katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

体験教室用サンプル

2017-10-31 07:23:46 | モザイク教室
今日は台風も去って・・・って言いたい所だったけれど、かなり風が強く・・・それでも2階で室内なら何も問題無さそうだけれど、どうしてもウミウシの作品のタッチアップ(傷の部分の塗り直し)がしたくてね・・・新聞紙引いてやったのね・・・。

同じ色だった事もあって、キウイの作品もかなり傷があったんで一緒に・・・。そんなこんなで2作品共に綺麗になった。そんな後は、体験教室用サンプル作り。これをアトリエ、亀有カルチャー、kameyaさんと何個か作るとして・・・・。

それと何個か準備としての下地を何個か作って・・・何だか良く判らない1日を過ごしてしまったのね・・・とは言え、大事な1日だった事は間違いが無いんだけれど・・・。

みどりとカルビとリピーターさんに班長の相席教室

2017-10-30 07:14:45 | モザイク教室
今日は台風の最中なのかな・・・?そんな大変な中、4人の相席教室。それでは一挙にご紹介。


こう言うのを見慣れてしまうと、慣れって恐ろしいなぁ・・・って思うんだけれど、どれもこれもが力作で、とても簡単には出来ないものばかり。しかも、王将の方だって、初めてまだ数か月・・・1㎝タイルを良く切っているのね。

班長にしても、唐草模様の白い部分となると、色は2色で白に時々白金を入れるだけなんで、悩む事は無く、切る事は同じ事の繰り返しなんで、上手くなる事はあっても下手にはならない。それが気持ちとして、退屈だなぁ・・・と思えば、進まない気分になるし、

逆に気持ちが前向きなら、中々良いじゃん・・・になると思うのね。何しろどんどん終わりが近づいて来るのだから。そう言う点ではかなり落ち着いているし、とても安定感があるように伺えて・・・非常に上手くなったのね。

そう言う点では、カルビがちょっと変わった事を言ったのね・・・ここ曲がっている・・・って、以前の場所を指差し・・・直したいって。これは非常に大事な出来事で、そもそもその当時はそれを良しとしたからこそ、張ってあるのだけれど・・・。

今、それが気になる。何故?それは目が肥えたから。明らかに以前とは違う目になったから、直したくなった訳で。これは当たり前な事なんだけれど、是正って言うのは、おかしいと感じて、おかしい事に気が付き、直したいと感じ、どう直せば良いか?を判って、

直すから直る訳で、全て感じ無ければ、気が付かなければ、何も起こらないのね。でも今日は感じた。こう言う行為は、自分を振り返る・・・って意味なんで、以前のやった自分よりも今の自分の眼の方が鋭い指摘が出来た事が進化を意味すると思うのね。

そもそも、あの頃もちゃんとやっていたのだから。では気が付きました・・・どうする?って話になった時、直すにしても、どう直す?って話なんだけれど、カルビの状況を見ると、まだまだ時間は掛かる。当然その後もまた上手くなる。

そうなると、今直した所でまたその時に、上手くなった眼で見劣りしたものを直したい・・・って気になるだろう。つまり、今は見つけた、感じた・・・その眼だけで十分であって、今は直さなくて良いから、やれる事をやる。

その時に、今度は今後進歩して行くだろう眼に適うようなパーツを張る姿勢でやってみ・・・って事になる。それを意識した瞬間、益々進まなくなるし、疲れもどっと出る。でもまた、いずれそれにも慣れる。そんな繰り返しをして進んでいると、

いずれまた気になる場所が出て来る。その時の変更はラストチャンス・・・そこで張り替えるのか?そのままで良いのか?はその時の眼が判断をすると思うのね・・・だから、まだやる場所があって、まだ進化の過程なら慌てて直す必要は無いのね。

ただ、これも一理あるのだけれど、そこばかりを気に取られる程に気になる場合、気持ちを立て直せないのね。そこが、そこがになるから。そんな人はそこを直して進むのも一つの進み方であるとは思うけれど・・・。

いずれにせよ、進歩や進化の過程を見た気分で、何よりって話だったのね。そんな中、みどりは悪くも無く、良くも無く・・・じゃ普通で、それはそれで何より。こうして4人もいて個性的だと、相席も中々面白かったのね。

何せ人の作品を生で見られるのだから、刺激になるからね・・・それを教える俺も当然刺激になる。

kameyaさん出張教室

2017-10-29 08:09:27 | モザイク教室
今日はkameyaさん教室で3人。ただ、色々あって棟梁の画像を取り忘れちゃったのね。


ここはみんながアトリエに来るようになって、急に上手くなって来ていて、それが良く判る話が何個かあったんだけれど、そんな中での話の1つが、1枚目の画像の方が、会話の中で、だってみんなうまくなりたいじゃないですかぁ・・・って声に出して言ったのね。

そうね・・・こんな事を簡単に言える人には、何でも無い言葉なんだけれど、これがもしさくらだったとして、みんなの前で言ってみ・・・って言ったら、多分ハードルが高いと思うのね。けれど、棟梁のように、良しぃぃ、良いかもぉ・・・と自画自賛を出来る

のなら、何とも無い普通の事・・・。こんな違いがある。つまり普段黙々とやっている人が、自己主張をした事になるのね。それって深層心理的な話だけれど、みんな上手くなりたいじゃないですか・・・・は、みんな・・・つまり私も含まれる訳で。

でもその人は、棟梁とおかみさんは先輩としている訳だから、そこは上手くて当たり前・・・つまり、みんなと言いつつ、2枚目の方を指している気がするのね。つまり、その方が上手く見えた事もあっての発言にも聞こえるのね。

それが普段、自己主張を余りしない方の刺激になっている・・・そんな感じ。って、仮にそれが本当にそうであっても、無かったとしても、これだけ作れている人が、上手くなりたいじゃないですか・・・と声に出して言ったのね。

でも、すでにこれだけ出来たら、完成すれば単なる趣味には見えなくなって行く方向に充分あると思うのね。それなのに、まだ上手くなりたい・・・って、ある意味、楽しいよりも大変さを求めている気がしないかな?・・・・。

つまり楽しいだけじゃなくても、仮に大変であっても、時に進まなくても・・・そっちの楽しさじゃない楽しさに気が付いちゃったんだろうね・・・楽しさじゃなくて、大変さを超えた向こうの景色を知った人や、見て見たい人の発言だからね・・・。

それもこれも、kameyaさんだけであったなら、近所で楽しくモザイクやってます・・・だったんだろうけれど、棟梁との相席のアトリエでは、みんなの作品が置いてあったりして、それらの迫力は半端無いし、それとやっぱりアトリエでの指導は変わるしね。

そもそも、楽をするならkameyaさんを2回にすれば良いだけなのね。でもわざわざアトリエに来る。その違いは?タイルも豊富だし、色んな事が変わって来るだろうけれど、何より変わるのは、棟梁への指導も聞こえて来る事だと思うのね。

当然、上手い人への指導は当然厳しい事にもなるし、そもそもkameyaさんは楽しむ場所、アトリエは上手くなりたい場所みたいな違いがあったとしたら?・・・例え同じ顔触れだったとしても、指導が別人だったりもする。何せ意味が違うからね。

ただね、とは言え、体験教室は全く違う話で、それは何せ初めての事・・・つまりアトリエの体験ってのは、作家katsuの使う材料を使って豪華に楽しんでって・・・って感覚だから、楽しかった・・・のみで十分なのね。それが上手くなりたいって言うと、

作家katsuも使う材料を使うんだから、本気でやってよね・・・みたいな感覚になるのね。あはははは。まっ、いずれにせよ、それだけ意識が変わったって事であって、普段自己主張を余りしない方が言った・・・って話。

しかも、それをはっきり聞けば、例えそれが楽しむ場所のkameyaさんであっても、ここはこう直した方が良い・・・って言うような流さない指導ってのも出来る訳で・・・上手くなりたいのなら・・・ここはスルーさせられない・・・ってね。

それを何も言わなければ、悩んでいるのか?問題無いのか?耳からの判断が出来ないから、必ず目視で判断しないとならない。これが棟梁なら、ゲッ、やっちゃったぁ・・・とか、よぉぉぉぉぉしぃぃとか、声に出すから、見なくても何があったか?って想像を

しやすい。ってこんな違いがある。耳で判断出来る場合、しばらくほって置けるけれど、目視の場合、展開を見ていないと何が起こるか?判らないのね。つまり離れられないのね。しかも、以前なら切る事がおぼつかないから、進まないので離れられる。

けれど、今は上手くなった分、早くなったから、大丈夫だな・・・と離れて戻ると・・・あっ、そこそうしたかぁ・・・ってな事もある。まっ、上手くなったらなったで、先生としてやる事が変わるだけなんだけれどね。

いずれにせよ、そんな違いが感じられたって話。それがもう1人の方の場合は、昔はぺきぺきの作品を必ず自宅で1つ張り上げていて、目地したいんですけど・・・って感じだったのね。所がこの作品になってから、家で中々進めない・・・って言うのね。

まっ、簡単な話でプレッシャーなのね。上手く作りたいから・・・失敗したくない・・・失敗したくないから、悩んだらやらない・・・ってスタイルになって、まっ良いかっ・・・って進まなくなったからなのね。その分、失敗が少なくなったのね。

なのに、来るなり、あんまり進まなかった・・・しかも、ここ変ですよね・・・・って進まなかったやら、ダメ出しスタート。
かなりテンションが下がっているのね。でも、進まないのは普通だし、ダメと自分で言うのなら是正も判っている・・・。

完全に気持ちが下がっているのね。病は気から・・・そこを立て直さないとならないんだけれど、これがアトリエなら簡単に改善出来るのね・・・じゃテンション下がっているし、花でも華やかな色を使いませんか?とかね。

ただ出張では頼まれた色しか持ってはいけない・・・色んな規制が掛かるのね。つまり出張ではサンプル教室のように決まったものを作る材料の教室らしきものになるのね・・・・みんなの気分によっての支度が出来ないからね・・・。

ただそんな事もあって、1㎝タイルの混ぜこぜみたいな箱を持って行っていたのもあって、何とかしのげたんだけれど・・・。
それもこれも棟梁がタイルを持っているからなんだけれどね・・・まっ、何度と無く助けて貰っているのね。

って話を戻して、そもそも自宅で張り終われるぺきぺき作品で十分楽しめるのに、1㎝タイルで悩んでやってて、尚且つ進まないって話だじゃなくて、ダメ出し・・・自分に厳しくなっているのね・・・そりゃ上手くなるのね。

だって楽に出来る簡単な事よりも、悩んで難しい事にチャレンジしようとしているのだから。今までのスタイルのままで留まらないのだから・・・良くも悪くも新しい事が手に入る訳で・・・どう考えても成長著しいのね。

これもまた、アトリエに行って上手くなった・・・と思われているお花の方のお陰。そう思われている・・・ってお互いがお互いの向上に刺激を受けているのね。こんな事が、急にここの人達が上手くなった原因なのね。

そうなると、余り厳しい雰囲気にならないようにしないと・・・つまんなくなるのは困るからね。厳し過ぎる環境はへこたれちゃうからね・・・ってな感じの後、先日作ったディスプレイ台やら銘木作品やらに今まで置かせて貰っていたものと入れ替え。

少しそのコーナーの雰囲気替えをした後、急きょここから近いホームセンターに棟梁と娘さんと俺の3人で行く事になって・・・。
それが、娘さんって結婚するようなお姉さんなのね・・・何度も会った事はあるんだけれどね。

ただね、大人だなぁ・・・って感じなのね。でも棟梁には子供な訳で・・・。って事は、俺の子供でも年齢的には合っている。
それがどうも受け入れられないのね・・・不思議な感じなのね。今の俺には大学生の子供ってのも違和感があるのに・・・。

廻りのみんなの子供達が大学生になり、それもやっと慣れて来た・・・そんな感じ。それがこんな大人な子供がいてもおかしくない俺の年齢・・・正直、きついわっ・・・こんな大きな子供のの親なんて・・・想像が付かないのね。

むしろ付き合って・・・とお付き合いする方が普通に楽。つまり目線が一緒なら居られるが、自分が親のような上の目線でのお付き合いは非常に疲れるのね・・・何か緊張するのね。何かちゃんとしないと・・・でもこんな大人の子供よりもちゃんと・・・。

正直、みんな凄いわっ・・・って絶句ものなのね。ただそれが、習うって姿勢で臨まれて先生って思われた瞬間、例え何歳上であっても、技術は・・とか、所作とか・・・って話になると、そんなに劣ってはいないはず・・・と持ち直せる。

ただ、これが、家庭、子供、幸せ、愛・・・判るかなぁ?こう言うようなワードに関わる事に物凄く劣っているって気になる。
正直、中々こう言う機会は無いから、もはや俺にはキッザニア。体験教室なのね・・・。

それが、どうして棟梁はこんな大人な子供に対等以上で臨めるんだろう?・・・勿論当たり前なんだけれどね、親子なんだから。って判ってはいても、自分がもしこんな感じでお父さんなんて立場でいるとしたら?って考えると、とてもじゃないけれど、

居場所が無いな・・・この子に親として何が言えるのだろう・・・と考えたら、怖くなった。結局の所、その足りない分をモザイクで埋めるって話が今までだったんだろうが、まずここは受け入れて、さてさてって話。

出来なかった事や、仮想の話に潰される必要は無いし、むしろ受け入れた上で、楽しい事もあったんだろうなぁ・・・きっと。って思う事で、その時間を楽しむ事で帰宅となったけれど、それが無い人生も無い人の生き方がある。

きっとそれにも意味がある・・・そんな気がする。


キウイのクリスマスオーナメントと体験教室用のサンプル

2017-10-28 00:51:03 | モザイク教室
今日はキウイ教室。高洲のサークルの時の体験用に・・・なんて感じに作ってくれていたんだけれど、自分のも・・・ってこの他にも作っていたけれど、そっちはまだ未完成なんで、次回にするも、まぁどれもこれも素敵な仕上がりなのね。

こんなに素晴らしいと昨日の俺のサンプルは何だったのかな?・・・・と思う位で、正直これを見たら素敵だと思うだろうなぁと思うと、このレベルのサンプルが必要だったかな?・・・と勉強させられた感じなのね。

いつもサンプルの時に思うのは、その会場で真ん中のグレードになる位を目指すのね・・・いつも。例えば、キウイの作品をサンプルにした時、これを見た時にやって見たい・・・素敵だなぁ・・・って思う人はきっと多いと思うのね。

ただ実際に体験して見ると、きっとこんなに上手くは行かないだろうし、もっと言えば丸の数も相当減らしたくなる人も出ると思うのね・・・つまり会場で1番上手いのはキウイになる・・・そんな気がするのね。勿論、サンプルなのだから、上手くて当然だけど。

それを俺は真ん中くらいのグレードを目指すから、当然見栄えは落ちると思うのね。ただ、どんなに不器用なんて言われる人だったとしても、必ずそんな感じにはなるだろうし、そんなに難しいぃぃって感じにはならないと思うのね。

ただその分、手際の良い人だったり、器用な人にはサンプルを見ただけで、幼稚な感じ見えてしまう・・・そんな感じだろうな。ただね、それを見てもっと良いのが作れそう・・・と想像力があったりすると、当日にキウイばりの人がいたりして・・・・。

とは言え、あんまり簡単に思われると、やって見たい・・・って気持ちになって貰えないし・・・その辺のさじ加減ってとても難しいのね。でも、こうしてキウイのを見ると、成る程ね・・・と本当に参考になったのね。

そんな中、体験教室用のサンプルを作って見たのね。


まぁ、何と無く良さそうな感じになったような気はしてるんだけれど・・・いつもは切るってスタイルを前面に出すが故に、どうしても体験にはぺきぺきタイルを使いたくなるんだけれど、クラッシュにすると、割っただけに見えたりもする。

ここが問題で、・・・だけって表現。切る事が上手くなると、ついつい切らないものを張っただけ・・・となるし、狙って丸みたいに形を切れるようになると、流動的なクラッシュは割っただけ・・・みたいな気持ちになったりもする。

ただ上手くなると、どれもこれもそれにはそれの難しさはある・・・と感じられるが、逆にやった事が無かったりすると、ぺきぺきの作品は幼稚に見えたりもする。例えば、簡単な話でマンションの床・・・タイルと大理石どっちが高級?って思う?

って質問した時に、何も知らなくても恐らく大理石って人が多いと思うのね。だからマンションの床っていつしか大理石になったと思うのね・・・ただ、工程からしたら、方や大理石は山で見つける、崩す、形を整える・・・って感じ。

逆にタイルは山で土を見つける、固める、乾かす、釉薬を塗る、焼く・・・どう考えても工程が多いし、人の手が掛かる。つまり人件費や工程の多さからすれば、タイルの方が高級な感じがするが、お客さんは見た目の判断。

しかも今は昔と違って中国材だったりすると、石の方が安いなんてものもあったりするから、利益だったり見栄えだったり、人気だったりって考えて、今に至っているんだろうし・・・いずれにしても、見た感じって言うのは重要だったりする。

となると、サンプルももっとグレードを上げるべきなんだろうな・・・と考えさせられたのね。そうかと思えば、昔なら居候は、野菜、野菜、肉・・・みたいな食べ方で・・・とテレビなんかでも表現されたのは、肉を高級だった時代の話。

それが肉が安くなったり、無農薬野菜みたいにこだわりのものと比較すると、場合に寄っては、肉、肉、野菜になっちゃうのが常識になるのかも知れないし・・・明らかに昔のようにこれが常識・・・って1本化の方向では無い事は判ってはいたんだけれど。

確かに昔よりもモザイクの先生も増えて来たし、いくらか認知度も上がって来たと言うのなら、もっと見栄えを上げて行く事も大事になるだろうし・・・今日は教えたんじゃなくて、教わった気がしたのね。何せ昨日の今日。変えなきゃね・・・って話。

ただね、体験サンプルを見て、何の?何処が?って思われるだろうから、必要な人に・・・の説明としては、切るスタイルだから柔らかいぺきぺきを選びたくなる。けれど手慣れない人が切れる楽しさはあっても、良い事と悪い事は背中合わせ。

どうしても1cmタイル、ガラスタイル、大理石・・・と比較したら、見栄えが可愛く見える。嫌、幼稚と表現した方が判りやすくなるかな?そこで、今まで切るにこだわった事を切らなくても・・・に変更すると、どれもこれもが使える事になる。

そこで昔やった事がある、浦安のでっかいネズミのいる施設で使ったタイルで縁取りをして、文字タイルを使って文字も切らず、1cmも張るだけ・・・それで4枚だけ切って貰う・・・これでいつもとは違うスタイルにはなったと思うのね・・・。きっと。

下地も手作りできちんといつも通りも残しているし・・・俺風味も残っている。自分自身の全面否定にはなっていないだろうから、1つ目としてはまずまずだと思うのだけれど。しかし、こうして悩むとつくづく思うのは、アーチストを思い出すのね。

例えば最初は歌が好きな奴らが友達同士が集まってバンドを組んで、何かみんなで好きな歌を作って歌ってるんだろうね。それが認められたりして、プロになりヒットなんかすると、また、また・・・って繰り返す事になる。

所が繰り返していると当然同じ事をやり続けていると、新しいものが出て来たりして、新鮮さは薄くなる。勿論、現状維持をしていれば、まだ仲間もそのまま変わらずなんて事もあったりするが、場合に寄っては方向転換なんて話も持ち上がるだろう。

この時に今までのファンは今までが好きで残ってはくれるものの、当然飽きて離れる事もある。こんな仕組みが保守と革新。
こんな時、どうなるか?が問題で、仲間の中も賛否両論になるもので、恐らく音楽性の違い・・・なんて表現はこんな事だと思う。

これがそれでも続く場合、以前と新しいものが比較をされ、良ければ新規開拓であり、悪ければ昔のファンに昔の方が良かったと言われる事になる・・・まぁいずれにせよ残酷な話ではあるが、まさかそっちの世界に身を置く事になるとはね・・・。

今更ながらビックリではあるものの、とは言え、どの道どの仕事に付いたとしても、昔とは違ってみんなそう言う生き方になったのね・・・どの仕事もお客さんって言うのはサポーターだったり、ファンクラブの人だったり、檀家さんだったり、言い方が

違うだけで、ほぼそう言う人達の事であって、そう言う人達に支えられて明日が続けられるかどうか?って話であって、支えられている内に結果を出さないと呆れられるし、存続出来ないって事になる訳で・・・厳しさが身に染みる分、有難さも良く判る。

いずれにせよ、そんな事を判った上でのサンプル・・・・それでもそんなに悪く無く思えるから、ここからいくらか変わったにせよ、大きくは変わらない気がするのね。

出会い・・・

2017-10-27 07:54:04 | 休み?
そうね、今までに何度かこう言う出会いがあったと思う・・・人生で数回。それは自分の成長に相当影響する人であり、正直かなり面倒臭い。何せ、自然と話を吸収してしまうから、その人と同調している時は安心に繋がるが、ひとたび違和感を感じると、厄介で、

恐らく受け入れられる姿勢が無いと、腹立たしい気持ちになったりもするんだろう。正直、しばらく振りにこう言う人と話した。
昔は今ほどでは無かった自分では、受け入れようとするのが精いっぱいで、全く意味も分からずに、ただ感心するだけだった・・・

ただ今は若干そのスピードについて行くのが大変ではあっても、理解出来ない事は無いし、ほぼ判ったと思う。ただ正直、苦手な事があって、そこは若干答えらしきものが発見出来なかったが、ただでは転ばない性格なんで、折角転んだなら、転んだ景色を見る。

そこは転んだ人にしか判らない景色だからね。そこで判った事が1つあって・・・なるほどね・・・と目からウロコだったのね。
だから最低1つは理解した分、明日の自分は今日よりもいくらか成長出来る・・・そう思えた。

キウイのたけしさんと東錦の表札完成

2017-10-25 23:20:35 | モザイク教室
今日はキウイ教室。晴れたのも昨日だけ・・・また雨なのね。そんな中、キウイがたけしさんを完成させたのね。何だかゴルフの会社で使われているらしいんだけれど、その会社が知り合いらしく、プレゼントするらしいのね。

このグレードでプレゼントとは・・・何とも凄いプレゼントなのね。いずれにせよ、何んとも繊細な仕上がりで、たけしさんのグレードも凄いが、モザイクをやっている人なら、このぺきぺきでのバックの凄さが伝わる事だろうね・・・きっと。

単なる1cmタイルを並べるだけでも、そこそこに見えるのに、わざわざ切って作るなんて、手間の掛け方が何ともお洒落なのね。楽では無く、ひと手間を惜しまないって言う姿勢は、お見事だし、見習うべき所でもある。ただプレゼントだからねぇ・・・。

これが・・・やり過ぎじゃないの?・・・って老婆心はある。何しろこの作品の内容を判る人なら、誰でもそう思うと思うのね。なら、俺は先生だし・・・出来る事なら貰った人が少しでも判ってくれると良いんだけれど・・・ってつくづく思うのね。

それと並行に、俺も東錦の表札の目地をやらせて貰ったのね・・・だからお陰様で完成したのね。キウイも完成が見られて良かったぁ・・・って言ってくれたんで、何よりなのね。


そんなお教室の後はクリスマスオーナメントのサンプル作り。kameyaさん用のね。

目地は明日。

東錦の表札張り終わりとディスプレー台

2017-10-24 23:35:13 | モザイク作家
今日も引き続き東錦の表札。恐らく何も無ければ夕方までには張り終わる・・・って感じはしていて、かぐやといつものように色々と話しながら・・・何しろ近々に来るので、こっちに来てから何しようか?・・・って事にならないように・・・って事なのね。

それはそうと、良く最後があっけない・・・それまでの躊躇とか中休みみたいなのは何だったのか?みたいな事を聞かれる事があるけれど、これで良いのか?本当に良いのか?みたいなプレッシャーがあったり、出来たらお別れかぁ・・・みたいな空虚感だったり、

色んな思いを抱えて、いよいよ一番大事な頭の部分なんて、今まで以上にそうなるんじゃないか?みたいな気もするけれど、そんな事を経て・・・となると、ここまでは上手く行った・・・って布石があって、それに寄ってそんな気分に慣れたって事もあるが、

それよりももっと大事な事だったりする。勿論、仕事と言うのなら売らないとお金にならないのは当たり前なんだけれど、最後の最後はこれが何処にあるのが正しいか?・・・みたいな踏ん切りみたいな気持ちだと思うのね・・・。勿論、定かでは無いのね。

何故なら売れっ子では無いから、模索中になるから。その模索の中での結論は、お金と引き換えの仕事です・・・と言うのなら、感情移入も無く、ひたすら同じ事を繰り返して、慣れを手に入れる方が良いだろうが、何しろ常にスタイルが1点モノ・・・。

今後も作品に慣れる事は少ない。手慣れる事は切る張るって行為だけ。そもそもがそうなると心の部分・・・そうね、きっと本当に手塩に掛けたものであって、作品は自分自身と言うのであれば、身を切るような気持ちになるものだと思うのね・・・きっと。

つまり、そんな気分とは?となった時に、お嫁に出すような気持ちとはそんなものだと思うのね・・・ずっと側に・・・って気持ちと、お行きなさいって気持ちと・・・普通はお行きなさいが勝つから成立する訳で・・・。

そうかと思うと、学校の先生と生徒の関係だったりして、6年生は卒業して行き、また来年、新しい子が入り、また卒業して行く。その繰り返し・・・先生を辞めるまでずっと・・・。その行為を別にぃぃ・・・それが・・・と最初から簡単に言えるのなら職業。

それを何度も繰り返して段々慣れたのはベテラン・・・そんな気もするし、かと思えば、病院。治ると言う事は会えない事になる。
毎日会えると言う事は治らないって事になる・・・警察、自衛隊、消防・・・忙しいって事は事件だし・・・。

こっち側よりの生き方をすると、普通の仕事とは感覚が違って来ると思うのね・・・きっと。だから東錦の表札のような1点モノはそんな気分寄りの制作なんだろうね・・・それがディスプレー台となると・・・。



今度は大量に作る前提で考えて行く・・・商売、仕事みたいな感覚になる。つまり、車、家、服・・・なんでも良いけれど、商品開発をし、これが良いと決まったものを繰り返し生産・・・って感じに。普通と言えば普通にね。

人に寄っては無機質に出来るものだろうね・・・工程をこなすなんてやれればね。ただ、これも同じで最初の開発部分は、1点モノと考え方は一緒で、試行錯誤なのは一緒。ただ量産はそこの試行錯誤無しで、繰り返しの流れで制作をするって事。

いずれにせよ、作り方としてはこんな違いがあるんだけれど、結局、腕じゃない部分だと思うのね・・・。そんな葛藤をしつつ、また1つ作品が張り終わった・・・・東錦の表札・・・katsu作品として・・・悪く無い。

クリスマス下地と東錦の表札

2017-10-24 00:48:17 | モザイク作家
今日は台風も去って雨も止んでいるし、今週末のkameyaさんにサンプルを持って行きたい事もあり、クリスマス用の下地制作。油まで塗って完成までやると、1日10個位が限界なのかなぁ・・・って感じなんだけれど。まっ、無理しない程度は・・・。

当然平行に東錦の表札。

ディスプレー台と東錦の表札

2017-10-23 07:42:40 | モザイク作家
今日はお教室も無く作家活動なんだけれども、何しろ台風・・・ただこれも見越して下地は切って置いたから、ディスプレー台も気分転換に作れるし・・・そんな訳で前半は昨日作ったものを目地。それと縁取りにモールを付けたものも作ったのね。

これで最後にペンキを塗れば、それは完成。後はかぐやが近々に来る予定なんで、その時に一緒に作る事にして・・・いよいよ東錦の表札も終盤。ただ台風は来る最中、選挙も行かないとならないし・・・ギリギリまでやって、また戻って・・・。


これで波紋の残りをいくらかやれば、いよいよ後は頭だけ・・・。


みどりが販売用の作品を作りに・・・

2017-10-22 00:52:08 | イベント
今日はみどりがHand Art Marcheの販売用の作品を作りにやって来たのね。ただ、一見いつもの作品よりも簡単に思えたりするし、こんな小物には指導も無くても良さそうなんだけれど・・・。これがそうとは限らないのね・・・。

そもそもまず何をどう作るのか?って考えた時にね、ただ小物じゃん・・・とノリで作るのも良かろうが、もし真摯に向き合ったとしたら?・・・一体どんな違いが生まれるか?って話なのね。これが前者なら、自分が欲しい・・・なんて感じで作れると思うのね。

もっと言えば、売れなかったとしても自分が欲しいものを作っているんだから、最後は、じゃ私のに・・・ってある意味、残っていてもラッキー・・・なんて感じで済むと思うのね。これが真摯に向き合うと、単なる趣味趣向ってものでは無く、何が良いかな?とか、

どの位の値段の設定が良いのかな?とか、単に作品の良し悪しだけじゃなくて、普段考えない事まで考える事になる。そもそもいつもは一生に1作みたいな大作を時間も気にせずに、ただただ自分の持っている腕を自分の為に・・・って作り方をしているのね。

だから、お金や時間に縛られる作り方では無いのね。その作り方で結果は出ていて、その作り方に評価が出ているのね。それをもし本人もいくらか腕も上がった自信になっていたとしたら?その作品よりも小物だから・・・って思えば、簡単な気持ちになったりする。

しかも、本人が少しでもそんな気持ちを持っているとしたら?実はその評価をして下さった人達の眼もそう言う評価で見る事になる。つまり簡単に言えば、いつものみどりの作品よりも見劣りするように感じると言う事なのね。

しかも、それは大作が上手く見えれば見えるほどにね。恐らく販売作品を作るのが初めてなみどりはこんな事になっていると思われるのね・・・じゃもう少し掘り下げると、一体みどりはどんな部分が上手いと思われているのだろうか?・・・。

って事になった時、簡単な話でタイルを切る事・・・ここなのね。つまり徹底的に切った作品に評価はあっても、小物を徹底的に切って作ったとしても、その作り方は一切手間を惜しまずにお金に関係無くの作り方であって、価格を設定した時に完全に見合って無い。

つまりその作り方はもはや美術、芸術の方向性であって、クラフトとは全く違う作り方では無いのね。だから売るとなると、その価格に見合った作り方にならないと、むやみに時間を掛けて見合わない手間を掛ける事になるのね・・・。

とは言っても、そんな事ばかりに縛られると、得意の切るを封印する気持ちになるから、そうなるといかにアイデアだったり、色合いの妙であったり、人に見せてしまったら簡単に真似をされてしまうようなもので解決しないとならなくなるのね・・・。

要するにいつもはきちんと考えて、きちんと惜しまず切る・・ってスタイルから、思い付きやらひらめきやら、ってアイデアだけの相反する考え方で、作らないとならず、全てがいつものスタイルでは無い作り方になるから、その自覚が無いと、今まで自分が

全く役に立たないような気持ちになって行くのね。しかも本人に自覚が無く・・・そうね、高校生が小学生の問題が解けないような感じとでも言うのかな?・・・結構落ち込むのね。ただ、全てはそもそも作る前の考え方と姿勢の問題だと思うのね。

まずはいつもとは違う事の自覚を持つ事。じゃ何が?美術、芸術とクラフト。じゃクラフトとは?使うもの。使うと言うのは耐久性が問われる。まっ昔、子供の頃に歌った、こ、こ、金平糖、金平糖は甘い、甘いはお砂糖、お砂糖は白い、白いはうさぎ・・・。

うさぎは跳ねる・・・・ってあの歌みたいに連想させるのね。要するに見せるだけの美術、芸術から使う側の耐久性なんて日頃意識をしない側へ移行しないとならない。そうなると、細か過ぎるいつものパーツは使っている間に取れちゃうかも知れない。

例えば取り外しをする外側には細かいパーツを使わない・・・とかね。そうなると、こんな事を沢山言えば言う程、安全安心は手に入るけれど、規制をすればするほどにつまらない方向に行くものでね・・・見栄えと機能性は相反するのね・・・。

じゃ、ちょっと道を外して・・・。

まっ賛否両論あるだろうが、昔は歌詞でもそうだけれど、盗んだバイクで走り出すぅぅぅとか、酔って高速飛ばしたり、校舎の窓を壊したり、反社会性の歌が名曲になったりもした。勿論、あの頃だってそれはいけない事は変わらないんだけれどね。

ただ、聴いている側もきちんと悪いと判っていて聴いていた訳で・・・つまりほぼ大半は出来ない事を歌で歌ってくれたから、みんなの代弁者みたいな感覚だったんだけれど、今は増長させる・・・と言う判断でほぼこう言う事は今では難しいと思うけれど、

きっと良い歌ってのはいつの世も時代は超えるものだったりする・・・とする。仮定ね。だとしたら、名曲側になるのは、その人の個性がより活かされるって事になるとすると、みどりの場合、いつもの大作の方になると思うのね。

つまり感覚としては、いつもの反社会性的やら名曲やら大作では無いものを作る・・・事になる。ただそこに至るまで相当な時間が掛かったんだけれど、またそれとは違うスタイルなのだから、また1から・・・って謙虚な姿勢が必要なのね。

しかも、謙虚とは卑下をする事では無いから、きちんと意識を持つ。何が活かされて、何を変えるか?とね。そこでまた道を外して、最近のドラマでかぐやに紹介されて見たものに、陸王ってものがあって、100年続いた足袋屋さんが時代の流れで衰退して、

それを立て直す為に、足袋のノウハウを活かし、陸上シューズを作る・・・ってな話ね。まさにあの感覚だと思うのね。そうする為には・・・まず意識改革。おごり高ぶらず、卑下せず、自分らしく・・・まっ、俺もやっている最中なのね・・・。



何の変哲も無いものなんだけれど、これを見てみどりは寂しい・・・色が足りない・・・・って感想だったけれど、それならほぼ完璧な仕上がりなのね・・・俺にしてはね。何故なら理由は簡単で今回は完全なる脇役撤しって感じだから。

例えば、みどりの作っているものも俺のも、何かを上に置く・・・ってくくりは一緒だと思うのね。つまり置く前提で、置いたものの隙間が見せ所・・・って思うのが普通だと思うのね。さて、それじゃみどりは使う前提でそこに何かを置いたかな?・・・

多分置いていないと思うのね。ただね、もっと普通なら、もしかすると普通は何も考えないで素敵に作ろうと思うんだろうね。イメージはその小さなキャンバスの中で・・・って。こらこらすでに美術側になっているのね・・・。

要するに使う側になった時も、見栄えと機能性は全く違って、相反する側である・・・って前提でどっち側に立つ?って、まずはそっち側を決めるのね。そうすると、みどりのは色やら模様やら美しい、綺麗、可愛い・・・みたいを意識していると思うのね。

じゃ見栄え側ね。逆に俺のは、みどりに寂しい、色が・・と言われているのだから、それより落ちる・・・と考えるのが普通だけれど、それは違っていてね、俺のはこの台だけでは物足りなくて良いのね・・・この上に美しいものが乗る前提だから。

つまり乗るものの邪魔はしちゃいけないのね。脇役なんだから。つまり考え方としては、何にも置かない方が良いのがみどり側で、それは単品で美しいを目指したからであって、俺のは何も置かないと何の意味も無い台なんだけれど、じゃ何を乗せる?ここ。

例えばみどりがキッチン用品だったとしたら?日常品を置く事になる。つまり醤油みたいなね。じゃ俺のは?イメージは簡単で最高の1品を置いて欲しいのね。それがドールでも花瓶でもね。ただ、かなりスペースを取られるから、見える所は極一部。

つまりメインは側面となる。このガラスタイル変わったデザインだしね。だから、何も置かないと物足りないくらいで丁度良い。ただ、問題はそれを理解して貰えるか?なのね。陸王の話ではね、普通のシューズでは膝を悪くするので、それを防げるらしい。

つまり見栄えを気にすれば、有名メーカーのデザインの方が素敵に見える。しかしながら、足を痛めている選手には負担が掛からない足袋型シューズは、常識の形からは大きく変わっているので、とても見栄えは既存のものよりも劣る・・・。

また見栄えと機能性の話・・・。つまり足を痛めている選手・・・こう言った人達の比喩に当てはまるのが俺のに眼が行くお客さんであって、中々難しいだろうね・・・逆にみどりのようなものは、何も置いていない方が素敵に見えるはずだから、

販売作品として置いた時に、見栄えが良く販売意欲が増す気がするのね。俺のは単独では地味だからね・・・。以前みどりに大作を作る時に色決めすんな・・・って指導をした事があるが、実は今日も同じで、小物だから・・・では無くて、

何をどう置いて、何処が見えて、そこだけをこだわり、置いて見えなくなる部分は流す・・・こんな考え方だったり、使う部分と見せる部分の違いだったり、作り手の気持ちだけでは無かったりすると思うのね・・・。

要するにここもコンセプトだったり、考え方だったりすると思うのだけれど、きっと来る前からプレッシャーを抱えて来たと思うのね・・・当然小物だから簡単なんて思っていない・・・とね。ただ、こんな諸注意をしている最中、作らないと・・・って、

気持ちが強い分、話を聞くよりも進める事の方が大事なんだろうね・・・しかも、時間が勿体無いし、進めながら・・・みたいな事を言っていたが、実はそれこそが焦っているし、それこそ何も聞いていないだろうし、それこそがノリで作っていたのね。

本人は考えている・・・と思っていたんだけれどね・・・。しかもきちんと考えているつもりであって、きっとこんな事は何も考えていなかったと思うのね・・・つまりみどりは考えていたのでは無く、どうしよう?って悩んでいただけなのね・・・。

考えるって言うのは、そう言う事であって、タイルを置いて見て・・・やっぱこっちかな?あっちかな?は感であって、ノリなのね。だから、ノリで作ってます・・・って言えば、ノリでフィーリングで乗り切らないとならないから、次々比べたりしないとね

・・・って事になるから、きちんとしたコンセプトなんて事からは大きく外れる事になる。ここね。つまり小物はノリでも悪い事は無いから、それはそれで良いと思うけれど・・・けれどね、ダメなのは自分がノリです・・・では無く、きちんと考えていて、

・・・と、ノリが悪でと思っているから、そっちじゃダメとして、そっちよりな癖に、考えていると思い込んでいる事がダメなのね・・・それではストレスになるのね。勿論、それがいつもの大作ならダメだと思うのね。

勿論それとて、きちんと考えて、きちんと進められていれば、ここだけはノリで・・・なんて考え方もあるだろうけれどね。それともう1つアドバイスとしては、普通は1つのデザインが決まったら、小物は色違いで使い回しをすると思うのね。

それを色んな下地を試行錯誤で買って来て、尚且つ同じデザインを避けるようにすれば、規制に規制を重ねる事になり、どんどんとやりたい事を削って行くのだから、当然難しいのね。それをまさかこんな小物で悩んでいる・・・と自分を追い込む・・・。

そんな気持ちで作っていたと思われるのね。そんな事を踏まえて、まだ作るようなので、それを確認して、何をどっちよりで、どう作るか?って考えてから、後は切って張るだけ・・・ってスタイルか?ノリで気分で、何と無く作るか?は自由なのね。

例えばさくらは、フクロウをいろんな下地にワッペンのように張る・・・つまりいかにフクロウのデザインを完成度を高めて、繰り返すか?になる。そうかと思えばキウイは、同じ下地に同じデザインで色違い・・・まさに王道だったりしたのね。

そうやって比べるとね、三者三様でね、これも個性で良いと思うのね。だからダメなのは自覚。使うか?使わないか?で意味は変わって来る。使うに進めば、使うのだから綺麗だけではダメで、丈夫も必要になるが、丈夫過ぎるとゴツくなる。

ただ綺麗の度を超えると、いつもの大作になるし、一体どの程度が適当なのか?となると、腕が上がれば上がるほど、更に時間を掛ける作り方に慣れてしまえばしまうほど、いくらでも切り刻んで細かく出来たりもする。

けれど、それが芸術や美術、工芸まで届かないと、より使う側なのだからクラフトになる。まっ、俺のを見れば一目瞭然で、東錦の表札を作っている人のディスプレー台には見えないでしょ?・・・・簡単そうだしね・・・。

ただ、陸王の100年続いた足袋屋のノウハウを活かした・・・・って部分は、タイル屋を20年やってた・・・ここだとしたら?見どころは、どんな厚みの違うタイルやガラスでも、何を使っても平らになって高さが合うって事だったり、中心部のタイルが、

丈夫な床材になっている・・・そんなたわいも無い事だったりするのね・・・だってタイル屋なら誰でも作れるでしょ?きっとね。でも、作れない人もいるだろうね・・・きっと。そこを気が付いてくれた人がいれば、何かのきっかけにもなるような気もする。

ただアイデアなんてもんは、見てしまえば簡単に真似が出来たりするもんで、それを考えるまでが大変なのね。ただね、真似ばかりではね、誰かが何かを作ってくれないと、真似は出来ないのね・・・あはははは。

いずれにせよ、悩んだり、考えたり、そうした事をやったら、やった分だけは何かの役に立つのね・・・だって楽な事はしていないのだから・・・ただノリでやるのなら、楽しく、楽・・・ラクにやんないと・・・・きちんとやるならコンセプト。

自分がどっちよりでやるのか?はっきりすれば、真っすぐ進めそうだと思われるのね。それを何と無くだけれど、一応俺も何と無くだけど・・・見えて来たような気がするのね・・・・。