朝から結構な雨振ってたのね。だから久しぶりの合羽、大活躍。
さてそんな中のオ-ドリ-教室。何だろう・・・この作品には、しばらく俺が必要で無い
ような気がした・・・・その位、出来れば出来るほど、これからもそんな気がする。
その理由はとても簡単で、上手くなったから・・・。そして前日のキウイの娘との
丸々1日一緒だった事、そして有名校の野球部の監督の話・・・そんな事も踏まえて。
実はここに、先日キウイの友達で当代島のサ-クルにいた人の作品が置いてあってね、
来春に目地をする・・・って話で・・・その作品は20cmくらいなんだけれど、
それを見たオ-ドリ-が上手いですね・・・と言うのね。どうやら何かを感じたようなので
その理由と思われる話をした・・・。
ここにある上手さ・・・とはね、明らかにkatsuに教わった人だなっ・・・って匂いが
するのに、何だかそれにしては・・・・?とか、何か違和感って言うか、若干違うって
言うか・・・そんな感じじゃないのかな・・・?しかもそれが消して悪く無い・・・。
つまり取っ掛かりだけは教わったが、後は自分で・・・
要するに全面的にkatsuがいる訳では無い・・・・そこ。その凄い版がかぐやって感じかな・・・?ただ逆に後にkatsuがいる安定感はある訳で。・・・・そこ。
先日のキウイの娘にしても、やっている事は教えれば難しい事は無く、単にやり方や
工夫、そして時間内に出来ると思われる着地地点の仕上がり具合・・・そんな事を
教えただけで、ずっと側にいた・・・ただそれだけ。まっ保険みたいなもん。
使うのなら使えば良いし、使わなきゃ単なる紙切れ・・・・安心感ってもんなのね。
それだけなのに前半の質問の数とは違い、後半は何も聞かずに1人でやってた・・・
例えば、今回の金魚の話。かぐやにここで俺と一緒にやるか・・・そう言ったら
一方では楽しいな・・・と思う面もあるだろうけれど、緊張感もあるだろう・・・。
俺と一緒・・・そこにはそんな意味もある。でも緊張感よりも安心感が勝っているだけ
では、そこにいつまでもいてしまう・・・立ち止まったまま・・・。
かぐやに緊張感が走るのは上手いから。上手いから、katsuに負けたくない・・って気持ちと足を引っ張る訳には行かない・・・って緊張感が混ざっていて、それはひとえに
katsuと一緒に作る・・・ここは弟子として一緒に仕事がしたかった訳なのだから、
土俵に立った・・・しばらく振りに・・・って武者震い・・・そんな感じだろう。
そして何故そんな気がするのか?と聞きたくなるのだろうが、それは俺がそうだから。
それは俺の気持ちでもあるから。しかも以前よりもパワ-アップしているのだから。
プレッシャ-の掛け合いが切磋琢磨を生み、本当の自分を引き出すきっかけにもなる。
ライバルとはそう言うもので、やる前から下手だから・・・ってしり込みをせず、
何とかkatsuの腕の1本くらいへし折る・・・何故なら先生katsuに教わったのだから。
そんな気持ちになる気迫で押して来る、そんな気持ちがあるだろう・・・かぐやには。
しかも前回の金魚にしてもきちんとメインを勤めるだけの作品が作れている実績もある。
きちんと結果も残している。ただ今回は同じ金魚で比べられる・・・ここ。
俺とて胸を貸すなんて軽い気持ちでは出来ない大きさなのである。
簡単に言えば、1mの作品で・・・って言うと、やった事が無い人達が続出してしまう。
それでは実績が無い分、作る前から判定が出そうである。がしかし、20cm程度の大きさ。
ここは全員大きさ負けはしない。つまりやり遂げるだけは誰でも出来る。
ならばグレ-ドのみ。当然アドバイスはするが、後は自分で・・・はそんな意味もある。
要するに常連は前回を踏まえて、自分越えする作品を目指して欲しいし、
リピ-タ-さんには、前回の常連を目指して、何とかあの時のメンバ-の中にいても
遜色の無い作品を目指して欲しいと思っているのね・・・・
では弟子のオ-ドリ-には?・・・かぐやを追いかけろ。なのである。
かぐやの背中を追い掛ける・・・恐らく偉く遠くに見えているように思える。
ではそのかぐやと話をして見ると良い・・・オ-ドリ-から見ればかぐやは大阪で1人、
作っているのにあの腕前・・・凄過ぎる・・・そんな感じなのだろう。
じゃ逆にかぐやから見たオ-ドリ-は?・・・それを聞いた事があるだろうか?
上手いと思う人からの意見・・・それを先生、師匠のkatsuとしての意見は常に聞いて
いるが、もはやそれは上の人と認識しての意見で参考まで・・・・に・・・と、
そんな感じになってしまっているから、いくら褒めても身にならない・・・。
けれど、かぐやは弟子くくりなら先輩。先生でも師匠でも無い。ここ。
自分の位置確認にはお互いが最適である。・・・と次なる1手はそう思うのである。
可愛い子には旅・・・あんな感じなのだろうか?もう失敗させないように・・・は
卒業なのだろう。その位、上手くなった・・・・。
その次の段階は最初のサ-クルにいた人の作品・・・と同じように、かぐやと同じように
1人で作る・・・失敗するかも知れ無いけれど・・・なのかも知れない。
それが証拠に、その人の作品を上手いと言うのなら、オ-ドリ-のこの1mはあろう作品が
完成したら、人はどう評価するのだろうか?そしてその大きさの作品を作り終えた人が
この世に何人いるのだろうか・・・?しかも同じkatsuに教わっているようだけれど、
常に教え方が進化しているとしたら・・・katsuも・・・だとしたら?どうなのかな?
以前教えた人達よりも指導面も向上しつつ、生徒さんの意識も昔とは違っていたとしたら
・・・・しかも、前人未到の大きさであったとしたら・・・ねっ、違うかな?
しかも、本人はその大きさを2作目。全く大きさにはひるむ気配すら無い。
これではkatsuは横で見守るだけで良いと言うのも、無理は無い。
それなら次なる指導は、かぐやにkatsuの腕の折り方でも聞くと良い・・・何としても
1つくらい・・・負けない・・・絶対・・・・そう言う金魚の作り方でもね。
かぐやにあってオ-ドリ-に無いもの・・・・それが年期なら時間が解決する。
足りないのは気迫。上手くなってやる・・・・一緒に仕事するんだ・・・・
かぐやに追い付きたい・・・そう言う気迫。そう言う気持ちです・・・って本気で
かぐやに言えれば、必ず何かが変わって来る。
腕としての技術なんてもんは簡単に教えられる。がしかし、やるのは自分。
とても簡単な比喩は、高校野球。あれだけ練習して、あれだけ勝ち抜いて、選ばれしき
者達なのに、切羽詰ってエラ-をする。大きく崩れる。それは所詮子供だからである。
しかも高校生には罵声は無い。どんまい、どんまいである。
それがひとたびプロになると、死ね、落とせ、ざまあみろっ・・・なのである。
ヤジられる事もあるが、悔しがらせるプレ-も出来る。最高のプレ-には歓喜が溢れ、
よっ、世界一ぃぃぃなんて声も上がったりもする。それが本当のプロ。
オ-ドリ-が選んだのはそっちの世界なら、いつかかぐやの横に並んでも見劣りしない、
あがらない、そんなプレ-ヤ-にするには・・・と考えるのである。
それとこんな話がある。良くかぐやが師匠は師匠に習った事が無い・・・その意味が
厳しい・・・と言うのである。
確かにオ-ドリ-が俺を表現したとするのなら、逆に優しいと言うかも知れないが、
ならば、お互い話すと良い・・・俺は俺に習った事が無いのだから・・・・。
かぐやは今より劣ったkatsuに習って、かぐやになって、以前より数段も教え方が上手くなったと言われるkatsuに習ったオ-ドリ-はいかがなもんか?
そしてお互いkatsuに習っていて、一体どのような作品を作れるようになったか?
人は真摯に向き合ってやっていたとしたら?・・・・成長しない者なんていないのね。
後はどうやってそれを自分自身に判らせるか?なのである。方法はいくらでもある。
常に上を目指す人には、その指導は・・・?と探さないと、先生や師匠なんて言葉は
ゴミのような表現に過ぎない。単なるあだ名と同じである。
そう言う点では、俺よりもかぐやの方が緊張感があって刺激的でもあるだろうね・・・・
あははははは。良い勉強になると思うのね。
そんな中、昨日は夜だったので、完成写真を撮りました。
さてそんな中のオ-ドリ-教室。何だろう・・・この作品には、しばらく俺が必要で無い
ような気がした・・・・その位、出来れば出来るほど、これからもそんな気がする。
その理由はとても簡単で、上手くなったから・・・。そして前日のキウイの娘との
丸々1日一緒だった事、そして有名校の野球部の監督の話・・・そんな事も踏まえて。
実はここに、先日キウイの友達で当代島のサ-クルにいた人の作品が置いてあってね、
来春に目地をする・・・って話で・・・その作品は20cmくらいなんだけれど、
それを見たオ-ドリ-が上手いですね・・・と言うのね。どうやら何かを感じたようなので
その理由と思われる話をした・・・。
ここにある上手さ・・・とはね、明らかにkatsuに教わった人だなっ・・・って匂いが
するのに、何だかそれにしては・・・・?とか、何か違和感って言うか、若干違うって
言うか・・・そんな感じじゃないのかな・・・?しかもそれが消して悪く無い・・・。
つまり取っ掛かりだけは教わったが、後は自分で・・・
要するに全面的にkatsuがいる訳では無い・・・・そこ。その凄い版がかぐやって感じかな・・・?ただ逆に後にkatsuがいる安定感はある訳で。・・・・そこ。
先日のキウイの娘にしても、やっている事は教えれば難しい事は無く、単にやり方や
工夫、そして時間内に出来ると思われる着地地点の仕上がり具合・・・そんな事を
教えただけで、ずっと側にいた・・・ただそれだけ。まっ保険みたいなもん。
使うのなら使えば良いし、使わなきゃ単なる紙切れ・・・・安心感ってもんなのね。
それだけなのに前半の質問の数とは違い、後半は何も聞かずに1人でやってた・・・
例えば、今回の金魚の話。かぐやにここで俺と一緒にやるか・・・そう言ったら
一方では楽しいな・・・と思う面もあるだろうけれど、緊張感もあるだろう・・・。
俺と一緒・・・そこにはそんな意味もある。でも緊張感よりも安心感が勝っているだけ
では、そこにいつまでもいてしまう・・・立ち止まったまま・・・。
かぐやに緊張感が走るのは上手いから。上手いから、katsuに負けたくない・・って気持ちと足を引っ張る訳には行かない・・・って緊張感が混ざっていて、それはひとえに
katsuと一緒に作る・・・ここは弟子として一緒に仕事がしたかった訳なのだから、
土俵に立った・・・しばらく振りに・・・って武者震い・・・そんな感じだろう。
そして何故そんな気がするのか?と聞きたくなるのだろうが、それは俺がそうだから。
それは俺の気持ちでもあるから。しかも以前よりもパワ-アップしているのだから。
プレッシャ-の掛け合いが切磋琢磨を生み、本当の自分を引き出すきっかけにもなる。
ライバルとはそう言うもので、やる前から下手だから・・・ってしり込みをせず、
何とかkatsuの腕の1本くらいへし折る・・・何故なら先生katsuに教わったのだから。
そんな気持ちになる気迫で押して来る、そんな気持ちがあるだろう・・・かぐやには。
しかも前回の金魚にしてもきちんとメインを勤めるだけの作品が作れている実績もある。
きちんと結果も残している。ただ今回は同じ金魚で比べられる・・・ここ。
俺とて胸を貸すなんて軽い気持ちでは出来ない大きさなのである。
簡単に言えば、1mの作品で・・・って言うと、やった事が無い人達が続出してしまう。
それでは実績が無い分、作る前から判定が出そうである。がしかし、20cm程度の大きさ。
ここは全員大きさ負けはしない。つまりやり遂げるだけは誰でも出来る。
ならばグレ-ドのみ。当然アドバイスはするが、後は自分で・・・はそんな意味もある。
要するに常連は前回を踏まえて、自分越えする作品を目指して欲しいし、
リピ-タ-さんには、前回の常連を目指して、何とかあの時のメンバ-の中にいても
遜色の無い作品を目指して欲しいと思っているのね・・・・
では弟子のオ-ドリ-には?・・・かぐやを追いかけろ。なのである。
かぐやの背中を追い掛ける・・・恐らく偉く遠くに見えているように思える。
ではそのかぐやと話をして見ると良い・・・オ-ドリ-から見ればかぐやは大阪で1人、
作っているのにあの腕前・・・凄過ぎる・・・そんな感じなのだろう。
じゃ逆にかぐやから見たオ-ドリ-は?・・・それを聞いた事があるだろうか?
上手いと思う人からの意見・・・それを先生、師匠のkatsuとしての意見は常に聞いて
いるが、もはやそれは上の人と認識しての意見で参考まで・・・・に・・・と、
そんな感じになってしまっているから、いくら褒めても身にならない・・・。
けれど、かぐやは弟子くくりなら先輩。先生でも師匠でも無い。ここ。
自分の位置確認にはお互いが最適である。・・・と次なる1手はそう思うのである。
可愛い子には旅・・・あんな感じなのだろうか?もう失敗させないように・・・は
卒業なのだろう。その位、上手くなった・・・・。
その次の段階は最初のサ-クルにいた人の作品・・・と同じように、かぐやと同じように
1人で作る・・・失敗するかも知れ無いけれど・・・なのかも知れない。
それが証拠に、その人の作品を上手いと言うのなら、オ-ドリ-のこの1mはあろう作品が
完成したら、人はどう評価するのだろうか?そしてその大きさの作品を作り終えた人が
この世に何人いるのだろうか・・・?しかも同じkatsuに教わっているようだけれど、
常に教え方が進化しているとしたら・・・katsuも・・・だとしたら?どうなのかな?
以前教えた人達よりも指導面も向上しつつ、生徒さんの意識も昔とは違っていたとしたら
・・・・しかも、前人未到の大きさであったとしたら・・・ねっ、違うかな?
しかも、本人はその大きさを2作目。全く大きさにはひるむ気配すら無い。
これではkatsuは横で見守るだけで良いと言うのも、無理は無い。
それなら次なる指導は、かぐやにkatsuの腕の折り方でも聞くと良い・・・何としても
1つくらい・・・負けない・・・絶対・・・・そう言う金魚の作り方でもね。
かぐやにあってオ-ドリ-に無いもの・・・・それが年期なら時間が解決する。
足りないのは気迫。上手くなってやる・・・・一緒に仕事するんだ・・・・
かぐやに追い付きたい・・・そう言う気迫。そう言う気持ちです・・・って本気で
かぐやに言えれば、必ず何かが変わって来る。
腕としての技術なんてもんは簡単に教えられる。がしかし、やるのは自分。
とても簡単な比喩は、高校野球。あれだけ練習して、あれだけ勝ち抜いて、選ばれしき
者達なのに、切羽詰ってエラ-をする。大きく崩れる。それは所詮子供だからである。
しかも高校生には罵声は無い。どんまい、どんまいである。
それがひとたびプロになると、死ね、落とせ、ざまあみろっ・・・なのである。
ヤジられる事もあるが、悔しがらせるプレ-も出来る。最高のプレ-には歓喜が溢れ、
よっ、世界一ぃぃぃなんて声も上がったりもする。それが本当のプロ。
オ-ドリ-が選んだのはそっちの世界なら、いつかかぐやの横に並んでも見劣りしない、
あがらない、そんなプレ-ヤ-にするには・・・と考えるのである。
それとこんな話がある。良くかぐやが師匠は師匠に習った事が無い・・・その意味が
厳しい・・・と言うのである。
確かにオ-ドリ-が俺を表現したとするのなら、逆に優しいと言うかも知れないが、
ならば、お互い話すと良い・・・俺は俺に習った事が無いのだから・・・・。
かぐやは今より劣ったkatsuに習って、かぐやになって、以前より数段も教え方が上手くなったと言われるkatsuに習ったオ-ドリ-はいかがなもんか?
そしてお互いkatsuに習っていて、一体どのような作品を作れるようになったか?
人は真摯に向き合ってやっていたとしたら?・・・・成長しない者なんていないのね。
後はどうやってそれを自分自身に判らせるか?なのである。方法はいくらでもある。
常に上を目指す人には、その指導は・・・?と探さないと、先生や師匠なんて言葉は
ゴミのような表現に過ぎない。単なるあだ名と同じである。
そう言う点では、俺よりもかぐやの方が緊張感があって刺激的でもあるだろうね・・・・
あははははは。良い勉強になると思うのね。
そんな中、昨日は夜だったので、完成写真を撮りました。