今日は高洲のサークル。まずはキョンキョン。コロのバックも慣れたようだし、もうほぼ何も心配は無いだろうから、時間が解決・・・って雰囲気がある。
こんなゾーンに入った場合、例えば早さを重視するのなら、あらかじめパーツの増産って感じに、クラッシュを丸々1日切り続けて、来月はそれを張るって、
具合にやって行くと進みが良くなるのね。ただそれには当然、良い事と悪い事は付いて来る。まぁ言葉通りだが、切り続ける・・・続けないとならない。
要するに続ける・・・って言うのは、単調になるのね。例えば、食べ続ける。クラッシュを食べ続ける・・・みたいになるから、ご飯を食べ続けるみたいな
感じだから、同じものを・・・になると、箸休め的なものが欲しくなる。ただもうクラッシュしか無いから、もし箸休めを作るとなると、バラを増やすとか
葉っぱを増やすとかになるが、気分的に終わりの方向な気分なら、えーって気分になるし、別に何も考えずひたすら平気です・・・なら、何も問題無し。
のりちゃんもイルカに関しては、特に言う事は無し。例えば薄い方のイルカなら、今のベースの色の中に、1つ薄めの色をトッピングのように挟むと、単調
にならなくなり、色数は少なくても、若干の立体感が出るのね。逆に濃いイルカは、同じように1つ薄めにしようとすると、大きく色が変わるから、近くで見る
ような場合不利になるから、ここは濃い目にする為にも、黒をトッピングに使うと、同じような効果が得られると思うのね。ではタピオカ。
もう襟下のリボン部分。次回完全に終わるだろうと思いきや、髪の中に隙間が見える部分があり・・・そこに手惑えば、張り終わりって所かな?まぁしかし、
こうして仕上がって来ると、良く判るのは、モザイクって何?どう言うもの?って言う仕上がり感を良く知っている経験値が感じられるのね。まぁ上級者らしい
・・・楽譜通りに弾くって言うのはこれだよ。ってお手本のようなのね。
それはお母さんにも言えて、年齢的に根を詰めてやれないけれど、コツコツ進むしか無いんだけれど、これが80歳の作品にはとても見えない・・・世の中に、
本当にいるのかな?こんなに上手い人。そして当然のようにキウイ。
正直、もっと凄いのを見ている・・・って思う人でも、これしか知らない人でも、花見て好きじゃない・・・って女性は少ないだろうから、モチーフの好みで
評価は下がらない。となると、純粋に良いかどうかだけ。それでは受け入れられる可能性が高いから、万人受けしやすい。逆にキウイの大作を知っている人なら、あれは好みが左右されるモチーフなのね。
それを比較した場合、好みと言うならこっちになるが、制作している人達から見るのなら、1cmタイルやガラスタイルの素材は難しいのにあの大作・・・
と思いきや、ぺきぺきでこんなのを作るの?って見るだろうし、1cmタイルのレースのリボンのデザインも洗練されたパーツで凄さも伝わるように見えるはず。
ただ可愛らしく見える分、若いとか、軽く見えそうなんだけれど、実はそんな技術があっちこっちに見られるのね。ただキウイも俺のようにギャップ・・・
例えば俺の作品には可愛いって言われるものがある。作品が女の人が作ったと思っていた・・・なんてね。それが60過ぎのおっさん・・・えーこの人って。
キウイの場合は、この人がこれ作れるの?って感じに、何か趣味感丸出しの雰囲気で、楽しそうで、本気な感じが一切無いように見える癖に、半端無く上手い。
これもまたギャップ。お母さんにしても、えっ80歳・・・これもギャップ。ただのりちゃんにしても、タピオカにしても、キョンキョンにしても、そう言う点
では、普通な感じ。例えばタピオカを見たら、この人キャラクターとか作るの?って雰囲気とは違うなぁってギャップがあるものの、それでもそんなに違和感は
無い。つまりきっとこんなの作る人なんだろうなぁ・・・って思った通りの雰囲気とマッチしているのね。こんな場合、技術が判る人じゃ無いと、モチーフの
好き嫌いだけで評価を受けやすいのね。つまり通好み。腕前で見る人には、高洲のサークルもkameyaさんも中々見どころ満載なのね。ただその通な見かたを
すると、例えばオリジナルと、贋作的に真似るって側では、評価は非常に難しくなるのね。例えば似ているか似ていないか?の場合なら、比べれば判るのね。
ただ段々と少しづつ良くも悪くも、原本とは離れて行って、いつかその人の作品のように見えるのね。逆にオリジナルの場合、その人の世界観だから、受け入れられると、うわぁ~になるし、受け入れられないと、ふぅ〜んって感じ。
ただいずれにしても、キチンと切れる・・・ここだけしっかりしていると、大きさに限らず、作品は良く見えるようになるのね。それが職人的な感じ。
まぁいずれにしても、岐阜でモザイクを仕事にしている人達に、ウチの生徒さんの作品の画像を見せた時に凄い上手い・・・って言われたのね。まぁそれも
みんなに伝えたが、何しろ趣味のくくりだし、俺が伝えた所で、自分が実際に言われた訳でも無いから実感も沸かないだろうし・・・まぁ憧れられる先生では無いからなぁ〜って言うのは、判っているんだけど、こうも伝わらないと、
若干憂鬱になる。ただそれと同時に伸びしろとも思うんだけどね。まぁこれがオオカミが出るよ・・・の童話と同じなのね。あの童話では子供がウソつきと
いじめを受けるのね。何せオオカミはいたのに、信用されなかった。それを世の中では、ウソつき少年の話とされる。この話を忘れている人にザックリと
・・・何度も何度もオオカミが出る・・・って言ってた少年が、本当に出た時に、嘘ばっか付いているから信用されない・・・って話で覚えているのね。
大抵の人は・・・ね。フランダースの犬だって、ネロは貧乏だしよそ者だから、あいつが犯人だ・・・って街中で虐められて、疲れ果てて死ぬ話。
でも実際は誤解だった・・・落語のはたののりゆき、もそう。人情噺とされているが、本来は人を見かけで判断した・・・って警告の話だと思うのね。
まっ、それもそれで、人のとりようだから、良いとして・・・要するにもし、それがその判断で正しいのなら、それが正解であり、もし俺の見解が正しいのなら、大きく覆る事になる・・・ただそれだけ。
これから大きく色んな事を変えて行くのね・・・俺は。そうなる為に、1手1手打ち続けて来た。そして要約、思い願って来た事や物が手に入りつつある。
こう言うと、誤解されやすいが、例えば岐阜のタイル・・・本来、そんなものを貰えるはずは無いのね。例えば、新製品のサンプルや、個人からの頂き物は
何度も合っても、メーカーさんや、商社さん、そして問屋さん・・・こんなに協力して貰える事が出来た。勿論それは個人のお客さんの仕事では無く、学校
なんて話だったからであって、規模が大きかった事もある。ただ普通はそう言った仕事って言うのは、公共事業的になるから、当然そこそこな肩書きが必要で
それは組合員のように、タイル組合に所属していたり、作家であっても、芸大出だったり、組織とか、団体とか、何らかの予定調和で話は進むものなのね。
所が全くそれに属さない俺は、良い面ならしがらみが無いが、悪い面は誰にも口コミ以外宣伝はして貰えないのね。だからテレチャンの優勝者以外、知らないって人にはそれだけ。だからほぼ知られていない事になる。
逆にタイルに興味がある、作家である、先生である・・・こんな場合、非常に高い評価を受けられるのね。こんなギャップがあるとして、ただ知っている、
それだけだったものが、去年のセラスタ、今回の岐阜、ビックサイトでのイベントの顔出し・・・と言った、今までに出来なかった営業をした事で、認知度
が変わっただろうし、距離感が縮まった・・・って感じて貰えたかも知れないのね。では縮まったのは誰?つまり今まで直接関わりの無かった人達はなのね。
遠方の人達って事でも良いのね。けれどどうだろうか?そこが変わっても、生徒さんのように定期的に会っている人達は、何か変わったろうか?って言うと、
ほぼ・・・いや完全に何も変わっていないのね。意識として。だって趣味だから。もっと言えば、先生良かったですね・・・と声は掛けてくれたとしても、
他人事なのね。それはどうかなぁ〜・・・先生の立ち位置が大きく変わると言う事は、生徒さんは何も変わらなくても大丈夫なのかなぁ?って思うのね。
だからこうなるかも・・・って伝えないとならない。危機管理として。でもね、実際は何も起こっていなく見えるのね。もっと言えば、見ようとはしないのね。
それが事実じゃ無く見えるから・・・でも嘘が無いのなら、2年先の話も決まった。それも学校。そしてまた壁画・・・感の良い人、察しの良い人なら、何が
置き始まって、結果次第ではオセロで大逆転が起こるように、パタパタとひるがえって行く光景が思い浮かべられるだろうが・・・。もう俺は止まらない・・・
って言うか、俺じゃ無くて、katsuなんだけれどね。だってkatsuが認められて行くだけだから、俺は何にも変わらない。そんなの当たり前だと思っているし、
それだけやってりゃ、結果なんか付いて来る。もっと言えば、何処まで上がれるか?単なる下剋上くらいじゃ、馬鹿馬鹿しくて、やる気にもなんない。
モザイク征服くらいにならないと・・・日本程度の話ではね。ってなりたいから、日々の努力を惜しまないだけで、売れた程度じゃ詰まんない。
60過ぎの爺さんが馬鹿な事を言ってる・・・そうやって思って貰えると、くつがえる伸びしろタップリになる。しかしね、出来れば今まで付き合ってくれた
人達が乗組員であって欲しいのね。出来ればね・・・成功し始めれば、必ず人は増えて来るから。ただね、そう言うと趣味だからって言うのね。
勿論そうかもね。でもね、岐阜ではモザイクを仕事にしている女の人達がいた。何年もしていると仕事って言われる。職人とも言われる。しかしながら、
東京ではどうだろう?派遣社員なんて、派遣を付けて誤魔化し、単なるパートやアルバイトを聞こえ良くしただけだし、年末になると、働き控えして調整。
働きたい人はガッチリ稼ぐようになれば良いのに。定年とか言って、全然若い人に負けていない人を辞めさせる仕組み。実力主義なら野球なら40過ぎても
現役だっている。あんなに激しいものなのに。本来趣味で長く続くってだけでも、継続しているのだから上手くなる。しかも好きなんだから。でも仕事は
好きだからやっている訳じゃ無い人達が多い。お金の為ってね。じゃお金の為になら、稼げる所へ行けば良い。でもスキルが・・・とか、遠いとか辛いとか
・・・結局何をどうしたいんだか?しかも国も、働かせたいんだか?働かせないようにしたいんだか?やりたい人はやれるようにすれば良いし、諦める人は
諦めた生き方をすれば、自由が好きな人達はそれが本当の自由じゃ無いのかな?一度きりの人生で、もう終盤。このまま衰退するも良し。本当に出来るの?
そんな事・・・って。俺はそう思う人に声は掛けるつもりなのね。一緒に国盗り物語しない?ってね。信じるか信じないか?はその人次第だけどね。
最後は麻布小の仕込み。明日打ち合わせがてらに、学童の子供にどの程度切れるのか?張れるのか?調査に行くのね。その為の仕込み。そんな中、大家さんが
しばらく見掛けないけど・・・って言うから、実家でやっていたとか、岐阜の件、2年後の依頼等、最近の話題は振ったものの、まぁ予定通りな反応だった。
まっそうなるだろうな・・・。この辺あたりまでが限界だろうな、と。当然仕事が終わって支払いされたら良かったね・・・って言うのが、男の人の考え。
終わるまで何とも思わないってね。ただ良き理解者の男の人って事になると、そうそうは居ないから、数少ない男の人って事になると、そっかぁこの辺かぁ。
こうやって身近な人に聞く事で、その人の反応が俺の立ち位置を決める訳で。そう考えると、相当低いな・・・身近は。って感じた。明日の麻布小では、
どの程度なのかな・・・子供達は何も知らない、ただの変なおじさん。