今日の枕は良いのね。洗濯しているとテレビの内容がどうやら地元の話。
何処行くんだろう?・・・と見ると、金魚の吉田さんがぁぁぁ。
おぉぉぉぉ、朝から金魚ぉぉぉ、何と幸せな事でしょうぅぅぅか。
何しろ金魚屋さん、ほぼ地元の・・・行きつけのお店だし、作品も置かせて貰っている。
特に俺に利点がある訳でも無いが、真冬に金魚の話題がテレビで観れるのは何より。
それはそうと、とうとう始まったのね・・・オ-ドリ-の新作。こたつの天板、90cm。
そうね、ひとまず始まる前の心構えみたいなもんからスタ-トしようかな・・・とね、
こんな話をして見た・・・昔、俺は目を残し最後にやってたのね。
その時の口癖は、目が無くたってしっかり作りこめば龍は龍じゃん・・・ってね。
それなのにいつしか、生き物みたいなもんは目が終われば後は時間が解決する・・・
と変わって行った・・・今は何でもこれ以上の大事なモンは無い・・・そんな所から
作るようにしているよ。だから、オ-ドリ-もそうしなっ・・・ってね。
良くある事で、新作の大作となると構想もしっかり立てた。きちんと時間を掛け向き合った。やるだけはやって、今始めようとしている・・・・心の準備もした・・・・
それで出来るだけの事を・・・と新品の喰い切りも降ろして・・・さっいざ出陣。
となるのだけれど、何かそんなに掛かるような気がしない・・・って言い出すのね。
お見事。ほぉぉぉ、言うね・・・・俺の弟子は。随分と大人になったのね。
成長とはこう言う事なのね。何も張らず、これからと言うのに・・・90cmの大きさと
向き合って意気込みとして、そのセリフ。おごり高ぶっているようには思えないし、
とても冷静での上で・・・ただ根拠は?と聞いても何と無くなんだけれど・・・。
そこはちょいと問題はあるが・・・あははははは。まずは以前の和服の大作、あれが
80cmくらいあった。だからはじめての大きさでは無い。それが経験値。
最初の1手は様子を見て・・・ってやり方を取るのなら、これ以上のプレッシャ-は掛からないように・・・とか、この大きさを作るに当たって段々上手く切れるようになるような
感じかな?とか、そんな駆け出しのような人だったら・・・ひとまず大事な所や難しい
場所は様子を見て慣れるまで進める事を重視する指導をしたり、
やりたくてやりたくて・・・と意気込みバッチリのような場合、メインからでも良いか
・・・と意気込みをへし折らないように・・・って言う事もあったり、
いずれにせよ、その人、その人によって変えたりするんだけれど、経験値がある以上、
すべてが老婆心。しかも、さっきのセリフから推測すると、カンとは言え、何と無く
だとしても、ひびった様子も無く、浮ついた感じも無い。しかも今のオ-ドリ-では
この作品で進めて行く上で、切るって行為が段々上手くなって行くなんて事はほぼ無い。
つまり切るだけを取ったら、単なる遂行となるのだから、注意は心構えのみ。
丁寧に・・・だけ。と言う事は、俺の判断としても、思ったよりも時間は掛からないと
思われる・・・何かあっと言う間に終わるんじゃないかな?・・・ってね。
要するに現状を遂行するに当たって、丁寧に張る事を意識して、進めて、
苦労無く切れる技術を持った余裕の中で、進めながらの空白のアイデアを考えつつ
今の自分と緻密に向き合う事。来たばかりの自分と、帰る頃の自分では疲れも違う・・・
その時に自分は何処をやるのが適切か?ってね・・・・。そんな事が出来るように意識を
するようになれば、どんどんと進んで行くはず。それを踏まえて、きっとそれも
今のオ-ドリ-はあの頃とは違う・・・と考えれば、1年も掛かるとは思えない・・・・
こんな理由からなんだけれど、本人も根拠は言えずとも、カンで感じている・・・・
そこで、実は俺と同意見の奴がいてね・・・・かぐやなんだけれど・・・・
下絵を見た瞬間、もう終わったも同然じゃん・・・ってね。
凄いよね・・・良いよね・・・・ずるい・・・・って言ってた。
あはははは、全くだなっ・・・奴はすべて大阪で1人でやっている。
勿論、相談には乗るけれど、繊細な事はすべて電話やパソコンで伝わるのだろうか?と
考えると、実際はアトリエでタイルを見ての相談の方が良い意味でも悪い意味でも
リアルに伝わるものである。つまり奴の表現は是正が早く終わるから、悩んだ時間が
短く感じるのだろう・・・アトリエに行かれるって良いな・・・って意味である。
ただ昔なら羨ましいって表現に納まるようなもので、とても冷静な意見とは思えないが、
かぐやもかぐやできちんと成長していて、人を見てきちんとした評価をする。
要するにオ-ドリ-の切る腕、1ヶ月に何回アトリエに来て、自宅でもやって・・・と
総合した上での意見だったと考える。それでそれを踏まえて、もう終わったも同然。
カンだけの本人よりも、説得力がある。流石に先人である。人に指導をすると言うのは
説得力も問われる。オ-ドリ-に足らない事の1つは、説得力でもある。
本当はかぐやにそれをオ-ドリ-本人に本人の口で伝えて欲しいのね・・・良くも悪くも
・・・そうするとオ-ドリ-はかぐやを追い掛けやすい。目指すはあそことね・・・
まっそれはそうと、こうして俺もかぐやも根拠の元に、時間が解決すると判断した。
自分よりも上の人と思う人がそう判断をした。これをどう取るか?なのね。
プレッシャ-になるのか?太鼓判を2枚押されたって考えるのか?はね。
そんな中、張り始めると、とても慎重に今まで観た事の無い丁寧さも加えている。
ただまだ見栄えと機能性の話しが完全に染み渡ってはいないようで・・・・
この比喩で感じられる人は繊細なんだけれど・・・どうかな?
例えば歯。9.5mmのタイルを切らずにただ張る。真っ直ぐに目地幅合わせて・・・
この表現は建築のタイル屋のようだね・・・つまり切るテクニックは必要なしなのだから
真っ直ぐに張るって技術は無くても、何らかの意識で素人でも真っ直ぐに出来る可能性は
あるように思えるよね?切らないなら・・・ってね。もしかしたら子供でもってね。
それ位、切るって行為には技術が必要で、ただ真っ直ぐ張るって行為には技術は
いらないとまでは言わないが、簡単そうに思えたりする・・・
これが大きな落とし穴なのね。では比喩を変える。絵画にするよ。繊細な絵を描くのに
筆は上手く使えるのに色が作れない・・・じゃ色を沢山買うと描けるんだね?本当かな?
また比喩を変える。今度はペンキ屋。色を買ってくればハケムラ無く塗れる?
ここに何があるか?まず絵画もペンキ屋も自由に色を作れないと繊細さは出ない。
ただここで違うのは絵画はオリジナルだからその色は自分のみしか判らない。
ペンキ屋はお客さんに言われた通りの色にする・・・こうした違いがある。
次に今度は筆。絵画はタッチでぼかすなんてテクニックでいかに見たままの景色などを
描けるか?となるが、ペンキ屋は、いかにムラ無く塗れるか?となる。
そしていずれも例外は、色は買えば良い・・・とムラはロ-ラ-を転がせば・・・と
カバ-があったり、機械で吹き付ける・・・なんて事もあったりする。
勿論、そっちはそっちでまた技術論は広がってしまうがね・・・。
要するに何でもテクニックはあって、簡単な事は何1つ無いのね・・・こだわると。
ではまた比喩。野球でもサッカ-でも何でも良い。要するに守備は上手いが攻撃が・・・
って問題があったり、攻撃力はあるが守備が・・・って穴のある選手の場合、
凄い運動力はあるんだけれど、持久力が・・・これでは1ゲ-ムに出続ける事は出来ない。
ほらね。これなのね。つまりモザイクも同じで、切る行為も技術なら、張る行為も技術。
しかもここでの教室の人達は枠を張るって言うカルチャ-教室のような事をせずに、
いきなり切るから始まるから、単にきちんと張る・・・って経験値が恐ろしく少ない。
まっそれはその内に教室の下地の仕込みを手伝うようになると、すぐに上手くなるから
慌てる事は無いんだけれどね。
要するに張るって行為にもテクニックはあって技術もあるって事。この意識をしっかり持つ事が大事なのね。何事も意識をする・・・・なのね。
そんな事を意識すると、何が変わって行くか?・・・良く見ると王冠の△のパ-ツが、
線からずれていて、何やらア-ルになって張ってある・・・曲がったのかな?違うね。
完全に意識的に曲げてある。こっちのが王冠らしいとの判断で自分で変えていたのね。
ほらね、良い悪いはともかく意識が変わるってのは、こうした事が起こるのね。
結果としては俺も曲げた方が良い感じがする。きちんと張れる人がきちんと曲げに行く。
それは何故なら・・・・趣旨は王冠により見えるには・・・になったから。
王冠に見えるには・・・では無くて、王冠により見えるには・・・とこだわりが増した。
実に繊細な話しになっている。きちんと意識的にね・・・・。
こうした事が最後まできちんと出来るようになったら・・・・次は意識的に作れたのだから・・・・意識を持って無意識に出来るようにする・・・あはははは。
それが本当の意味のカン。腕を持ってしてのカン。これならカンも信じられるのね。
より精度、繊細、技術、・・・・洞察力、観察力、想像力・・・これらを持ってしての
カン・・・何とも豪華である。きちんとした流動的・・・・根拠の元である。
しかしこんな事まで教える事になるとはね・・・・随分と追い掛けて来るようになった
もんである。後は本人の自覚なのね・・・いやいや俺の本当の立ち位置だった・・・
俺がきちんと認められないとね・・・さすれば苦労も報われるんだろうが・・・。
いずれにせよ、それはともかくかなりの腕になって来た。
そんな中、今後の話しをすると参加となる。これだけの腕・・・楽しみである。
何処行くんだろう?・・・と見ると、金魚の吉田さんがぁぁぁ。
おぉぉぉぉ、朝から金魚ぉぉぉ、何と幸せな事でしょうぅぅぅか。
何しろ金魚屋さん、ほぼ地元の・・・行きつけのお店だし、作品も置かせて貰っている。
特に俺に利点がある訳でも無いが、真冬に金魚の話題がテレビで観れるのは何より。
それはそうと、とうとう始まったのね・・・オ-ドリ-の新作。こたつの天板、90cm。
そうね、ひとまず始まる前の心構えみたいなもんからスタ-トしようかな・・・とね、
こんな話をして見た・・・昔、俺は目を残し最後にやってたのね。
その時の口癖は、目が無くたってしっかり作りこめば龍は龍じゃん・・・ってね。
それなのにいつしか、生き物みたいなもんは目が終われば後は時間が解決する・・・
と変わって行った・・・今は何でもこれ以上の大事なモンは無い・・・そんな所から
作るようにしているよ。だから、オ-ドリ-もそうしなっ・・・ってね。
良くある事で、新作の大作となると構想もしっかり立てた。きちんと時間を掛け向き合った。やるだけはやって、今始めようとしている・・・・心の準備もした・・・・
それで出来るだけの事を・・・と新品の喰い切りも降ろして・・・さっいざ出陣。
となるのだけれど、何かそんなに掛かるような気がしない・・・って言い出すのね。
お見事。ほぉぉぉ、言うね・・・・俺の弟子は。随分と大人になったのね。
成長とはこう言う事なのね。何も張らず、これからと言うのに・・・90cmの大きさと
向き合って意気込みとして、そのセリフ。おごり高ぶっているようには思えないし、
とても冷静での上で・・・ただ根拠は?と聞いても何と無くなんだけれど・・・。
そこはちょいと問題はあるが・・・あははははは。まずは以前の和服の大作、あれが
80cmくらいあった。だからはじめての大きさでは無い。それが経験値。
最初の1手は様子を見て・・・ってやり方を取るのなら、これ以上のプレッシャ-は掛からないように・・・とか、この大きさを作るに当たって段々上手く切れるようになるような
感じかな?とか、そんな駆け出しのような人だったら・・・ひとまず大事な所や難しい
場所は様子を見て慣れるまで進める事を重視する指導をしたり、
やりたくてやりたくて・・・と意気込みバッチリのような場合、メインからでも良いか
・・・と意気込みをへし折らないように・・・って言う事もあったり、
いずれにせよ、その人、その人によって変えたりするんだけれど、経験値がある以上、
すべてが老婆心。しかも、さっきのセリフから推測すると、カンとは言え、何と無く
だとしても、ひびった様子も無く、浮ついた感じも無い。しかも今のオ-ドリ-では
この作品で進めて行く上で、切るって行為が段々上手くなって行くなんて事はほぼ無い。
つまり切るだけを取ったら、単なる遂行となるのだから、注意は心構えのみ。
丁寧に・・・だけ。と言う事は、俺の判断としても、思ったよりも時間は掛からないと
思われる・・・何かあっと言う間に終わるんじゃないかな?・・・ってね。
要するに現状を遂行するに当たって、丁寧に張る事を意識して、進めて、
苦労無く切れる技術を持った余裕の中で、進めながらの空白のアイデアを考えつつ
今の自分と緻密に向き合う事。来たばかりの自分と、帰る頃の自分では疲れも違う・・・
その時に自分は何処をやるのが適切か?ってね・・・・。そんな事が出来るように意識を
するようになれば、どんどんと進んで行くはず。それを踏まえて、きっとそれも
今のオ-ドリ-はあの頃とは違う・・・と考えれば、1年も掛かるとは思えない・・・・
こんな理由からなんだけれど、本人も根拠は言えずとも、カンで感じている・・・・
そこで、実は俺と同意見の奴がいてね・・・・かぐやなんだけれど・・・・
下絵を見た瞬間、もう終わったも同然じゃん・・・ってね。
凄いよね・・・良いよね・・・・ずるい・・・・って言ってた。
あはははは、全くだなっ・・・奴はすべて大阪で1人でやっている。
勿論、相談には乗るけれど、繊細な事はすべて電話やパソコンで伝わるのだろうか?と
考えると、実際はアトリエでタイルを見ての相談の方が良い意味でも悪い意味でも
リアルに伝わるものである。つまり奴の表現は是正が早く終わるから、悩んだ時間が
短く感じるのだろう・・・アトリエに行かれるって良いな・・・って意味である。
ただ昔なら羨ましいって表現に納まるようなもので、とても冷静な意見とは思えないが、
かぐやもかぐやできちんと成長していて、人を見てきちんとした評価をする。
要するにオ-ドリ-の切る腕、1ヶ月に何回アトリエに来て、自宅でもやって・・・と
総合した上での意見だったと考える。それでそれを踏まえて、もう終わったも同然。
カンだけの本人よりも、説得力がある。流石に先人である。人に指導をすると言うのは
説得力も問われる。オ-ドリ-に足らない事の1つは、説得力でもある。
本当はかぐやにそれをオ-ドリ-本人に本人の口で伝えて欲しいのね・・・良くも悪くも
・・・そうするとオ-ドリ-はかぐやを追い掛けやすい。目指すはあそことね・・・
まっそれはそうと、こうして俺もかぐやも根拠の元に、時間が解決すると判断した。
自分よりも上の人と思う人がそう判断をした。これをどう取るか?なのね。
プレッシャ-になるのか?太鼓判を2枚押されたって考えるのか?はね。
そんな中、張り始めると、とても慎重に今まで観た事の無い丁寧さも加えている。
ただまだ見栄えと機能性の話しが完全に染み渡ってはいないようで・・・・
この比喩で感じられる人は繊細なんだけれど・・・どうかな?
例えば歯。9.5mmのタイルを切らずにただ張る。真っ直ぐに目地幅合わせて・・・
この表現は建築のタイル屋のようだね・・・つまり切るテクニックは必要なしなのだから
真っ直ぐに張るって技術は無くても、何らかの意識で素人でも真っ直ぐに出来る可能性は
あるように思えるよね?切らないなら・・・ってね。もしかしたら子供でもってね。
それ位、切るって行為には技術が必要で、ただ真っ直ぐ張るって行為には技術は
いらないとまでは言わないが、簡単そうに思えたりする・・・
これが大きな落とし穴なのね。では比喩を変える。絵画にするよ。繊細な絵を描くのに
筆は上手く使えるのに色が作れない・・・じゃ色を沢山買うと描けるんだね?本当かな?
また比喩を変える。今度はペンキ屋。色を買ってくればハケムラ無く塗れる?
ここに何があるか?まず絵画もペンキ屋も自由に色を作れないと繊細さは出ない。
ただここで違うのは絵画はオリジナルだからその色は自分のみしか判らない。
ペンキ屋はお客さんに言われた通りの色にする・・・こうした違いがある。
次に今度は筆。絵画はタッチでぼかすなんてテクニックでいかに見たままの景色などを
描けるか?となるが、ペンキ屋は、いかにムラ無く塗れるか?となる。
そしていずれも例外は、色は買えば良い・・・とムラはロ-ラ-を転がせば・・・と
カバ-があったり、機械で吹き付ける・・・なんて事もあったりする。
勿論、そっちはそっちでまた技術論は広がってしまうがね・・・。
要するに何でもテクニックはあって、簡単な事は何1つ無いのね・・・こだわると。
ではまた比喩。野球でもサッカ-でも何でも良い。要するに守備は上手いが攻撃が・・・
って問題があったり、攻撃力はあるが守備が・・・って穴のある選手の場合、
凄い運動力はあるんだけれど、持久力が・・・これでは1ゲ-ムに出続ける事は出来ない。
ほらね。これなのね。つまりモザイクも同じで、切る行為も技術なら、張る行為も技術。
しかもここでの教室の人達は枠を張るって言うカルチャ-教室のような事をせずに、
いきなり切るから始まるから、単にきちんと張る・・・って経験値が恐ろしく少ない。
まっそれはその内に教室の下地の仕込みを手伝うようになると、すぐに上手くなるから
慌てる事は無いんだけれどね。
要するに張るって行為にもテクニックはあって技術もあるって事。この意識をしっかり持つ事が大事なのね。何事も意識をする・・・・なのね。
そんな事を意識すると、何が変わって行くか?・・・良く見ると王冠の△のパ-ツが、
線からずれていて、何やらア-ルになって張ってある・・・曲がったのかな?違うね。
完全に意識的に曲げてある。こっちのが王冠らしいとの判断で自分で変えていたのね。
ほらね、良い悪いはともかく意識が変わるってのは、こうした事が起こるのね。
結果としては俺も曲げた方が良い感じがする。きちんと張れる人がきちんと曲げに行く。
それは何故なら・・・・趣旨は王冠により見えるには・・・になったから。
王冠に見えるには・・・では無くて、王冠により見えるには・・・とこだわりが増した。
実に繊細な話しになっている。きちんと意識的にね・・・・。
こうした事が最後まできちんと出来るようになったら・・・・次は意識的に作れたのだから・・・・意識を持って無意識に出来るようにする・・・あはははは。
それが本当の意味のカン。腕を持ってしてのカン。これならカンも信じられるのね。
より精度、繊細、技術、・・・・洞察力、観察力、想像力・・・これらを持ってしての
カン・・・何とも豪華である。きちんとした流動的・・・・根拠の元である。
しかしこんな事まで教える事になるとはね・・・・随分と追い掛けて来るようになった
もんである。後は本人の自覚なのね・・・いやいや俺の本当の立ち位置だった・・・
俺がきちんと認められないとね・・・さすれば苦労も報われるんだろうが・・・。
いずれにせよ、それはともかくかなりの腕になって来た。
そんな中、今後の話しをすると参加となる。これだけの腕・・・楽しみである。