今日はkameyaさんの出張教室。まずは棟梁から。久し振りの全体画像なんだけれど、本人が今まで見せたくない・・・って事で一部公開にしていたが、今日は
本人が全部どうぞ・・・と言う事だったんで、アップしたんだけれど、例えばこれが小物で時間が大幅に掛かっていたとする。それで同じように完成までアップしなかったとする・・・同じ結果になるかどうか?なのね。
つまりこの作品のグレードなら、どっちでも変わらないから言うがままにしていたのね。要するにこの作品の凄さが一番判っていないのは本人なのね。
昔、俺もそうだったのね。作品に本人が見劣りするのね・・・人に評価されるとね。凄い作品なのに、作った人この人ってね。要するにそれに耐えられる人
を作らないと、苦痛すら覚えるのね。勿論、趣味と言い張る姿勢も、救いが無いセリフで、人が評価し始めたら、有難うございます・・・であって、謙遜が
美徳なんてここでは有り得ないのね。作品はひけらかし、人として謙虚にであって、作品を見せずにいきなり出して、上手いとか凄いとか言われて、そんな
事は無い、単なる趣味だから・・・なんて言われたら、世の中の先生の大多数をメッタ切り・・・なんて事にもなるだろう。それなら生甲斐だからとし、
趣味と一線を引き、趣味より上の立場として、精進します・・・の方が素直に誰も傷付けずに済む。だからこそ趣味では無いから、手伝って・・・とも言えるだろうし、これから出て来る依頼者にも説得力になる。
ではりょうさんはどう見えるだろうか?

そしてラパンさん。

要するにそれを追い掛ける人に見える作品なのね。勿論、誰も気が付いていないし、自覚無く一生懸命頑張っているだけなのね。勿論、趣味ならそれで良い
・・・しかし、しかしなのね。それは今の俺の程度先生で、今の状況や環境のままでならなのね・・・俺はこのままいたいとは一切思っていないし、思い切り変わりに行くんだろうね・・・。
勿論、普通ならほざいて人生が終わるんだろうね。その程度だったから。ただ、必ず世の中には例外があるのね。では折角だからほざくついでに・・・
タイルが日本でタイルと名乗って100年そこそこ。凄い歴史と言えるだろうが、俺と俺の親父の2代でも半分以上関わって来た。としたら、俺達にもそこそこの歴史は出来る。
その程度の事。しかしながら、当時は貧乏人は持ち家に風呂が無く、銭湯に行きタイルのお風呂を知り、物凄いお金持ちは自宅にタイルのお風呂があった。そんな時代だった。
その時には、東京にはタイル屋としての施工業者は4つしか無かったらしい。ただそれでも高度経済成長とともに、建て売りが出始めると、一挙に自宅にタイルの風呂がやって来る。
これによって、タイルを知らない人は居なくなった。ただ、そこまで止まりで、世界には既にモザイクを知らない人なんていないのね。つまりやっと今、少し
日本の人も認知して来た。それは海外旅行で見て来たから。ただじゃあの時の風呂のように持ってる?となると、日本の流通では一般家庭には無理なのね。
そりゃやれば時間は掛かるし、頼めば絶対に出来ない料金になる。メーカー、商社、問屋、工務店、タイル屋・・・何人の人が間に入る?そしていくら儲ける?
勿論、生活があるから当然なんだが、ではプロとして一体どんなものが作れる?・・・何を見た事がある?凄いのあった?・・・大きいだけじゃ無い?
世の中の人で先人は必ず、良いものを見ろ、聞け、食べろ・・・と言うのね。すると、普通の人は有名なものを調べてそこに集まるのね。普通だから。
でもね、世の中全てのものは無名から始まるのね。当たり前の事なんだけれど・・・そして俺もそれに該当する無名じゃ無いが、無名扱いだろうね。
この扱いではね。ただ一度も下手とは言われた事は無いんだけれどね。あははは。しかも、今はモザイクをしている人どころか、いよいよ商社さんや
問屋さん、そしてメーカーさんにも名前が知られて来た。だからこそ、麻布小のタイルも頂けたりもしている。ただまだ何も出来ていないのね。期待のみ。
つまり俺ってカードを見て、業者の人達がお金では無く、タイルを提供してくれて場に張った・・・カードゲームみたいなもん。そこに麻布小、150周年、
ジョセフ・グルーって人の偉業、港区・・・そんなカードが上乗せになり、更に廃棄するタイルとか、子供達が作った・・・地域の皆さんが・・・。
この話題に乗るメディアがいるかどうか?となると、作品は出来ていないのに、関係者の期待ってご褒美を頂いているって感じに、来週からいよいよ壁に張る。
そうなると、誰でも判りやすくなる。段々と破壊力が増すだろうね・・・まぁとは言え、まだ俺は雲と鳩しかやっていなくて、後はタイルの仕込みだけ。
つまり教える側として先生として、ほぼ指導のみで中身を完成させて、額縁が本来芸術の会社の仕事なら、作家としての作品価値の評価となるが、それとて、
きっと参加者にやって貰うだろうから、大きく参加はしないつもりなのね。でも何がどう出来るか?となった時、大体は想像が付く。後はそれを見た人の評価。
そしてそれによって、カリオストロの城のように、後から作家katsuが知られて行くとか、そんなに素敵に表現しないなら、へっぽこなカッコしたおじいちゃんと思ったら、凄いの作る人なんだって・・・となれば、裸の大将。
いずれにしても、俺が上に行けば、その人に教わっている生徒になるだけ。当然注目度は一挙に上がるってだけね。その時に、知られるって言うのは、その認知度に比例するから、選挙と同じ。
名前も言えなきゃ、政策も知らない。もはや顔や政党名で選ぶ。かと思えば、山本太郎なら、フルネームで言える。勿論どちらでも俺の知識くらいでは、
政策なんて知らないけどね・・・。ただ知名度って言うのはアンチを呼ぶ。知られていなければ、アンチも気が付かない。ただそれだけ。そして俺は今回、
どの程度認知されるのだろう・・・ってだけ。当然、みんなも・・・。しかしね・・どの人も一緒だけれど、その道で志なんてもんを持つと、この分野を
何とか広げたい・・・と思うから努力をしてしまう。そしてその程度は、誰でもやっている・・・と思うから、更なる・・・とやってしまう。しかしながら、
限界があって、休みたいとか遊びたいとか・・・人だから思ったりする。しかしながら、花の都に全てを捨てて行く者が、そんな事を思ったら死ねって、
母に捧げるバラードで武田鉄矢さんは歌うのね。武田さんの母がそう言うのね。幸い俺は特に守るもんもいないし、貧乏だから悩まず出来る。これしか無いしね。
だからこれが普通。マグロじゃ無いが止まったら死ぬんだろうね・・・一生働きアリにしかなれない。だったら働きアリの一番にしかなれないのね・・・。
だったらゴジラくらい破壊力のある働きアリになれないと、人に踏まれて何も残せないまま死ぬ事になる。だからあがく。歳だからとか、言い訳せずに、
スーパー爺さんになれば良いし、でも爺さん嫌いだから、せめて婆さんに見える爺さんになりたい・・・そうすれば人は見かけで判断するものだから、より
変わり者に見えるだろう・・・やっぱかぶきものにならないと・・・現代の。

そんな気持ちなんだけどね・・・。