河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1799- 黛、林、三善、矢代、下野、日フィル、2015.5.15

2015-05-16 11:44:30 | コンサート・オペラ

2015年5月15日(金) 7:00pm サントリー

黛敏郎  フォノロジー・サンフォニック ―交響的韻律学―  11′

林光  Winds  11′

三善晃  霧の果実  13′

Int

矢代秋雄  交響曲  10+4+15+9

下野竜也  指揮  日本フィルハーモニー交響楽団


これはいい演奏会でした。今よりもこの当時の作曲家のほうが積極果敢で斬新、意欲的な創作活動がスカスカに見えてくるようでとても新鮮に聴くことが出来ました。
今のいわゆる現代音楽の作曲家たちがどこかに忘れてきてしまった腰のある、輝きのある圧倒的な響き。しおれない、しなだれない強烈な前向き音楽。

後半に1曲だけ置かれた矢代秋雄のシンフォニー、置かれた位置も内容も相応しい。
ヴィオラが内と外、別れて奏する緊張感はらんだメロディーラインとユニークなパーカッションの第3楽章、そこが白眉の頂点。そしてコラールファンファーレのインスピレーションが素晴らしいフィナーレ。
シンプルで強固な形式感がかっちりときまっている曲です。
響き、陰影、リズム、ダイナミズム、全体バランス。もう、わくわく感がとまらない。
第1,3楽章の静謐な響き、第2,4楽章の強烈な叫び。最高です。
第3楽章のパーカッションはショスタコーヴィッチの15番シンフォニー第4楽章の先取りのように聴こえるし、第4楽章の序奏はマーラー6番のフィナーレ序奏と同じモード、とにかく強烈な曲ですね。
下野の棒は非常に明快で、強烈な締め具合、その緊張感が圧倒的。曲との同質性を感じさせてくれるもので、また、まだまだ無限な可能性さえ感じさせてくれた説得力あるものでした。

最初の黛の曲はゴチャゴチャしたものですが、音響が光り輝いており腰がある。今の作曲家達にはすっぽりと抜けてしまっているものがここにある。

林のWindsはしなやかさのあるものだが、これは次の三善と比べると少し時代を感じさせる。

それぞれの作曲年次が、黛1957、林1974、三善1997、矢代1958、
このうち三善の作品のみ、今寄りといいますか、腰の無さ風が前面に出ている。前半は特に柔らかすぎる世界に足を踏み入れた感がある。影がありウエットでしなやか。
最後のコラールに向かう姿はやっぱり、その訴えかけの強さが圧倒的。後から見れば時代折衷的な曲だったのかもしれないという側面を感じる。
この三善の前半部分のアトモスフィアは林の作品のそれと同質性を感じるが、林のほうは当時の中にあっても現代音楽と言うよりも時代音楽と言う面が強く出たのではないかという印象です。

いずれにしましても、とにかく充実の内容。作品の内容もさることながら、下野の棒、そしてオーケストラの圧倒的に充実したサウンド。3者の共感度密度の濃さ、圧倒的でした。


これで、柴田南雄の夕べでもあれば何も言うことは無い。
ありがとうございました。
おわり