今日は午後からキウイ教室。目地入れをしてとうとう完成したのね。
前々から銀のラメみたいなキラキラした目地にしたい・・・って事で、やって見たが、納得した仕上がりになったようで何よりだったが、毎度の話なんだけれど、一見綺麗そうだけれど、いざ目地入れとなると、あっちこっちにボンドが
付いていて、それを削ぎ落とすのに、常に数時間掛かるのね。その間、手持ち無沙汰だったんだろうね・・・
この山を見て、厚みのあるタイルだから、硬いだろうなぁ・・・って思ったらしいんだけど、切って見て・・・えっ・・・それじゃ仕切り直して、えっ・・・
切れないぃぃ・・・硬いって。こんなに・・・って。基本は?って声掛けると、やってます・・・って。それでも駄目か?それじゃって、手を止めて教えると、
切れたものの、やっとこさ・・・って感じなのね。そっかきついかぁ。じゃこれは?・・・と、差し出すと、これなら切れるって。簡単な話で、タイルって、
何もしていない四角いままだと、中々切れない事があるのね。それを一旦半分とか、切ったパーツだと、何もしていないタイルよりも切りやすく感じる。
いつも握力で切る訳じゃ無くて、コツで切る・・・みたいに教えて、ほぼその通りなんだけれど、流石に握力のある人と無い人では差は出る。その時に例えば
野球とすると、ホームランは打てなくても、ヒットならあっちへこっちへ・・・って打ち分ける事は出来る。そんな感じね。要するに力のある人は、力で切れる。ただ当然、どんな形でも切る事が出来るから、所作を気にしないのね。
所がキウイのように握力が弱いと、強い人との差を埋めるには、コツやらテクニックやらになる。ただ流石にこのタイルは硬かった。ただ説明するのに、
切るって言葉にしたが、実は半分に切る・・・これなら狙っているから切るなんだけれど、実はそれは割るに近いパーツなのね。大体半分みたいな話だから
・・・。本来切るって言うのは、必然であり、偶然な形では割るって表現になる。つまり切るって事になると、ザルの中のレロレロっとしたパーツでは、
一見、適当に見えるが、実ははかりごとのようなパーツなのね。まぁキウイはそれを見て、どんな事をしているのかって事が、良く判ったようなのね・・・
勿論、これがチップやリップル程度のパーツなら、私だって・・・って思うだろうし、実力者だから当たり前なのね。しかも、きっと俺と比較しても全く遜色の
無い作品も作るだろうね。ただこうしたイレギュラーなタイルだった時に、差は必ず出るのね。こんな時、改めて先生に見えるだろうが、これだけの実力者
になった人は、当然自信になる。当たり前で結構なんだけれど、まさか出来ない・・・なんて事があるのかぁって思う気持ちと、こんなのを自由自在に切ってるの・・・って、新鮮な差にも感じるだろうね。
勿論、目地入れにしても、平らでは無く、デコボコしている中での目地は、スイスイとは塗れないし、当然スイスイとは拭けない。ボンド取りにしても、果てしなく付いていて終わらない・・・。なんて事になれば、ちょっと呆れて来るし。
それが上手くなるって言うのと、凄く上手くなるって言うのと、上手くて当たり前とか、当然表現が変わって来る。それを国家試験を通った・・・みたいな
表現になると、凄いね・・・となるが、それは学校と同じで、ペケでも一番でも賞状は一緒なのね。そこは持っていれば成立する。それが物作りの場合は、
信用と言うのであれば、大手ゼネコンであるけれど、やるのは孫請けなんてもんになるから、その職人次第でいくらでも変わる。つまりキウイクラスの人は
一人親方的な資格も免状も無いんだけれど、無免許な医者チックなのね。ただかなりの名医だけれどね。こんな作品の仕上がりの時には、いつも感じる。
例えば、この作品だって結構時間も掛かったし、相当な実力であると思うのね。ただじゃこの作品でキウイの実力を図れるか?となると、もっと凄いものが
あるのね。だから、それを知っている人には、やっぱり凄いな程度になる。単なる凄さは知った上で、やっぱり・・・を乗せられただけになるのね。
じゃこの人が本気出したら?・・・自分の作品で、自分の趣味で、気ままに、空いている時間の中で、無理せずに・・・って、日頃の日常の夕ご飯程度の実力で
作ったものでも・・・って感じなのね。それを、全力でお金を貰って、気合を入れて頑張って、私の実力を見て・・・って、舞台が用意されているとしたら?
もっと高みの場所で作れるとしたら?・・・ただの普通のお母さんの実力では無いかもね・・・俺は覚醒の為にも、ロックは淑女の嗜みでして・・・ってアニメを紹介したのね。
まぁ勿論、この腕はもうその域に達しているから、今まで通りで良いし、絵馬でも作って遊んでいるのも良しなのね。国が認めた認定では無いけれどね、
先生katsuって人が、条件が揃ったら確実に一緒に仕事がしたい必要な腕と判断している人の一人であるのは間違いが無い。その時に、例えば普通は宮崎駿さんが仕切って、こうだ、あぁだと、ジブリに流す仕組みになる。
ただ忠実に宮崎氏が思うようにする事に徹する形だろうが、俺はそうでは無くて、このバラのゾーンはキウイに任せるから・・・って、任せたゾーンが、
俺のデザインを作ってくれでは無くて、キウイが考えたゾーンが見たいのね。勿論、当然実力者はみんなそんな形でね。ただ切るのがやっと・・・と言うなら
このパーツ切って・・・でも良いし、何しろ必ず人数が必要になるから。そんな中、先日見積もりを出していた地元の学校の壁画の話が決まった。
ただそれは山周セラミックさんに連絡をしたから、具体的になればその旨を伝えれば良いだけ。ただきっと始まるな・・・って予感はある。その上もし、
別件の見積もりを出した、地方の店舗の看板なんて事も決まるなんて事になれば、既に体験は止めている状況なんで、余裕な時間は無くなって来ている。
まぁ、だけどこんなもんじゃ済まなくならないと、全然売れるきっかけにもならないし、キチンと知られる事になれば、当たり前の事で、何もかも普通。
特に嬉しいとも特別には思わないし、ただ質を落とさずにいつものように逃げ切るだけなのね。ただ何しろいつも通りで出来ているようでは、普通過ぎて、
退屈にもなるし、余裕なんて有り過ぎたら、舐めたり、過信したり、ろくな事は無いし。ただ余裕を作れないと、焦り、気忙しく、ミスも起こる。
だから全てが準備。何をどう準備したか?になる。備えあれば憂いなし。俺はそれを仕事にしか使わないけれどね・・・全労力を出来るだけ、モザイクにしか
使いたくないからね・・・。ただそれだけなのね。しかし、先日のタピオカやなおみぃぃや、今日のキウイ・・・大金を掴んで早く迎えに行きたいものである。