから・・・と形も変えず、しかも作家の先生がメインなのだから・・・と遠慮気味だった事で、色さえも抑えた。

それを踏まえた2回目はそうした流れを引き継がなきゃならない、同じ場所って事で、それでも正面って事もあり、華やかさも必要だろうと、桜の花の薄いピンクを取り入れた・・・真面目かっ。って位、慎重にコンプラやBPOみたいな意識が高かった。そんな3回目は、1.2回目の大学とは違い、美術館って事もあり、一般の

方もいらっしゃるので、余り地味になるのも・・・って事も踏まえて、多めに色を使い、形すらも変えた。モンゴルに関係があるものだらけって感じに。ただこの3回までは、色を押さえたり、形は変えてもモンゴルの伝統的なデザインを合体したような感じであって、特にビックリするような演出では無かったと思うのね。

しかもモンゴル色やら韓国色は多かったが、日本って点では、桜の花位で、ある意味、先生方の作品が日本色って感じになり、ただ今回は大きく日本色が出ているのね。それは日馬富士自体がモンゴルでもあるが、日本色だったりする事。そこで日本色が使いやすくなったって事。しかし、異国の文化や模様は、知らないと

こんなもんなのかぁ・・・と受け入れやすいが、知っていると、ここが違う、ここが変・・・と感じる事もある。増して伝統なんて古い事は、ちょっと違っていても変に感じるモノで、それは昔の歌をカバーしたりした時、昔の方が良かった・・・なんて言うような事が起きるのと似ていて、それもある意味、昔が良かったって言う伝統

みたいな話で、比較して違う事探しみたいな。つまりこんな場合は、安定していた過去を引き続きの方が、新しいモノよりも良く見える・・・って事になるし、逆にその安定感を慣れると、またかぁ・・・にもなる。こんな事も踏まえての4回目となると、安定感よりも変化を取った。しかも今までとは違って既に日馬富士って言う、

もう既に有名なワードを使わない手は無いし、それが相撲、日本と繋がりを持つ事になる・・・となると、意味もあるけれど、ただ今までとは逆でモンゴルの人達にモンゴル色だったのを、今回はかなりの日本色を見せる事になる訳で・・・しかも、日本の先生には見慣れた文化を見せる事になるし、モンゴルの人達には、

異文化を見せる事になる。もはやデビルマンのようで・・・悪魔からは人間と言われ、人間からは悪魔と呼ばれる・・・ここを解決出来ないとかなり不利にもなる。そう言う点でも、ベロを出したり火を拭いたりするKISSのような演出は、賛否両論を起こすもので・・・。ただリスクを負わないと普通になってしまうもので・・・・。

ある意味、何これ?・・・って声を聞けないと、それすらも普通って事にもなるかも・・・なんて考えてしまうと、やり過ぎの度肝を抜くみたいな事をしたくなったりするもので・・・そのやり過ぎまでやらない位の辺りが理想なんだけれど。いずれにせよ、何のモチーフを選んでもそこに意味が無いと、ただ綺麗みたいになるし、

意味あるモノを選ぶと、伏線みたいな事になるから、きちんと回収出来無いと、取っ散らかる。最初に下部に使おうと思った記号みたいなもののように、単なる演出だった・・・なんてものは使いづらいし、そうなると、上部下部で下絵が棚上げ的になってしまったのね・・・。

コープみらいカルチャーさんの打ち合わせと新日馬富士学園の額

2020-02-21 07:43:24 | モザイク作家
今日は午前中、コープみらいカルチャーの埼玉の担当者さんと打ち合わせからスタート。千葉、東京と来て、埼玉と折角お呼びが掛かっているので、何とか良い結果を出したいものだけれど、こればかりはやって見ないと判らないので、何とも言えないが、お会いして手応えは感じたのね。そう言う点で、置きに行くような提案

はしなくても良さそうなんで、尖がった事が出来そうだけれど、ここが難しく余り尖がり過ぎるのもね・・・ただ、初めてのサンプルがイースターなら、まずまずな感じになったとは思うんだけれど・・・。更に、まだ初回が終わっていない内に、次の話もされたので、かぐやとその後、打ち合わせとなったのね。有難い話なのね。

その後は確定申告の準備・・・そして夕方から新モンゴル日馬富士学園の額となったのだけれど、張るのも進めたいが下地も作らないとならず・・・ただまだ迷っているのかな?ちょっとビビリなのかな?これで良いのかな?ってコーナンに行くのを躊躇している気もするし、にしても、グズグズしている時間は無い。


ただこうしてモザイクしている時は、何も考えずただ進めるだけ。正直、下絵や下地から比べれば、気持ちが削られるような事は少ない。逆にスイスイ進むと、さっき下絵や下地、寸法に困っている事から解放された感じでもある。更に言えば、確定申告も上乗せだし、それからすると、削られ無い分進みが良いのかも知れないが

、逆にその分、大丈夫か?何か進んじゃっているけど・・・って思ったりもするが、そりゃいつもと違ってガンガン切らなきゃ進みも良いし、大きさに呑まれるのは、下絵だったり、下地だったり、構造的な組み立ての問題であって、モザイクに関しての事じゃない訳で・・・。いずれにせよ、削られそうな事を1つずつ消して行くしか無い

のね。

高洲のサークル

2020-02-20 01:34:35 | モザイク教室
今日は高洲のサークル。いつもの6人なんだけれど、帰り際にバタバタしちゃって、のりちゃんの画像が無かったのね・・・そう言う訳で次回となるのだけれど、何しろ今日のメインはナオミぃぃなのね。とうとう張り終わったのね。どれだけ掛かったんだろう?しかし、何しろサークルのみでの制作なんで、長かった・・・。

ただ、続けて作れば勢いも出て進み具合も確かに良いが、その分、向き合う時間がプレッシャーにもなる。けれど逆にこうして月に1回のペースで進めるには、果てしなく遠い道のりになる。そう考えたら、最後まで良くたどり着いたと思う。それもこれもこのサークルだったから・・・って理由は大きい。楽しさがあり、実力者がいて

程良くプレッシャーもあり、そして時間は掛かったが、みんなも進まないから、そう言うものなのかな?・・・と焦りも無く、丁度良かったのかも知れない。まっ、何はともあれ、おめでとう・・・そしてお疲れ様の一言に尽きる。次回目地して完成となる。それではみんなの作品をご紹介。

みんなジワジワって感じで進んではいる中、今日の結果を良く見て欲しいのはキョンキョンなのね。キョンキョンもここのみの人だから、ナオミぃぃは良い目標になると思うのね・・・そう言う進め方でもこんな大作が作れる。このメンバーと一緒なら・・・しかもナオミぃぃもこんな作品が作れるような先輩になった。

もうこんな作品はサークルで作るような次元じゃ無いのね。まぁそれには何しろ切る事に慣れるしか無いのね。それとただ進める事にこだわらないで、それ美しい?って思えるか?を重視して、尚且つ隣の人に迷わず聞く・・・どうかな?って。自分の眼よりも信用出来る人が5人もいるのだから。きっとそんな心持ちでやっていると、

今の作品が出来る頃には自分の中の一番手ごたえのある作品になっているはずなのね。そんなこんなでアトリエに戻って、新モンゴル日馬富士学園の額の下絵を下地に写して少し進めて、不得意な事をやった後、一番得意なモザイクをする・・・みたいに、気持ちに負担が掛からない様に工夫をしているんだけれど・・・