今日はまずkameyaさんの出張教室から。まずは棟梁。

最初の画像とこの画像。見る所はピンクの花なんだけれど、本人曰く、この2枚目の方は以前やった所で気に入っていないらしいのね。それは昔の実力であり
今ならもっと上手く出来ると言うのね。確かにその通りだと思うのね。ただ基本剥がさない・・・ってルールなのね。何故ならきりが無いから。そしてその
失敗こそが上手くなった証拠であり、その時の自分は良しとした事。つまり嘘が無ければ、その時の全力であり、その時はその実力だったと言う事なのね。
だからそのままで良しとなる。所が棟梁の言う通りでその気持ちも判る。ではそれを踏まえてどう作る気なのか?となった時、片方が今の実力、片方はそれよりも見劣りするのは嫌だから、昔に合わせて似せよう・・・と考えたのね。
ばかちーん・・・なのね。何故下手っぴにしようとする。いつも口にする事と教えているのに・・・。表現するって言うのは、今何をどう思っているのか?
であり、その考え方の方向に腕って言う実力で、近付けるってだけなのね。つまり切る張るの技術は上手いのだから、棟梁は考え方の問題になるのね。
ではその考え方とは?比較した時見劣りするのは嫌・・・そう口にした。ではこの言葉の意味を考えると、見劣りするとは、かつての自分より今の自分が上で
あり、以前の自分を下に見ていると言う事なのね。では一体どの程度下に見ているのか?なのね。しかも昔に合わせると言うのね。つまりかつてが30点な訳が
無いのだから、50点以上なはずなのね。だって俺がその程度でOKを出すはずが無いから。つまり仮に以前を50点とするのなら、今は何点を付ける?・・・
その時に今が100点とは絶対に言うはずが無いのだから、仮に今を90点とするのなら、40点見劣りすると思っている事になる。そして今、90点を取れるのに、
50点にしないとならない・・・と思い込んでいる事になる。こんな気持ちで素敵に出来るだろうか?確実にやる前から、テンションは上がらず、しかも若干、
嫌な気持ちになるし、もっとえぐれば、そんな差があるなら、少し舐めた気持ちでこんなもんかっ・・・って見下すんだろうね。楽をして・・・。
なんで剥がしたいまで口にして、以前の自分を小馬鹿にして楽をするんだろうか・・・。俺ならこう考えるのね。つまり見劣りすると見えるのなら、今の実力で、いかに65点を取れないか?それなら5点アップになり、以前より上手く
見えるだろうし、見劣りはしないし、しかも今の実力の方が勝つ事なり、今の自分を満足させられる。更にそれを67点に出来るのなら、何点まで引き上げ、
勝つ事が出来て、しかも見劣りする程変わらないと思わせられるか?になる。70点でも大丈夫か?80点はやり過ぎだろう・・・みたいにね。それが折り合い。
つまり棟梁の向上とは、考える事であり、それが如実に出るのが、思っても見なかった・・・って言う口癖。それは考えつかなかった・・・って事であり、
オリジナルを作る人では無くなってしまうのね。つまりもっと掘り下げれば、切る張るが上手くなったと言うのは、職人になったって事になるのね。
設計士が考えたアイデアを実行する。何も考えずに・・・。言われるがまま。オリジナルと言うのは自分で考えたアイデアを実行するって事なのね。その時に
考えつかなかった・・・って言うのは、自分の腕前にアイデアが負けている、見劣りしている事になるのね。それは設計士は自分では作れないのね。アイデアこそ長けているが、自分のアイデアを自分では作れないのね。
この理屈から言えば、冒頭の見劣りする話も同様で、つまり職人の腕前を持っているのに、何でも実行出来るのに、考え付かない程度の事を遂行する・・・
つまり腕を生かせない事になり、その考え方を向上させないと、こんなもんかぁ・・・ってアイデアを作る事になり、ストレスになるのね。ただ、受け入れ
られないと、ある意味この話がストレスになるんだけれどね。まっ、調子が良ければこの程度の話は簡単に受け入れられるし、そもそもアイデアとしての
考え方が見劣りして見えるのは、職人的に上手い技術を持っているからなのね。それと比較すると、考える事が見劣りするってだけの事になるのね。
ここまでは気持ちの問題で、技術と言うのなら、花びらを以前と同じにしては、左程変わらないから、花びらを数枚以前よりも良くする。そうすれば、
何分の1かは良く見えるはずである。教えてしまえば、他愛ない事で。大抵は気付くかどうか?の話で、いかに自分がどうしたいのか?は自分が口にした言葉の
分析が出来れば、そこにヒントが隠れているだけなのね。だから良く聞いていれば、その人の考え方はある程度予期出来るものなのね。あくまで方向性ね。

これがラパンさんとなると、えぐる・・・って技術が苦手であって、細かいパーツが・・・果てしなさが・・・って事になると、技術って面がまだ未熟となる。
そしてアゴが残ってしまう・・・って事も同様で、切る回数が足りないから、まだ切り方の指導が必要な段階なのね。とは言え、随分と果てしなさには付いて来ているのね。ただ小さめな作品なんで、その繊細さを求めるには難しい事、
それがデフォルメ的に、本来はここに筋がある・・・とか、ギザギザパーツが10個入れたいのに、6個しか入らない・・・と悩みが出る。
そこで主要パーツを見つけ出して、雰囲気とか大体・・・みたいな作り方になるのね。簡素化するみたいな・・・それがりょうさんとなると

作品が大きい分、ひと花びらが大きく、そのブロックが大きい分、ラパンさんとは逆に、小さいシミ一つも全て作れる事で、繊細さ大きくが出せるのね。
ただとんでも無い位に果てしないのね。悩むのは一緒でも、悩み方が全く違うのね。ただ十分、棟梁を追い掛けている作品達なのね。
そんな後は、アトリエに戻って、中学生教室。

前回は文字を作ったんだけれど、今回はバック。初めてなのに文字を良く出来たとは思うんだけれど、当然本人も手応えがあったと思うのね。しかし、
それが過信になると、今日はきついはずなのね。それは自分の文字が邪魔になるから・・・最初は文字なんて出来るかな?って言う謙虚なスタートした。
そして思った以上に出来た・・・と判断をする。ここで今日も出来るかな?と思えれば一緒な気持ちのままスタートが切れる。しかしながら、簡単じゃんって
過信してしまうと、バックじゃん、文字より簡単じゃんなんて思うと、その過信分、出来ないと心が折れる可能性が増える。それは単なる心、気持ちの問題。
しかも無意識で思い込み、どうして前回よりも進まないんだろう・・・って気持ちがイライラにもなるし、狙って切ったパーツが入らない、切り直す、入らない
切り直す、あっ・・・欠けた。つまり失敗する。前回まではうどんだろうが蕎麦だろうが大体でも文字にはなった。しかし今回はそうは行かない。絶対に入る
パーツじゃ無いと張れない・・・ある意味、今日は痛い思いをしたと思うのね。これが大事で、あぁこんなに難しいんだ・・・って思えれば、この先、
大変だな・・・に修正になるのね。だから大丈夫なのかな?終わるのかな?って元に戻れれば、油断大敵となって、ちゃんと向き合えるが、文字の気持ちのまま
なら、楽勝じゃんとなるから、その気持ちのままカエルだのボールに入れば、難しく無く進んでしまうのね。アメとムチにはなるが、順番はあるのね。
そこを踏まえれば、今日も内容は中々上出来だったのね。そんな中、コープみらいさいたまの各所から連絡が来て、人数が増えたと思ったら、減ってしまったり、人数が集まらず閉校って場所もあったのね。
まぁどちらかと言うと、気持ちがマイナスになる連絡だったのね。こんな時に、イルカってモチーフは何処にでもあって、さいたまがハリセンボンだったかな・・・って、何か普通に置きに行っちゃったかな・・・なんて思うのね。
逆にハリセンボンで集まらなかった東京では、攻め過ぎちゃったのかな・・・と、思ったり・・・・。ただそれを良しと思ってくれた人がいるんだから、
さっきの話と一緒で、思った以上に苦戦してるなぁ・・であって、逆にこんな事もあるだろうな・・・の予想はしていて、こんな時はもっとそこに向き合わないと・・・になるから、来てくれる人に手厚くなるように・・・となる。だからら

色数を増やす。いずれにせよ、思い通りにするには、そうなる下準備が必要でただ今じゃ無かっただけ。そうなると、やる事はやったし、だけど気分は
乗らない。そこでその気分は、俺を必要とする人と話す事になる。気分とは心ある人と話すだけでアップする。会話とはそう言うものなんだけれど、それも
良い事と悪い事は背中合わせで、単なる知り合いとかご近所では、それは挨拶程度であって、気分は乗るに至らない。孤独の回避程度にはなるが・・・。
普通は友達とか、親友とか言うんだけれど、俺はそんなの必要無いから、それでは普通なのね。もっと上へ行きたいとなると、ライバルとか、同じ高みを
目指しているとか、同等か上の人が良いのね。しかし身の回りではそんな存在は中々いないし、先生とか師匠とか上の立場だから泣き言にも聞こえるしね。
ただブログよりは説明しないと、必要以上に心配を掛ける事になるし、逆にそんなに興味が無いのに必要以上に説明は要らないだろうし・・・。そこも難しい。
ただ良い事だけをチョイスしても、当たった時の競馬の話みたいに、まるで当たりしか無かったみたいに聞こえるのは、誤解するし、正直過ぎると、応援して
くれる人は、ハラハラを通り過ぎて、気苦労させてもね・・・。少ないながらそんな人達もいるしね・・・。ただやる事はいっぱいあって、無くなったらそれが他の時間になるだけで、必要とする場所があるのが何よりである。