katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピーターさんと小学生と班長教室

2017-08-31 06:22:56 | モザイク作家
まずは小学生の女の子から・・・・詳しくアップは出来ないけれど、いつも以上の時間頑張って・・・次回目地をして完成って所まで来たのね。そうね、作品について詳しく話せないし、とは言いながら、何も膨らませないとサラッと過ぎて、楽しさが伝わらないのも

困るし・・・軽く1つ位触れちゃうとね、先日の中学生の男の子が、流れている音楽を聴いて、これってラジオですか?って聞くからそうだよっ・・・って言うと、初めてラジオを聴いたって言うのね。えっ・・そうなの?なんて話になって、やれこんな番組があるとか

説明したって話をすると、お母さんが今の子はそうかも知れない・・・って言ってたのね。確かにかぐやにも話すと、もしかするとウチの子達も師匠のアトリエとか車で聴いたのが最初かも・・・って。それじゃ、かおるさんのリクエスト番組で紹介されたのは、

面白さも倍増するだろうね・・・きっと。でも良くテレビ離れなんて言うけれど、ラジオは離れるんじゃなくて知らないなのかぁ・・・って言うのが、他人事じゃなくて、モザイクってそんな感じなのかなぁ・・・って話をすると、その女の子が頑張ってって。

うん、頑張るぅ・・・ってな話。それではお次のリピーターさん。完成したのね。


グレーの目地をしたんで、クッキリした感じになって、龍がはっきりしたと思うのね。さて次は何を作ろうかな?・・・って言ってたのね。これだけ最初から作れれば、楽しく自分の好きなモノが作れるし、このグレードなら誰に見せても高評価だろうし・・・。

一番楽しい時期な気がするのね。次はどんなモノを作るんだろう・・・いずれにせよ、お疲れさまでした。お見事ですってな話。
そんなこんなで最後は班長。いよいよ、バックに入ったのね。


唐草模様にしたのね・・・・この時点で、しばらく、もう白でラインを半分位で作って行くだけだから、特に難しい事は無いし、後は時間が解決って話なのね。もう一切考える事は無いのね。いよいよ、この大作が終わりを迎えるって感じになって来たのね。



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ハビ教室とハロウィンの続き

2017-08-30 01:42:44 | モザイク教室
今日はハビ教室。いよいよ完成へ・・・って感じのラストスパート。次回が目地となる。まっ、完成は労作展後になるんで、画像はアトリエでは余り使わないタイルカッタ―の使い方なんかを紹介して見ようかな・・・・。まず持ち方は人差し指に力を入れる。

割と先の方を持って、左手に持った定規の代わりのタイルをガッチリ固定して・・・・引く前に、タイルカッターを立てるのね。


立ててから引く。すると、ギィィィって音がするのね。するとタイルに筋が付くから、そこにタイルカッターの裏側にUの字になっている部分があるからそこに挟んで、グッと折る感じに・・・・。


この画像ちょっと持ち方が悪いんだけれど、左手の位置が上だけれど、Uの字の折る場所の反対側で、大体同じ位置にして折る。


普通は余り使わないんだけれど、今日も10枚近く同じ形が欲しくなったので・・・。そんなこんなお教室の後は、懲りずにハロウィンの小物・・・・。何か他には無いかなぁ・・・・って感じで、今までに無いような・・・・。


今回は文字を目地では無くて、文字を残して彫って見たんだけれど・・・・。

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免許の更新とハロウィンの続き

2017-08-28 21:39:12 | 休み?
今日は免許の更新からスタート・・・そんな訳で年に1.2度の電車に乗って・・・って事は、何だっけ・・・持っているのね。パスモだっけ・・・多分、1000円位は入っているからチャージをするなんて厄介な事をする事も無く・・・乗れちゃったのね。

道も間違えないで到着。ただね、前回はゴールドだったのが、今回は違反教習。2時間の講習で、しかも値段まで違うのね。何か失格者な感じなのね・・・そんなこんなの2時間なんだけれど・・・正直、退屈なんじゃないか?と思ってはいたんだけれど、これがね・・

昔とは違ってものの見方が違うから、脳が気に入ったようでね・・・ただ、きっと他の人はそうは思わなかっただろうが、講師の人は割と年配の人なんだけれど、慣れているのね・・・それが枕のような部分の挨拶から説明の掴みが上手くてね・・・。

それと、文章の終わり方が違反者に対して物凄い気の使い方をしてね・・・ですって言い切らないのね。なってます・・・みたいな、確実に俺が決めたんじゃないし、俺は雇われているんだよ・・・仕事なんです・・・って感じに柔らかいのね。

これが昔の警察なら、こら犯罪者聞けよっ・・・って高圧的でまっ、その通りだから聞くしか無いなぁ・・・って、まるで運動部の部活みたいな感じだったと思うのね・・・。ゴールドの時にはそう言う人はいなかったけれどね・・・。

けど、それが違反者でもこの柔らかさ・・・。ちょっとビックリでもあったが、それよりも何よりも説明慣れをしているのは勉強になるのね。あれで声を張れば何も言う事は無いし・・・俺もあれ位出来ると良いんだけれどね・・・と思ったのね。

内容うんぬんよりも、そっちばっかり気になって・・・・ただ、流石に交通事故ってものが運転には付き物なんだ・・・って言う、後半のビデオは、警告をうながす為のものであって、それはまるで葬式に出たような疲労を受ける。更にその後、さだまさしさんの、

償いって歌を聴かされるのだけれど、それは実話を元に作られたもので、それは以前から知っていたのね・・・。ただ、講師の方が知っている方は?と聞かれた時に、言う事は無かったけれど・・・。それが当然、実話を元に・・・だからきついのね。

それがさださんの声だから、想像は付くでしょ?しかも、巧みなトラップ的に作ってあってね、歌詞を軽く説明するとね、給料日になると、貯金でもするかのごとく、必ず郵便局に行くので、仲間はケチ扱いをする。ただ1人だけ本当の事を知っている人がいて、

その人目線で歌われているのね。それがその訳が交通事故をして人が死んでしまった・・・せめても・・・とその奥さんに送金をし続けていた・・・所が7年目にその奥さんから手紙が来て、貴方の文字を見る度に主人を思い出すので辛いとの事。

気持ちは判るが、貴方もご自身の人生を元に戻して欲しい・・・と。真面目であっても事故1つで相手も自分もどうにもならない状況になる・・・そんな歌を知らずに聴く人もいたろうが、もうどんな歌か知っている上に、歌詞も文字として映像に写される。

これが講習の最後となるのだけれど、警告の鉄槌的な気分で免許を貰い受けしての帰宅となるのだけれど、ここでみんなはこの後どうなるのか?は判らないけれど、お昼を若干遅めに食べた後位の時間・・・当然アトリエに来たけれど、この時間からやれる事。

そしたらハロウィンの下地だった・・・そんな気分では、せめて楽しく・・・って切り買えないと、そもそもがきつい毎日を何とか切り抜けているのに、結構なダメージになっている訳で・・・そしたらこんな事になったのね。割と悪く無いんだけれど。


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かるびとみどりの親子教室

2017-08-28 06:42:47 | モザイク教室
今日はかるびとみどりの親子教室。ここの所、イベントのお手伝いやら、お姉ちゃんがお教室に来た事やら、同じモチーフをする人がいたり、いつも以上に話題はあったりして・・・ただ逆に何回も会っているから左程変化も無く・・・。



みどりにしても特に新展開って事も無いので、特に変化も無く・・・そうね、それなら逆にハロウィンの下地の話もして見たいし・・・ってな話。ただ、いくらか話は聞けたけれど、発展的なきっかけになる事も無く・・・今日余裕が無いのは俺かな?

とは言え、同じ事を同じように出来るって言うのは、刺激は無いけれど、安定的なのね。まっ、特に広がる話も無かったのね。

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Kameyaさん出張教室

2017-08-26 20:31:18 | モザイク教室
今日はkameyaさん教室でいつもの4人。そうね、今日はかなり色んな指導満載で、随分声を張って頑張ったのね。例えばこの方の場合、アトリエで前回は茎を切るだけ切ってあって、そんな中、今日の分のタイルを持ち帰ったのね。ただその中に、濃い緑が無かった

のね。ただね、要するにその時はいらないの判断をしたって事なのね。でも今日は欲しかった・・・じゃ何でそんな事が起こったか?簡単な話なのね。それを判断するのは棟梁だったら?・・・絶対に濃い緑が無いなんて有り得ない。それが何に繋がるか?

つまり濃いのが好きか?薄いのが好きか?みたいな話で、濃いのが好きな棟梁なら、緑を選んで?って言ったら、濃いのを選んでそこかから薄い方へ手を出すだろうね・・・しかしながら、この方は薄い方から手を出したと思うのね。その時に濃いのに手が出なかった。

これが仮に棟梁なら薄いのが足りなかったとする・・・一見同じように見えても、じゃ普通何処からやるかな?と考えた時に、上手い人なら何処からやっても問題は無いだろうが、経験値の浅い人が彫った下地をやるのは、内側から外側に張るべきなのね。

何故なら内側から張れば、外側に向かった時に、少しずつずれて行ったとしても、何かを少しはしょれば、必ず収まるけれど、外側から行くと、もしかすると中心部まで行く前にずれてしまうと、肝心な部分を作れなくなる可能性がある・・・って事。

では中心部から張ろうとすると、中心部はどんな色になると思う?って事になると、色濃いものが欲しくなる。つまりその濃い色を持っていないって事は結構なダメージになる。がしかし、仮に先日も今日も心変わりが無ければ、あの時選んだものに間違いは無い。

要するに、今日は濃いのが欲しい気分になったって事になる。では絶対に濃いタイルが無い事が無い棟梁は?中心部から出来るのね。しかも経験値もある。つまり薄い色が今無かったとしても、濃いタイルで今日はしのげるのね。

これは常に言っている好みじゃ無くて、緑を選んだ時点で、例え1枚でも濃いのを勇気を持って持ち帰ったら、気紛れにも対応出来たのね。ただこれだけだと、ちょっとしたイジメにもなりそうだけれど、これもまた常に言っている折角・・・そう折角無いのね。

変な日本語だけれど、前向きにはなる。折角無いのだから、それを利用すれば良いだけ。つまり向かって左側を次の時に濃くすれば、右左で陰影が付く。それでも十分にまかなえるはずなのね。そんなに細かい事をやらなくても、今はそれだけで十分なのね。

それよりも気になったのは、この方はいつもクールなのね。失敗したとしてもため息1つも無い・・・それが今日はため息ばかりに、しかも珍しく立ち歩いて他の人の作品を見たりもしたのね。これってどんな意味があるのかな?それは1つなのね。困っているからなのね。

じゃ何故?それは今までの自分がOKを出していたよりも厳しい目で見ている自分がいるから。最高なのね・・・心構えが変わったのね。そりゃ厳しい目になれば、今までの腕では満足が行かないんだからね。つまりその目に合う腕が必要になる。

ただそれには単に進むよりも1枚の質なのね。つまり蕎麦を切ると言うのなら、蕎麦の幅で、うどんと言うならうどんの幅、きしめんと言うのなら、きしめんに・・それを大体でって言うのは、楽しむスタイルであって、ひとたび上手くなりたい・・・と思えば

進む事よりも質を気にする。質を気にすれば進まない。しかし今までよりも進まず、覚悟はしたとしてもまさかこんなに進まない・・・と思えば果てしない気がして来る・・・それがため息や立ち歩きの原因。つまり本気で悩んでいるからなのね。

今までとは格段にね。それが更に自宅でもやるって人になると、当然時間の分だけ手慣れるし、上手くもなる。


所がやはりタイルの手持ちが足りなくなったりしたんだけれど、さっきの方と違うのは、線で作る流れとは違って、点で作るパーツであった事。線とは、段々細くなる茎とか、左右対称では無い葉っぱとかみたいな事で、そのパーツはそこでしか使えずに、

段々みたいな表現は、隣り合わせを合わせつつ、尚且つ先端に向かうに連れ細くする。そしてその集合体で1つの形を成すもの。それが、点の場合は丸や四角や三角のように、どんな場所でも何処でも代わりになる。そんなパーツが点での作り方。

違いは大きく、線の場合は何パーツもの集合体だから、完結させるには何枚も必要になる。しかし点では、例え1枚でもその形が合う場所ならそこだけ張って置く事が出来たりするから、あっちこっち手が付けやすいのね。そんな中、流石に限界も来て・・・。

そこでそれなら遊びの作品を・・・となり、外枠のパーツは切って来たんで、それを張るって事になるんだけれど・・・・。


油断をして、切り口を外側に向けるってイージーミスをして、張り直したんだけれど、それも何故そんな事が起きるか?って言うのは、単なる油断から・・・それは大作の方に気を取られるから、それより簡単な作品と判断をしていて、尚且つ後はバック・・・

って、少し舐めちゃったからなのね。つまり大作が進めないからであって、心ここにあらず・・からそうなった感じなのね。この2人にこんな事があった・・それを踏まえて、その人達よりもキャリアがあって・・・こだわりを強く持つと、例えおかみさんでも

って話。


もう2人とは違って切る事に関して何の問題も無い。御覧の通りである。しかし、上手くなったらなったで、これだけのパーツが切れるようになれば、いよいよ下絵のグレード・・・・って事を考えるでしょ?ただ、絵なんてそんなに簡単には上手くならない。

ただ描かなきゃ上手くもならない。しかも切る事が上手くなればなるほど、それが気になって来る。そんな時にこうした人数のいる教室ではみんなの意見が聞けるのね。そもそももしかすると、自分より絵の上手い人がいるかも知れないでしょ?

でも、その人は絵は上手いけど、モザイクは経験値が無いとか、絵は上手くないけれど、平衡感覚とかバランスが良い人もいる。何しろ自分に無い事も持っているのね。それを活用するべきなのね。ただ影響して流されるのでは無く、気分を悪くしたりもせず

・・・何しろ人の意見を聞く。その素直な耳さえあれば、これだけの腕をより活かせると思うのね。ただ逆にここまで上手くなると、人は意見を良いづらくなる。それをこの場所で言わないとならないのは棟梁。


これだけ作れるのだから、私はこう思う・・・って言えるべきなのね。ただそれが、言い方を間違えると、普通こうじゃない?とか、えぇ、何かボケちゃう・・・とか、あくまで個人の見解としつつ、私は濃いのが好きなんだけれどね・・・みたいな事を主張

するみたいな、何か相手に伝わるように・・・とか、それを否定ですって聞こえないように・・・とか、正直遠慮したり、気をつかったりもする。ただ何も言わないって言うのは、その人は相手にも言われない人になるから、成長はそこまで止まりになる。

まっ、上手くなるって言うのは、日々の努力なんてもんも当たり前にあるが、人との会話の中にアイデアは生まれるし、逆にダメージも受けたりもする。でも、自分の作ったものを誰かに見せようとするのなら?・・・感想を聞く勇気も持ち合わせた方が上手くなる。腕の成長と共に心の成長にも繋がって行くと思うのね。何か難しい話になっちゃったけれど、軽い話にすると・・・。



これは4年前に棟梁が作ったものらしいのね・・・それが今回の3つ1セットって言ったハロウィンのサンプルを見せたら、みんながみんな、コウモリとクモはダメで、尚且つペンキの色がダメ・・・と全く反応が悪かったのね。

そしたら、棟梁がこれを出して来て、先生ぃぃ、こう言うのが作りたい・・・って言うと、みんながそうそうって・・・。しかも、その中の1人がそんなの見た事無いぃぃ・・・可愛いって言ってくれて、尚且つやりたいって。

確か2つ位あったような・・・って事で次回探して置きます・・・なんて事になったんだけれど、さっきの話で言えば、サンプルを生徒に見せて意見を聞くと、ダメ出しをされて、褒められて、やりたいと言って貰って・・・色んな意見を聞く事になる。

そうね、そこに悪意は無いし、正直な意見なのね。そうね、マジシャンのマギー司郎さんじゃないが、どこどこの場所では大受けしたんだけれど・・・みたいな話で、ここではこれがダメで、でもこれは良くて・・・ってな話。

ある意味、俺は恵まれていて、こうした意見を生徒さんがはっきり言ってくれる。それは本気で受け入れる自分がいるからかも知れないが、体裁では無くそうした意見が聞けるのは非常に参考になるのね。

まっ、それはそれとして、このハロウィン・・・4年前の下地ねぇ・・・結構頑張っていたのね。俺も・・・悪く無いと思うのね。
しかも、4年前の棟梁・・・中々良いじゃん。当然、あの時に一緒な気持ちでやっていたおかみさんのも見なくても判るのね。

これに負けないのを作ってただろうから。こんなのを見ると、今の作品になって行くのは当たり前だな・・・と思わせるのね。何しろ可愛いものは可愛いと済まされる事が多いが、内容を見る限り、色んなタイルを色んな形に切って・・・。

今となっては、こんな下地を体験に使うなんて無謀だなっ・・・って判るけれど、あの時は良いと思ってたんだな?・・・と振り返るのね。棟梁が、今ならもっと上手く出来るのに・・・って言ってたが、それは俺の下地も同様なのね。

ただその時はみんな全力だったのね・・・そんな話が出来る事が成長したって話であって、そんなたわいも無い話が出来るのも、続いている事や上手くなった証拠だったりする訳で・・・。何か自己満足だろうが、今日は何か先生やった・・・って気がした。


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くじら教室

2017-08-26 06:04:20 | モザイク教室
今日はくじら教室。そうね、ずっと頑張って来た俳句だったんだけれど、ある大会で落ちちゃったみたいで・・・・その報告もあって、応援してくれていた皆さんに伝えて下さいとの事・・・・なんて事からスタートになったのだけれど・・・。

ん・・・こんな時に何て声を掛けるのが正解か?なんて考えてしまうが、あえて言うのなら、例えば金魚を飼っていて金魚が死んだら、それで辞めてしまえばその死は活かされる事は無く、思い出としていつか遠い記憶になって行くと思うのね。

しかし、それまでの時間が掛かる。それがまた新しい金魚を飼うと、以前と比較をしてしまう事はあるが、当然今度は後悔の無いように・・・みたいな出来るだけの事を意識するだろうし、今を育てる事にいつか専念して行く・・・に変わるだろうから、消して記憶が

消える事は無いけれど、死んだものよりも長く飼う事になれば、それよりも大きくなったり、子供をとったりする事もあったりして、また経験の無い事に出会ったりする事になったりもするだろう。はぁ?何が関係あるの?そんなの・・・って人には関係の無い話だが、

要するにこれにハッと出来る人は、簡単な話で、この話のくくりは、好きな事をそこで辞めるか?続けるか?の話であってね、しかも、くじらは金魚も飼っている人だから、きっと生々しく伝わると思うのね。好きな事につまづく事になったのは何故か?

それは大会に出たからなのね。ただ普通に書いて普通にその時間を楽しんでいるのなら、そんな事は起こらなかった。生き物も飼わなければ死なれる事は無いのね。全てほぼ一緒。何かをすればリスクはある訳で・・・。ではそれで何を得たか?になったりする。

要するに落ちた・・・って落ち込むのは、それに一生懸命だったからであって、大して落ち込まないのなら、その程度の事だっただけだと思うのね。問題なのは、それでどうする?って事になると思うのね。もう1つしか無いのね。本気でまた続けるのか?辞めるのか?

何と無く楽しむ・・・なんて事にはならないと思うのね。落ち込むほど頑張った人は、何と無くなんて楽しめないのね。けれど、本気で好きだと辞められもしない・・・結局、もっと一生懸命になるだけだと思うのね。ただ、今はちょっと虚しいかったり、寂しかった

りする・・・そんな感じ。金魚も大会に出すようになったら、きっと同じ事になると思うのね・・・。そうね、もしこれが事実だったとすると、くじらのモザイクは、くじらの大事な時間分の何割か?何番目か?となった時に、順位が低いからダメージは少ない。

これもまた良い事と悪い事は背中合わせで、こうしてこだわって傷付く順位の高いものは、物凄い気持ちの葛藤がある。もし良い結果だったとしたら?喜びはひとしおだったはずなのだから。それがくじらに取ってのモザイクはそこまででは無い。

だからそんなドラマチックな事は起こらない。ただ良くも悪くも安定感はあるのね・・・月に1回はどんな形でも来るって事が定期的になっているのだから。衰退は無いのね。1回分だけ進むのだから。けれど、今日は進む事よりも、どうやって続けるか?

続けるための立て直しの仕方みたいな話だろうね・・・きっと。いずれにせよ、何があったからとか、何を言ったからとか、そんな単純な事で何が変わるか?って話になると、俺はこうしている・・・って話しか無い訳で・・・。

ある意味、先生ってのは先人として成功したり失敗したりした事の経験値の切り売りなのね。何をどうしたのか?ってね。確かにモザイクの先生でもあるが、作家katsuだったりもする。ただそれとて、単に作るから作家って言い方もあるが、それをも超えた、

芸術家だったり、美術家のようなもう1つ上の階段を上がって、認められる事になるのなら?いや、逆にそれって何が作家と違うの?って事になった時、俺は見つけている段階だから、はっきりした事は言えないが、そこには主義主張があったりすると思うのね。

勿論、作家にもあると思うのだけれど、そうね・・・もっと大きいんだろうね・・・影響力としてね。ん・・・上手く言えないんだけれど、こけしには拝まないけれど、仏像には手を合わせる・・・同じ木なのにね。こんな違い・・・伝わるかな?

こけしは1人の心だけれど、仏像は何十人もそこにいる感じがしない?・・・でもこけしが1mあれば良いってもんじゃないから、大きければ同じって訳でも無いでしょ?こけしはちょっとした思い出って感じだけれど、仏像は心の支えな感じがしないかな?

そんな感じが、差だと思うのね・・・勿論、もっと具体的なものはあるけれど、今の俺が口にした所で、真実味が薄いだろうし、とは言え、くじらのように今、そんな話が何かの足しになるような人には、立て直しの1つとして言って見たって話・・・。

そう言う人には、俺もそうしている・・・これだけで伝わるはずだけれどね。そんな後、キウイがやって来たんだけれど、その時に、わんちゃんと話す事になってね・・・何か台風のニュースを見て・・・大丈夫かな?と思って、LINEをしたからなんだけれど。

そしたら、先生ぃぃそれは香港ですよ・・・私は台湾って・・・そっか・・・マカオとかも言ってたな・・・そう言えば。おっちょこちょいな話になって笑い話になったが、来月、お教室って事になり、それはそれで楽しい話になったのね。


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今日はファミマでハロウィンのポスタ―見たんで・・・

2017-08-24 22:28:22 | モザイク教室
今日は先日の高洲のサークルでも話が出ていたハロウィンの下地の是正をやろうと思っていたのね・・・そんな朝、ファミマで朝ご飯を買おうと入ると・・・ポスターが早くもハロウィン・・・何かやれっ・・・ってせかされた感じのスタート。

そんな訳で、昨日下絵は描いてから帰ったので、下地を作ってまずはサンプルを完成させて・・・その後はかるびのお姉ちゃんのペンキ塗り・・・その後は、キウイの娘の時計の下地・・・更に、土曜日のkameyaさんの常連さんの下地直しと塗装。



中心部の木の色と縁取りの色が違うでしょ?軽くイエローの油を塗ってからのニスって感じの仕上げ。



その後、もう1つハロウィンサンプル作り・・・かなり本気でやってんのね・・・。


そんな中、余裕があったら作りたいなぁ・・・と思っているのがこんな感じ・・・。


こんなの作らせては貰えないかぁ・・・。

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高洲公民館のサークル活動

2017-08-24 01:36:45 | モザイク教室
今日は月に1回の高洲公民館でのサークルの日。いつもの5人なんだけれど、いつもとちょっと違うのは、3人がいつもの作品じゃないものをやったのね。のりちゃんとお母さんが鳥籠のキーフック。


とても興味があったのね・・・何しろこのサークルの人達は、サークルとは言いつつかなり侮れない腕前だと思うのね。そんな人達が一体どんな感じで、どの位進んで、どの位の仕上がりになるのか?って・・・とても参考になったのね。

ちなみに最初の画像がのりちゃん。それがキウイも側で見ていて気が付いたみたいだけれど、サンプル画像を見ながら作ったのりちゃんの早さはいつもの早さじゃない位に早く見えたのね。そう見えても、鳥籠を作るのに3時間以上掛かる。

逆にお母さんは、いつもの作品なら手慣れてマイペースに進めるのに、サンプル画像を見ながら・・・初めての作品となると、慎重になるのか?のりちゃんを見ながら・・・になり、若干いつもよりもペースが落ちたようにも見えたのね。ただこれで判断出来るのは、

自由に自分の作品を作るよりも、サンプル通りに進む制作が得意なのりちゃんと、逆にサンプルありきでその通りに作る制作よりも、オリジナル作品を自由に作る方が気楽に作れるお母さんって単純な事では無くて、こんな手慣れた2人でもこんな感じなんだな・・・

となると、これをもし初めての人がやったとしたら?と考えると、例えば亀有のような2時間だとすると、鳥籠だけでも2回で4時間、中身の鳥とバックで4時間、そして仕上げの目地の2時間となって、10時間の5回は掛かるとなると、可愛い見栄えの作品に半年みたいに

なる・・・そうなると、全然可愛く無くなる感じがする。ただお母さんは自宅でやって来る・・・なんて言ってたから、もしやったとしたら?次回完成となるのだから、材料さえあれば1人でも出来る腕の人には2回で終われば十分楽しめる作品でもあったりする。

逆に自宅でやらなくても、のりちゃんはきっと次のサークルだけで終わるだろうから、どちらも結果は2回で終わる事になる。それではタピオカなんだけれど、先日のハロウィン下地をやってくれたんだけれど・・・・。3つで1セットと考えたものの、結果は1つしか

作れなかったのね。それが、俺のミスで材料を1つ忘れてしまったんで、それでも出来る下地から・・・と始めたんだけれど・・・


結局1つ・・・タピオカが・・・となると、この下地は失敗。他の事を考えないと・・・になった。タピオカの実力を持って余裕が無いんじゃ、1㎝タイルで後2つ作るなんてヘトヘトになっちゃう所か、絶対に終わらないって事になる。

ただ見た目が簡単そうに見えるから、そんなに掛かるとは思わないだろうし、となると、簡単そうに見える分、楽に終わらないとダメージになるだろうし・・・。それが例えば、同じぺきぺきでも、このキウイの作品になると、簡単には終わらないな・・・。



って初めての人でも思えると思うのね。同じ材料でもね。もっと簡単に終わらないと・・・何しろ可愛いってものは、残念ながら簡単であって、凄いものは難しい・・・って当たり前の事が起こってしまっては、初めての人には難しい・・・。

せめて時間内に、結構出来たじゃん・・・私にもとか、サンプルよりも良いじゃん・・・とか、自画自賛出来るようじゃないとね。では、この4人を見せてから、ここでは一番経験値が浅い方になるのだけれど、こうして比べて見ると・・・


いつもの通りの大作をやっているから、いつも位しか進んで無いし、いつもと変わらないのに、一番上手く見える。全てただみんなが可愛い作品になったから、そう見えるだけで、腕前が変わった訳じゃない訳で・・・。ただ可愛く見えたのと、大作の違い。

理想を言えば、みんなが腕前通りに見える小物になって、腕前通りの大作に戻れれば良いのだけれど、何しろ可愛いってものは、1回で終わらないと、料金も掛けた時間も可愛くなくなっちゃうのね・・・せめてお洒落とか言う評価でもあれば良いが・・・。

いずれにせよ、提案下手は俺の欠点である・・・・。とは言え、今日のサークルの結果は、他の誰よりも俺の勉強になったのね。
当然その後は、アトリエに戻って、ハロウィン下地の是正・・・。


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ゆづ教室とハロウィンの下地

2017-08-22 23:08:02 | モザイク教室
今日はゆづ教室。それが昨日の晩にお父さんがアトリエに作品を持って来てくれて・・・そんな訳で1人でやって来たのね。そんな訳で昨晩作品は見ているので、終わる方向にあるって事は判ってはいるのだけれど、ある意味、着地をどうするのか?なのね・・・。

しかも次回がしばらく空く事を考えると、今進む事よりも、いかに気紛れの無い材料選びとアイデア確認と、持ち帰るタイルの準備になる。そんな中、自宅で家族に細かくてしつこい・・・みたいな事を言われたと言うのね。

そこであえて、かぐやに画像を送ると一言、凄いですね・・・と返って来た。先日はみどりとの相席で、みどりにも凄いと言われていた・・・つまり腕利き達には凄いと言われ、経験値の無い人達にはしつこい・・・って。

例えば通って言う人達って、ふぐを食べるのに、毒がピリッと・・・みたいな確実にスレスレって感じな事を言ったりしないかな?要するに経験者は色々と見て来たり、作って来たりしたから、ちょっとやそっとじゃビックリせずに普通に見えるのね。

それが経験値の無い人達は、本体の金魚のみの質が良く見えれば、見えるほどバックを入れると、段々と金魚が見えづらくなってしまうのね。それは確実に見えていたものが見えなくなって行くから。それが経験値がある人は、一度見えたものは消えないのね。

単にこんな事だとは思うが・・・それ位、完成度は高いのね。ただ、それも受け入れたとすると、じゃ残りスペースは大き目なパーツでは行けないか?と考えるのも良かろう・・・なのね。そんな中、ゆづに残りスペースをどう考える?って質問すると、

そんなに凝らずにあんまり切らずに・・・と言うので、3色を使って1つも切らずに、濃淡のみでの提案をすると、それは却下になったのね。すると、山周タイルのクローバーを棒に切った残りの半円を使うなんて言うので、それも良いんじゃないかな・・・となる。

何故なら少なくとも、自分の言ったそんなに凝ってはいないし、改めて切ってはいないから、ストレスにはならないしね。所がなのね・・・それがちょっと耳を疑ったのね・・・それがこれ。


タイルってこうした裏足ってゲタのような筋があるんだけれど、トップの画像を作るに当たって、段差が気になりすったと言うのね。
そんな事は俺は一度もやった事が無いのね・・・しかも直接使う訳でも無いし、ほぼ平らだと思うんだけれどね・・・。

確かに軽くデコボコにはなるだろうが、普通は多めにボンドを付けて足の無い部分を補充したりするんだけれど、聞くって事よりもデコボコならすれば良い・・・と判断をして、尚且つ自宅に道具があったりして、自分で進められたりする。

ただそれを普通はしない・・・と言う事をするのだから、普通とは違う結果を得られるだろう・・がしかし、当然それだけの労力の時間が掛かる訳で・・・つまりさっきの後はあんまり凝らずに・・・切らずに・・では無く、既に時間を使っていた事になる。

しかももうやっていたのだから、当然今更辞める事は出来ないから、まだやっていない部分に関してもやる事になる。ただきちんと時間内に終わった場合、単に老婆心になるだけなら、常にお小言になるのだから、お知らせ程度に言えば良いだけになる。

今は老婆心よりも、終われるようにする事が大事なのね・・・ただこれが難しいのは、今日決めた事は同じ事の繰り返しだから、もう迷う事は無いだろうが、中心部に鍋敷き程度のスペースを残している。ある意味、そこは自分で考える部分なのね。

勿論今までも考えて来たとは思うのだけれど、この作品の残りのスペースを考えるのでは無く、先に何かを教わってから考えるのでは無く、今までやって来た実績の中で、何も聞かずに自分だけで・・・相談する事も無く、ある意味孤独で・・・・。

そしてそれが今までやった事のように上手く行かないかも知れない事を抱えたまま・・・・ここが正念場って話なんだけれど、これが基礎をせずに積み上げた悩みなのね。例えば、何年も続けている一般のお母さん達は、きっとコースターとか鍋敷きなどから

始めたと思うのね。アトリエとは違ってね。そんな大きさを何度もね・・・きっと。つまりその程度の大きさになれば得意だと思うのね。何度と無くやっているだろうから。しかし、アトリエの人達はいきなり大作なんて人達が多いのね。

そこにどんな違いがあるか?って言うのは、今までの積み重ねの大作をたった鍋敷き程度の大きさで台無しにしたくない・・・みたいなプレッシャーを背負うのね。つまり後は鍋敷き程度じゃん・・・って気分にならずに、むしろこの後どうしよう?って、

今まで以上に悩む事になる。ただね、何度も言うけれど、今まで上手く行ったのも奇跡で、むしろここまで出来た事を喜ぶべきなんだけれど、ゆづにはそんな気持ちがみじんも無い。これで普通なんだろうね。もはや気持ちの中なら、かぐやと同等。

ただ中学生の宿題・・・プロになりたいとか、弟子になりたいって目標では無く、ただ中学生の宿題・・・果たしてそこまで必要か?と俺は感じてしまうが、それとてまた老婆心。一流とかエリートとか、凄いとかって人達はそう言う事を普通にやっている。

だから、そんな人達の1人なんだろうな・・・と思えば、ゆづもモノ作りをただ一生懸命やっているだけで、本人は辛いとか、異常に大変な自覚は一切無いんだろうね・・・きっと。それがどんなに大変な事か?は大作をやったものにしか判らない・・・。

それが本人と言えどね。こんな事が若さ・・・なんて言う表現になるのだろうが、正直、老婆心だらけでは疲れるのね・・・こっちも。そんな中、最後の指導として、今日決めた事は絶対に変更せずに1日で終わらせる事。

そして残り時間を多く作って、鍋敷き部分を1人で、ずっと考えてやって見る・・・好きなようにね。例え失敗しても全部台無しになる訳じゃない。そこに勇気や覚悟が無いと、本来のオリジナル制作って言うのは、クリエーターは誰も助けてはくれないもの。

たった鍋敷き・・・今までやって来た自分を信じてやる事。それと、1つだけアドバイスなら・・・困ったら作品を離れて見る事。そして、今までやった事を良く見る事。今までやって来た事が正しいと思えるのなら?同じ事を繰り返せば良い。

難しくするよりも、新しい事を考えるよりも、そのまま引き継ぐ・・・後は金魚が何とかしてくれると思うのね・・・。まぁ、時間を作って悩んで、考えて見るんだな・・・もう最後なんだから。こんな話で終了になったのね。そんな後はハロウィンの続き。


明日の高洲でタピオカがやりたい・・・って事で、最後のキャラのカボチャのサンプル作り・・・正直、クモとコウモリは助さん、角さんになっていると思うのだけれど・・・ご隠居になるべきメインはこれじゃないな・・・と思うが、時間切れ。

難しいのは、かぐやから文字を彫った方が良い・・・って言うのと、カボチャは外せないって言う事なんで、こうなったが、クモもコウモリも体験には珍しく1cmタイルで、その分、仕上がりも悪く無い。けれど、カボチャは流石に1㎝タイルでは無理がある。

だから、いつものぺきぺきを使いたくなるのだけれど、眼や口だけでもオレンジを2色使った線を入れると、結構邪魔になるから、難しくなるし、緑のへたも細くて切りづらい・・・文字にも是正が必要そうだし・・・まだまだなのね。

カボチャさえ何とかなれば、この3点悪く無いと思うんだけれどなぁ‥‥。


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棟梁とリピーターさんの相席教室

2017-08-21 23:24:29 | モザイク教室
今日は棟梁とリピーターさんの相席教室。アクアリウムバスの下地で随分とバタバタしちゃった事もあって、来る前に何とか帳尻合わないかな・・・・とやっては見たものの間に合わず・・・若干オーバー気味だったけれど、彫り足してここまで来たのね。

ただ問題は以前は全面的にバックをやらないって事で、それを踏まえてこうなった訳で・・・。ただこれを見て、いくらか心境の変化があったりすると、もう少し張る部分を増やす事も考えるかも知れないし・・・。そんな中、予定よりもバックを張る部分を増やす。

ってな事になったのね。さてそんな中、今日イチの指導な話は、黄色い花にしたい・・となる。当然、自分が黄色くしたいのだから、じゃタイルを持って来て・・・と言えば、テーブルには色んな黄色が並ぶ事は言わずとも判るのね。問題はそこじゃないのね。

大事なのは黄色以外の話なのね。しかも、その前にどんな黄色がそこに無いか?なのね。例えば見なくても棟梁なら、絶対に味付けの濃い黄色は外さないはず。じゃリピーターさんは?となると、それが外れていたのね。つまりその時点で葉っぱに濃い緑は無いのね。

だってバランスが悪くなるからね。逆に棟梁ならこれも迷わずに持って来るだろうね。つまり指導はリピーターさんには濃い色をちょっぴりでも使えないか?になり、逆に棟梁には逆に濃い色を少し控えないか?になる。それで、さっきの話だけれど、黄色い花に黄色。

当たり前なんだけれど、黄色い花だから・・・って言っても、黄色だけでは無いのね。影になる部分だってあるからね。じゃその部分を持って来る前に口にして・・・と言うと、薄い茶色って言うのね。そうね、当然、薄いみたいな表現はするはずなのね・・・。

じゃ棟梁は?って言うと、茶色って。まぁ当然なのね。じゃ2人は実際何を持って来たか?すると、確かに薄い色は持って来たけれど、茶色に見えるか?となると、恐らく10人に聞いたら10人が茶色とは言わないだろうな・・・って色だった。

つまり自分の口にした言葉とは違うものを持って来てしまっているのね・・・ただ自分だけがそう思っているだけでね。では同じ茶色と言った棟梁は?って言うと・・・これがおうど色を持って来たのね・・・そこで、それって茶色かな?って聞くと、だって茶色は、

濃過ぎるから・・・って。あはははは。嘘つきぃぃぃって話。ここではっきり明暗が分かれたのね。つまりリピーターさんは口にした薄い茶色には見えないものを持って来た・・・だってタイルには薄い茶色なんて無いからね。

こんな場合、そもそもが口にした表現が間違っていて、更に持って来た色は仕方なく選んだだけ・・・そんな感じだから、間違いを指摘して是正出来るのなら、簡単に是正は出来るのね。ただ棟梁は?と言うと、茶色と表現して、持って来たのはおうど色・・・。

何故、おうど色と平仮名表記なのか?・・・おうど色は漢字で書くと黄土色・・・つまり黄色に土って書くのね。つまり黄色に合わないはずは無いのね。じゃ合うって事にすると、口で表現した色と違うものを選択したのは、リピーターさんと同じなのに、

結果としては、合っている事になった事になる。完全に裏切りなのね。正解だけれどね。じゃ自分だけが合っている・・・これがもし教える側だとしたら?もし仲良しに相談されていたとしたら?・・・だから、自分だけが合っているだけでは、それ以上は

上手くならないって事なのね。上手くなったら、人に相談されたり、質問されたりもするから、その表現一つでその人に影響される可能性が高くなると言う事なのね。しかも受けたダメージだって大きいのね。だって間違った表現は一緒なのに、最後の最後で

完全に裏切るのだから。じゃ何故そうなったか?ここね。簡単な話で簡単な表現をしたか?なのね。そもそも混ぜられるのなら、その自分の表現の色を作れば良いのね。勿論、その色を作る技術が難しいんだけれどね。それがタイルは混ぜるでは無く選ぶなのね

・・・人が作った色の選択なのね。だから自分の思った色がそこにあるとは限らない・・・いや絶対に無いって方が良いね。ただ、はっきり幼稚園の子供でも判る表現なら、大抵の色はあるのね。つまり、赤、青、黄色、緑、白、黒・・・ってね。

それをエメラルドブルーだとか、ハロウィンの紫とかってね・・・でもきっと薄い茶色って表現は、ただ薄いを付けただけじゃん・・・って思えば、とてもシンプルな表現をしたと思うのね・・・きっと。でもタイルには無いんだから見つかる訳が無いのね

・・・。まっ、世の中のストレスの原理。口で表現したものと実際のものが違ったギャップ・・・これがストレスの原因。しかも、自覚として何が?何処が?になるから、巡る気持ちに収拾が付かなくなる・・・。ただね、ここがリピーターさんは無いのね。

何故なら、無ければその中で解決してしまう・・・そんな性格の持ち主だから。だからモザイクには向いているのね。ただ、その感覚は合っているのだから、表現さえ間違わなければ、何の問題も無いのね。こちらはそこを教えれば何の問題も無いのね。

でもね、棟梁は結果として合ってしまった・・・つまり常に結果は合ってしまうから、ストレスは起こらない・・・けれど、もし一緒にやっていたら?どうなる・・・・何回も何回もこんな事が起こったら?・・・。

これが目を使って探す所まで一緒にやったとしたら?ただ、こっちのが良くなぁぁぁい?って黄土色になるんだろうけれど、もし手が離せずに、言葉のみだったとしたら?完全に、結果を見て・・・茶色をこれ濃くなぁぁぁい?って言うんだろうね・・・きっと。

しかも、濃い色が好きな棟梁にね・・・。あはははは。こらこらって話。そもそも、俺は全く指導はしていないのね・・・勝手に棟梁が選んだ黄土色を見て、2人が納得しただけ。その結果を説明して、だからそうなった・・・って指導をしたのね。

偶然じゃ無くて必然でそうなったってね。まっ、簡単に言えば、思い込みって話で、まず自分がどうしたい?って思った時に、既にリピーターさんは黄色だらけのタイルがテーブルにあった・・・しかもそこには濃い黄色は無く・・・。

つまり好みで外した。この時点で濃い色全部が外れてしまう可能性が大になった自覚を持たずに、黄色だけの事で外したって気持ちなのね・・・きっと。だから、例えば葉っぱの緑とか、他の部位に移動したら、その都度、考える事になる。

だからもし、その部位では濃くても大丈夫と思うと、それを使おうとしてしまうから、それが強調されれば、黄色い花が目立たない可能性が高くなる。逆に安定して薄いのだけを選んで行けば、ぼぉぉぉとしてしまう。つまりメリハリに欠ける。

こんな事をもしオレンジなんて選ぶのなら?ポップに仕上げれば良いと思うのね・・・ってそれを使うとどう見える?を考える。ただ、リピーターさんには無い話だから、スルーして・・・。いずれにせよ、口にした言葉通りに探した事で、似た色を選んで失敗

ってリピーターさんと、同じ茶色と口にした棟梁が何故黄土色たどり着いたか?は簡単で、表現に頼らずにタイルの中から、自分が資料を見て感じた色を探していたから・・・。そんな探し方は本人にしか出来ないし、代わりに持って来て・・・と頼まれても、

誰も持って来られる人はいない。だから、素直何だろうね・・・2人共。方や表現通りに探して、無いから無いなりに持って来た。けれど棟梁は自分の表現に惑わされる事無く、自分の思う色にたどり着く。2人に後悔は無い。けれどね・・2人集まってお互いの

意見交換や、その結果を見ると・・・棟梁のが良いねって事になった時点で、2人の意見は一致したのだから、それでは単に偶然で片付いてしまうのね。しかしそこは必然にして置かないと、また偶然は起きないのね。何故そうなったのか?ってね。

常に言っている最初の1手なのね・・・けれど、最初に濃い黄色を外した・・・ここを例え数枚でも入れるって最初の1手の勇気があるのなら?出して来たはずなのね。けれど外した時点で、もう触る可能性は少なくなった・・・。

何故なら、数日後はkameyaさん教室。出張先には自分で持って行ったタイルしか無い・・・しかも、一体何処から張る?ってなると、彫っている下地は、余程上手い人で無い限り、中心部から始まるのね。だって外側から張って行くと入らなくなるかも・・・

けれど、中心部からやったら、外側は少しはしょれば良い・・・じゃ中心部って何色?普通は影になって濃い色だと思うのね。つまり初日に濃い部分からになるのだから、持って行かなければ、恐らくもう使う事は無くなるのね。

まっ、とは言え保険で俺が用意して行くとは思うけれどね・・・それだって、俺がうっかり忘れちゃうって事だってある訳で。しかも、それは老婆心の余計なお世話って話だから、使わなければ持っているだけだから、そこにあるってだけ・・・。

いずれにせよ、アトリエと出張先では大きな違いがあって、ただ技術では無くて、今後使う色の準備も技術の1つなのね。だからこそ、また1つ上手くなって行く訳で・・・当然、表現も正確になれば、これを持って来て・・・と忘れものがあっても、持って行く

事は出来るけれどね・・・そこがお母さんが用意してくれるのと、自分で用意するのとは違うのね。その失敗が大人になるのね・・・って事だと思うのだけれど。じゃ棟梁。


まだ若干、手が痛いのね・・だから折角痛いのね。って思えば、考えるって頭を動かす方を多くすれば良いだけなのに、ついつい切りたい・・・進みたい・・・になる。それはね、手慣れた部分をやろうとするからなのね。もっとピタッと止まる場所をやれば

良いだけなのね。すると、羽根の中のクルッとした部分の相談として、どうしたら良いですか?と丸投げ発言をするのね。もう棟梁クラスになると、そんなそそのかしには乗らないので、相談とは?自分の意見ありきで、そうする為にはどうしたら良いか?になり

いきなりどうしたら良いですか?って言うのは、実はもうちょっとで進めなくなる場所になるんで、先生何か良いアイデア下さいなっ・・・って言っているのね。ばかちぃぃぃん。ダメです。って話。自分で考える癖を付ける・・・何故なら切るのが上手いから

であって、切る事に困らない以上、考える事で困れば良いのね。そもそも切る行為が上手くなったってのは、ギターが弾ける、野菜が切れる、字が書ける・・・みたいな話で、それは全て出来ただけで、考えてはいないのね。

弾けるのは楽譜通りって話で、曲を作った訳じゃないし、切れたのは寸法通りであって、何を作るか?を考えないと、漠然と切っただけだし、字が書けたのは、何かを真似しただけで、自分だけの字って追及はしていないはず。それはオリジナルには遠い。

単に出来ただけ。真の自分らしさとは?自分勝手とは全く意味が違うし、共感を得られなければ、ただの自己満足に過ぎない。それなら無人島制作で十分楽しめるし、それならもう十分ここに来なくても出来るはずなのね。

それをここに来る以上、意味が必要になる。勿論、楽しいから・・・とか、上手くなりたい・・・とか、宿題が・・・とか、人それぞれで良いけれど、続けるってのはそう簡単じゃ無かったりするのね。そう言う点でも、棟梁は考えるって部分が指導になる。

じゃクルッと・・・の説明。今の羽根の部分を口で表現すると、シュと伸びて・・・みたいに言うので、シュっと・・・を手で表現すると、手を真っすぐ伸ばしたのね。俺もそう思うのね。それがクルッとって表現したのだから、クルッとをやってみ?になる。

でもそうすると、四角い形でピザみたいになったとして、その間にある羽根も同じようになるのが嫌だと言うのね。じゃどうする?って事になった時に、嫌な事は判ったのね・・・ただ良い事が見つからない・・・そこで何作っているんだっけ?の質問に羽根って

・・・だよね、終わっていないのに羽根に見えるね・・・って言うと、まだ気が付かない。要するに羽根を作りたくって、羽根に見えるように切って来たと思うのね。しかもまだ羽根の完成を待たずに羽根に見える・・・ここに気が付くべきだと思うのね。

つまりもう羽根に見えているのなら?もう羽根に見えなくても良いんじゃない?って話。つまり模様にする・・・なんて考え方もあるんじゃないのかな?ってね。常に言っている85点をすんなり取れば、15点をふざけにチャレンジが出来る。

ただ神様チックだから、カジュアル過ぎるのはいかがかな?とは思うが、下品にならないように・・・キラキラし過ぎも困るし、そうなると形の問題・・・羽根に見えるじゃなくて、素敵な模様・・・まっ色んな鳥の羽根を見る事だね・・・ヒントは。

いずれにせよ、みんな上手くなって来たから、指導の内容が本気で出来るのは先生冥利に尽きるけれど、こっちも気が抜けないのね。ただ、当然こちらも同様、成長するので、教える事で改めてそれを意識出来て、だとすれば・・と新たな考え方も生まれる。

そんな中、最近思うのは、仮にね、ピカソが晩年に自画像を描いた後に、やっと思うような絵になった・・・的な表現をしたらしいが、そもそもデッサン力があるのだから若い頃から技術を持っているはずなのに、どうして晩年にやっと・・・なんだろうか?

それと同時に良く先人の指導者達が、子供の感性は素晴らしいとか、思うままとか、そんな表現をする。当然ここも受け入れると、もしそうなら、みんなそうすれば良いじゃん・・・って話なのに、何故大人になると出来ないのかな?・・・あはははは。

完全にさっきの話。つまり思い込みだと思うのね・・・大人になると。子供は見たままを描くから、左右対称にならない。顔を描いても目の位置が違うままで描こうとする。それが正しいが、美しいか?となった時に、ついつい同じ位置に修正してしまう。

大人はね。所がそれでは模様的になり、機械的になり、自然では無くなる。天然の美しさには、左右対称っぽいのはあっても、左右対称では無いのね・・・けれど、作り手の技術を見せる時に、ついついそうした事で補正をしてしまうのね。

しかも、そんな描き方だったり、経験値を増やせば増やす程ね。更に言えば、人のやる事はそうそう変わらないと言うのだから、変えようとしなければ、何も変わらないだろうし、逆にそのままなら維持をしないと衰退して行く事になるのね。

つまり何かを捨てた人が何かを得る・・・そうね、時間の使い方もそうだし、生活感、人付き合い、好み、なんでも良いが、一貫性があれば、どれも似た選択になるだろうし、その都度変えるスタイルなら、その場面場面で考えるんだろうし、

そもそもオリジナルとは?自分自身なのだから、体験なら今の自分だし、大作なら、今までの自分のような作品になるだろうし、これからの未来なんて作り方も出来るだろうが、常に今日の繰り返しって考え方もあるだろうね。どれを選択しているか?だけ。

ただ意識しているのと、無意識とでは結果は大きく違うし、意識するのなら、意識する心構えが必要だし、無意識なら結果を受け入れれば良いだけ。別に驚く事は無いのね。ただそれだけなのだから。だからそこに目的なんて言葉を付けると、目的意識になり

、宿題だから・・・と言えば、やろうとする時間を作ろうとする訳で・・・簡単な話。それでね、またピカソに戻ると、デッサン力に頼らずに子供達のように見たままの表現が出来た頃が晩年だった・・・って話だと思うのね。それが素敵に思えたから。

けれど、良い事と悪い事は背中合わせで、デッサン力があればあるほど、そこから遠ざかる。何しろテクニックが身に付くのだから・・・何かを捨ててしまった結果ね。それをピカソは晩年、それらを使って子供らしくって言うのね。

大体そもそも子供にはテクニックも無ければデッサン力も無い。だから素直に見たままだった・・・けれどそれは幼いって子役特権みたいなもので守られているのね。それが証拠に小さい、可愛いって言うのは、背が高くなり声変わりすれば全て失う。

無くなってしまえば得るモノが無いと、無くなったまま・・・芸は身を助ける的な話なら、身に付ける繰り返しの努力は裏切らいって話で、持って生まれた小ささや可愛さは大人と引き換えに失う訳で・・・人は平等と言うのなら、平等である。

ただ、心って言うものが擦れなければ、擦れない気持ちで、モノ作りとしてオリジナルに反映する事は出来るだろう。ってみんなだったり、子供達に教えたりしていて痛感するが、それがもし正しいとして受け入れれば、ピカソが晩年気が付く事が、割と早めに判った事になるが、当然判ってしまうと、逆にそのテクニックやデッサン力を身に付けないと、同じ土俵には上がれない事になる。ただ、今更、簡単にはデッサン力は中々上がらないから、少しづつだとして、そうなるとテクニックとなる。

ただテクニックなんてもんは、知ってしまえば、簡単なもので、いとも簡単に真似をされる。アイデアとかね。それが技術って言うのは繰り返しの鍛錬で誰にでも身に付くが、考える・・・ってのも、繰り返しの鍛錬だと思うのだけれど・・・。

そんな葛藤の中でやっているのは・・・・


後はカボチャで3個で1つのお教室予定・・・・。



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