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2008-2009シーズン観たオペラ聴いたコンサートはこちら。
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2009年4月15日(水)2:00-7:35pm
オペラパレス、新国立劇場
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キース・ウォーナー プロダクション
ワーグナー/ワルキューレ全曲
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指揮:ダン・エッティンガー
東京フィルハーモニー交響楽団
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(in order of appearance)
ヴォータン/ユッカ・ラジライネン
ジークリンデ/マルティーナ・セラフィン
ジークムント/エンドリック・ヴォトリッヒ
フンディング/クルト・リドル
ブリュンヒルデ/ユディット・ネーメット
フリッカ/エレナ・ツィトコーワ
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ワルキューレたち
ゲルヒルデ/高橋知子
オルトリンデ/増田のり子
ヴァルトラウテ/大林智子
シュヴェルトライテ/三輪陽子
ヘルムヴィーゲ/平井香織
ジークルーネ/増田弥生
グリムゲルデ/清水華澄
ロスヴァイゼ/山下牧子
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人間技とも思えないエネルギーの必要なそして動きの多いジークフリートにあって、第3幕の目覚めの動機はトワイライトの方向に突き出ていると思うのだが、そのもとになる対とでも言うべきワルキューレのファイナル・ファイヤー・シーンは舞台が一度閉じられるというかなり異例の演出であった。といっても同プロダクション初演2002年のことを忘れてしまっただけのことかもしれない。
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死者の病棟が見事な遠近法的ズームアウトで30メートルの奥に消え去り、ぽっかり空いた奈落から、第2幕でブリュンヒルデに足蹴にされたグラーネが巨大化して立ち現れる。
しかしそれもこれもファイナルシーンで一度場が閉まる。
ワルキューレ最終局面で場はいったん閉じ、ドアが右と左にあらわれる。下手のドアから客席に向かって出てきたヴォータンはもう一方の上手の赤い火のドアの方に向かう。そして、その閉じた壁をこぶしで3度叩く。これ自体異例だが、最終局面でいったん場が閉じると言うのも異例。
場があがると大きなベットに目覚まし時計を枕もともにおいて横たわるブリュンヒルデ。
なにもかもがゆがんでいる。ものがゆがんでいるのか空間がゆがんでいるのか時もゆがんでいるのか。ダリのような世界の現出。
ラインゴールドからずっとその感じはあるし、ワルキューレ第1幕の巨大テーブルにはじまっていろいろとサイズや角度の崩壊があるので、極端な違和感はない。
それで、この火の岩ならぬベットに飛び込んでいくのは、人間なのか神なのかそれは来年のお楽しみと。。
今メトでもリング・サイクルをやっている。
例のオットー・シェンクのプロダクションの最終公演。
このプロダクションは1985-1986シーズンのワルキューレからはじまったのですが、当時この火の岩シーンだけで毎晩たしか10万ドルとぶと言われていたような記憶があります。道具仕立て以外に屋内での火のため保険とかいろいろかかったのでしょう。ムソルグスキーのホヴァンシチーナも燃え盛る火で終わるのですが同じぐらいお金がかかっていたことでしょう。
今回のオペラパスの火は小ぶりとは言いながらアイデアの奇抜さからいってずっと面白いものですね。話が例によって飛びました。
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死者の病棟はすでに第2
あちこちのブログを回って来ましたが、
河童メソッドさんの聴き方・観方って、本当に個性的ですねぇ。
ツィトコーワを誉める人、ヴォトリッヒを貶す人が多いのですが、
実際は仰る通りと思います。
エッティンガーの指揮は賛否両論ですが、
僕も良かったと思います。ただ、あのGPの長さは、
ジークフリートやカミタソで、裏目に出る時が
ありそうな気もします。
ここ何年かに至っては、音楽は自分の中での対話のための道具みたいになってきました。
個性的かどうかわかりませんが、斜めに構えている自分がいるかもしれませんね。
まぁ、じかに観たもの聴いたものから得たことだけですのでこんな感じになってしまうんでしょう。
昔、ワルトラウト・マイヤーが素晴らしいという世評の意味が実際に観聴きするまでわかりませんでした。
レコード等間接媒体を通してよくあれだけわかるもんだなぁ世間は。。というのが正直なところでしたね。
想像は想像を生み、イメージの世界が出来上がる。その方向感の多様性ということでしょうか。