久しぶりのキウイ教室。何か帰って来た・・・・そんな感じ。
そりゃそうでしょ?こんな作品作っているのだから・・・・。教える側なら誰でも
思うんじゃないのかな?ただ教えるって言っても、キウイともなるとただの会話。
こんな風にしたいんですけど・・・・じゃ何選ぶ?それじゃこれ・・・・ん・・・・・
何で?えっと・・・・こんなだから・・・・みたいなやり取りを永遠にするだけ。
例えばこんの葉っぱ1つでも、濃いのと薄いのをどちらを優先させるか?とか、
これはエミリアなんだけれど、1cmタイルで照りを入れたい・・・・と言うので、
じゃどれ?と聞くと、濃いタイルに合わせる方を選択したので、木の先はどう見せたかったっけ????と聞くと、薄くです・・・・それで濃いの選ぶの?・・・・薄いのでしたぁ。
だよね・・・。つまり濃くしたい時に、濃い1cmタイル使えば、濃く見えるって寸法。
とてもシンプルな考え方。難しいのは、その後のどちらともいえない部分に入る時。
そう言う場所は必ずやって来るけれど、その前に薄い所は薄く、濃い所は濃くって
シンプルな場所で練習するべき。ただそれだけなのね。
更に掘り下げる・・・・キウイはこの夏に自分の作品に使えると思われる写真を
結構撮っていて見せて貰った。これは非常に大事になる。
何がしたかったか?どうしたいのか?ひと目で判るし、ならこんなじゃない?ってやり取り
をスマ-トに出来る。いちいち説明を口でする・・・お互いが・・・ってやるよりもね。
何しろイメ-ジのみで話をするのは、モンタ-ジュを作るのと同じようになる。
しかしそのモンタ-ジュでさえ、口だの目のサンプルを差し替えて作るのなら、
何も無しでの作成はとても困難になる。このやり取りで参ってしまう人も多い。
そんな人にはいつも、やりたい事のメインの1つで始めるやり方を取る。
構想として全部を考えてからのスタ-トでは、きっと構想に潰されて、何も進まない・・
こんな話になりがち。そう考えると、キウイの場合なら、女の子、大木、湖みたいな所
・・・と空白は少ない。空白があってもそこの部分の手掛かりの写真を持っている。
やりながら考える・・・非常に上手くなった・・・・そのやり方もね。
そのやり方が上手くなれば、この大きさの作品も大きさを感じなくなるだろう。
回りのみんなが大きいと感じても、本人はちっとも感じていない。
まっ元々が腹のくくりの良い人なのもあるが、更に、そんな事が出来るようになるのなら
この作品が倍の大きさでも特に気にならないのかも知れないのね。
そんな中、教室の予約を年内分して行った。来れない日もあるかも知れないんですけど
・・・って言ってたが、そりゃ誰でも同じでしょ?勿論、俺にもあるかも知れないしね。
でも、取っとかないと・・・と言って貰えるのは有り難い話である。
売れる・・・と言うのは、時間を奪われる事でもあるのだから。何より。
しかしねぇ・・・キウイも生で見て行ったが、かぐや、オ-ドリ-、そしてキウイ・・・
数日前なら、俺の作品のメロンにユニディの依頼作品がここにあった・・・。
どう思う? かぐやもさくらも同じ事を思っていたんだけれど凄過ぎる・・・作品群。
もはやただのお教室作品では無くなった。みんなが単独に第三者に評価されるべき。
それが集合したアトリエはまるで美術展のようだ・・・・そう問題はここにあった。
俺はこのプレッシャ-をずっと受けていた事にある。
いきなりこの話をしたくなかったので、ユニディからの電話を待っていたんだけれど、
連絡が来たので話をした上でのお話・・・・。
常に言っている良い事と悪い事は背中合わせ。良いと取るのなら美術展。
ならば豪華絢爛。素敵でしょ・・・ここに来られない人で観たいと思ってくれる人から
良いなぁ・・・毎日観られて・・・になるだろう。しかし、もしモザイクをやり続けて
高みを目指しているのなら、げぇぇぇこんなに上手い作品の中では無理・・・。と
追い詰められた気分になってもおかしくない。勿論その上に感受性豊かなんてのが
乗っかれば、しっかりしないと卑屈にもなり兼ねない・・・・そんな迫力がある。
そんな感じになるのか・・・って言うのは、集まる前から判っていた。
昔、何かイベントがあると自分の作品の展示の為にみんなから借りて作品を集めた。
するとどんどんと集まると嬉しい反面、その迫力に圧倒される自分がいる。
その時に今向き合っている作品がその勢いに負けていない・・・と押し返す事が
出来れば、それは今の自分は過去の自分に勝るとも劣らない・・・と跳ね返すきっかけ
にもなったりする。そして今まではそうして来た・・・がしかし、
ここにあるのは弟子と生徒の作品。今までとはニュアンスが違って来る・・・・
人は比べるほどでは無い・・・そう先生扱いするかも知れないが、これだけの作品群。
群れとなれば話は別。それだけの迫力で気持ちが押される。しかも今の俺の作品は
掲げているのが、愉快な家族とか楽しい家族とか、そんな表現の似合う作品。
常に頭に冠として、凄いを付けられる作品に・・・と心掛けているが、それでは
凄い、愉快な家族の作品にしかならない・・・・。それなのに、みんなの作品と来たら
何ヶ月、何年と費やした作品・・・ため息が出そうになる作品、感動をしたり、
場合に寄っては涙すら出る・・・そんな作品。どう先生として立ち振る舞う作品にするか
・・・・となると、このテ-マのこの大きさの・・・と規制の中では難しい・・・
昔も言ったけれど、このレベルの人達と例えばコ-スタ-を作ったとする。
1枚、2枚ではすべて俺の作品が凄く観える・・・そうにはならない。
ただ何十枚、何百枚とオリジナルを作り続けると、アイデア切れとなってそれが、
差となって現れる。そこが違い。つまりその大きさの中の技術にはそう大差は
付けられないだけ迫られている・・・。中々手強い訳だっ・・・katsu先生の教え子は。
しかしながら、これがユ-ミンママの依頼品のように2m以上の作品となると、
その実力者達が凄い・・・と立ちすくむ。もうこの位見せないと作家katsuの姿に
なら無い訳だ・・・。つまりもっともっとのkatsuを見せ続けるのが生き様なのだから。
ア-チストとはそう言うもの。さて話を戻して、今の例えはコ-スタ-だったけれど、
今の場合、1mくらいの作品でも、俺のテ-マ次第ではこんなに迫られるのか?と痛感。
つまり楽しい、愉快なって言うお題は体験教室なんかで使うような言葉。
つまり最高級な体験教室を目指すようなもの。
ん・・・もっと判り易くするのなら、美術館に展示する作品では無く、幼稚園のオブジェ
そんな感じ・・・。
それを判った上で、その作品で集まって来るであろう作品達に向かい合う事の出来る
作品にする為に、掲げた目標は双眼鏡で見られても良い作品とした・・・がしかし、
実際に取り付けないと判らないが、5m離れると大きさに迫力が足りないし、小さくて
観づらい。つまり作って見てその場所に合っていないかも・・・と感じたのである。
しかし、きっとユニディは別に場所にこだわらずにこっちで・・・って言うのも、
判っているが、作り手として企画前に提案出来なかった事が最悪である。
こんな事を抱えて作っていたら、中々進まない・・・がしかし、これも勉強と向き合って
いたが、ユニディからの電話で、少し肩の荷も降りて軽減した・・・
ただ作品自体に問題がある訳じゃないので、それについては全く問題は無い事はお伝えし
明日来る事になったのね・・・・
そんな中、イチロ-さんの11年連続200本安打と3割が途絶えた。
最高級なプレ-ヤ-の最高級なパフォ-マンスは、途絶えたがニュ-スとなる。
普通のプレ-ヤ-なら3割ですら夢なのに。中々超一流とは難しいものである。
その中で、俺の感じるものは最終日のイチロ-さんの気持ち・・・である。
200本も3割もどちらもなし得ない日になる。それでも観客にいつものプレ-を見せなければならない。この気持ちは超一流にしか判らない気持ちであろう・・・
いつか俺もそんな場面に出くわしたいものである。
そりゃそうでしょ?こんな作品作っているのだから・・・・。教える側なら誰でも
思うんじゃないのかな?ただ教えるって言っても、キウイともなるとただの会話。
こんな風にしたいんですけど・・・・じゃ何選ぶ?それじゃこれ・・・・ん・・・・・
何で?えっと・・・・こんなだから・・・・みたいなやり取りを永遠にするだけ。
例えばこんの葉っぱ1つでも、濃いのと薄いのをどちらを優先させるか?とか、
これはエミリアなんだけれど、1cmタイルで照りを入れたい・・・・と言うので、
じゃどれ?と聞くと、濃いタイルに合わせる方を選択したので、木の先はどう見せたかったっけ????と聞くと、薄くです・・・・それで濃いの選ぶの?・・・・薄いのでしたぁ。
だよね・・・。つまり濃くしたい時に、濃い1cmタイル使えば、濃く見えるって寸法。
とてもシンプルな考え方。難しいのは、その後のどちらともいえない部分に入る時。
そう言う場所は必ずやって来るけれど、その前に薄い所は薄く、濃い所は濃くって
シンプルな場所で練習するべき。ただそれだけなのね。
更に掘り下げる・・・・キウイはこの夏に自分の作品に使えると思われる写真を
結構撮っていて見せて貰った。これは非常に大事になる。
何がしたかったか?どうしたいのか?ひと目で判るし、ならこんなじゃない?ってやり取り
をスマ-トに出来る。いちいち説明を口でする・・・お互いが・・・ってやるよりもね。
何しろイメ-ジのみで話をするのは、モンタ-ジュを作るのと同じようになる。
しかしそのモンタ-ジュでさえ、口だの目のサンプルを差し替えて作るのなら、
何も無しでの作成はとても困難になる。このやり取りで参ってしまう人も多い。
そんな人にはいつも、やりたい事のメインの1つで始めるやり方を取る。
構想として全部を考えてからのスタ-トでは、きっと構想に潰されて、何も進まない・・
こんな話になりがち。そう考えると、キウイの場合なら、女の子、大木、湖みたいな所
・・・と空白は少ない。空白があってもそこの部分の手掛かりの写真を持っている。
やりながら考える・・・非常に上手くなった・・・・そのやり方もね。
そのやり方が上手くなれば、この大きさの作品も大きさを感じなくなるだろう。
回りのみんなが大きいと感じても、本人はちっとも感じていない。
まっ元々が腹のくくりの良い人なのもあるが、更に、そんな事が出来るようになるのなら
この作品が倍の大きさでも特に気にならないのかも知れないのね。
そんな中、教室の予約を年内分して行った。来れない日もあるかも知れないんですけど
・・・って言ってたが、そりゃ誰でも同じでしょ?勿論、俺にもあるかも知れないしね。
でも、取っとかないと・・・と言って貰えるのは有り難い話である。
売れる・・・と言うのは、時間を奪われる事でもあるのだから。何より。
しかしねぇ・・・キウイも生で見て行ったが、かぐや、オ-ドリ-、そしてキウイ・・・
数日前なら、俺の作品のメロンにユニディの依頼作品がここにあった・・・。
どう思う? かぐやもさくらも同じ事を思っていたんだけれど凄過ぎる・・・作品群。
もはやただのお教室作品では無くなった。みんなが単独に第三者に評価されるべき。
それが集合したアトリエはまるで美術展のようだ・・・・そう問題はここにあった。
俺はこのプレッシャ-をずっと受けていた事にある。
いきなりこの話をしたくなかったので、ユニディからの電話を待っていたんだけれど、
連絡が来たので話をした上でのお話・・・・。
常に言っている良い事と悪い事は背中合わせ。良いと取るのなら美術展。
ならば豪華絢爛。素敵でしょ・・・ここに来られない人で観たいと思ってくれる人から
良いなぁ・・・毎日観られて・・・になるだろう。しかし、もしモザイクをやり続けて
高みを目指しているのなら、げぇぇぇこんなに上手い作品の中では無理・・・。と
追い詰められた気分になってもおかしくない。勿論その上に感受性豊かなんてのが
乗っかれば、しっかりしないと卑屈にもなり兼ねない・・・・そんな迫力がある。
そんな感じになるのか・・・って言うのは、集まる前から判っていた。
昔、何かイベントがあると自分の作品の展示の為にみんなから借りて作品を集めた。
するとどんどんと集まると嬉しい反面、その迫力に圧倒される自分がいる。
その時に今向き合っている作品がその勢いに負けていない・・・と押し返す事が
出来れば、それは今の自分は過去の自分に勝るとも劣らない・・・と跳ね返すきっかけ
にもなったりする。そして今まではそうして来た・・・がしかし、
ここにあるのは弟子と生徒の作品。今までとはニュアンスが違って来る・・・・
人は比べるほどでは無い・・・そう先生扱いするかも知れないが、これだけの作品群。
群れとなれば話は別。それだけの迫力で気持ちが押される。しかも今の俺の作品は
掲げているのが、愉快な家族とか楽しい家族とか、そんな表現の似合う作品。
常に頭に冠として、凄いを付けられる作品に・・・と心掛けているが、それでは
凄い、愉快な家族の作品にしかならない・・・・。それなのに、みんなの作品と来たら
何ヶ月、何年と費やした作品・・・ため息が出そうになる作品、感動をしたり、
場合に寄っては涙すら出る・・・そんな作品。どう先生として立ち振る舞う作品にするか
・・・・となると、このテ-マのこの大きさの・・・と規制の中では難しい・・・
昔も言ったけれど、このレベルの人達と例えばコ-スタ-を作ったとする。
1枚、2枚ではすべて俺の作品が凄く観える・・・そうにはならない。
ただ何十枚、何百枚とオリジナルを作り続けると、アイデア切れとなってそれが、
差となって現れる。そこが違い。つまりその大きさの中の技術にはそう大差は
付けられないだけ迫られている・・・。中々手強い訳だっ・・・katsu先生の教え子は。
しかしながら、これがユ-ミンママの依頼品のように2m以上の作品となると、
その実力者達が凄い・・・と立ちすくむ。もうこの位見せないと作家katsuの姿に
なら無い訳だ・・・。つまりもっともっとのkatsuを見せ続けるのが生き様なのだから。
ア-チストとはそう言うもの。さて話を戻して、今の例えはコ-スタ-だったけれど、
今の場合、1mくらいの作品でも、俺のテ-マ次第ではこんなに迫られるのか?と痛感。
つまり楽しい、愉快なって言うお題は体験教室なんかで使うような言葉。
つまり最高級な体験教室を目指すようなもの。
ん・・・もっと判り易くするのなら、美術館に展示する作品では無く、幼稚園のオブジェ
そんな感じ・・・。
それを判った上で、その作品で集まって来るであろう作品達に向かい合う事の出来る
作品にする為に、掲げた目標は双眼鏡で見られても良い作品とした・・・がしかし、
実際に取り付けないと判らないが、5m離れると大きさに迫力が足りないし、小さくて
観づらい。つまり作って見てその場所に合っていないかも・・・と感じたのである。
しかし、きっとユニディは別に場所にこだわらずにこっちで・・・って言うのも、
判っているが、作り手として企画前に提案出来なかった事が最悪である。
こんな事を抱えて作っていたら、中々進まない・・・がしかし、これも勉強と向き合って
いたが、ユニディからの電話で、少し肩の荷も降りて軽減した・・・
ただ作品自体に問題がある訳じゃないので、それについては全く問題は無い事はお伝えし
明日来る事になったのね・・・・
そんな中、イチロ-さんの11年連続200本安打と3割が途絶えた。
最高級なプレ-ヤ-の最高級なパフォ-マンスは、途絶えたがニュ-スとなる。
普通のプレ-ヤ-なら3割ですら夢なのに。中々超一流とは難しいものである。
その中で、俺の感じるものは最終日のイチロ-さんの気持ち・・・である。
200本も3割もどちらもなし得ない日になる。それでも観客にいつものプレ-を見せなければならない。この気持ちは超一流にしか判らない気持ちであろう・・・
いつか俺もそんな場面に出くわしたいものである。