katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

さくらとキウイと慶応労作展に

2024-09-30 05:45:11 | 労作展
今日はさくらとキウイと慶応労作展に。もう何回行ったのかなぁ・・・まぁ労作展と言えば、小ネタから言うと、学校に入る前に塾のパンフを配る人達がいて、普通は必ず声を掛けられるのだが、

何十と行ってるのに、一度たりともパンフを渡そうとする素振りも無く、完全にこの人は慶応のご父兄じゃない・・・って感じの扱いでね、以前は一緒に行った生徒さんに横にいて貰って、

これなら俺が見えなくても、夫婦に見えたら生徒さんには渡すだろう・・・って思っていたら、俺の威力が凄すぎるんだか、いつもは貰っていた生徒さんがとばっちりだったなんて事があったのね。

今日はいかに・・・って事で、するといつもは左側のみにいるのだけれど、両サイドにいて、結構貰っている人もいたりして・・・そんな中、有り得ないのだけど、2回声を掛けられたのね。

ただ別にパンフが欲しい訳じゃ無くて、声を掛けられて断りたいのね。それで今日は初めて2回断ったぁって後ろを向くと、二人共にクリアーファイル貰ってて・・・なにそれ?って聞くと、

くれたよ・・・って。えーそんなの貰って無いよー、そんなオチかよって感じのスタート。まぁそんな訳で、入ってしまえば何度も来た事のある校舎だから、1年生から。


無事に受賞していたのね。まぁ制作日誌もしっかりしていたし、完成度も良かったし、特に問題は無かろう・・・って思ってはいたものの、そのクラスにとんでも無い作品があるとも限らない。

いずれにせよ、何よりなスタートだったのね。良くリップルって厚みのあるタイルを初めてでここまでの精度で切ったし、ドジャースのロゴやユニフォームのシワなんて中々だったのね。

ただ2年生はいなかったんで、後は3年生が4人。

まずは3年連続の受賞となった1人目。まぁこの子の制作日誌は心配無いのだから、作品は仕上げも立ち会っているから何も問題は無いのね。ここはテーマもしっかりしていて、情緒たっぷり。

この作品は去年の飛べないカモメを作った子なんだけれど、クラブ活動を辞めてしまい、仲間のカモメは遠くへ飛んで行き、自分は飛ばずに見ているだけのカモメってモザイクだったのね。

中学生ならではの葛藤を見事に描いてあった・・・その続きで、色んな生き物が座標に向かって歩んでいる。そこに自分のカモメが下の方に飛んでいる。そして飛ぶと色んな生き物が見えて、

同じ方向に向かっている。確かに先に行った仲間はいないけれど、飛んだ事で今まで見た事の無い景色を見ている訳で・・・海には海の生き物、陸には陸の生き物。まだ飛んで間もない事と、

まだ出遅れの葛藤なんかを、明るく描く事無く、セピアっぽく、しかもバックの窯変タイルのもやもやで悩みみたいな感じが良く出ている。座標も恐らく慶応なんだからペンでも良かっただろうが

そこを光だけにしたのも意図的だったのね。お見事でした。そして次は幼稚舎の頃に来た子で、

1年の頃は大人になったなぁーって感じで、幼稚舎から中学になってこんなクラブに入りましたって作品で、何とも初々しい作品で、2年生では圧巻の龍、そして今回はサグラダ・ファミリア。

テラコの素焼きタイルは、中々もろくて細く切るのは難しかったりするけれど、この数・・・お見事だったのね。勿論彼も3年連続受賞で何より。お疲れ様でした。そして初めての彼。

受賞は逃したんだけれど、モザイクとしての内容は、中々の大作でしかも良く切ってある。アニメのキャラらしいんだけど、最初そこは引っ掛かっていて、過去に見た他分野の作品でも、キャラは

受賞していないんで、その旨は伝えたんだけれど、そこは気にしていないって言うので、そのままとなったが、先生にアニメじゃ無かったら・・・って言われたらしい。何とも救いのある声掛けで

努力が報われたと思うのね。そして最後も3年連続受賞となった彼。

これが大家さんが欲しいって言った作品。まぁ良くやった。何処かのサーフショップの看板かっってくらい、どれもこれも中学生の宿題レベルの作品では無いけれど、本物のサーフボードくらいの

大きさである事、ウミガメの立体、文字の精度、バックの目地幅・・・圧巻なのね。親御さんやそのご父母の方とお会い出来て、ご挨拶をされたけれど、本当に喜んで下さっていて何よりだったのね。

これで労作展も無事終わったんだけど、今年の労作展は久しぶりにコロナ以前の恐ろしい作品に戻っていたのね。例えば絵画にしても大人が何人もで運ぶような、この額って一体いくらするの?

ってものや、三部作と言った3つ・・・とか、ジオラマみたいなものや、椅子だのの家具だったり、バイオリンもあった。ハリー・ポッターのチェスだったり、実物大のスパイダーマンもいた。

見る側としても、見どころ満載で、これぞ労作展って感じだったのね。そんなこんな帰りに母の病院にちょっと寄って、さくらを送って今日は終了。

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kameyaさんとのぶさん教室

2024-09-29 03:35:08 | モザイクタイル教室
今日はkameyaさんの出張教室なんだけれど、まっここは当然ピエロの壁画の仕込み。まずは赤を棟梁に、そして後から白をりょうさん。この難しさはなるべく切らない・・・まずはここ。

そもそもなるべく切らないって事は、切る事が上手い人に技術封印って事になるから、結構なストレスになる。じゃ一体何処の何に差を付ける?となると、一定の目地幅だったり、同じタイルを

繰り返さないとか、田んぼのた、みたいに目地をバッテンみたいにしないとか、何しろ何でも良い・・・じゃ無く、ルールの中でやるって感じにね。そんな中、棟梁が始めると、

凄い考えないとならず・・・難しいって。そうね、何が正しくて何が間違っているか?の判断が出来ないと、何か入ったぁ・・・って呑気な心構えになるのね。だからこうしたルールを作る。

そうした意識があるか無いか?で仕上がりが違って来るのね。そんな中、棟梁が終わると、何か上手く行ってない・・・とか、100点を狙う気なのね。でも現実的には100点は無理なのね。

その時に、一体何点で作れる?となった時に、初めてやる事を最高点の100点を目指そうとするって、随分と傲慢な感じとは思えないかな?だって初めてだよ・・・初めて。つまり謙虚と言うなら、

最高では無くて、最低は・・・って言う考え方もあって、これ以下にはしない・・・つまり目指すのが最高点では無くて、最低ラインをキープって考えられたとしたら?これをもう少し掘り下げると、

棟梁のような実力者の人が、初めてなんで最低ラインのキープって言い方にしたとする。そんな点数だとすると、次にそれを見たりょうさんが、それを真似してやったとする。その時にもし、

棟梁が実力者の実力を持って90点以上を出ていたとする。じゃ真似出来る?となると、無理だと思うのね。それじゃへこたれる可能性が出るかも・・・それを棟梁が実力を発揮出来ずに60点とする。

それなら何とか真似出来る感じしない?・・・ただその理屈、変じゃない?・・・それって実力を抑えて、まるで全力禁止みたい・・・ってね。ただもっと言えば、そもそもの考え方なのね。

例えば100点と0点は誰もが共有出来る事なのね。例えば凄い上手いと、凄い下手って話だから。でもその極端な事って、こうも言えるのね。やるか?やらないか?ってね。もう根本的な話。

つまりやれば100点で、やらないと0点。そして更にこうも言えるのね。やったもやらされたもやるのだから100点と、でもやらないとやれないのいずれでも0点。ただね、やったもやらされたも、

自分の意志でやるもやらないも決められるが、やらされるって気持ちでもやると、やった実績になる。でもやらないややれないも自分の意志なのね。自分の意志で0点って・・・。

ここで0点側を掘り下げては長くなるので、やる側を説明すると、どんな形でもやる方を取ると、やった実績になる。そしてやるから挑戦になる。実は大作の人達って言うのは、人が見て大作でも

それが普通になるのね。それが慣れ。最初は出来るかな?とか、不安でも繰り返す事で、いつしか普通になるのね。実はそれはとても良い事なんだけれど、良い事と悪い事は背中合わせ。

つまり普通になり緊張感が少なくなる。これが例えば緊張しているなら緩和だから、コースターでもやる?ってお楽しみを入れるのも良いと思うのね。ただその逆で、久しぶりの緊張感って言う

考え方もある。そもそも大作に慣れるって、第三者から見たら、こっちはただ張るだけじゃんって見えるのね。でもやると判るのは、色違いとは言え、比較されるし、外壁に付くから見られる。

自分の作品は見せない事が出来ても、外壁は全ての人が自由に見れるのね・・・人に見られる緊張感の体験はそう出来るものでは無いのね。そんな実績を自分の作品で作って庭に置くのとでは、

全く意味が違うのね。その時に普通はりょうさんの方が棟梁より未熟なんで不利と考えるのが普通なんだけれど、実は緊張が増すのは上手い方で、いつもの大作なら全力な技術を出せる。

しかし余り切らないってルールは、良さを発揮出来ないから、誰も権利のあるように思えるのね。ただ実はこれが楽譜やレシピや図面と行ったルールの中での差を見せる基本中の基本なのね。

同じ条件なのに差を付けるね。ただそもそもそう思えないと、切れないのかぁ・・・って、気持ちになり、得意なものを封印された気になる。しかしながら、どんなに上手く出来たとしても、

例えば楽譜通りに弾いたのを、スタジオミュージシャンと葉加瀬太郎さんの違いを聞き分けられるか?となれば、相当な聞き分けを出来ないと無理だろうね。それを道場六三郎さんとお母さんの

肉じゃが対決なら、きっと見つけられるかも知れないがね。要するに上手くなればなるほど、当たり前の基本って事をおろそかにするものなのね。水平垂直に張る。目地幅の均一化。

ボンドで汚さないとか、きちんと押すとか、当たり前の事ばかり。ただそれだけで絶対的に上に見せるって言うのは、とても地味な事なのね。まっもっと簡単に言えば、俺と棟梁では、比較しても

絶対にこっちが俺って判らないと思うのね。間違える割合が増えるってね。つまりりょうさんは、棟梁に見間違えるように意識すれば良く、その為には棟梁を良く見て真似る。しかも棟梁は先に

やって貰うから、緊張はあるし、戸惑いながらやる事になる。しかも終わってからの説明や検証をすると、あっここ剥がしたいとか、あれこれ気付く。しかしながら、それがりょうさんに取っての

勉強になる。まぁ少しモヤモヤが残るのね。まぁそんな事があって、じゃもうひとマスね・・・と、棟梁には後で取りに来るから・・・って宿題。今度のリベンジは俺無しの単独・・・。

当然、夜には終わりそうな連絡が来た。つまり独りで出来るって事。これが職人と一緒なら出来る小僧さんと、独りで出来る職人との違いなのね。つまり最初の一歩目のやるって方を選択しないと

いつになっても独りで出来ない・・・そのきっかけにもなるって事なのね。でもそれを自分の作品でしか出来ないと、これからいつか押し寄せるみんなで・・・に参加出来なくなるのね。

不慣れで経験値が無いとなると、内弁慶的になるから。何しろ最初の一歩は勇気で、後は慣れ。これが基本。そしてこれがkameya教室は近いうちに、作業場と変わって行く一歩になるかもね。

そんなこんなでアトリエに戻ってのぶさん教室。

料理の先生だから自分の看板なんだけれど、いよいよバックに入ったのね。ここでもさっきの続きで、これは独りで作っているけれど、例えばバックの他の部分、とても初めてとは思えない、

几帳面で丁寧に切ってあるのね。それをバックでやったら、とても几帳面で丁寧になる。同じスタイルだね。何か果てしなさそうだし、いつも同じなんだね。それをメインキャラを引き立たせたい

のなら、今までよりも出しゃばらずに、でもどーでも良い訳で無く、丁度良いように切って・・・なのね。そこで料理の先生だから、比喩はごぼうの皮向き。例えば俺にごぼうの皮付近には、

栄養たっぷりなんで、剥き過ぎ無いようにね・・・ってアドバイスをしたとする。そもそもが未熟な人に、剥くと剥かないなら0か100で判り易い。でもね、剥き過ぎってどの位?何とも曖昧な表現

なのね。そこにその人の性格が加わるのね。いつものイケイケドンドンのフォワードなら、剥きゃ良いんでしょ・・・ってガンガン行くのと、慎重に慎重を重ねるディフェンダーでは、えっとえっとと・・・

余りにゆっくり過ぎて、皮を剥いている側から茶色く変色して来る感じ・・・って性格も左右するのね。そこで百聞は一見にしかずって、こんな感じって見せたとすると、それを真似するのね。

だからサンプルがある。まぁ当たり前の話ね。所がオリジナルをするって言うのは、サンプルは無いから、大変ではあるものの、それに慣れると自由に進める事になる。しかし、その自由は常に

自分の作品だからであって、基本通りにサンプル通りにって回数の少ないウチの生徒には、むしろ大変な事で・・・だからさっきの話になるのね。んでここは、個人作品だから好きに出来るのね。

ただもう既にここまで上手い。そこに教える事はある?って事になると、そこでテクニックになる。これだけ出来るのだから・・・つまり何がテクニックか?って言うのは、きちんと切らないで。

一見乱暴に聞こえるが、ごぼうの皮剥きの話。丁度良いくらいに、しっかり手を抜いて・・・なのね。じゃがいもの芽を摘むのは、毒があるからしっかり取る。しっかりね。でもごぼうの皮は、

毒じゃないし、しかも栄養価がある。じゃ適当なの?じゃ無くて、丁度良く・・・つまりこんなに上手い人が100本気でバックをやると100やるでしょ?でも落としてね・・・って言っても、90に

しかならないと、まだまだ・・・って言っても、結構落としたって思っているのね。まだまだ。そこでもっとユルユルって気持ちで、80になったとする。すると、こんなんで良いですか?って、

もはや乱雑にも程がある・・・って気分になるのね。80程度で。でもね、例えば70以下くらいに・・・と見せたとしても、えっ・・・って言う人は、中々出来ないし、判りましたって、

簡単に言う人は50とかに落として来るのね。だから丁度良いなのねー。ってその人の丁度良いだから、何度やってもそれなら、きっとその人の丁度良いはそれになる。でも俺の言った言葉の受取り

方1つなんで、そこはかなり性格が加味されるのね。そしてその丁度良いが決まれば、それがサンプルになり、後は繰り返しとになるから、理解出来れば後は時間が解決に向かうのね。

ただ何しろ月に1回では、えっと・・・って事も起きるし、都合で来られないと、数カ月後になったりもする。そうなると、思い出すのも一苦労なんて事も多々あるが、のぶ先生上手いわ。

丁度良いを理解しているのね。そんな中、妹から連絡が来て・・・もう大体こんな電話に良い事は無く・・・母が病院に運ばれたらしい。じゃ教室終わったら行くから、病院決まったら連絡して。

後は保険証とお金・・・って何度か経験しているから、大体判るし、落ち着いてもいる。何故ならもう少しずつ毎回さよならをしているから・・・またねって帰る時に、心の中でこれが最後かも・・

ってね。いつもさよならだから・・・ただ病院は近く、会話も出来た。意識を無くしたらしいから検査入院。今日の最後はこんな感じ・・・。


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ピエロの壁画の内金と模様の続き

2024-09-28 07:28:33 | モザイク作家
今日は午後からピエロの壁画の内金を頂きに・・・それまでは手伝い分の模様をやっていたのね。既に来月の8日に取り付ける予定なんで、それまでの生徒さん分となると、そこまで終わるかな?

って事で、少し俺が進める事にしたのね。ただまだ玄関側にもスペースはあるんで、まだ数人分は出来るのね。そんな中、お客さんが先生のラッカンみたいな名前入れちゃえば良いですよ・・・。

って言うんだけど、有難いけれど、住宅にラッカンなんて印入れるって・・・そりゃやり過ぎでしょ?って思うやら、どうしようかなぁ〜って思う気持ちもあったりする。そうね、こんな事があると、

色々考えさせられるのね。それがプログの閲覧履歴なんかが見れるんだけれど、一応その日入れる時に軽く見たりするんだけれど、間が良いんだか、悪いんだか、内容が噛み付いて来るお客さんの話・・

だったりしてね。まぁ昔は数万で良くオーダー作品を受けていたんだけれど、良くもまぁやったもんだな・・・ってキツい話があれこれあって。やればやる程、生活が厳しくなるどころか、度が

過ぎる事が多々あって、でもこっちも完成画像が欲しいだけで受けたなんて時期があったりしたのね。ただそんな時期を過ぎると、今では自宅のリフォームにラッカンを入れても良いなんて言う、

お客さんがご理解して下さる。何とも有難いのね。勿論、以前のお客さんの中にもそう言う人はいたんだけれど、中にどうにもこうにも・・・って話も多々あって、何しろ大変だったのね。

ただ今もキツい事は変わらなくても、内金を頂くとまたキツさは消えて、生活費のやりくりに追われる事が無くなったのね。そうするとモザイクに集中出来るが、ガス代だの家賃の・・・って事に

追われるのでは、全く違うのね。気持ちの余裕が・・・。また先を考える余裕と、今日のガス代に追われるとではね。そしてそのガス代の支払いに回すお金と、先のサンプルの為の材料代に回すのでは。

そんな中、全く関係の無い事なんだけれど、あるニュースで奨学金の話を聞いたのね。もう今では、昔と違って奨学金って頭の良い子に資金が無ければ、負担してくれる優遇措置って意識は、

無くなり、学生さんの前借りみたいな感じ・・・って認識になったのね。こんなたわいも無い話は、普通ならそうなんだ・・・で終わるのね。だって子供いないし・・・ね。でもね、俺の脳が

動いちゃったのね・・・本当はもう1つ話があって、それらの話が全部同じく思えたのね。例えば住宅ローンや車のローン、こんな話は俺でも車を買った事があるから、知っているんだけれど、

これは就職していて、ある程度の返済のメドが立つ前提の借金。なのに学生はまだ稼げていない前提で奨学金って借金をする。ある意味ギャンブラーだなってね。勿論、借りて返せる学校を出て、

良い所に就職すれば返済は出来るだろうが、まだ入れていない話。仮に親御さんが裕福なら、それとてチャラになっても、浪人していたり、思っていた学校でも無く・・・となれば、人生設計は

変わって来るだろう。しかしながら、それでも目標より下回るくらいで、ここも何とか逃げ切れると思うが、何となくみんなが行くから・・・ってスタートを切った時、仮に一緒だったとしても、

落ちる落ちない、親に資産が有る無し、そこに一流企業ならまだしも、会社の倒産なんて事も今なら十分に有り得る。そこに思うようにならないから・・・って気分で乗る乗らないなんて事が、

加われば、恐ろしい賭けを選択するんだろうな・・・奨学金って。家や車なら手放して無かった事に・・・って事が出来ても、奨学金を借りて良い所に務めて奨学金の返済をしたとしても、

手元に残れば成功者となり、目指すのを失敗すると、その返済もままならない。18歳にしてその選択をするのかぁ・・・と思えば、親がタイル屋、それをただ真似しただけっていとも安易なのね。

ただそれを続けていただけの20年と、今の誰も先人に習った訳でも無いその後の20年・・・どちらも大変だけれど、後者の開拓って事は、起業するみたいなもんで、そりゃ大変さが違うのね。

正直まさか奨学金なんて、俺には無縁な言葉でも、反応して自分に当てはめるのだから、俺の脳は面倒臭いし、それに付き合うかぐやも大変だわっ。ただ、全く無縁と考えれば、何も勉強には

ならないが、俺の仕事の一部には、人に教えるって部分がある。だからこんな話も、折角考えたのだから、引き出しに閉まっておけば、いつか使う事もあるだろうしね。何しろ知らない事や興味の

あるなしなんて、俺には関係無く、注文って言うのは、必ずしも自分の興味のある事ばかりとは限らないのね。だからこうした脳の反応は悪い事ばかりじゃ無いのね。


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壁の洗浄とイベント用下地

2024-09-27 02:35:29 | モザイク作家
今日はいよいよピエロの壁画を張るんで、取り付ける前に外壁の洗浄って事で・・・。まぁツイてるのは、今日は晴れているのに、明日は雨らしい。って事で、何十年振りにタイル洗い。

まぁその頃には、高圧洗浄なんて言う人は、中々いなかったと思うけど・・・今回は仁科さんに借りて。そんなこんなで何とか終わって・・・アトリエに戻って、来月のさいたまアリーナでの、

コープみらいさんのイベント用の下地作りをしたんだけれど、何となくなんだけれど、普通はコースターを作る時って、この位の厚みの木で・・・とか、大作ならこれとか・・・何となく決まって

いて、予算を考えるとこの木だなぁ・・・。ただいつもはコースターは丸か四角って、そこも普通に特に何も考えずに、普通・・・ってやっていたのに、今回六角形になんて事を考えて・・・


そんなこんなで一応、サンプルも作ってあったから、またいつもの木で・・・と思ったんだけど、もっと薄い木って出来るのかな?って思って、駄目元でやって見たのね。すると反らなくて・・・

それなら薄いに越した事は無いから・・・そこでサンプルがてら実験をしたのね。

何かこうして完成すると、思うのは、このくの字の山周セラミックさんのタイルを随分前に、ドゥカティってバイクの作品で使って以来、使い道が無くて・・・。ただ気になっていたのね。

何かもっと使い道があるんじゃ無いか?って。何しろ変わった形で、しかも和風。シックな色合いだから、何か他のタイルで色をカバーしないと、地味になっちゃうし・・・。難しかったのね。

ただこうして出来たサンプルを見ると、割と体験向きに見えるし、良いかも・・・って。厚みも抑えられたし、下地切りも簡単になったし、見栄えもまずまず。期待値上がるのね。


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ピエロの壁画の下準備と追加の子猿

2024-09-26 01:44:55 | モザイク作家
今日は朝から張り上がったピエロの壁画の掃除だったり、いよいよ張る為の下準備をしていたのね。そんな中、ご近所さんで妹と同じ歳の男性に留守だったら駐車場使って・・・って言われてて

今日も使わせて頂いていたら、帰られて車を動かす事になって・・・そこでちょっと話す事になったのね。普通こんな事はたわいも無い話なのね。普通はね。でもね、これが違うんだなっ・・・

例えば、一体何を話したか?・・・なのね。これがね、俺は一体どんな仕事をしているのか?だったりしたらどうだろうか?例えば単なるタイル屋だったら、そうなんだ・・・とか、忙しい?

位の他愛もない展開になる。でも、モザイクやってる、先生もやってる、・・・何それ?ってな事になる。そこで丁度良いから、実際に見て貰ったし、中学生の作品も見せたのね。

それで何を手に入れたか?となると、katsuって人の仕事を見せて、作家katsuと先生katsuを見て貰って実力を知って貰ったのね。例えば俺が歌手なら、得意な歌を聴いて貰った・・・。

そう言う事になるのね。ただ1、2曲ね・・・でも聴いちゃった・・・これでそうなんだ~程度なら、それだけ知られた。でももし近所にもあるってお知らせしたから、それを見たらまたもう一つ。

もしインスタやホームページを見たら・・・一体この先、彼にどう映るんだろうか?つまり単なるご近所の人の良い人では無くなるのね。何故なら、単なるご近所の人は昔のままで、オジさんに

なったかっちゃん・・・にしか見えないのね。けれど、見てしまったら?ただのかっちゃんでは無くなるのね。そして更に立ち話を1時間近くした・・・これは俺に俺を語らせた事になる。

しかもそんな時間を本気で話させたら、ドン引きか信じるか?のいずれかしか無いのね。しかも面白い・・・って本気で聞くから、こっちもダイジェストであれこれ話した。これで良くも悪くも

相当katsuの今を知った事になる。しかも実物の作品なんて、まだ数人しか見ていないのに。いずれにしても、少し何かが変わる音がしたような気がしたのね・・・気だけかも知れないけど。

そんなこんなで下準備も終わって、アトリエに戻って今度は追加分の子猿。まっ目が逃げ切れれば、後は別に大した事は無く終わったのね。


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キウイとさくらの相席教室

2024-09-25 02:13:14 | モザイクタイル教室
今日はキウイとさくらの相席教室、とは言っても、キウイは壁画の手伝いって事で、追加となった子供のサルとコウノトリとなるが、下絵も見るなりこんなに小さいの・・・って。

そうね、事前に2m級のバックを手伝っているので、そんなイメージをしていた様で。ただコウノトリの大きさだけ見たら、そこそこの大きさなんだけれど、目を見て何故こんな?って事なのね。

細いラインに細かさ・・・しかも可愛くない。言いたい事は多々あるものの、実際画像で確認すると、そもそもがこんな生き物。しかも急きょ追加となった事で、大事な事は小猿・・・。

生まれたって事の追加、しかも既に作った壁画の絵の中に入れる事は無理だったし、だから子猿1人の追加では寂しいし、だからコウノトリが運んで来たって事になるんだけれど、正直そんな理由

では、コウノトリが可愛くなくても良いのと、そもそもコウノトリ自体が歌舞伎役者みたいな目なのね。でもそれを余り変更して、可愛くしちゃうと、メインの子猿よりも可愛くしちゃ元も子もないのね。

とは言うものの、余りリアル過ぎるのも・・・って描いていたらこうなって。ただこの程度の目なら、1cmタイルにすれば、キウイなら何とかなるって判断だったんだけど、キウイ自身の判断は

こんなの切れるの?・・・ただやって見るとこの程度のグレードで出来た事になるのだから、実際は出来ない・・・では無く、面倒な手間が掛かった事になる。恐らく5.6時間でコウノトリがここまでなんだから。

ちなみにその後、サルの目は俺がやったんだけれど。そんな中さくらにも言ったんだけど、体調不十分って事で今日はやらなかったが、まだスペースはあるんで、その内やりに来るとして・・・

今日は自分の分のみ。こんな話をただ単に手伝いをした話と取るのは、直接表現とする。それはこんな事がありました・・・ってだけだからね。それを間接表現とか、おとぎ話とかみたいに・・・

って比喩出来たとすると、みんなで作品を作るって言うものと、自分の好きなオリジナルの自分の作品を作るって違いを表現すると、自分の作品って言うのは、音楽なら山下達郎さんのようだね。って。

それは作詞作曲編曲、コーラス、演奏と全て自分でやってしまう・・・こんなのはどうだろうか?それをみんなで作るって言うのは、ドラマや映画に出るとでも思ったとする。つまり字幕で、

総指揮katsu・・・って最後に出るとして、当然かぐやはかなり大きな文字で1人の名前で上がって来るとしたら、キウイの参加量としても、例えば友情出演みたいな感じに1人の名前な感じ。

そうなると、何でも良いから・・・って1枚でも張ったとしたらエキストラになるし、バックのみんなって事になれば、小さめな文字で、みんなと一緒って感じになる。そして壁画は外に付く。

つまり室内と違って、誰でも見られるのと、身内にしか見られない室内の作品とでは、学芸会と映画ではオープン度合いが全く違うのね。当然参加側のプレッシャーもね。つまりその練習なのね。

それだって物凄い注目されるのなら、隅々まで何度も見られるかも知れない。映画やドラマをDVDで何度も繰り返すようにね。でもいくら手間を掛けて制作しても、大した作品じゃ無いな・・って

評価を低くされる事もあれば、何十年も経って名作だ・・・なんて事もある。物は残るって事なのね。しかも古くなって壊されれば中古だから、古くなってガタが来たからと言われれば老朽化。

なのに、神々しく生き延びれば、レトロだアンティークだとなり、とても大事にされ、時に修繕しても残す・・・なんて扱いすらある。それに参加したか?しないか?って言うのはどんな事なんだろうか?・・・

それが学校行事なら、学芸会程度なら思い出として残る程度の話になり、同じ学校行事として記念品として壁画を・・・なんて時には、同じ量を平等なスペースが与えられる。しかしながら、もし

スポーツなら、レギュラーと補欠、シンデレラとママ母の意地悪な3姉妹、場合に寄っては、言葉すら無い馬車を引く馬かも知れない。何かみんなで・・・って場合、全て平等なんて無いのね。

参加出来るって言うのと、出来ないなんて事もある。しかもそれが俺の仕事・・・いつか来る大きな事のステップと考えれば、きっとやった事が何かの糧になる。まぁいずれにしても、限りある

スペースだから、いつか底を尽きるし、限界も来る。ただそれとて限界を金額で決めるのか?出来るまで全力なのか?限界を自分の判断で決めるのか?後世に残すものにするのか?・・・

いずれにせよ、そう言う作品になる一歩にするのと、単なる壁画のリフォームでは、心持ちが違うから、そのまま反映するのね。簡単な話、間に合せで良いよね?食べられれば・・・って日常の昼と、

恩師を迎え入れる数カ月後の昼とでは、同じ昼でも、準備の仕方も全てが変わる。勿論、買えば良いとか、食べに行くって人は、根本的な自分で作るって話から離れてしまう事になる訳で。

ここで話す事は全て物作りとして・・・であって、お金を出して買うでは無くて、自分で制作すると言うのは・・・なのね。それを気楽に作るも良しだし、一生残るものを作るも良し。

ただ中々同じ気持ちでは作れないのね。だって趣味だから・・・って言うのに、一生残るものを作りたいって思って最初から作るか?って言うと、頑張って作ったぁー、出来た。って感じになるもの。

でもある程度経験を積むと、ずっと使うし・・・って言うと、前々から構想として何度か絵を描き直したり、事前に準備や用意をしたりする。行き当たりばったりなんて事は無いのね。

心持ちが全く違うのね。所がそれをも超越すると、自分のだろうが、プレゼントだろうが、全く変わり無く、コースターだろうが、大作だろうが、何も変わらない域まで来たりもする。

まぁ棟梁くらいまで来ると、そんな感じだろうね。所がその上になると、キウイのように自分の好きなキャラでも無く、好きな色でも無く、小さかろうが何でもこなせるって事になる。

もはや初見で何でも弾ける腕や、ダンスのコピーだったりの腕をプロでも無いのに、アマチュアでプロ並って感じに見えるし、かぐやとなると、ライバルとして油断も出来ないし、当然切磋琢磨と

言うのなら、厳しい話も出来る事になる。それは時には否定もあるだろうし、期待される分、見劣りする日もある。逆に俺とて逆に言われる事もある。そんな事をノンプロの段階でやるのだから、

準備をしている分、その日が来ても、ただプロって肩書が付くだけで、いつでもその日を迎える事が出来るのね。戸惑うのは準備が無いからであって、そうなる、そうなりたいって思えば、

そうなる為には、の準備をする。つまり意識が変われば行動が変わる。でも、私なんか・・・とか、私には関係ないとか、趣味だから・・・って自分で自分の限界や、常識とか、普通とか、

当たり前って事を決め付け、出来ない方向の言い訳を用意し、そこから立ち止まるどころか、後ろに下がってしまっては、前に進む人達からは大きく離れる事になる。そもそも俺は永遠に届かない

場所まで上り詰めたい・・・って思っているのは伝えてあるから、それ良いなぁ・・・って人は、きっと側にいるだろうし、きっと大変だろうね・・・きっと。でもそれは年齢でも性別でも無い。

ここには小学生の子もいるし、労作展の中学生、そして健さんがいて、80歳のお母さんもいる。しかもいるだけでは無くて、えっ・・・ってくらいの大作だらけ。いつでも世界に向けて見られても

当然でしょ・・・って発表出来る作品を作っている。そんな腕が揃ったら・・・って考えれば、後はやれる場所を確保出来れば、いつだって世界遺産くらい作れるって思っているのね。

そんな話を膨らませると、話したくなるのは、先日杏さんが竹田クリニックの壁画を見てくれたらしいのね。アトリエから電車で1時間半くらいは掛かるかな?かなりの大作なんだけれどね。

これを見た事のある人って極わずかな人しかいないんだけど、ウチの犬の杏さんの腕を持ってして、以前の俺の作品を見てどう思ったか?なのね。例えばセラスタで蛸の椅子を見て感激してくれた人達がいた。

そんな人達はどう映るんだろうか?業者さんには?・・・今の作品では無く、過去の作品を見て・・・。今の蛸の椅子では無く、過去の壁画を見てね・・・。カリオストロに見えれば、

きっと名作になるだろうし、いずれにせよ、生で見て貰ったのは何より。きっと本気の俺の作品を見て貰ったんだから・・・しかもそれだけの腕を持った生徒さんにね。単なる見学では無い。

技術まで判る人がね・・・もしそれが凄いと思ったのなら、信用が増すし、そうでも無ければ、わざわざ行った価値が感じられないし・・・ただ何処ぞのモザイク展には負けていないと思うがね。

しかも俺のはタダで見られるしね。ガッチリ比較して貰えば良いのね。今の俺の立ち位置で、先人にリスペクト・・・なんて、生ぬるい表現なんて無いのね。先人の下手っぴは上書き。

価値なしって喧嘩売らないと・・・死んだヤツなんて上手くならねーよってね。嫉妬だ妬みだって感じにね。自分の方が下に扱われているのだから。それでもし上に扱われるようになったのなら、

リスペクトでもオマージュでも、尊敬でもすれば良い。下から這い上がるって言う気持ちは、下の時にしか出来ない事で、それを上になって言ったら、ただの傲慢にしか思えないのね。

今しか言えないのだから、先人を叩き潰すつもりで、そんな意気込みや意識が無いと、後世に残すなんて作品が作れる訳無いでしょ?人は比較するものなのだから・・・。

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いよいよお手伝い開始、まずは杏さんから

2024-09-24 01:26:06 | モザイクタイル教室
今日は杏さん教室だったんだけど、いよいよお手伝い教室開始。左側白部分をやって貰ったんだけれど、ルール的には余り切らない事、なるべく目地幅の統一、あみだくじみたいに目地をずらす。

こんな感じなんだけれど、これを見てこれからやる人達は参考にしてくれると良いんだけれど、ウチの生徒さん達は、徹底的に切る事が普通になっているのね。つまり切る事が得意なのね。

本人はそう思っていないだろうがね。その時に、なるべく切らない・・・って言うのは、得意封印って事になるのね。ここで大事なのは意識なのね。例えば切る事が得意では無く、一生懸命やって

いるだけで得意じゃない・・・と思っていたとする。だとしたら、ただ張るだけなのね。ここで大事なのは、例えば技術論として、張るだけじゃんと切るだけじゃんって2つの言葉を比較した時、

切るだけじゃんとは余り言わない。つまり切る方が技術として上と考えるだろうね。それならただ張るだけになる。ただそこが油断となるのね。油断した分、無意識に簡単と感じる可能性がある。

逆にガンガン切るだとしたら?逆に切れるだろうか?と不安になったとする。その不安の中なら、油断が無い分、切れると感じれば油断はせずに不安が解消するのだから、失敗要素は無いのね。

つまり言いたい事はただ張るだけでも、不安を感じる事は無くても油断しない事。ちなみにあの犬の杏さんがこの白い部分を3時間近く掛かっている事。あれだけの作品を作っている人がね。

結果として終わった時に、凄く疲れた・・・って。そうね、緊張するって事は当然そうなる。ただあれだけの作品を作っていても、こうした緊張感が無く作れていた事になる。

一旦、この話から離れて、普通の教室なら、会費とかグループ展とか、講習的なものだったり・・・そう言ったものがあったりするが、ウチには良くも悪くも何も無い。つまり自分の好きに

やっているだけなのね。でもそれがこんな機会に腕試しとでも思って参加する事で、緊張感ってものと向き合えるのね。このたった3時間に参加した事が、次の教室に生かされると思うのねる

何故なら今まで無意識で作っていた作品に慣れてしまっていたものが、この緊張感からの開放とするのなら、自分の作品に戻って楽な気分になったのなら、無意識に普通だったものが、楽になる。

その意識は一つ上になった事になる。まっ単純な話なのね。意識を変えるって事が無いと、上手くなるには限界があるのね。この意識の変革こそが行動が変わるもので、ただ繰り返しているだけでは、

向上って言うのには限界があるのね。そんなこんな後は、ピエロの壁画の2枚目。

これで張り終わったんで、仁科さんに連絡してそろそろ現場で張る相談をしたのね。まぁみんなの分が終わり次第って事で・・・。

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2人体験教室

2024-09-22 22:55:17 | モザイクタイル教室
今日は2組の体験だったんだけど、以前お一人は体験に来た事があり、友達を連れてリピートって事で・・・。まずはお友達から。始めに別にサンプル通りじゃ無くても良いですよ・・・って、

いつものように言うと、それだけでテンションが上ったようで・・・。とても楽しそうで何より。何しろ誘われていらした方が楽しければ、誘った方は一安心だろうし・・・。まずはクリアー。

そうなると、後は誘った本人が、前回より刺激的になればね・・・

前回の四角形では無く、今日は丸の鍋敷き。何しろ体験の基本の楽しむって事が、大事で尚且つ結果も良ければ良いんだけど、2人を見ていたらまるでシーやランドにでも来ている人のようで、

タイルを選んでいるだけでもワクワクしているのが伝わるし、しかもこの仕上がり。やっぱり体験はこうじゃ無きゃ・・・って感じで、良い連休の1コマになったようで何よりだったのね。

つい最近、労作展の5人が緊張感の中、終わって行った事もあり、体験はホッとする時間でもあり、何しろこっちもそんな時間だったりもするのね。いずれにしても、仕上がりもとても良かったのね。

いつもなら、その後・・・って言うんだけど、何してたんだろう・・・少しぼんやりしちゃっていたのかな・・・特にこれって事はしていなかったような・・・。何もしていなかった訳でも無いのに・・・。

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ご近所の親子3代教室

2024-09-22 01:16:08 | モザイクタイル教室
今日は本当は朝から教室だったんだけど、体調不良って事で一つキャンセルになったんで、アトリエの掃除と体験用の下地作りから。

そんなこんなで午後から親子3代教室。まずは小4の女の子から。

本当にここまで順調に来ているのね。出来れば出来た分、信じられない人もいるだろうから、背中越しに・・・。もう手慣れていて、いちいち印を付けなくてもイメージで切れるようになった。

しかもこの形で1枚で切る・・・なんて事がある意味得意になって来ていて、点で切る事には左程気にしなくても、とても上手くなって来た。そうなって来ると、お祖母さんと一緒で、ヤマは、

髪の毛のような同じ幅で同じ形の繰り返しの線で作る事になって来るのね。ただこれはとても果てしないから、上手になっただけでは厳しいのね。何せ上手くなって技術が向上しても小4なんだから。

少しやり方を工夫しないとね。同じようにお祖母さんも。

やはり同じようにとても切る事に慣れて来たのね。そうなると同じように下半身の細い幅の繰り返しがヤマとなるから、そこだけ残すよりも、毎回1本やるって言うのも良いのかもね。

お母さんとなると、二人が嫉妬するくらい切る事が上手いのね。しかも、張るのも上手いからタイルの表面が汚れない。ただピッタリの目地幅が好きな人だから、お腹のようなフサフサみたいな

パーツだと、どうしても目地幅が空くんだけれど、それが馴染めないのね。例えば、目地幅を3空けたとする。すると、次が例えば2であっても、4であっても何と無く馴染むように見える。

その時にちょっとしたコツは、2と3は似ているけれど、2と4では倍になっちゃう。だから3でバランスを取れば、2、3、4、3、2って感じなら、ギリギリ馴染むのね。それをお母さんの場合、

ピッタリが普通なイメージだから、1とすると、2はいきなり倍になるから、許されるのは1.5。この時点でかなり繊細になるのに、お腹の目地幅はきっと5空いてる気分になるだろうね。

この感覚とか気分とかが、ストレートしか投げない・・・みたいな感覚で、変化球を使わないとか、音楽なら転調しないとか、味変無しとか・・・そこがメリハリとなる所なのね。

いずれにしても、もう終わりが見えて来ているのね。そんな後に朝の下地のペンキ塗りをして・・・。明日の準備をして・・・。今日はおしまい。

そうそう、手伝いの参加分のサンプルはこんな感じ。


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リピーターさん教室2つ

2024-09-21 07:34:33 | モザイクタイル教室
今日はリピーターさん教室が2つ。そうね、この方自己肯定感とでも言うのかなぁ・・・何しろ、いくら褒めても、そうですかねぇ・・・って感じで、何ともウチの弟子のさくらチックなのね。

まぁこんな感じの場合、何しろ自分が満足みたいな感覚なんで、納得って何処にあるんだろうか?とか、どのレベルの話なんだろうか?って、教える側としては中々容易では無いのね。

ただキチンと向き合っていると、必ず落とし所があるから大変なだけで、特に問題は無いのね。むしろこうしたい・・・ってあれこれ決めてあって、それは難しいかなって言うと、

全て通らないなら、この下絵は辞めます・・・って言う感じな場合、何も決まらずに終わるって例は何度かあって・・・それが一番難しいのね。例えば、大きさはこれで、この絵で、ガラスタイルを使いたい・・・

みたいな事を数回目に言ったんで、それなら半年くらいは掛かっても・・・って覚悟を持ってすれば何とか・・・みたいに言うと、オダギリジョーさんじゃ無いけれど、じゃ良いですぅ・・・。

みたいな感じになり、これを何回かやると、モザイク自体が面倒臭いか、俺と合わないって感じになったりして・・・気まずいだけで終わるなんて事もあったりしたのね。

そう言う事例では無いとは言え、これだけの作品を作れるようになったんだから、ただ先生としてはきちんと評価をしたい訳で・・・。そこでこんな話をしたのね。この大きさって先日のセラスタ

の椅子よりちょっと大きめなのね。つまり椅子であったらエントリー出来たようなもの。ただ脚があるか無いか?だけなのね。ではあそこに置いてあったとする。そしたらどんな評価になったか?

なのね。それを見る目が無かったら、色や好きな模様かどうか?大抵はその人の趣味趣向で評価をするだろうが、あそこにはタイルを作っている業者さんや、問屋さん、商社さんと言った、タイル

で飯を喰っている人達や、教室の先生や生徒さん、作家さん、タイル屋さんと言った、タイルに関わった人達がいたのね。ではその目で見たら?を想像して見ると、例えば製造や販売をしている人。

こんな場合、このパーツを見て何処の業者が作ったものか?なんて判断をする。その時にクローバーを切ったハートは、何処にも売っていない。そこで切ったものである事に気付く。当然、

そんな事は、教室の先生や生徒さんなら、常にやっていれば、あっ切ってあるといち早く気付くし、切った事が無ければ、このパーツ何処に売っているのか?と思うだろう。ではタイル屋さんは?

それがマイトやつっちーみたいにタイルを切って、ああした作品を作るようなら、すぐに技術が判る。要するに技術って言うものは、やっている者にしか中々判らないものなのね。

ただもしそこに労作展のような制作日誌があったとしたら?そしてキャリアが書いてあったら?
そしてそれがまだ左程の経験数で無かったとしたら?・・・評価は大きく変わるだろうね。

ただね、常に良い事と悪い事は背中合わせなのね。個人レッスンは、先生と生徒だけの関係だから、ずっと先生は先生で生徒より上の立場になる。だから生徒さんはずっと下のままで、最初から

最後まで関係がずっとそのままだったりする。これが相席だったりすると、当然比較対象がいるから、相手と自分を比べたりもする。まっそれがカルチャー的な場所。しかも残酷にも同じもの。

誰にでも評価しやすい。そこで上手いとか、早いとか、何らかの事に当てはまるような人は、みんなから何かしらの褒められる言葉が掛けられる。ただ逆に遅かったり、ボンドだらけだったり、

曲がっていたりすれば、先生のサンプルと比較したら見劣りしても、言い訳出来たとしても、同じ生徒さんと比較したら、同じ事をしているのに・・・なんて気持ちになったりもする。

だから大抵そうならないように、常連さんとなら相席させても、同じ様なレベルの人達にならないように・・・と調整して見たり、同じ作品で無くても、労作展のような大作の場合は相席を避けたり・・・。

ただあれこれと言ったが、いずれも教える側としての話で、特に人の評価なんて・・・とか、出来たら満足とか、その人の気持ちのみで十分と言うのなら、それはそれで良いのね。ただ、ただなのね、

いつか必ず評価を受ける日が来るのね・・・必ずね。その時にいきなり受けるのと、今の時点の評価を知って置くと、自己評価よりもかなり上なんだけれどな・・・って事なんだけどね。

いずれにせよ、みんなにはどう映るだろうか?そんな作品が近々終わるのね。そんな後は、とんかつのモザイク。

今日はちょっと趣向を変えて、今日の分の影を塗って置いたのね。それでもういちいち探す必要は無いのね。すると、何か今日は進み具合が良いぃぃって。じゃこれからそうしますかって話。

輪郭のラインを少し入れた事も、とんかつらしく見えたのかもね。どちらにも言えるんだけれど、前者はオリジナルだから、考えないとならないから始まる。逆にとんかつは良く見て真似する。

スタイルは違ってもタイルを切る・・・ここは一緒なのね。明らかに切らないモザイクとは違うのね・・・まぁそのウチに判る事なんだけれどね。そんな後は、ピエロの壁画のお手伝い用の段取り。

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