katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

さてさて

2021-02-28 08:49:45 | モザイク作家

色々とやってはいるものの、公開出来ない事があって、特に休んでいる訳では無いのね。ただ仕事が公開出来無いと、話を膨らませる事も無く・・・ラジオなんかを聞いていても芸能人がネタが無い・・・って言っている位だから、俺が無くても

仕方無いんだろうけれど、でも毎日更新しているから、近況報告はしないと・・・数少ないが、それでも興味を持って見て下さる人がいるのでね。ちなみに来週は3日以外はお教室は埋まっていて、有難いんだけれど、これとて解除されないと、公開しずらい。

何故か?って言うと、江戸川FMのかおるさんの番組でも、緊急事態宣言が解除になるまで生番組が時短って事になっていたりする。そんな事も踏まえると、解除になれば公開しても問題は無いと思うが、やはり報告だけって事にしているのね。

ただその理由も、わずかながら・・・の中にご心配して下さる人がいた場合、毎日更新しているのに、何も入れないとなると、大丈夫か?って事にもなるし、それが仕事が無いのかな?と思われるのもね。他には何もやっていないなら、私の依頼品

を・・・とも思われるかも知れないし、いずれにせよ休んでいる事はほぼ無いのね。そりゃ休憩って事はあるかも知れないけれど、今日は休み・・・なんて事は、まず無いに等しいのね。だから必ず何かはしているのね。

だから当然、日曜も無し。


ちょっとした事なんだけどね・・・

2021-02-27 03:15:51 | モザイク作家

訳があってしばらく制作の話から離れる事にして、しかもコロナでお教室もまばらとなると、正直ネタとして入れられる事は、何かしらあった事から感じた事などを膨らませるなんて事しか無く、それも大した話が無かったりする。

でも今日はあるのね・・・それがこんな事から始まったのね。katsuちゃんお客さん・・・って大家さんが呼ぶのね。だから慌てて降りて行くと、頭を下げて挨拶されるんだけれど・・・どう見ても職人さんなのね。

ただ今はマスクで半分見えないでしょ。でもそれでって訳じゃ無くて、もう全く見覚えが無いのね。ただそれがよくよく聞くと、すーさんに関係がある人・・

どうやらタイル屋さんなのね。しかも名前を聞くと地元の方らしく、狭い世界だから、何と無く聞いた名前だし、恐らく実家の方に近いかな?・・・って知らないながら、ある程度は判ったりもする。それで要件はって言うと・・・。

お客さんからモザイク壁画の話が出たんだけれど、自分では出来ないんで、出来る人を探していたらしく、そんな時に以前すーさんから話を聞いていたので、思い出してくれたらしいのね。しかしながら、面識も無いし、でも・・・って。

そんな中、その話をお付き合いのある問屋さんに話すと、そう言えばモザイクの看板あそこにありましたよね?みたいな話を問屋さんがしていたって言うのね。ちなみにその問屋さん、昔お付き合いがあった所ではあったけれど、20年以上前の

話で、知っている人がいるかどうか?・・・こんな話なんだけれどね、普通は正式に仕事が来ないと、単なる御茶飲み話にしか思わないのね。でもね、こんな知名度の無い分野って言うのは、毎日が布教活動みたいなもんで、選挙にしても

回収車でも、焼き芋屋さんでも、大きな音を出しても違和感の無い事が、俺では許されない感じがするのね。何をしているかが一瞬で判断出来る事と、はぁ?何それ・・・ってな場合では、説明が必要になるのね。

つまり今回のように、仮に仕事が来なかった場合でも、まずモザイクの話が出て、俺の所にいらして、今までの作品の写真や、アトリエ内の作品も見た事で、一体どんなものが作れる人なのか?を知って貰った事。

宣伝カーで出向いたんじゃ無くて、向こうから。しかも俺のいない所で俺の話が出る。これこそ口コミなのね。そうね、布教活動ってのはこんな事の繰返しで、いかに知って貰うか?なんだけれど、焼き芋屋さんは食べたくてお客さんがそこに

やって来る移動店舗であって、固定している店舗ではひたすら待つしか無い訳で。こう説明すると判って貰えるだろうか?何しろ知らない所で話題になるってのは凄い事なのね。しかもね、俺はモザイク歴20年近くになるのね・・・。

その前は同じく20年タイル職人。これでもわずかながら職人さんと交流もあったのね。でも今まで付き合って来た人達から、仕事らしき事に発展したか?となると、ほぼ0に近いと思うのね。つまりそんな営業もして貰えないし、ご興味も

薄かったんだろうね。それがカサブランカの作品では、現役タイル屋さんの事務所の壁の依頼だったり、今回の話のように、やれるかどうか?の確認程度なのかも知れないが、名刺も渡したし、写真の本もお貸しした。

これでお客さんや大工さん、もしかすると他にも見せて貰えるかも知れないし・・・。俺と接点が無い人に宣伝して頂ける事になる。百聞は一見に如かず。俺では会えなかった人に宣伝して貰える訳なのね。

これで判るのは、昔からの顔見知りでは仲良くしていただけの関係で、今、こうして訪ねて来たり、仕事をくれたりする人達は仕事として見てくれている人達であって、内容が大きく違って来る。勿論それにも理由はあって、ここも良い事と

悪い事は背中合わせで、古い付き合いの人はタイル屋の頃から知っている人達で、つまりタイル屋を辞めたkatsuみたいな感覚であって、単に変わりもん・・・でも頑張って・・・って感じの付き合いだったから、以前仕事で付き合っていた過去の人扱いになり、今の自分の仕事に関係あるとは認識されなかったと思うのね。

だから良い事は昔馴染みだからであって、良くはしてくれるが、悪い事は単なる昔馴染み。そんな判断だから、人に話される時も、何か変わった事やっている奴がいるんだよ・・・って話されていると思うのね。

でも今いらっしゃる建築関係の人って、自分の仕事にも関係があるって認識で、自分が出来ない事をしていると判断され、もっと言えば凄いのを作っている・・・って思って下さる人。だからその人が第三者に話される時に、どう話して

下さるのか?想像は付く。しかもどうしても・・・って気持ちがあるから写真を貸して頂けませんか?って事になったりする。そうね、この時点で、百聞は一見に如かずになるのね。つまり大袈裟に言えば、見せるだけで相手に判断させられる。

説明要らずで。その上、見て来たけど凄かった・・・なんて言ってくれるから、後押しになったりもする。話が決まる時はこんな理由からなのね。当然必然なのね。所がこれが良い事なら、悪い事は、凄かった・・・が後押しじゃ無くて、ダメ押しになり、こんな凄いの高いよね・・・そんなに予算無いよってな事になる。

いつも良い事と悪い事は背中合わせなのね。ただね、大きな誤解があって、確かに凄いものは安いはずは無いのね。ただね、残念なんだけれど、今の状況は俺ごとき扱いが支流だからねぇ・・・そんな人達には安い扱いになる。

ただ逆に凄い扱い過ぎると、相手に威圧感を生むからね・・・そこは適度に。そうね、そもそも今は何をやってもタイル屋さん以上に儲かるなんて事は一切無いのね。つまり建築を頼むようなお客さんなら誰でも手に入れられるだろう。

ただ問題は心意気みたいな事が多めでやっているから、なるべく安く・・・ばかりを言われると、気持ちは下がる。けれど、お金を払えばお客だろ的に何でも要求されると、正直イラッともするし、やりたくない気持ちにもなる。

ただやらないと前には進めないし、じゃやれば良いんだろっ・・・って気持ちでは、その程度の作品になる。じゃその上を行かないとな・・・になると、いつかその日が来た時に、意地張ってやりました・・・って言える位やらないとって。

ただそんなに意地を張れば、生活なんて出来なくなる位、追い込まれる・・・まっ負のループって言うのはこんな事。ただけそれを何度もやると、その繰り返しは痛みに強くなったし、勉強にもなった。そして作品数も増えた。

その作品の数、そして質、それを今沢山見せられるのも、その機会を下さった過去の人達のお陰で、今見せられる人達への信用に繋がっている訳で、単なる修業だったと思えば、仕方の無い20年だったと思えば良いのね。

簡単な話で、俺じゃ無くても良いタイル屋さんの頃は、同じ20年でも、タイル屋さんって元々あった職業の上で、生活させて貰ったから、4年の修業で職人と名乗らせて貰った16年を過ごさせて貰った。たった4年の修業ならその程度で十分。

それなら20年修業したモザイクは、この後、何と名乗って、どんな事が待っているのか?・・・ブログの見出しでは無いが、芸術家への道・・・美大も出ていなくて、タイル屋ごときが芸術家扱いされたいと願う道なんて、馬鹿しか無理。

でもね、当たり前の道じゃ無いから険しいし、人とは違う訳で・・・開拓ってのはそんなもんなんだろうね・・・。そうね、マー君が帰って来たから例えると、現役メジャーリーガーなら、子供達に夢を諦めないで・・・とか、叶うだとか、

言えるだろうし、聞いている側も素直に目指せる。それは成功しているからこその話なら、何年やっても結果の出ないプロは同じ事が言えるだろうか?・・・少なくとも俺の立ち位置では、そんな事は言えないし、タイル屋やりながらにすれば

・・・・って事になるだろね。ただ、そう言う俺は、辞めて目指しているのに。ただね、きついのね・・・それなのにお勧め出来無いでしょ・・・だから、やっぱり結果出さないと・・・。結果を残した人にしか言えないセリフだから。

ただね、たわいも無い事だったけれど、1つ前に進んだ気はするのね・・・でもね、20年も掛かるのね・・・そんな身近だった人に伝わるのが・・・左甚五郎みたいになっちゃうよ・・・今の時代に生きているのに・・・。

でも、素直に嬉しかった・・・仕事になるならないはともかく、また知られた・・・って言うより、必要としてくれる人が知ってくれた・・・って言うのが正解かな。


たわいもない話・・・

2021-02-26 08:18:55 | モザイク作家

そろそろ確定申告の準備もしないとならないし・・・つくづく思うのは、嫌でも1年を収入で結果を振り返らないとならず、その度に、こんなかぁ・・・良く生きていたな・・・と思ったりする。これがタイル屋の頃なら、人並みに暮らせて娯楽も

あったりした。所がモザイクを始めて一転・・・日常の生活費に追われ、生きている事さえ怪しい日が続いた。それがいつしか、日常は何とか切り抜けられるようにはなったが、家賃の更新や車検のようにまとまったお金が必要になると、

かなり厳しく、それが今回初めてと思われるが、何とかすんなりやり過ごせた。こうして改めて考えると徐々にだが良くなって来ている実感はあるが、毎日の生活でそう思えるか?となると、休みなく毎日アトリエなのだから、そんな気になる事は

無く、あえてこうした振り返りの時に、そう思う・・・って感じ。この感じ方が歳を取るって感じ方と似ているのね。今までは、そんな頻繁には両親と会う事も無く、時々1時間程度位だと、単なる御茶飲み程度の会話をしていた。

だからお客さん扱いみたいなもので、お茶を自分で入れる訳でも無く、ただ顔を出しただけ・・・もっと言えばお茶菓子1つも持って行けないんだから、知り合い以下だったかもね。それがコロナになって、どっちが正解かは判らないが、

必ず何かおかずを1品作って持って行き、一緒にご飯を食べ、洗い物をして、アトリエに戻るって生活になると、良くも悪くも今まで見て来なかった事が目に付く事になった。皮肉な話で、コロナ前には行かず、コロナになって頻繁にって・・・

ただ何かあったとしても、お互いに後悔せず・・・となった時、どっちが良いか?の判断を家族の単位として、その選択となったのだけれど、急に老人になった訳でも無く、さっきの話と同じで徐々になんだけれど、振り返りが無くなると、

自覚ってものが無くなる。意識をする事が無くなる。それが普通になって行く。考えなくなって行く。二人を見ていてそう思ったりしているのね・・・。そうね、月並みだけど、子供がいた時は一生懸命だったろうね。

山に柴刈り、川に洗濯って感じで。でももういない。それでも孫が小さい時は遊びに来たりすると、自分も元気があって、それもまた新しい楽しみだったりしただろう。でもそれも大きくなれば、中々そうは無いし、相手も大人になる。

すんなりやってやれた関係も、やって貰う事ばかりになる。勿論それをラッキーって思える人はまだ良いが、済まないね・・・って思う人は、有難うよりも先に、ごめんね・・・って事になる。こんな事が老人になって行く過程。

まるで俺なのね。色んな人が助けてくれて、何1つ返せず、済まないね・・・と言い続け、また・・・と繰り返す。俺の場合、モザイクをし続ける・・・って言う事で、いつか・・・って姿を見せる事の過程をこうして載せる事で、関わった人

への報告と、わずかな恩返しになるのかも・・・と言う事でやれる事があるが、コロナ前なら両親にも娯楽はあっただろうが、それすら不便になれば、何も無い気分になるだろうし・・・何を生甲斐にするか?なんて問われている感じもする。

そんな時に、何でも良いかぁ・・・どうでも良いよね・・・ってやり過ごせる人は良いが、そうじゃ無い人もいる。こだわるって、そうならないように・・・になったりもする。所が、そうならないように・・・と考えても、良い案も出ず、

諦めてしまうのなら、結局何でも良いかぁ・・・側になるし、なったとしても、別に何も感じ無ければ良いが、そうなりたい訳じゃ無かったのに・・・と引きづったりすると、それこそが後悔となり、もっと苦しんだりもする。

それでも両親は幸いに2人揃っているのだから、たわいも無い1日がまたあって、ただ明日が一緒にまた迎えられるって言うのが、幸せなのかも知れないが、それは独り身の俺からの話であり、本人達からすると、まだ親をやろうとする・・・

そんな気持ちがあれば、お前ごときの話だろうし、それならそれで気力になるなら構わないし、悪いね、有難うねと言うのなら、出来る時にやらないと、後悔するらしいから・・・ただこんな事を出来るって言うのは俺に取ってはダメだけど

・・・。子供としてのkatsuなら、親の面倒を見ている事になるんだろうが、作家katsuとしてなら、死に目に会えないようにならないと・・・と思っているよとは伝えてある。だから、今が死に目なんだ・・・気にしないでと。

結局何をしても思い出作りをしているようなもので、その先にある俺はこんな事をまたいつか振り返った時にどう感じるんだろうかって話。こうして残せば、悪かったら是正すれば良いし、良かったのなら思い出。

いつも明日、明日って生きていると、昨日や一昨日ならまだしも、昔を振り返ってもね・・・ドラゴンボールの話じゃ無いが、願い事をするのに、昔に戻した所で、良い事だけじゃ無くて、悪い事も付いて来る。だったら明日の方が良い。

明日なら何が起こるか判らないから・・・。こんな事の繰返しで知らず知らずに20年近くモザイクやっている・・・明日を見れば、過ごした時間は短いし、振り返ると、そんなに経っているのか・・・って。

きっと親もそんな感じなんだろうな・・・きっと。

 


しばらくの間・・・

2021-02-25 08:23:30 | モザイク作家

今まで進行状況を見せて来たんだけれど、色んな事があって次は完成までお見せ出来無くなったのね。今日はそのお知らせだけ。


カサブランカのモザイクの4枚目のバックと昔馴染みが・・・

2021-02-24 07:35:51 | モザイク作家

今日も引き続きカサブランカのモザイクの4枚目のバック。通勤中に駅前を通るんだけれど、そこを通る頃にいつも思うのは、あぁ今日は祭日なんだな・・・なんて事に気付くのね。いつもと様子が違うな・・・って出発時に思ったりするんだけれど、

その頃はまだ違和感が少なく、気のせいかな?位なのが、駅前に来ると、感じが変わって間違い無いな・・・になる。そんな時に旗日の印として、バスに旗が飾ってあるのを見て、やっぱりな・・・となったりする。

更にアトリエに着くと、いつもいるべき板金屋さんのシャッターが閉まっていたり、何しろ日常と違った雰囲気が漂っていたりするのね。詰まらない話なんだけれど、感じる・・・って言う事の基本みたいな話で、日常との違和感なんて事を感じる事は、

何か変・・・って言う事に気が付く練習になるのね。これは五感の視角の話だから、絵を描いた時のモチーフと自分の絵の違和感とか、間違い探しの違和感とか、料理の味に繋がる見た目の色や形の違和感とか、に繋がるのね。

感じる事が敏感になると、わずかな差の違いでも見分けられる感覚が身に付く。そんな事が出来ると、スポーツなんかで、瞬時の判断って事にも繋がり、敵の怪しい動きに敏感になったりもする。とても重要な事なのね。

まぁこんな事は意識していないと、単なる偶然になるし、偶然のままだと、何かそんな気がした・・・みたいに何か・・・と良く判らないけど・・・って感じだけれど、突き詰めると、いつもと何が違っていたか?

みたいな事が瞬時に違う事が判り、だから・・・って言う根拠あっての事になり、必然になって行くものなのね。常に確立を上げる為って事なんだけれどね。まぁ必要な人には必要ってだけで、いらない人には全く関係無い話。

さてそんなこんなでいつも通りの1日になるんだけれど、以前なら、追い込まれている時って言うのは、そこから離れたい気持ちが勝つと、何で俺だけ・・・みたいな気持ちになり、後向きになったりもした事もある。

所が、それは生活をも出来ない程追い込まれていた頃の話で、今は何とか切り抜けている状況だと、昔ほどのダメージは無く、勿論それを経てなんて事になると、以前の経験が気持ちを幾分楽にさせている事もある。

それでもその気持ちと言うのは、上手く行かなかったり、進行具合が悪かったりすれば、やっている時間に見合わない気持ちになると、弱気になったりする分、気持ちが削られて、手が止まったりもするし、これで良いのかな?なんて事になり、

迷ってしまったりもする。これがサンプルの無いオリジナルの厳しい所で。そこをその気持ちを騙す為に、脳へ何らかの刺激を与えないとならないのね。それが以前なら音楽なんて事だったりしたのね。

ただその音楽が自分のcd だったりすると、予定調和になるのね。ただ好きな歌が掛かっている事になるから。その予定調和で満足している時って言うのは、制作に追われ、支払いに追われ、休みなく・・・更にみんなは休日って気分が、

俺だけ・・・に繋がっている中で、自分のcdって自分の思い通りになる・・・って事が満足感に繋がっていたから良かったって事なのね。所が今は、みんながコロナ、休みであっても休み本来の自由って事でも無さそうだと、さっきの理由が

成立しなくなる。つまり予定調和が崩れるから、そこに自分の自由になるcdなんか掛けても、自分だけ自由になっているのに、上手く進まない・・・みたいな気持ちになり、かえってダメージになるのね。

そんな時にコロナになって、馬鹿馬鹿しい感じの話をする深夜のラジオをRADIKOって言うアプリで、その機能を使ってタイムフリーって言う、聞き逃しが聴けるって事で、制作中に聞いたりしていたのね。所がナイナイの岡村さんあたりの頃

から、馬鹿馬鹿しさが弱まって来ると、軒並みラジオから聞こえて来るのは、無理しないで・・・とか、お体に気を付けて・・・とか、もはやテレビと同じ事になり、寄り添うみたいな用語が連呼になったのね。

確かにそれも大事だろうけれど、それでもやらなきゃならない人って言う側にいる人達って言うのがいて、ねぎらいばかりでは・・・なんて気持ちになったりする人もいたりする。勿論、ねぎらい連呼大歓迎の人もいるだろうが・・・。

そうなると、予定調和では無くて、非日常が欲しくなる。例えば日常を都心部で・・・って人がキャンプとか、逆に田舎が日常って人が、都心部へ・・・ってね。つまり今の俺の状況は、それでもやらなきゃ・・・になるのだからって中、

今度は無料配信のアニメなんてものに出くわすと、スポコンなんて言うものがあって、大抵の内容は主人公は体系から何から期待外れなんだけれど、上手くなって行く的な話で、努力と根性なんて言うモノがベースだったりする。

つまりそんな事を何個も見ると、頑張らなきゃ・・・もっとになるって話なのね・・・俺の脳は。所がラジオと違って画像があると眼を取られるんだけれど、俺は音しか聞かないのね。聴覚のみでの洗脳みたいな話だから。

だから娯楽としての刺激音としてと、そうやって頑張っている・・・って応援やらやる気やら、みたいな気持ちになろうとしてくれれば、気分ってものの回復に繋げようと・・・俺の脳は単純だから騙せるだろう・・・と。

上手く行けば、娯楽も応援もあり、気分転換も出来て一切休まず、手を止めずに制作出来るし、過酷であっても過酷に思わずに済むって話・・・。そんな事で何とかここまでやっているのね。そんな中、電話が掛かって来て・・・。

解除されるまで名前は伏せている教室の事もあるから、ここでも昔馴染みって事にして置くが、しばらくぶりにやって来たのね。こう言う場合、お互いの近況の上書きをし合うものだが、俺側はこうして毎日更新しているから、相手は見る気

があれば、一目瞭然であって、相手側情報って事になる。しかも時々でも見てくれているのなら、数年振りだとしても、あぁそれ見て知ってる・・・なんて事にもなったりするから、上書きも早くなる。

ただ俺の場合、ほぼ仕事の事だけなんだけれど、普通の人は日常の出来事。恐らく家庭のある人なら、誰もが経験する事なのね・・・だから一緒に話すとあるあるネタ的な話になる。でも俺には家庭は無いし、相手の日常は全てが非日常。

こんな時思うのは、一対一の場合、しかも同姓なら歳の差とかあったとしても、ほぼ互角スタートなんて事になる。仮に異性だとしても、今の俺は自炊もしているから、そんな事を共有出来る分、互角までは行かずとも、判り合える事もある。

しかもコロナ。状況環境も似たようなもので・・・所が家族ってワードが出ると、そのカードの重みは俺には無いから、対大人同士の関係が、一挙にお母さんやお父さんって肩書きに変身してしまうと、何ランクも上に見えたりする。

って言うより委縮すら覚えるのね。ただ昔ほどでは無くなったのは慣れもあるけれど、子供達が大きくなり大人になっちゃった事もある。ただ楽しく見えた事も、親離れ子離れ的になると、寂しくなるね・・・に変わったりもする。

子供や連添いがいない者が憧れ的なものの見方だったものが、現実を見せられている感じになると、憧れの時間が終わってしまう感じがして、手遅れ感が満載になる。勿論、その後に孫でも出来た事になれば、また振り出しに戻るんだけど。

いずれにせよ、懐かしさもあり、そう言った時期になった話も聞き、疑似体験でもさせて貰ったようにも思えたりする。しかも、当然今の俺には届かないものばかりであり、それをダメージにならないように・・・と思ったりもするが、

昔なら卑屈になりそうなのに、コロナで共有、昔ほど金銭面の追い込まれていない分、余裕では無いが、そうなのかぁ・・・、じゃやろうか・・・と切り替えて制作って事になったけれど、いくらかのダメージがあるのかな?

それとも終わりとしての喪失感なんだろうか?それとも何か背負ったかな・・・。


お教室とカサブランカのモザイクのバック4枚目

2021-02-23 08:01:37 | モザイク作家

今日は午後からお教室があって、それ以外はカサブランカのモザイクのバックの4枚目。これだけガラスタイルを切り続けると、タイルを持つ左の親指と中指と人差し指の指先が切れて、薄くなったりして・・・痛くて持てなくなるのね。

何しろ細かいラインを切ろうとすれば、ギュッと持つ事になるから、何しろきついのね。色々工夫はしているんだけれど・・・。こんな話は直接的な指の痛みの話で、そろそろ終わる方向のダメージも来たのかな・・・。

そうね、例えば新曲を出す、新車発表、何でも良いが、そうした時に、元々売れていないのなら、これを機に・・・なんて意気込みだったり、結果が伴わなければ、またか・・・みたいになって、期待と不安なんて事に繋がったりもする。

逆に売れているのなら、前作をも越えるヒットに繋がるのか?みたいな事になり、プレッシャーを常に抱えるなんて事になるのだろう・・・だろうと言う語尾は、まだ全然達していないからであって、売れていない側の気持ちは十分に味わった。

だから言い切りになる。しかも、更に難しいのは、例えば同じ事を続けて行くロックの矢沢さんのような場合、同じスタイルのまま進む場合もあるが、中島みゆきさんや、長渕さんのように、フォークだった人が壮大なスケールな歌へとか、

松山千春さんのように、長い夜でロック調になると、昔のファンと新規のファンの境目みたいな事になり、あっちが良かった、こっちが良かったみたいな事になる。要するに色々と手を変え品を変え、作る側も制作していると思うのね。

その時に、難しいのはその工夫が必ずしも良い結果に繋がるとは限らないのね。評価とは掛けた時間や工夫とは全く関係の無いものだから・・・時間が掛かったから最高の作品とも限らない。ってね。勿論ある程度の時間は必要だけれど。

何も変えないやり方と変えて来た人達の違いなんて事なんだけれど・・・いつも通りは安定に繋がるが飽きられる可能性があるし、新しい事は受け入れづらかったりもするが、逆にそれによって今まで興味が無かった人へのアピールになる。

いずれにしても、良い事と悪い事は背中合わせ・・・何が吉に出て、何が凶となるのか?・・・ただ何しろ終わらない事には始まらない。


お教室とカサブランカのモザイクの4枚目

2021-02-22 02:01:30 | モザイク作家

今日は午後からお教室があって、それ以外はカサブランカのモザイクのバック。3枚目も終わりいよいよラストの4枚目に

やっとここまで来た・・・。


カサブランカのモザイクの3枚目のバック

2021-02-21 01:48:26 | モザイク作家

今日は丸々カサブランカのモザイクのバック3枚目の続き。まぁ理想は3枚目終了だったんだけれど・・・残っちゃったのね。だからギリギリって感じ・・・。


最近の生徒さん作品とカサブランカのモザイクのバック

2021-02-20 01:24:45 | モザイク作家

今日は午後からお教室。ただ解除されるまで気を使ってあえて詳しくはご紹介して来なかったんだけど、画像だけ一挙にご紹介するのなら、問題は無いかな?と思って・・・。それでは・・・

力作揃いなのね。中には定期的に通う事になった人もいらっしゃって・・・またその内に画像が溜まったらご紹介するとして、そんな教室の後は、カサブランカのモザイクのバック・・・


カサブランカのモザイクのバック

2021-02-19 08:29:13 | モザイク作家

今日もカサブランカのモザイクのバック。しかしやってもやっても果てしない感じではある。こんな時に思うのは、練習で出来ない事は本番でも出来ない・・・なんて良くスポーツなんかに出て来るセリフがあって、その練習量を増やす事で、

ここまでやって来たんだから・・・と自分を説得する材料とする、ある意味精神論的な考え方があって、確かに身に着ける行為って言うのは、大抵反復練習で体に覚え込ませるって事に繋がったりする。これもまた、痴ほう症のような症状でも、

物覚えが衰えても、その反復練習は覚えていたりして・・・そう言う事にも繋がったりする。まぁそれは良いとして、冒頭のやってもやっても果てしない・・・って表現は、明らかに参った・・・って気持ちの方向にあるって事になる。

そんな気持ちの時は、気持ちが負けると委縮したりして、その時点で、いつものパフォーマンスになりづらくなる。こんな場合、スポーツならリラックス・・・なんてコーチから、ファンから声を掛けられそうだが、気持ちが萎縮すると、その声

が自信の回復に繋がる性格と、逆に期待に応えないとと一層委縮する性格とに分かれる。前者はそれをきっかけに気持ちを持ち直せれば、結果に繋がるが、後者は泥沼になる可能性を秘めている。どちらかと言うと後者側と自分自身は思うが、

思うのなら、それをリカバリー出来る何か?が無いと、見つかった者は立て直せても、見つからなかった者では、立て直すきっかけを見つけられなかった事になるから、結果を悪化させる事になる。最近つくづく思うのは、年老いた両親の行動。

一応お陰様で無事に何とか生きているのだけど、当然高齢だから、薬も飲んでいるし、あっちこっち衰退している。所が話す機会が多くなると、今まで知らなかった事が多くなり、更に毎月のデイ・サービスの人達との交流もあり、普通は?

なんて考える事もある。まぁ単純な話で、健康の時は薬はいらない。けれど病気になれば、必要になる。足腰が弱れば、杖が必要になるし、若かったら杖の存在すら忘れるだろう。更に眼が悪くなれば眼鏡・・・こうした何か足りなくなったものを補う事が必要になる。

ただそれは、全てこうなったから・・・と症状に応じたサポート品の事を始めて使ったりする側も固有名詞で呼べるほど、知っていたりする。だから何処に行けば良いとか、買いにも簡単に行ける。単純な事なのね。

所が気分とか気持ちの立て直しって何処に行くの?とか、何をするの?とかになると、人それぞれって便利な言葉で曖昧にして、大抵は時間で忘れて行くって事になる。所がその忘れて行くって行為が人よりも遅いって症状があるらしいのね。

昔、心療内科へみんなに進められて行かされた時に、お医者さんにそう言われた事があるから。つまりそうであるのなら、杖や眼鏡のようなそんなもんが必要になる。ただね、眼に見える事は簡単なんだけれど、眼に見えない事は難しい。

こんな事を踏まえて、まず果てしなさで終わりが見えて来ない・・・これはマラソンの折り返しが見えない感じの比喩に感じるのね。そうなると、半分も行って無い・・・って言う判断に自分の気持ちがなっているって事になる。

けれど、恐らく実際は半分位にはなって来ていると思うのだけど、まだ気持ちが認められないのだろう。そこも長年の事で、半分以上にならないと、そんな気分にはならない事も良く知っているのね。つまり簡単に言えば、3枚目が終わる頃、

折り返し気分になる。けれど実際はもっと終わっている。その気分は半分なのに、実際はもっとやっている。その気分のままなら、油断する事無く、後半のスピードが増したように見えるのは、そんな理由からだと思うのね。

だから、3枚目が終われば、この果てしなさから抜けられる、しかも欲を言えば後2日で・・・こんな欲を出せば、当然無理をしようとする。その無理をやったのに・・・って結果がその分付いて来ないと判断すると、増々追い込まれる。

まぁ負のループって言うのはこんな事の繰返しになる。これを今までは花や葉っぱの少ない分、流れのラインを考えないとならない事が多かった。でも後半はその流れが少ない・・・だからペースは上がるはず・・・と言い聞かせているんだけれど・・・。